33 無様に
第三試合を前にして、剣を握ったファオは、目を閉じて集中していた。
脳裏に浮かぶのは、レムの笑顔だった。
豪快で明るい性格ゆえに、誰とでもすぐに仲良くなれるレムのことを、ファオは少し羨ましく思っていた。
おとなしい性格で、一人でいることがまったく苦痛でなかったファオは、ヴァイス大学でも友だちをつくるつもりはなかった。むしろ、友人関係の構築は、勉学の邪魔になるとさえ思っていた。
だが、そんなファオにも、レムは気さくに声を掛けてくれた。たいして面白くもないファオのスーサ公国の話にも、熱心に耳を傾けていた。
一緒に出かけることはなかったので、友人関係かと言われれば微妙だったが、ファオはクラスや講義でレムと同じ時間を過ごしていると、心が安らぐのを感じていた。
実戦武術でも、厳しい訓練の合間のレムとの何気ない会話が、一服の清涼剤となった。不器用ながらも、ランドから武術の手ほどきを受けているレムの姿勢に、感化されることも多かった。
僕にないものを、レムはたくさん持っていた。
レムと出会えた僕は、とても幸福だったよ。
ふいに、目頭が厚くなった。ファオはティア達にバレないように、顔を伏せてからそっと手の甲で涙を拭いた。
レム、天国から観ていてくれ。
僕が勝つことこそが、君への手向けだ。
ひとつ大きく深呼吸をしたファオは、ゆっくりと顔をあげた。
眼鏡の奥の瞳は、鋭い光を放っていた。
一方のフリックは、剣を強く握りしめ、訓練場の真ん中へ歩を進めた。
アニスを殺すことだけを考えていたフリックにとって、対戦が叶わなかったことは、奈落の底に突き落とされたのと同じだった。
また、アニスの対戦相手がディートというのも、フリックには大きな不満だった。
ちゃんと戦えるのかよ、あいつは。
俺の方が、アニス様の相手に相応しいのに。
フリックは、苛立ちを隠せなかった。
ディートの武術の腕前については、疑いようがなかった。間違いなく、親衛隊でも一二を争う実力の持ち主だった。だが、ディートにはそれを活かしきれない致命的なな弱点があった。それは、ヨシアにも指摘されているとおり、真面目すぎる性格だった。言い方を変えれば、残酷になりきれなかった。
国王を警護する親衛隊たるもの、時には冷徹な判断が必要になることもある。ディートには、その覚悟が足りなかった。そもそもディートは、武術を極めたくて成り行きで親衛隊に入隊したのだから、他の親衛隊員の入隊動機とは明らかに毛色が違っていた。
いっそのこと、親衛隊なんてさっさと辞めて、子供達に武術を教える教室でも開けばいいのによ。
ディートに対して、フリックは常日頃からそう思っていた。
結局ディートは、最後まで辞退を申し出ることもなく、ここ最終試験の会場に姿を現した。
それに加えて、よりにもよって、自分が熱望していたアニスとの対戦の権利をディートに奪われたフリックは、もはや自暴自棄寸前になっていた。
だが、ヨシアがエルンスを殺したことで、潮目は大きく変わった。
一つ目は、自分への戒めだった。
もしエルンスと自分の出番が逆だったら、それこそヨシアに殺されたのは自分だった。
きっと俺も、エルンスのように中途半端な態度を取っていただろう。アニス様と戦えないことに、未練たらたらで。
エルンスが死んでくれて、よかった。おかげで、あのファオとかいう若造に、全力を注ぐことができる。
二つ目は、ディートへの影響だった。
くそがつくほど真面目なあいつのことだ。無駄な殺生はしたくないと言って、間違いなく、アニス様に情けを掛けていただろう。もしかしたら、アニス様に花を持たせようと、わざとやられることもあったかもしれない。
そんな一般的には善行と呼ばれるものは、親衛隊員にとってはまさしく愚行。エルンスを殺すことで、ヨシアはディートにそれを突きつけたんだ。
ディートを精神的に崖っぷちに立たせることで、嫌でも本領を発揮させる。
ヨシアも、きっと観てみたかったはずだ。
追い込まれた獅子が、獲物をどう食い殺すのか。
癪ではあるが、ディートに託すとするか。
なるべく残忍な方法で、アニス様を殺してくれよ。
残忍であればあるほど、アニス様は神に近づくのだから。
フリックは、狡猾な笑みを浮かべた。
対峙したファオの表情は、とても落ち着いていた。
へえ、たいしたもんだ。
仲間が殺されて忸怩たる思いがあるだろうに、おくびにも出していない。
フリックは、感心した。
確か、スーサ公国出身とか言ってったな。
あの平和ボケした観光立国からやって来たとは思えない、いい面構えをしている。
ヴァイス大学の学生とあらば、スーサにとっても将来有望な逸材なんだろうが、悪いけどここで芽を摘ませてもらうぜ。
俺は生き残って、アニス様が神になる瞬間を、この目で見たいんだよ。
フリックは、剣を静かに構えた。
相手の構えを見た瞬間、ファオは身体が震えた。
隙が、まったく見当たらない。
何をやっても、防がれてしまいそうだ。
こみ上げてくる唾を、ファオはそっと飲みこんだ。
先に仕掛けたのは、フリックの方だった。姿勢を低くしたかと思った刹那、凄まじい速度で飛びかかってくると、そのままファオの腹部目掛けて、剣を水平に振るった。
迷う暇など、なかった。ファオは瞬時に、剣でフリックの攻撃を受け止めた。金属のぶつかる音が、高く鳴り響く。
ファオの剣は、当たったところが刃こぼれしていた。手の痺れが、尋常ではなかった。気を抜いたら、手から剣がこぼれ落ちそうだった。
危なかった。
あとゼロコンマ数秒遅れていたら、身体は確実に真っ二つにされていた。
挨拶代わりにしては、強烈すぎる。
ファオは、小さく息をはいた。
驚いた。
フリックは、目を見張った。
一発目から全力で仕留めにかかったのに、防がれた。
偶然なんかじゃない。この子は、俺の太刀筋を完璧によんでいた。
こんな芸当ができるのは、親衛隊員でもほんの一握りしかいない。
惜しい。
ここで殺すには、あまりにも惜しい。
フリックは、不敵に笑った。
一方でファオは、頭をフル回転させていた。
ただ闇雲に攻めていったら、相手の術中にはまってしまう。
あの瞬発力と剣の速さは、桁違いだ。僕が今まで見てきた中で、一番かもしれない。
しいて言うのなら、速さはあっても重くはなかった。
その証拠に、手の痺れは思いのほかすぐに収まっている。
そんなのは、とても隙と呼べる代物ではないかもしれない。
でも、そこに活路を見出すしかない。
ファオは、剣の柄を強く握った。
悪いが、俺はあまり時間を掛けたくない主義なんだ。
考える余地など、与えねえよ。
飛びかかったフリックが、五月雨のように剣を振るってきた。ファオはフリックの視線をたどりながら寸前で躱し、剣で弾き返した。だがフリックの剣は、更に加速していった。ファオの服は徐々に切り裂かれ、かまいたちに遭ったかような無数の傷がついた。にじみ出た血が、白い服に赤い模様を描いていく。
フリックの最後の一撃が、ファオの顔面を襲う。避けきれなかったファオの右目に、剣先が触れた。眼鏡が吹き飛ぶのと同時に、えぐられた右目からは血が噴き出した。
「ファオさん」
ノイが、叫んだ。
勝負あったな。
フリックは、肩を激しく上下して、息を整えた。
右目を右手で押さえたファオは、左手に剣を握ったまま、茫然と立ち尽くしていた。その表情からは、さっきまであった生気がなくなっていた。
傷は、どれもこれもが浅い。これでは、致命傷にはなり得ない。
俺の剣が速さに特化していて、重さが足りないのを差し引いても、ここまで耐えられるとは。
やはりこの子は、とんでもない逸材だ。
かわいそうに。
親衛隊に入隊して鍛えれば、きっと未だ誰も到達したことのない高みへ行けただろうに。
進む道を、誤ったな。
あの世で、反省してくれよ。
フリックは、立ち尽くしたままのファオに向かって、頭上から剣を振り下ろした。
その瞬間、肉を切り裂く音がした。
ファオの剣が、フリックの脇腹を捉えていた。
傷口は、背中の皮の手前にまで達していた。
前言撤回だ。
こいつは、逸材なんかじゃない。
希代の、詐欺師だ。
両膝をついたフリックの周りに、血溜まりが広がっていく。
血と脂肪が付着した剣を、ファオは払った。
まったく、僕のポリシーに反する戦い方だった。
きっと、未来永劫、卑怯者の謗りを免れないだろう。
でも、戦っている最中に、レムの声が聞こえたんだ。
何が何でも生き延びろ、と。
ファオは、鈍く光る剣を見つめた。
傷口からまろび出た臓物を抱えたフリックは、口から血を吐きながら、東側の壁に目を向けた。
そこにはアニスが、腕組みをして立っていた。
フリックは、絶望した。
哀れみの欠片もない、まるで汚いものでも見るような蔑んだ目が、フリックの心を容赦なくえぐった。
俺は彼女の、手のひらの上で弄ばれただけだったのか。
俺の想いは、一方通行だったんだな。
フリックは、アニスに向かって、血塗れの手を伸ばした。
嫌だなあ。
死にたくないなあ。
手を伸ばしたまま、フリックは地面にうつ伏せになった。
微かに震えていた手は、やがてその動きを止めた。
駆けつけた救護隊は、フリックの死亡を確認すると、傍らに立つファオに、すぐに処置をするので軍の病院まで同行すると伝えた。
「どうぞ、担架に乗ってください」
「大丈夫です。歩いて行けます」
丁重に申し出を断ったファオは、その場から離れると、ティア達の元へ向かった。
「ファオさん」
ファオの袖を掴んだノイは、泣きじゃくった。
「自分を責めては、駄目よ。確かに、あなたらしくはなかったけど、勝つにはあれしかなかったのよ」
アニスは、不器用ながらも、ファオのことを慰めてくれた。
「ありがとう」
アニスに感謝したファオは、ティアに目を向けた。
「ファオは、卑怯者なんかじゃない」
「え」
「少なくとも、私達にとっては、紛れもない英雄だよ」
ティアは、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
どうして、こうも人の心を揺さぶる言葉が、簡単に出てくるのだろう。
ティアはきっと、大勢の人を笑顔にできる存在になる。
僕も、少しは見習わないとね。
ファオは、口元を綻ばせた。
救護隊に促されたファオは、訓練場の外へ歩を進めた。
「病院で、吉報を待っているよ」
振り向いてファオが言うと、アニスは胸を張った。
「残念よね。私の華麗なる戦いぶりを観られないなんて」
アニスのとなりで、ティアとノイは苦笑いしていた。
「本当に残念だ。アニスの戦い方は、とても美しいから」
思わぬファオの褒め言葉に、アニスの顔は瞬時に赤くなった。
「人をおちょくるのも、いい加減にしなさい」
アニスが叫ぶように言うと、ファオにしては珍しく、声を上げて笑った。
訓練場を出たファオは、救護隊の用意した馬車に乗りこむ前に、冬晴れの空を見上げた。
観ていてくれたかい、レム。
僕は、無様に生き延びたよ。
晴天に向かって、ファオは手をかざした。




