34 情けは人のためならず
担架に乗せられたフリックの遺体が訓練場を出て行くのを、ディートは茫然と見送った。
「みんな、次々に死んでいくね」
ヨシアは、嬉しそうにつぶやいた。
「次は、ディートの番か」
ディートは、拳を震わせた。
「あなたは私に、どんな死に様を見せてくれるの」
微笑むヨシアを、ディートは睨みつけた。
「まるで、負けるのが確定しているような言い方だね」
「だって、あなたが勝てる要素が、まるで見当たらないんだもん」
ヨシアの言葉に、ディートは瞠目した。
「アニスちゃんの目を見れば、わかる。あの子は、とてつもなく強い。それは、フィジカル的な強さはもとより、メンタルの強さも兼ね備えている。さすがは、アイケ元帥のお嬢様だよね」
「どうして、そこまでわかるの」
「逆に、どうしてわからないの」
「え」
「今日のアニスちゃんの様子を見ていたら、わかりそうなものだけど」
ディートは、息をのんだ。
「あなたは、目の前の戦いにばかり気を取られて、周りが全然見えていなかった。ディートの対戦相手は、アニスちゃんなんだよ。試合中、彼女がどういう表情をしていて、どういう仕草をしていたか。その中から、対戦の時に有利になるようなヒントを見つけ出す努力を、あなたはまったくしていなかった」
ヨシアの指摘に、ディートはぐうの音も出なかった。
「気づいていないでしょうけど、アニスちゃんは試合の合間にも、しっかりあなたのことを観察していたよ」
「え」
「その時点で、あなたは負けている。対戦する前から、もう戦いは始まっているの。武術を極めることだけが、強さじゃないんだよ」
ディートは、唇をかみしめた。
「試合中の態度や仕草を見ていたら、よくわかる。アニスちゃんは、あなたよりずっと冷酷になれる子だよ。間違いなく、あなたを本気で殺しに来る」
「本気で、殺しに」
「あなたには、まず無理でしょうね。だってあなたは、頭の片隅で、アニスちゃんを殺さなくて済むにはどうしたらいいか、って考えているんでしょうから」
ヨシアの言葉が、脳内で揺れる。
「そんな悠長なことを考えている人が、本気で殺しに来る人に勝てるとは到底思えないけどね」
「ふざけるな」
ディートは、振り絞るように叫んだ。
「私は、親衛隊を背負っているんだ。このままで、いいわけがない。必ず、アニス様に勝ってみせる」
ディートの瞳に、力が宿る。
「勝つだけじゃ駄目だよ。アイケ元帥も言ってたでしょ。必ず殺さなきゃ」
「言われなくても、わかっている。確実に殺す」
剣を握ったディートは、向こうの壁際で剣を振っているアニスを睨みながら、一歩ずつ踏みしめるように歩いて行った。
やれやれ。まったく、世話の焼ける子だね。
でも、こうでもしなきゃ、しょっぱい試合になっちゃうからなあ。
そんな試合、見たくないもんね。
ヨシアは、ため息をついた。
ディートの本気を、私は一度も見たことがない。
相手を殺しそうになると、どうしてもためらいがチラついてしまうから。
私には持ち合わせていない、とても不思議な感覚。
殺してあげた方が、相手も楽になるのに。
ヨシアの脳裏に、エルンスの苦悶に満ちた死に顔がよぎった。
心と身体がかみ合ったら、私だって敵わないくらい強いはず。
今日は、見せてくれるよね。
あなたの、本気を。
ディートの背中を見つめながら、ヨシアは微笑んだ。
剣を振りながら、二人のやり取りを横目で見ていたアニスは、舌打ちをしそうになった。
まずいわね。
ディートの顔つきが、明らかに変わっている。
あのヨシアって人、彼女に何を吹き込んだのかしら。
「アニス」
声を掛けてきたのは、ティアだった。
「頑張って」
「ありきたりな励ましの言葉ね。もっと気の利いたことは言えないのかしら」
アニスが憎まれ口を叩くと、ティアはキョトンとした。
「まあ、いいわ。戦う前にごちゃごちゃ言われても、気が散るから」
いつものアニスの話し方、いつものアニスの態度なのに、この違和感の正体はなんだろう。
幼馴染みのレムが死んで、思うところがあるのかもしれない。
でも、それだけじゃない気がする。
「なに、しけた顔をしているのよ」
アニスの言葉に、ティアは我に返った。
「これから戦うのは、私なのよ。あなたは、次の試合に備えて、ちゃんと対策を練っておきなさい」
「え、あ、うん」
「私達の大将は、あなたなんだから。もっと、ドンと構えてちょうだい」
アニスは、微笑んだ。
その微笑みが、これまで見たことがないほどに寂しげで、ティアは胸が締めつけられた。
「死なないで」
咄嗟に、口をついて出た。
「私を、誰だと思っているの」
ティアの肩をぽんと叩いたアニスは、訓練場の真ん中へ歩を進めた。
アニス。
ティアは胸の前で手を組み、そっと祈った。
お父様。
きっと、この訓練場のどこかで、ご覧になっているのでしょう。
だって、あなたの気配を、強く感じますから。
私は、お父様の娘として相応しい人間になりたいと、物心ついた頃からそう思っていました。
実戦武術を選択したのも、途中で辞退をしなかったのも、すべてはお父様に認められたいがため。
あまりにも愚かな選択だと、あざ笑う者もいるでしょう。けれども私は、自分の選択に悔いなど一切ありません。
必ずや勝利をおさめて、お父様に褒めていただきますわ。
私の戦いぶりを、とくとご覧あれ。
アニスは、口元を綻ばせた。
対峙したディートの眼は、明らかに血走っていた。アニスへの殺意を、隠そうともしていなかった。
楽に勝とうだなんて、そうは問屋が卸さないわね。
だけど、不思議だわ。
嬉しさで、心が満ち満ちている。
私はすっかり、身も心も戦いに魅了されてるのね。
細く長い息をはいたアニスは、ゆっくりと剣を構えた。
呼応するように、ディートも剣を構える。
張りつめるような静寂が、訓練場を包み込んだ。
先に仕掛けたのは、アニスだった。
弾かれたように飛びこんだアニスは、全身を使って剣を水平に振った。
ディートは、アニスの剣を事もなげに弾き返した。
今度は、ディートの番だった。
アニス目掛けて、剣を振り下ろす。轟音と共に、土煙が舞った。
躱したアニスは、身体を反転させながら剣を振った。
逆をつかれた格好のディートだったが、片手でアニスの剣を弾き返した。
弾かれてもなおアニスは、攻撃の手を緩めない。素早くしゃがみ込むと、ディートの足目掛けて剣を振るった。
大柄なディートは、低い位置の剣を弾き返すことができず、跳躍してそれを躱した。
よみ切っていたアニスは、今度は下から上に剣を振った。
着地する前だったディートは、身体を反らしてそれを避けた。
アニスは、反った格好のディートの腹部目掛けて、剣を振るった。
ディートは膝を折って姿勢を低くすると、アニスの剣を頭上すれすれで避けた。
アニスは息つく間もなく、剣を振り下ろした。
ディートは右側に転がってそれを避け、後ろに飛び退いた。
間合いができたことにより、再び静寂が訪れる。
二人の戦いぶりを目の当たりにしたノイは、口を開けたまま固まっていた。
連続で攻撃を仕掛けたアニスは、肩で息をしていた。一方のディーートは、まったく息が乱れていなかった。
身体が、とても柔らかい。
あれだけ大きいのに、瞬発力も凄まじい。
私が全力で振った剣を片手で難なく弾くほどの、驚異的なパワー。
これが、親衛隊の真の実力なのね。
参ったわ。
勝てる気がしない。
ディートの凍てつくような眼差しに、アニスは武者震いした。
今度は、ディートが仕掛ける番だった。
突如として高く跳躍したディートは、アニス目掛けて剣を振り下ろした。
思いのほか動きが緩慢だったので、アニスは余裕を持って避けたが、次に繰り出された剣は、アニスの予測を超えるほどに速かった。
ディートの剣先が、アニスの右肩に触れた。
触れただけでも、右肩には深い傷が入った。
傷口から、血が滲んでくる。痛みに顔をゆがめたアニスは、次のディートの攻撃を避けるべく後ろに飛んだ。
傷口を手で押さえたら、隙ができてしまう。右肩から血を滴らせながら、アニスは両手で強く剣を握った。
やればできるじゃない。
つくづく、メンタルは大事だと思い知らされたな。
ヨシアは、満足そうに頷いた。
アニスちゃんも、ものすごく頑張っていたけど、利き腕をやられたらもうおしまいだね。
あとは、ディートが普通にやれば終わる。
普通にやれば。
どうか、私の魔法が解けませんように。
心の中で、ヨシアは祈った。
右腕全体が、重たい。段々と、痺れてきた。眼前のディートが、微かに揺れている。
わざとゆっくり動いて、次の動きを速く見せたのね。いや、実際に速かったけど、あそこまで緩急をつけられたら、対処のしようがなかったわ。腕を切り落とされなかっただけでも、幸運だと思いたいわね。
ディートは、表情を一切変えずに、ゆっくりと剣を構えた。
とどめを刺しに来るつもりね。
上等よ。
私らしく、醜く足掻いてみせるわ。
微笑んだアニスは、傷む右腕を前にして剣を構えた。
訓練場は、再び森閑となった。
ディートはすぐに飛びかかろうとはせず、ジリジリと間合いを詰めていった。
あちゃあ、駄目だったか。
それを見た瞬間、ヨシアは頭を抱えた。
魔法の効き目が、短すぎるよ。
私も、まだまだ修行が足りないな。
ヨシアは、ため息をついた。
にじり寄ってくるディートが、陽炎のように揺れている。
なぜ、すぐに攻撃してこないのかしら。
ここに来て、私を警戒しているの。
それとも、ジワジワと嬲り殺そうとしているの。
ひょっとして、まさか。
ディートの振るった剣が、アニスの腹部を襲う。
腹部を剣がかすめるのと同時に、アニスは右腕の痛みをこらえながら、ありったけの力を込めて剣を振った。
アニスの剣先が、ディートの腹部をかすめた。
相打ちとなった格好になり、二人とも地面に片膝をついた。
剣をこぼしたアニスは、左手で腹部にそっと触れた。
生温かい血が、左手を真っ赤に染めていく。
ディートも、苦痛に顔をゆがめながら、腹部を手で押さえた。
戦いの最中、ずっと血走っていた目は、元に戻っていた。
地面に血を滴らせながら腰を上げたディートは、おぼつかない足どりでアニスに寄っていった。
「降参してください」
ディートの言葉に、アニスは顔をあげた。
「私は、あなたを殺したくない」
ディートは、震える声で言った。
アニスはディートのことを、じっと見つめた。
「今なら、まだ助かります。どうか、お願いします」
ディートが必死に懇願すると、アニスはフッと笑みを浮かべた。
「あなた、最後に手を抜いたわね」
ディートは、瞠目した。
「情けをかけたつもりなのでしょうけど、そのことが私にとってどれほど屈辱的なことか、わからなかったの」
返す言葉も、なかった。
「これじゃあ、お父様に認めてもらえない」
つぶやいたアニスは、足元に落ちている剣を左手で拾った。
そのときは、絶望して、自分で首をかっきります。
ディートの脳内に、かつてのティアの言葉がよぎった。
「しっかり目に焼きつけるのよ。そして、自分がしでかしたことを、一生後悔しなさい」
アニスは剣先を、自分の首元に当てた。
「見ちゃ駄目」
叫んだティアは、咄嗟にノイの頭を胸に抱いた。
アニスの首から噴き出た鮮血は赤い雨となり、立ち尽くすディートに降り注いだ。
お父様。
最期まで私は、親不孝な娘でした。
天国で、先にお待ちしていますわ。
なるべくゆっくり、いらしてくださいね。
地面に仰向けになったアニスは、微笑んだまま、虹の橋を渡った。
駆けつけた救護隊がアニスを取り囲んでいるのを、ヨシアは少し離れたところから見ていた。
生き恥はさらさない、か。
見事な死に様だったよ、アニスちゃん。
お父さんも、さぞかしお喜びでしょうね。
ヨシアの視線は、訓練場の裏口に向けられた。
裏口の奥の壁にもたれかかるようにして、身体を震わせている人影が見えた。
意地を張り合うから、こうなるんだよ。
ちゃんと向き合っていたら、こんな結末にはならなかったのに。
子だくさんのあなたには、わからなかったのでしょうね。
親子が健康でいられることが、どれほど尊くて、どれほど幸せなことか。
後ろを振り返ったヨシアは、ディートの元へ向かった。
一応、こいつも殺しておくか。
親衛隊の、面汚し。
ヨシアは、ディートの足元に転がっている剣を拾い上げた。
いや、やっぱりやめておこう。
もう。心が完全に死んでいる。
死人にむち打つような真似は、私のポリシーに反するからね。
微笑んだヨシアは、剣を地面に放ると、その場を離れていった。
血塗れのディートは、立ったまま気を失っていた。




