35 素敵な一撃
アニスの遺体とディートが訓練場の外に運ばれたのを確認したティアは、そっとノイから離れた。
ノイは、全身を震わせていた。
「アニスさん、どうして」
涙が、止めどなく溢れてくる。
ティアは、ノイの顔を覗きこんだ。どうやら、過呼吸には陥っていないようだった。
「アニスはきっと、レムに会いに行ったんだよ」
「え」
「幼馴染みを、一人にしておけないって」
何の慰みにもならないことはティアもわかっていたが、そう言うしか他なかった。
違和感の正体が、わかった。
アニスは、最初から死ぬつもりだったんだ。
ディートさんと、刺し違える覚悟だったんだ。
誰のためでもない、お父さんのために。
でもディートさんは、降参を促した。アニスが生きながらえることを、望んだ。
アニスにはそれが、死刑宣告だったんだね。
アニスのお父さんへの想いは、私には全部はわからないけど、降参を促された時の絶望感は、痛いほどよくわかる。
あれは、優しさでカモフラージュされた、戦う者への冒涜だ。
私だって、きっと同じことをした。
ノイは手の甲で目を擦ると、大きく息をはいた。
「落ち着いた」
「うん」
「ノイは、強いね」
ティアが言うと、ノイは首を横に振った。
「ティアの方が、よっぽど強いよ」
「そうかな」
「レムさんもアニスさんも死んじゃったのに、気丈に振る舞って、私を励ましてくれた」
ノイは本心からそう言ったが、ティアはどことなく責められているように感じてしまった。
私は、薄情なのかな。
とてつもなく悲しいのに、涙ひとつ出てこないなんて。
ティアは、ため息をつきそうになるのを堪えた。
「試合が終わるまで、涙は封印しておく」
「え」
「必ず勝つから。ちゃんと見ていてね」
ティアが微笑むと、ノイは深く頷いた。
あ、そういうことか。
認めたくないなあ。
涙が出てこない理由が、わかったよ。
レムやアニスが死んだ悲しみよりも、
今はヨシアさんと戦えることの喜びの方が上回っている。
これが、戦う者の本能ってやつなのかな。
剣を握ったティアは、訓練場の真ん中へ、一歩ずつ、踏みしめるように進んだ。
一方のヨシアも、喜びを隠しきれないでいた。
なんと美しく、勇ましい姿なの。
仲間が死んだというのに、悲壮感は一切見せずに、戦う眼をしている。
あなたこそ、正真正銘の王女様。
そんな王女様を、殺すことができるなんて。
剣を持つ手が、小刻みに震えた。
対峙した二人は、少しの間見つめ合った。訓練場に吹きつける風が、二人の髪を撫でる。
ヨシアは表情を崩すと、ティアに向かって黙礼した。
「あなたと戦うことができて、身に余る光栄です。ティア王女様」
「私も光栄です。ありがとうございます」
思わぬ感謝の言葉に、ヨシアは息をのんだ。
「親衛隊最強のあなたと手合わせできるのを、楽しみにしていました」
ヨシアは、目を潤ませた。
あまりにも、もったいないお言葉。
今まで生きてきた中で、一番幸せかもしれない。
「お慕い申し上げます。王女様」
「これから戦うというのに、それは変ですよ」
ティアが言うと、二人は吹き出して笑った。これから凄惨な殺し合いを始めるとは思えない、穏やかな空気が漂っていた。
こんな素敵な王女様に仕えることができたら、どれほど幸せだったか。
けれど、私はリードア国王陛下に忠誠を誓う親衛隊。それは到底叶わぬ夢。
ならば、ラクサール王国の敵として、必ずや貴女様を殺します。
誰もが目を背けたくなるほど、残酷に。
ヨシアが剣を構えると、少し遅れてティアも剣を構えた。
槍も考えたんだけど、やっぱり剣の方が好きなんだ。
ごめんね、爺。
絶対に勝って帰るから、許してね。
ティアは、小さく息をはいた。
沈黙が、降りる。
微かに、二人の呼吸が聞こえる。
仕掛けたのは、二人同時だった。
二人の剣が、激しくぶつかる。
甲高い音が、鳴り響く。
続けて、ティアが剣を水平に振る。
ヨシアが、躱す。
躱した勢いで、ヨシアが剣を振る。
ティアが避ける。
ヨシアは、次の一太刀を加える。
ティアが、剣で弾き返す。
後ろに飛び退いたヨシアに、ティアが剣を振り下ろす。
顔面すれすれで避けたヨシアは、ティアの腹部を狙って剣を振る。
ティアはそれを、剣で弾き返す。
少しよろめいたヨシアの首を狙って、ティアが剣を振る。
ヨシアは、咄嗟に首を引っ込めて躱す。
間髪入れずに、ティアは剣を振り下ろす。
身体を反転させて、ヨシアが躱す。
今度はヨシアが、ティアの胸を狙う。
ティアは仰け反って、それを躱す。
そのままバク転したティアは、ヨシアの足を狙う。
素早く跳躍したヨシアは、それをギリギリで躱す。
着地したのと同時に、ヨシアがティアの首を狙って剣を振る。
地面に転がりながらそれを避けたティアは、後ろに飛び退く。
再び二人は、剣を構えて対峙した。
二人とも肩で息をしながら、口元を綻ばせた。
すごく楽しい。
一瞬でも隙を見せたら、死ぬかもしれないのに。
そんなギリギリの戦いを、私は心の底から楽しんでいる。
本気で殺しに来てくれることが、こんなにも嬉しいだなんて。
ティアは、目を潤ませた。
嫉妬するなあ。
美しくて、気高くて、人徳があって、しかも強いなんて。
そんな完璧な人間が、この世に存在するんだ。
私は、戦いしか能のない人間。
言い換えれば、戦いで負けてはいけない人間。
こんなに殺したくなる人は、生まれて初めて。
王女様の血は、さぞかし見目麗しいのでしょうね。
早く見たくて、仕方がない。
ヨシアは、舌なめずりをした。
呼吸が整った二人は、再び剣を合わせた。
高く澄んだ音が、訓練場を支配した。
二人の剣が速すぎて、ノイは目で追うこともできないでいた。
剣先が、胸元を掠める。
ティアの服に、浅く切れ込みが入った。
剣先が、腹部を掠める。
ヨシアの服に、浅く切れ込みが入った。
戦いが続くにつれ、二人の服に徐々に切れ込みが入っていった。
二人とも、剣を振る体力が限界に近づいていた。
その時、ティアが僅かに足をふらつかせた。
それを見逃さなかったヨシアは、素早く剣を振った。
躱しきれなかったティアの腹部に、深い切れ込みが入った。
咄嗟にヨシアから距離を取ったティアだったが、腹部からの出血はみるみるうちに広がっていった。
想像していたよりも、美しい。
あの気高い血を、全身で浴びてみたい。
きっと、とても気持ちが良いのでしょうね。
歪んだ欲望に、ヨシアの瞳孔が開く。
こんなに長い戦いは、初めて。
もう、体力もほとんど残っていない。
痛みと疲れで、頭がぼうっとする。
ここはもう、賭けに出るしかない。
歯を食いしばったティアは、姿勢を低く低くした。
ヨシアは、攻撃に備えて剣を構えた。
ティアが、飛びかかる。
ヨシアが、防御の態勢に入る。
ティアが、高く跳躍する。
ヨシアが、見上げる。
ティアが、剣を振り下ろす。
ヨシアが、剣を振り上げる。
ティアが、両手から剣を離す。
ヨシアの剣が、空を斬る。
ティアが、地面に落ちる寸前で剣を拾いあげる。
ヨシアは、目だけを下に向ける。
ティアが、がら空きのヨシアの腹部に、剣を深く突き刺す。
ヨシアは、剣を落とす。
ティアが、剣から手を離す。
ヨシアは、腹部に剣が刺さったまま、地面に倒れる。
ティアは、出血する腹部に手を当てる。
ヨシアは、上半身を起こす。
剣が刺さった腹部からは、鮮血が噴き出していた。
「素敵」
溢れる血を見つめながら、ヨシアは嬉々としてつぶやいた。
腹部を押さえながら、ティアはヨシアに近づいた。
「卑怯な手を使って、ごめんなさい。でも、私があなたに勝つには、これしかなかったんです」
ティアが謝ると、ヨシアは首を横に振った。
「とんでもないです。とても感動しました」
ヨシアの目が、潤み出す。
「あんな手、想像もしていなかった。すごく嬉しいです」
ティアの目も、潤み出す。
「私の血も、悪くないですね。王女様ほど綺麗ではないですけど」
溢れ出る血を両手ですくったヨシアは、恍惚の表情をした。
「さあ、王女様。私を殺してください」
ヨシアは、おもむろに両手を広げた。手からこぼれ落ちた血が、地面に水玉をつくる。
「あなたに殺されることで、私は心置きなく地獄に行けるのです」
唇をかみしめたティアは、ゆっくりと剣を振り上げた。
王女様。
そんな悲しい顔を、なさらないでください。
私は、とても幸せです。
最期に、こんなにも楽しい思い出ができたのですから。
ティアが剣を振り下ろすと、ヨシアの視界は暗転した。
首から切り離された頭部が、地面に転がった。
自らの鮮血を大量に浴びるヨシアの顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
目の前が、陽炎のように揺れる。
身体が、動かせない。
ノイの声が、遠くから聞こえる。
複数の足音が、近づいてくる。
そっか。
私も、死ぬんだ。
そう思った瞬間、意識が消失した。




