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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
33/38

33 無様に

 第三試合を前にして、剣を握ったファオは、目を閉じて集中していた。

 脳裏に浮かぶのは、レムの笑顔だった。

 豪快で明るい性格ゆえに、誰とでもすぐに仲良くなれるレムのことを、ファオは少し羨ましく思っていた。

 おとなしい性格で、一人でいることがまったく苦痛でなかったファオは、ヴァイス大学でも友だちをつくるつもりはなかった。むしろ、友人関係の構築は、勉学の邪魔になるとさえ思っていた。

 だが、そんなファオにも、レムは気さくに声を掛けてくれた。たいして面白くもないファオのスーサ公国の話にも、熱心に耳を傾けていた。

 一緒に出かけることはなかったので、友人関係かと言われれば微妙だったが、ファオはクラスや講義でレムと同じ時間を過ごしていると、心が安らぐのを感じていた。

 実戦武術でも、厳しい訓練の合間のレムとの何気ない会話が、一服の清涼剤となった。不器用ながらも、ランドから武術の手ほどきを受けているレムの姿勢に、感化されることも多かった。

 僕にないものを、レムはたくさん持っていた。

 レムと出会えた僕は、とても幸福だったよ。

 ふいに、目頭が厚くなった。ファオはティア達にバレないように、顔を伏せてからそっと手の甲で涙を拭いた。

 レム、天国から観ていてくれ。

 僕が勝つことこそが、君への手向けだ。

 ひとつ大きく深呼吸をしたファオは、ゆっくりと顔をあげた。

 眼鏡の奥の瞳は、鋭い光を放っていた。

 一方のフリックは、剣を強く握りしめ、訓練場の真ん中へ歩を進めた。

 アニスを殺すことだけを考えていたフリックにとって、対戦が叶わなかったことは、奈落の底に突き落とされたのと同じだった。

 また、アニスの対戦相手がディートというのも、フリックには大きな不満だった。

 ちゃんと戦えるのかよ、あいつは。

 俺の方が、アニス様の相手に相応しいのに。

 フリックは、苛立ちを隠せなかった。

 ディートの武術の腕前については、疑いようがなかった。間違いなく、親衛隊でも一二を争う実力の持ち主だった。だが、ディートにはそれを活かしきれない致命的なな弱点があった。それは、ヨシアにも指摘されているとおり、真面目すぎる性格だった。言い方を変えれば、残酷になりきれなかった。

 国王を警護する親衛隊たるもの、時には冷徹な判断が必要になることもある。ディートには、その覚悟が足りなかった。そもそもディートは、武術を極めたくて成り行きで親衛隊に入隊したのだから、他の親衛隊員の入隊動機とは明らかに毛色が違っていた。

 いっそのこと、親衛隊なんてさっさと辞めて、子供達に武術を教える教室でも開けばいいのによ。

 ディートに対して、フリックは常日頃からそう思っていた。

 結局ディートは、最後まで辞退を申し出ることもなく、ここ最終試験の会場に姿を現した。

 それに加えて、よりにもよって、自分が熱望していたアニスとの対戦の権利をディートに奪われたフリックは、もはや自暴自棄寸前になっていた。

 だが、ヨシアがエルンスを殺したことで、潮目は大きく変わった。

 一つ目は、自分への戒めだった。

 もしエルンスと自分の出番が逆だったら、それこそヨシアに殺されたのは自分だった。

 きっと俺も、エルンスのように中途半端な態度を取っていただろう。アニス様と戦えないことに、未練たらたらで。

 エルンスが死んでくれて、よかった。おかげで、あのファオとかいう若造に、全力を注ぐことができる。

 二つ目は、ディートへの影響だった。

 くそがつくほど真面目なあいつのことだ。無駄な殺生はしたくないと言って、間違いなく、アニス様に情けを掛けていただろう。もしかしたら、アニス様に花を持たせようと、わざとやられることもあったかもしれない。

 そんな一般的には善行と呼ばれるものは、親衛隊員にとってはまさしく愚行。エルンスを殺すことで、ヨシアはディートにそれを突きつけたんだ。

 ディートを精神的に崖っぷちに立たせることで、嫌でも本領を発揮させる。

 ヨシアも、きっと観てみたかったはずだ。

 追い込まれた獅子が、獲物をどう食い殺すのか。

 癪ではあるが、ディートに託すとするか。

 なるべく残忍な方法で、アニス様を殺してくれよ。

 残忍であればあるほど、アニス様は神に近づくのだから。

 フリックは、狡猾な笑みを浮かべた。

 対峙したファオの表情は、とても落ち着いていた。

 へえ、たいしたもんだ。

 仲間が殺されて忸怩たる思いがあるだろうに、おくびにも出していない。

 フリックは、感心した。

 確か、スーサ公国出身とか言ってったな。

 あの平和ボケした観光立国からやって来たとは思えない、いい面構えをしている。

 ヴァイス大学の学生とあらば、スーサにとっても将来有望な逸材なんだろうが、悪いけどここで芽を摘ませてもらうぜ。

 俺は生き残って、アニス様が神になる瞬間を、この目で見たいんだよ。

 フリックは、剣を静かに構えた。

 相手の構えを見た瞬間、ファオは身体が震えた。

 隙が、まったく見当たらない。

 何をやっても、防がれてしまいそうだ。

 こみ上げてくる唾を、ファオはそっと飲みこんだ。

 先に仕掛けたのは、フリックの方だった。姿勢を低くしたかと思った刹那、凄まじい速度で飛びかかってくると、そのままファオの腹部目掛けて、剣を水平に振るった。

 迷う暇など、なかった。ファオは瞬時に、剣でフリックの攻撃を受け止めた。金属のぶつかる音が、高く鳴り響く。

 ファオの剣は、当たったところが刃こぼれしていた。手の痺れが、尋常ではなかった。気を抜いたら、手から剣がこぼれ落ちそうだった。

 危なかった。

 あとゼロコンマ数秒遅れていたら、身体は確実に真っ二つにされていた。

 挨拶代わりにしては、強烈すぎる。

 ファオは、小さく息をはいた。

 驚いた。

 フリックは、目を見張った。

 一発目から全力で仕留めにかかったのに、防がれた。

 偶然なんかじゃない。この子は、俺の太刀筋を完璧によんでいた。

 こんな芸当ができるのは、親衛隊員でもほんの一握りしかいない。

 惜しい。

 ここで殺すには、あまりにも惜しい。

 フリックは、不敵に笑った。

 一方でファオは、頭をフル回転させていた。

ただ闇雲に攻めていったら、相手の術中にはまってしまう。

あの瞬発力と剣の速さは、桁違いだ。僕が今まで見てきた中で、一番かもしれない。

 しいて言うのなら、速さはあっても重くはなかった。

 その証拠に、手の痺れは思いのほかすぐに収まっている。

 そんなのは、とても隙と呼べる代物ではないかもしれない。

 でも、そこに活路を見出すしかない。

 ファオは、剣の柄を強く握った。

 悪いが、俺はあまり時間を掛けたくない主義なんだ。

 考える余地など、与えねえよ。

 飛びかかったフリックが、五月雨のように剣を振るってきた。ファオはフリックの視線をたどりながら寸前で躱し、剣で弾き返した。だがフリックの剣は、更に加速していった。ファオの服は徐々に切り裂かれ、かまいたちに遭ったかような無数の傷がついた。にじみ出た血が、白い服に赤い模様を描いていく。

 フリックの最後の一撃が、ファオの顔面を襲う。避けきれなかったファオの右目に、剣先が触れた。眼鏡が吹き飛ぶのと同時に、えぐられた右目からは血が噴き出した。

「ファオさん」

 ノイが、叫んだ。

 勝負あったな。

 フリックは、肩を激しく上下して、息を整えた。

 右目を右手で押さえたファオは、左手に剣を握ったまま、茫然と立ち尽くしていた。その表情からは、さっきまであった生気がなくなっていた。

 傷は、どれもこれもが浅い。これでは、致命傷にはなり得ない。

 俺の剣が速さに特化していて、重さが足りないのを差し引いても、ここまで耐えられるとは。

 やはりこの子は、とんでもない逸材だ。

 かわいそうに。

 親衛隊に入隊して鍛えれば、きっと未だ誰も到達したことのない高みへ行けただろうに。

 進む道を、誤ったな。

 あの世で、反省してくれよ。

 フリックは、立ち尽くしたままのファオに向かって、頭上から剣を振り下ろした。

 その瞬間、肉を切り裂く音がした。

 ファオの剣が、フリックの脇腹を捉えていた。

 傷口は、背中の皮の手前にまで達していた。

 前言撤回だ。

 こいつは、逸材なんかじゃない。

 希代の、詐欺師だ。

 両膝をついたフリックの周りに、血溜まりが広がっていく。

 血と脂肪が付着した剣を、ファオは払った。

 まったく、僕のポリシーに反する戦い方だった。

 きっと、未来永劫、卑怯者の謗りを免れないだろう。

 でも、戦っている最中に、レムの声が聞こえたんだ。

 何が何でも生き延びろ、と。

 ファオは、鈍く光る剣を見つめた。

 傷口からまろび出た臓物を抱えたフリックは、口から血を吐きながら、東側の壁に目を向けた。

 そこにはアニスが、腕組みをして立っていた。

 フリックは、絶望した。

 哀れみの欠片もない、まるで汚いものでも見るような蔑んだ目が、フリックの心を容赦なくえぐった。

 俺は彼女の、手のひらの上で弄ばれただけだったのか。

 俺の想いは、一方通行だったんだな。

 フリックは、アニスに向かって、血塗れの手を伸ばした。

 嫌だなあ。

 死にたくないなあ。

 手を伸ばしたまま、フリックは地面にうつ伏せになった。

 微かに震えていた手は、やがてその動きを止めた。

 駆けつけた救護隊は、フリックの死亡を確認すると、傍らに立つファオに、すぐに処置をするので軍の病院まで同行すると伝えた。

「どうぞ、担架に乗ってください」

「大丈夫です。歩いて行けます」

 丁重に申し出を断ったファオは、その場から離れると、ティア達の元へ向かった。

「ファオさん」

 ファオの袖を掴んだノイは、泣きじゃくった。

「自分を責めては、駄目よ。確かに、あなたらしくはなかったけど、勝つにはあれしかなかったのよ」

 アニスは、不器用ながらも、ファオのことを慰めてくれた。

「ありがとう」

 アニスに感謝したファオは、ティアに目を向けた。

「ファオは、卑怯者なんかじゃない」

「え」

「少なくとも、私達にとっては、紛れもない英雄だよ」

 ティアは、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 どうして、こうも人の心を揺さぶる言葉が、簡単に出てくるのだろう。

 ティアはきっと、大勢の人を笑顔にできる存在になる。

 僕も、少しは見習わないとね。

 ファオは、口元を綻ばせた。

 救護隊に促されたファオは、訓練場の外へ歩を進めた。

「病院で、吉報を待っているよ」

 振り向いてファオが言うと、アニスは胸を張った。

「残念よね。私の華麗なる戦いぶりを観られないなんて」

 アニスのとなりで、ティアとノイは苦笑いしていた。

「本当に残念だ。アニスの戦い方は、とても美しいから」

 思わぬファオの褒め言葉に、アニスの顔は瞬時に赤くなった。

「人をおちょくるのも、いい加減にしなさい」

 アニスが叫ぶように言うと、ファオにしては珍しく、声を上げて笑った。

 訓練場を出たファオは、救護隊の用意した馬車に乗りこむ前に、冬晴れの空を見上げた。

 観ていてくれたかい、レム。

 僕は、無様に生き延びたよ。

 晴天に向かって、ファオは手をかざした。

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