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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
35/38

35 素敵な一撃

 アニスの遺体とディートが訓練場の外に運ばれたのを確認したティアは、そっとノイから離れた。

 ノイは、全身を震わせていた。

「アニスさん、どうして」

 涙が、止めどなく溢れてくる。

 ティアは、ノイの顔を覗きこんだ。どうやら、過呼吸には陥っていないようだった。

「アニスはきっと、レムに会いに行ったんだよ」

「え」

「幼馴染みを、一人にしておけないって」

 何の慰みにもならないことはティアもわかっていたが、そう言うしか他なかった。

 違和感の正体が、わかった。

 アニスは、最初から死ぬつもりだったんだ。

 ディートさんと、刺し違える覚悟だったんだ。

 誰のためでもない、お父さんのために。

 でもディートさんは、降参を促した。アニスが生きながらえることを、望んだ。

 アニスにはそれが、死刑宣告だったんだね。

 アニスのお父さんへの想いは、私には全部はわからないけど、降参を促された時の絶望感は、痛いほどよくわかる。

 あれは、優しさでカモフラージュされた、戦う者への冒涜だ。

 私だって、きっと同じことをした。

 ノイは手の甲で目を擦ると、大きく息をはいた。

「落ち着いた」

「うん」

「ノイは、強いね」

 ティアが言うと、ノイは首を横に振った。

「ティアの方が、よっぽど強いよ」

「そうかな」

「レムさんもアニスさんも死んじゃったのに、気丈に振る舞って、私を励ましてくれた」

 ノイは本心からそう言ったが、ティアはどことなく責められているように感じてしまった。

 私は、薄情なのかな。

 とてつもなく悲しいのに、涙ひとつ出てこないなんて。

 ティアは、ため息をつきそうになるのを堪えた。

「試合が終わるまで、涙は封印しておく」

「え」

「必ず勝つから。ちゃんと見ていてね」

 ティアが微笑むと、ノイは深く頷いた。

 あ、そういうことか。

 認めたくないなあ。

 涙が出てこない理由が、わかったよ。

 レムやアニスが死んだ悲しみよりも、

 今はヨシアさんと戦えることの喜びの方が上回っている。

 これが、戦う者の本能ってやつなのかな。

 剣を握ったティアは、訓練場の真ん中へ、一歩ずつ、踏みしめるように進んだ。

 一方のヨシアも、喜びを隠しきれないでいた。

 なんと美しく、勇ましい姿なの。

 仲間が死んだというのに、悲壮感は一切見せずに、戦う眼をしている。

 あなたこそ、正真正銘の王女様。

 そんな王女様を、殺すことができるなんて。

 剣を持つ手が、小刻みに震えた。

 対峙した二人は、少しの間見つめ合った。訓練場に吹きつける風が、二人の髪を撫でる。

 ヨシアは表情を崩すと、ティアに向かって黙礼した。

「あなたと戦うことができて、身に余る光栄です。ティア王女様」

「私も光栄です。ありがとうございます」

 思わぬ感謝の言葉に、ヨシアは息をのんだ。

「親衛隊最強のあなたと手合わせできるのを、楽しみにしていました」

 ヨシアは、目を潤ませた。

 あまりにも、もったいないお言葉。

 今まで生きてきた中で、一番幸せかもしれない。

「お慕い申し上げます。王女様」

「これから戦うというのに、それは変ですよ」

 ティアが言うと、二人は吹き出して笑った。これから凄惨な殺し合いを始めるとは思えない、穏やかな空気が漂っていた。

 こんな素敵な王女様に仕えることができたら、どれほど幸せだったか。

 けれど、私はリードア国王陛下に忠誠を誓う親衛隊。それは到底叶わぬ夢。

 ならば、ラクサール王国の敵として、必ずや貴女様を殺します。

 誰もが目を背けたくなるほど、残酷に。

 ヨシアが剣を構えると、少し遅れてティアも剣を構えた。

 槍も考えたんだけど、やっぱり剣の方が好きなんだ。

 ごめんね、爺。

 絶対に勝って帰るから、許してね。

 ティアは、小さく息をはいた。

 沈黙が、降りる。

 微かに、二人の呼吸が聞こえる。

 仕掛けたのは、二人同時だった。

 二人の剣が、激しくぶつかる。

 甲高い音が、鳴り響く。

 続けて、ティアが剣を水平に振る。

 ヨシアが、躱す。

 躱した勢いで、ヨシアが剣を振る。

 ティアが避ける。

 ヨシアは、次の一太刀を加える。

 ティアが、剣で弾き返す。

 後ろに飛び退いたヨシアに、ティアが剣を振り下ろす。

 顔面すれすれで避けたヨシアは、ティアの腹部を狙って剣を振る。

 ティアはそれを、剣で弾き返す。

 少しよろめいたヨシアの首を狙って、ティアが剣を振る。

 ヨシアは、咄嗟に首を引っ込めて躱す。

 間髪入れずに、ティアは剣を振り下ろす。

 身体を反転させて、ヨシアが躱す。

 今度はヨシアが、ティアの胸を狙う。

 ティアは仰け反って、それを躱す。

 そのままバク転したティアは、ヨシアの足を狙う。

 素早く跳躍したヨシアは、それをギリギリで躱す。

 着地したのと同時に、ヨシアがティアの首を狙って剣を振る。

 地面に転がりながらそれを避けたティアは、後ろに飛び退く。

 再び二人は、剣を構えて対峙した。

 二人とも肩で息をしながら、口元を綻ばせた。

 すごく楽しい。

 一瞬でも隙を見せたら、死ぬかもしれないのに。

 そんなギリギリの戦いを、私は心の底から楽しんでいる。

 本気で殺しに来てくれることが、こんなにも嬉しいだなんて。

 ティアは、目を潤ませた。

 嫉妬するなあ。

 美しくて、気高くて、人徳があって、しかも強いなんて。

 そんな完璧な人間が、この世に存在するんだ。

 私は、戦いしか能のない人間。

 言い換えれば、戦いで負けてはいけない人間。

 こんなに殺したくなる人は、生まれて初めて。

 王女様の血は、さぞかし見目麗しいのでしょうね。

 早く見たくて、仕方がない。

 ヨシアは、舌なめずりをした。

 呼吸が整った二人は、再び剣を合わせた。

 高く澄んだ音が、訓練場を支配した。

 二人の剣が速すぎて、ノイは目で追うこともできないでいた。

 剣先が、胸元を掠める。

 ティアの服に、浅く切れ込みが入った。

 剣先が、腹部を掠める。

 ヨシアの服に、浅く切れ込みが入った。

 戦いが続くにつれ、二人の服に徐々に切れ込みが入っていった。

 二人とも、剣を振る体力が限界に近づいていた。

 その時、ティアが僅かに足をふらつかせた。

 それを見逃さなかったヨシアは、素早く剣を振った。

 躱しきれなかったティアの腹部に、深い切れ込みが入った。

 咄嗟にヨシアから距離を取ったティアだったが、腹部からの出血はみるみるうちに広がっていった。

 想像していたよりも、美しい。

 あの気高い血を、全身で浴びてみたい。

 きっと、とても気持ちが良いのでしょうね。

 歪んだ欲望に、ヨシアの瞳孔が開く。

 こんなに長い戦いは、初めて。

 もう、体力もほとんど残っていない。

 痛みと疲れで、頭がぼうっとする。

 ここはもう、賭けに出るしかない。

 歯を食いしばったティアは、姿勢を低く低くした。

 ヨシアは、攻撃に備えて剣を構えた。

 ティアが、飛びかかる。

 ヨシアが、防御の態勢に入る。

 ティアが、高く跳躍する。

 ヨシアが、見上げる。

 ティアが、剣を振り下ろす。

 ヨシアが、剣を振り上げる。

 ティアが、両手から剣を離す。

 ヨシアの剣が、空を斬る。

 ティアが、地面に落ちる寸前で剣を拾いあげる。

 ヨシアは、目だけを下に向ける。

 ティアが、がら空きのヨシアの腹部に、剣を深く突き刺す。

 ヨシアは、剣を落とす。

 ティアが、剣から手を離す。

 ヨシアは、腹部に剣が刺さったまま、地面に倒れる。

 ティアは、出血する腹部に手を当てる。

 ヨシアは、上半身を起こす。

 剣が刺さった腹部からは、鮮血が噴き出していた。

「素敵」

 溢れる血を見つめながら、ヨシアは嬉々としてつぶやいた。

 腹部を押さえながら、ティアはヨシアに近づいた。

「卑怯な手を使って、ごめんなさい。でも、私があなたに勝つには、これしかなかったんです」

 ティアが謝ると、ヨシアは首を横に振った。

「とんでもないです。とても感動しました」

 ヨシアの目が、潤み出す。

「あんな手、想像もしていなかった。すごく嬉しいです」

 ティアの目も、潤み出す。

「私の血も、悪くないですね。王女様ほど綺麗ではないですけど」

 溢れ出る血を両手ですくったヨシアは、恍惚の表情をした。

「さあ、王女様。私を殺してください」

 ヨシアは、おもむろに両手を広げた。手からこぼれ落ちた血が、地面に水玉をつくる。

「あなたに殺されることで、私は心置きなく地獄に行けるのです」

 唇をかみしめたティアは、ゆっくりと剣を振り上げた。

 王女様。

 そんな悲しい顔を、なさらないでください。

 私は、とても幸せです。

 最期に、こんなにも楽しい思い出ができたのですから。

 ティアが剣を振り下ろすと、ヨシアの視界は暗転した。

 首から切り離された頭部が、地面に転がった。

 自らの鮮血を大量に浴びるヨシアの顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 目の前が、陽炎のように揺れる。

 身体が、動かせない。

 ノイの声が、遠くから聞こえる。

 複数の足音が、近づいてくる。

 そっか。

 私も、死ぬんだ。

 そう思った瞬間、意識が消失した。

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