32 降参したら
レムとヴァルターの遺体が訓練場の外へ運び出されると、ゲルトから、十分後に第二試合を開始すると告げられた。
初めて目の当たりにした人の死に、ノイは過呼吸に陥っていた。
こうなることだってあり得るって、頭ではわかっていたのに。
いざ目の前で起こると、情報の処理が追いつかない。
次は私の出番なのに、全然切り替えられない。
レムさん、助けて。
私、死にたくない。
その時、ノイはティアに抱き寄せられた。ティアの柔らかな手が、ノイの背中を優しくさする。
「落ち着いて。ゆっくり深呼吸しよう」
目を向けると、ティアはいつもの笑みを見せていた。まるで、レムの死がなかったかのように。
「私も一緒にやるから、いい」
ノイの胸に手を置いたティアは、大きく深呼吸をした。戸惑いつつも、ノイもティアに合わせて深呼吸をした。
「そう、その調子」
ティアの微笑みは、ノイの心を解きほぐしてくれた。
「落ち着いた」
「うん」
ティアは、ノイのことを真っ直ぐに見つめた。
「レムのことは、一旦置いておいて。ノイは、やるべきことをやって」
「やるべきこと」
「後悔しないように、全力で戦うこと」
ティアは、片目をつむった。
強すぎるよ、ティアは。
レムさんが死んで、とても悲しいはずなのに、一切涙を見せないで。
自分のことは後回しにして、私のことを懸命に励ましてくれて。
「わかった」
ノイは、深く頷いた。
ティアに、報いたい。
そのためにも、全力を出し切る。
ノイは、拳を強く握った。
一方のエルンスは、ヴァルターの死に対して、何の感慨もなかった。
一番のベテランが、何をやってるんだか。
戦いが終わっていないのに敵に背中を見せるなんざ、愚の骨頂だぜ。
まあ何にせよ、死んでくれてよかった。
あいつは、親衛隊の恥だ。
心の中で、ヴァルターのことを、口汚く罵った。
「エルンス」
声を掛けてきたのは、ヨシアだった。
「あなた、ちゃんと対戦相手のこと、見てあげてるの」
「あ」
「全然眼中にないようだけど、あの子、相当強いよ」
ヨシアの視線の先には、両手に槍を持って集中しているノイの姿があった。
「油断してると、殺されるよ」
ヨシアの忠告に、エルンスは鼻を鳴らした。
「俺は、ヴァルターみたいに、隙を見せることはしねえさ」
「頼もしいね」
ヨシアは、微笑んだ。
心にもないことを。
相変わらず、いけ好かねえ女だ。
いつか、犯してやる。
エルンスは、側にあった槍を握りしめた。
対峙した二人は、静かに槍を構えた。
こいつも、防具なしか。最近の若い子は、命知らずだねえ。
まあ、だからといって、手加減なんかしねえけどな。
エルンスの放った槍が、ノイの右頬を掠めた。
速い。
反応すら、できなかった。
細い傷口から、血が滴った。
集中しろ。きっと反応できる。
ノイは、小さく息をはいた。
へえ、なかなかいい目をしているな。
俺の槍を受けても、怯えた色がまったくない。
ニヤリと笑ったエルンスは、次の槍を放った。槍先が、左頬を襲う。
だが、今度はしっかりと反応できたノイは、首を傾けて躱した後で、その流れで素早く槍を水平に振った。
おっと。
エルンスは、身体を引いて槍先を躱した。空気を切り裂く音が、鼓膜を揺らす。
「なかなかいい筋だな、お嬢ちゃん。危なかったぜ」
軽口を叩くエルンスのことを、ノイはじっと見つめていた。
いつ、どこから攻撃が来るか、わからない。
絶対に、目をそらすな。
ノイは、自分に言い聞かせた。
「じゃあ、そろそろ本気を出すとするか」
エルンスは、ノイの心臓目掛けて槍を放った。速度とキレは更に増し、ノイの胸元に飛びこんでくる。
もらった。
エルンスがそう思った刹那、ノイは上半身を捻って槍先を避けた。ほんの数ミリの、ギリギリのところで。
返す刀で、ノイは上半身の捻りを利用して、槍を真上から振り下ろした。
間に合わない。
エルンスは、咄嗟に槍の柄で受け止めた。訓練場に響き渡る、木と木がぶつかり合う甲高い音。
なんだ、こいつ。
エルンスの頬を、冷たい汗が伝った。
ノイの槍は、速さだけでなく、重たかった。
それは、物理的な重さではなく、ノイの卓越した槍術によって生み出された、瞬間的な重さだった。
ノイの槍を弾き返したエルンスは、後ろに飛び退いた。
あの華奢な身体の、どこにそんな力が。
それに、この槍術、どこか奇妙な型をしている。
槍を構えるノイの表情は、とても落ち着いていた。
そうだ、確かこいつ、ライマ出身だった。
ライマ仕込みの槍術ってことか。どうりで、見たことがないわけだ。
エルンスは、ごくりと唾を飲みこんだ。
面白い。血がたぎってくるぜ。
飛びこんだエルンスは、槍を連続で繰り出した。ノイはそれを躱しつつ、槍で弾きながら、攻撃の機会を窺った。
こいつ、俺の槍の来る方向を、予測してる。
エルンスは、驚愕した。
ノイは、ファオとの対戦をきっかけに、相手の目線を追って攻撃を予測する術を会得していた。
理屈は頭でわかっていても、瞬時の判断力が必要だったので、最初はなかなか上手くいかなかったが、ファオに手ほどきを受けながら練習を重ね、最終試験の直前になってようやく形になった。
エルンスが連続で繰り出す槍は、一見隙がないように見えるが、方向はほぼ一定だったので、今のノイにとっては対処しやすかった。
あの子、相当強いよ。
ヨシアの言葉が、脳裏をよぎった。
強者は強者を知るってやつか。
俺には、ただのガキんちょにしか見えなかった。
天賦の才っていうのは、卑怯だよな。
俺ら凡人に、つけいる隙を与えない。
エルンスは、苦笑いを浮かべた。
一方のノイは、表情こそ冷静を保っていたが、内心はバクバクだった。
目線で攻撃を予測していることがバレたら、一気に不利になる。
頼むから、気づかないで。
槍を握る手に、力を込めた。
数打ちゃ当たる戦法は、効かなそうだな。
だったら、渾身の一撃を喰らわすまでよ。
エルンスは身体を捻り、全身を使って槍を水平に振り抜いた。槍先が、ノイの腹部を襲う。
エルンスの中では、ノイの身体が真っ二つになるイメージができていたが、ノイはしゃがみ込んでそれを避けた。
嘘だろ。
何で避けられるんだよ。
エルンスが身体を捻ったことで、ノイは次の攻撃をたやすく予想することができた。
一方向でしか来ないから、後は高さに注意すれば。
素早く起き上がったノイは、大振りになったことで隙が生まれたエルンスの腹部に、槍先を突き刺した。
顔をゆがめたエルンスは、腹部を手で押さえながら、片膝を突いた。指の隙間から、鮮血が溢れてくる。
「勝負あったわね」
腕組みをしたアニスがつぶやくと、となりのティアは頷いた。
次の攻撃に移ろうと、ノイが槍を構えると、槍を足元に置いたエルンスは両手を挙げた。
「参ったよ。降参、降参」
「え」
「お嬢ちゃん、強かったよ。たいしたもんだ」
エルンスは、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃん、確か、ライマ出身だっけ」
「え、あ、はい」
「勉強頑張ってな。将来は、ライマを背負って立つ人間になるんだぞ」
ポカンとするノイを置いて、エルンスは脇腹を手で押さえながら、救護隊の待機しているところへ歩を進めた。
まったく、嫌になるぜ。
次から次へと、新しい才能が出てきやがる。
どうあがいたって、勝てねえだろ。
まあ、生きてりゃいいか。
生きてりゃ、何か良いことがあるだろうからな。
その時、エルンスの前に、ヨシアが立ち塞がった。
「おい、邪魔だ。俺はこれから治療をしても」
エルンスが言い終わる前に、ヨシアは持っていた剣を振った。
肩口から腹部までに、大きな切れ込みが入った。
噴き出した鮮血は、雨粒のごとく降り注いだ。
エルンスが地面に仰向けに倒れると、剣に付着した血を払ったヨシアは、来賓席の方を向いた。
「親衛隊員に、降参は認められない。そうですね、ゲルト元帥」
ヨシアが声を上げると、ゲルトは頷くか首を振るか曖昧な態度を取った。となりに座る親衛隊長のリュドマーは、口を開けたまま固まっていた。
何が、降参は認められないだ。
そんなの、事前に聞いてねえぞ。
たった今、お前が決めたルールだろ。
朦朧とする意識の中で、ヨシアがしゃがみ込んで自分を覗いているのが見えた。
「ごめんなさいね。痛かったでしょう。でも、もうすぐ楽になるからね」
ヨシアの言葉には、慈悲や哀れみなど、まったくなかった。
まるで、いたぶっている昆虫に話しかけているようだった。
ちくしょう。
ちくしょうめ。
こんなことになるなら、もっと早く、こいつを。
エルンスの耳元に口を寄せたヨシアは、そっと囁いた。
それが、この世でエルンスが最期に聞いた言葉だった。
「地獄で、マスでもかいてろ」
フラフラと戻って来たノイは、ティアの前でへたり込んだ。
「ノイ」
しゃがんだティアは、ノイの両肩を掴んだ。身体は、激しく震えていた。
「私、私」
目の焦点が、合っていない。歯をガチガチと鳴らし、涙と鼻水とよだれで顔はぐしょぐしょになっている。
エルンスに勝利して単位を修得した、という喜びは、一切なかった。レムの死に続いて、ヨシアに殺されたエルンスを目の当たりにしたノイは、精神が崩壊寸前になっていた。
「もう、大丈夫」
ティアは、ノイのことを強く抱きしめた。背中を何度もさすり、時折優しく叩いた。まるで、赤子をあやすかのように。
すると、ノイの身体の震えは、徐々に収まっていった。嗚咽も小さくなり、鼻をすする音だけになった。
「よく頑張ったね」
ティアが囁くと、ノイは大きく息をはいた。
「深呼吸しよう」
ティアが声を掛けると、ノイはティアから手を離した。
「一緒にね」
ティアの微笑みを目にしたノイは、また涙を流した。
ノイが落ち着くまで、二人は何度か深呼吸を繰り返した。アニスはその様子を、少し離れたところから黙って見ていた。
なぜあの子は、咄嗟にああいうことができるのかしら。
こんな混沌とした状況で、極めて冷静に。
私でさえ、身体の震えが収まらないっていうのに。
あんなことは、努力でどうにかできるものじゃないわ。
やはりあの子は、生まれながらにして、人の上に立つべき存在なのね。
「どうして」
戻って来たヨシアに声を掛けたのは、顔面蒼白のディートだった。
「あそこまでする必要なんて、なかった」
震える声でディートが訊ねると、ヨシアは微笑んだ。
「私達は、国王陛下をお守りする親衛隊だよ。もし暗殺者が現れて怪我を負ったら、エルンスみたいに降参するの」
「それとこれとは、話が」
「一緒だよ。エルンスは、敵前逃亡に等しいことをした。怪我だって、たいしたことなかった。あれから挽回することも、充分可能だったのに」
ディートは、息をのんだ。
「ノイちゃんがあんなに一生懸命戦っているのに、それに報いようともしない。そもそも、他のことに気を取られ過ぎて、ノイちゃんのことをまともに見ていなかった。だから負けた。そんな人間、親衛隊に必要ないでしょ」
「だからといって、殺すことはなかった」
ディートが語気を強めると、ヨシアは肩をすくめた。
「フリックはもう、とっくに受け入れているけど」
「え」
「ねえ、フリック」
ヨシアが声を掛けると、次の試合に備えて剣を振るっていたフリックは、その手を止めた。
「ヨシアのおかげで、目が覚めたよ」
ディートは、瞠目した。
「希望する対戦相手じゃなかったから、いまいちモチベーションが上がらなかったが、さっきので気合いが入ったぜ。これがいわゆる、背水の陣ってやつだな」
フリックの目は、異様なほどギラついていた。
狂ってる。
みんな、頭がおかしくなっている。
「ディート」
声を掛けられて振り向くと、ヨシアはいつものように微笑んでいた。
「だから言ったでしょ。あなたには向いていないから、辞退したらって」
ディートのこめかみを、冷たい汗が伝った。
「私の言うことを聞かないから、こうなったんだよ。後悔しても、もう遅いからね」
ヨシアの微笑みが、ディートを震え上がらせた。
ようやく落ち着きを取り戻したノイは、大きく息をはいた。
「ありがとう、ティア」
ノイが言うと、ティアは頷いた。
「ノイはもう、上がっていいよ」
「え」
「ノイの出番は終わったんだから。これからの対戦は、無理に観る必要はない」
ティアが諭すように言うと、ノイは俯いた。
「大丈夫。必ず勝って戻ってくるから」
ティアの言葉に、ノイは顔を上げた。
「私は、ここに残る」
「え」
「みんなの戦いを、目に焼き付けたい」
ノイは、言葉に力を込めた。
「やめた方がいい。心が完全に壊れちゃう」
「観なかったら、それこそ後悔に押し潰されて、心が壊れるよ」
「ノイ」
「レムさんも、きっとどこかで観ている。私だけが、逃げるわけにはいかない」
ティアは、ハッとなった。
ノイの瞳からは、さっきまであった怯えの色が消えていた。
「そうだね。ノイの言うとおりだ」
ティアは、目を細めた。
「私も、ノイに恥じない戦いをしなくちゃね」
ノイは、笑顔で頷いた。




