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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
34/38

34 情けは人のためならず

 担架に乗せられたフリックの遺体が訓練場を出て行くのを、ディートは茫然と見送った。

「みんな、次々に死んでいくね」

 ヨシアは、嬉しそうにつぶやいた。

「次は、ディートの番か」

 ディートは、拳を震わせた。

「あなたは私に、どんな死に様を見せてくれるの」

 微笑むヨシアを、ディートは睨みつけた。

「まるで、負けるのが確定しているような言い方だね」

「だって、あなたが勝てる要素が、まるで見当たらないんだもん」

 ヨシアの言葉に、ディートは瞠目した。

「アニスちゃんの目を見れば、わかる。あの子は、とてつもなく強い。それは、フィジカル的な強さはもとより、メンタルの強さも兼ね備えている。さすがは、アイケ元帥のお嬢様だよね」

「どうして、そこまでわかるの」

「逆に、どうしてわからないの」

「え」

「今日のアニスちゃんの様子を見ていたら、わかりそうなものだけど」

 ディートは、息をのんだ。

「あなたは、目の前の戦いにばかり気を取られて、周りが全然見えていなかった。ディートの対戦相手は、アニスちゃんなんだよ。試合中、彼女がどういう表情をしていて、どういう仕草をしていたか。その中から、対戦の時に有利になるようなヒントを見つけ出す努力を、あなたはまったくしていなかった」

 ヨシアの指摘に、ディートはぐうの音も出なかった。

「気づいていないでしょうけど、アニスちゃんは試合の合間にも、しっかりあなたのことを観察していたよ」

「え」

「その時点で、あなたは負けている。対戦する前から、もう戦いは始まっているの。武術を極めることだけが、強さじゃないんだよ」

 ディートは、唇をかみしめた。

「試合中の態度や仕草を見ていたら、よくわかる。アニスちゃんは、あなたよりずっと冷酷になれる子だよ。間違いなく、あなたを本気で殺しに来る」

「本気で、殺しに」

「あなたには、まず無理でしょうね。だってあなたは、頭の片隅で、アニスちゃんを殺さなくて済むにはどうしたらいいか、って考えているんでしょうから」

 ヨシアの言葉が、脳内で揺れる。

「そんな悠長なことを考えている人が、本気で殺しに来る人に勝てるとは到底思えないけどね」

「ふざけるな」

 ディートは、振り絞るように叫んだ。

「私は、親衛隊を背負っているんだ。このままで、いいわけがない。必ず、アニス様に勝ってみせる」

 ディートの瞳に、力が宿る。

「勝つだけじゃ駄目だよ。アイケ元帥も言ってたでしょ。必ず殺さなきゃ」

「言われなくても、わかっている。確実に殺す」

 剣を握ったディートは、向こうの壁際で剣を振っているアニスを睨みながら、一歩ずつ踏みしめるように歩いて行った。

 やれやれ。まったく、世話の焼ける子だね。

 でも、こうでもしなきゃ、しょっぱい試合になっちゃうからなあ。

 そんな試合、見たくないもんね。

 ヨシアは、ため息をついた。

 ディートの本気を、私は一度も見たことがない。

 相手を殺しそうになると、どうしてもためらいがチラついてしまうから。

 私には持ち合わせていない、とても不思議な感覚。

 殺してあげた方が、相手も楽になるのに。

 ヨシアの脳裏に、エルンスの苦悶に満ちた死に顔がよぎった。

 心と身体がかみ合ったら、私だって敵わないくらい強いはず。

 今日は、見せてくれるよね。

 あなたの、本気を。

 ディートの背中を見つめながら、ヨシアは微笑んだ。

 剣を振りながら、二人のやり取りを横目で見ていたアニスは、舌打ちをしそうになった。

 まずいわね。

 ディートの顔つきが、明らかに変わっている。

 あのヨシアって人、彼女に何を吹き込んだのかしら。

「アニス」

 声を掛けてきたのは、ティアだった。

「頑張って」

「ありきたりな励ましの言葉ね。もっと気の利いたことは言えないのかしら」

 アニスが憎まれ口を叩くと、ティアはキョトンとした。

「まあ、いいわ。戦う前にごちゃごちゃ言われても、気が散るから」

 いつものアニスの話し方、いつものアニスの態度なのに、この違和感の正体はなんだろう。

 幼馴染みのレムが死んで、思うところがあるのかもしれない。

 でも、それだけじゃない気がする。

「なに、しけた顔をしているのよ」

 アニスの言葉に、ティアは我に返った。

「これから戦うのは、私なのよ。あなたは、次の試合に備えて、ちゃんと対策を練っておきなさい」

「え、あ、うん」

「私達の大将は、あなたなんだから。もっと、ドンと構えてちょうだい」

 アニスは、微笑んだ。

 その微笑みが、これまで見たことがないほどに寂しげで、ティアは胸が締めつけられた。

「死なないで」

 咄嗟に、口をついて出た。

「私を、誰だと思っているの」

 ティアの肩をぽんと叩いたアニスは、訓練場の真ん中へ歩を進めた。

 アニス。

 ティアは胸の前で手を組み、そっと祈った。

 お父様。

 きっと、この訓練場のどこかで、ご覧になっているのでしょう。

 だって、あなたの気配を、強く感じますから。

 私は、お父様の娘として相応しい人間になりたいと、物心ついた頃からそう思っていました。

 実戦武術を選択したのも、途中で辞退をしなかったのも、すべてはお父様に認められたいがため。

 あまりにも愚かな選択だと、あざ笑う者もいるでしょう。けれども私は、自分の選択に悔いなど一切ありません。

 必ずや勝利をおさめて、お父様に褒めていただきますわ。

 私の戦いぶりを、とくとご覧あれ。

 アニスは、口元を綻ばせた。

 対峙したディートの眼は、明らかに血走っていた。アニスへの殺意を、隠そうともしていなかった。

 楽に勝とうだなんて、そうは問屋が卸さないわね。

 だけど、不思議だわ。

 嬉しさで、心が満ち満ちている。

 私はすっかり、身も心も戦いに魅了されてるのね。

 細く長い息をはいたアニスは、ゆっくりと剣を構えた。

 呼応するように、ディートも剣を構える。

 張りつめるような静寂が、訓練場を包み込んだ。

 先に仕掛けたのは、アニスだった。

 弾かれたように飛びこんだアニスは、全身を使って剣を水平に振った。

 ディートは、アニスの剣を事もなげに弾き返した。

 今度は、ディートの番だった。

 アニス目掛けて、剣を振り下ろす。轟音と共に、土煙が舞った。

 躱したアニスは、身体を反転させながら剣を振った。

 逆をつかれた格好のディートだったが、片手でアニスの剣を弾き返した。

 弾かれてもなおアニスは、攻撃の手を緩めない。素早くしゃがみ込むと、ディートの足目掛けて剣を振るった。

 大柄なディートは、低い位置の剣を弾き返すことができず、跳躍してそれを躱した。

 よみ切っていたアニスは、今度は下から上に剣を振った。

 着地する前だったディートは、身体を反らしてそれを避けた。

 アニスは、反った格好のディートの腹部目掛けて、剣を振るった。

 ディートは膝を折って姿勢を低くすると、アニスの剣を頭上すれすれで避けた。

 アニスは息つく間もなく、剣を振り下ろした。

 ディートは右側に転がってそれを避け、後ろに飛び退いた。

 間合いができたことにより、再び静寂が訪れる。

 二人の戦いぶりを目の当たりにしたノイは、口を開けたまま固まっていた。

 連続で攻撃を仕掛けたアニスは、肩で息をしていた。一方のディーートは、まったく息が乱れていなかった。

 身体が、とても柔らかい。

 あれだけ大きいのに、瞬発力も凄まじい。

 私が全力で振った剣を片手で難なく弾くほどの、驚異的なパワー。

 これが、親衛隊の真の実力なのね。

 参ったわ。

 勝てる気がしない。

 ディートの凍てつくような眼差しに、アニスは武者震いした。

 今度は、ディートが仕掛ける番だった。

 突如として高く跳躍したディートは、アニス目掛けて剣を振り下ろした。

 思いのほか動きが緩慢だったので、アニスは余裕を持って避けたが、次に繰り出された剣は、アニスの予測を超えるほどに速かった。

 ディートの剣先が、アニスの右肩に触れた。

 触れただけでも、右肩には深い傷が入った。

 傷口から、血が滲んでくる。痛みに顔をゆがめたアニスは、次のディートの攻撃を避けるべく後ろに飛んだ。

 傷口を手で押さえたら、隙ができてしまう。右肩から血を滴らせながら、アニスは両手で強く剣を握った。

 やればできるじゃない。

 つくづく、メンタルは大事だと思い知らされたな。

 ヨシアは、満足そうに頷いた。

 アニスちゃんも、ものすごく頑張っていたけど、利き腕をやられたらもうおしまいだね。

 あとは、ディートが普通にやれば終わる。

 普通にやれば。

 どうか、私の魔法が解けませんように。

 心の中で、ヨシアは祈った。

 右腕全体が、重たい。段々と、痺れてきた。眼前のディートが、微かに揺れている。

 わざとゆっくり動いて、次の動きを速く見せたのね。いや、実際に速かったけど、あそこまで緩急をつけられたら、対処のしようがなかったわ。腕を切り落とされなかっただけでも、幸運だと思いたいわね。

 ディートは、表情を一切変えずに、ゆっくりと剣を構えた。

 とどめを刺しに来るつもりね。

 上等よ。

 私らしく、醜く足掻いてみせるわ。

 微笑んだアニスは、傷む右腕を前にして剣を構えた。

 訓練場は、再び森閑となった。

 ディートはすぐに飛びかかろうとはせず、ジリジリと間合いを詰めていった。

 あちゃあ、駄目だったか。

 それを見た瞬間、ヨシアは頭を抱えた。

 魔法の効き目が、短すぎるよ。

 私も、まだまだ修行が足りないな。

 ヨシアは、ため息をついた。

 にじり寄ってくるディートが、陽炎のように揺れている。

 なぜ、すぐに攻撃してこないのかしら。

 ここに来て、私を警戒しているの。

 それとも、ジワジワと嬲り殺そうとしているの。

 ひょっとして、まさか。

 ディートの振るった剣が、アニスの腹部を襲う。

 腹部を剣がかすめるのと同時に、アニスは右腕の痛みをこらえながら、ありったけの力を込めて剣を振った。

 アニスの剣先が、ディートの腹部をかすめた。

 相打ちとなった格好になり、二人とも地面に片膝をついた。

 剣をこぼしたアニスは、左手で腹部にそっと触れた。

 生温かい血が、左手を真っ赤に染めていく。

 ディートも、苦痛に顔をゆがめながら、腹部を手で押さえた。

 戦いの最中、ずっと血走っていた目は、元に戻っていた。

 地面に血を滴らせながら腰を上げたディートは、おぼつかない足どりでアニスに寄っていった。

「降参してください」

 ディートの言葉に、アニスは顔をあげた。

「私は、あなたを殺したくない」

 ディートは、震える声で言った。

 アニスはディートのことを、じっと見つめた。

「今なら、まだ助かります。どうか、お願いします」

 ディートが必死に懇願すると、アニスはフッと笑みを浮かべた。

「あなた、最後に手を抜いたわね」

 ディートは、瞠目した。

「情けをかけたつもりなのでしょうけど、そのことが私にとってどれほど屈辱的なことか、わからなかったの」

 返す言葉も、なかった。

「これじゃあ、お父様に認めてもらえない」

 つぶやいたアニスは、足元に落ちている剣を左手で拾った。

そのときは、絶望して、自分で首をかっきります。

ディートの脳内に、かつてのティアの言葉がよぎった。

「しっかり目に焼きつけるのよ。そして、自分がしでかしたことを、一生後悔しなさい」

 アニスは剣先を、自分の首元に当てた。

「見ちゃ駄目」

 叫んだティアは、咄嗟にノイの頭を胸に抱いた。

 アニスの首から噴き出た鮮血は赤い雨となり、立ち尽くすディートに降り注いだ。

 お父様。

 最期まで私は、親不孝な娘でした。

 天国で、先にお待ちしていますわ。

 なるべくゆっくり、いらしてくださいね。

 地面に仰向けになったアニスは、微笑んだまま、虹の橋を渡った。

 駆けつけた救護隊がアニスを取り囲んでいるのを、ヨシアは少し離れたところから見ていた。

 生き恥はさらさない、か。

 見事な死に様だったよ、アニスちゃん。

 お父さんも、さぞかしお喜びでしょうね。

 ヨシアの視線は、訓練場の裏口に向けられた。

 裏口の奥の壁にもたれかかるようにして、身体を震わせている人影が見えた。

 意地を張り合うから、こうなるんだよ。

 ちゃんと向き合っていたら、こんな結末にはならなかったのに。

 子だくさんのあなたには、わからなかったのでしょうね。

 親子が健康でいられることが、どれほど尊くて、どれほど幸せなことか。

 後ろを振り返ったヨシアは、ディートの元へ向かった。

 一応、こいつも殺しておくか。

 親衛隊の、面汚し。

 ヨシアは、ディートの足元に転がっている剣を拾い上げた。

 いや、やっぱりやめておこう。

 もう。心が完全に死んでいる。

 死人にむち打つような真似は、私のポリシーに反するからね。

 微笑んだヨシアは、剣を地面に放ると、その場を離れていった。

 血塗れのディートは、立ったまま気を失っていた。

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