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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
32/38

32 降参したら

 レムとヴァルターの遺体が訓練場の外へ運び出されると、ゲルトから、十分後に第二試合を開始すると告げられた。

 初めて目の当たりにした人の死に、ノイは過呼吸に陥っていた。

 こうなることだってあり得るって、頭ではわかっていたのに。

 いざ目の前で起こると、情報の処理が追いつかない。

 次は私の出番なのに、全然切り替えられない。

 レムさん、助けて。

 私、死にたくない。

 その時、ノイはティアに抱き寄せられた。ティアの柔らかな手が、ノイの背中を優しくさする。

「落ち着いて。ゆっくり深呼吸しよう」

 目を向けると、ティアはいつもの笑みを見せていた。まるで、レムの死がなかったかのように。

「私も一緒にやるから、いい」

 ノイの胸に手を置いたティアは、大きく深呼吸をした。戸惑いつつも、ノイもティアに合わせて深呼吸をした。

「そう、その調子」

 ティアの微笑みは、ノイの心を解きほぐしてくれた。

「落ち着いた」

「うん」

 ティアは、ノイのことを真っ直ぐに見つめた。

「レムのことは、一旦置いておいて。ノイは、やるべきことをやって」

「やるべきこと」

「後悔しないように、全力で戦うこと」

 ティアは、片目をつむった。

 強すぎるよ、ティアは。

 レムさんが死んで、とても悲しいはずなのに、一切涙を見せないで。

 自分のことは後回しにして、私のことを懸命に励ましてくれて。

「わかった」

 ノイは、深く頷いた。

 ティアに、報いたい。

 そのためにも、全力を出し切る。

 ノイは、拳を強く握った。

 一方のエルンスは、ヴァルターの死に対して、何の感慨もなかった。

 一番のベテランが、何をやってるんだか。

 戦いが終わっていないのに敵に背中を見せるなんざ、愚の骨頂だぜ。

 まあ何にせよ、死んでくれてよかった。

 あいつは、親衛隊の恥だ。

 心の中で、ヴァルターのことを、口汚く罵った。

「エルンス」

 声を掛けてきたのは、ヨシアだった。

「あなた、ちゃんと対戦相手のこと、見てあげてるの」

「あ」

「全然眼中にないようだけど、あの子、相当強いよ」

 ヨシアの視線の先には、両手に槍を持って集中しているノイの姿があった。

「油断してると、殺されるよ」

 ヨシアの忠告に、エルンスは鼻を鳴らした。

「俺は、ヴァルターみたいに、隙を見せることはしねえさ」

「頼もしいね」

 ヨシアは、微笑んだ。

 心にもないことを。

 相変わらず、いけ好かねえ女だ。

 いつか、犯してやる。

 エルンスは、側にあった槍を握りしめた。

 対峙した二人は、静かに槍を構えた。

 こいつも、防具なしか。最近の若い子は、命知らずだねえ。

 まあ、だからといって、手加減なんかしねえけどな。

 エルンスの放った槍が、ノイの右頬を掠めた。

 速い。

 反応すら、できなかった。

 細い傷口から、血が滴った。

 集中しろ。きっと反応できる。

 ノイは、小さく息をはいた。

 へえ、なかなかいい目をしているな。

 俺の槍を受けても、怯えた色がまったくない。

 ニヤリと笑ったエルンスは、次の槍を放った。槍先が、左頬を襲う。

 だが、今度はしっかりと反応できたノイは、首を傾けて躱した後で、その流れで素早く槍を水平に振った。

 おっと。

 エルンスは、身体を引いて槍先を躱した。空気を切り裂く音が、鼓膜を揺らす。

「なかなかいい筋だな、お嬢ちゃん。危なかったぜ」

 軽口を叩くエルンスのことを、ノイはじっと見つめていた。

 いつ、どこから攻撃が来るか、わからない。

 絶対に、目をそらすな。

 ノイは、自分に言い聞かせた。

「じゃあ、そろそろ本気を出すとするか」

 エルンスは、ノイの心臓目掛けて槍を放った。速度とキレは更に増し、ノイの胸元に飛びこんでくる。

 もらった。

 エルンスがそう思った刹那、ノイは上半身を捻って槍先を避けた。ほんの数ミリの、ギリギリのところで。

 返す刀で、ノイは上半身の捻りを利用して、槍を真上から振り下ろした。

 間に合わない。

 エルンスは、咄嗟に槍の柄で受け止めた。訓練場に響き渡る、木と木がぶつかり合う甲高い音。

 なんだ、こいつ。

 エルンスの頬を、冷たい汗が伝った。

 ノイの槍は、速さだけでなく、重たかった。

 それは、物理的な重さではなく、ノイの卓越した槍術によって生み出された、瞬間的な重さだった。

 ノイの槍を弾き返したエルンスは、後ろに飛び退いた。

 あの華奢な身体の、どこにそんな力が。

 それに、この槍術、どこか奇妙な型をしている。

 槍を構えるノイの表情は、とても落ち着いていた。

 そうだ、確かこいつ、ライマ出身だった。

 ライマ仕込みの槍術ってことか。どうりで、見たことがないわけだ。

 エルンスは、ごくりと唾を飲みこんだ。

 面白い。血がたぎってくるぜ。

 飛びこんだエルンスは、槍を連続で繰り出した。ノイはそれを躱しつつ、槍で弾きながら、攻撃の機会を窺った。

 こいつ、俺の槍の来る方向を、予測してる。

 エルンスは、驚愕した。

 ノイは、ファオとの対戦をきっかけに、相手の目線を追って攻撃を予測する術を会得していた。

 理屈は頭でわかっていても、瞬時の判断力が必要だったので、最初はなかなか上手くいかなかったが、ファオに手ほどきを受けながら練習を重ね、最終試験の直前になってようやく形になった。

 エルンスが連続で繰り出す槍は、一見隙がないように見えるが、方向はほぼ一定だったので、今のノイにとっては対処しやすかった。

 あの子、相当強いよ。

 ヨシアの言葉が、脳裏をよぎった。

 強者は強者を知るってやつか。

 俺には、ただのガキんちょにしか見えなかった。

 天賦の才っていうのは、卑怯だよな。

 俺ら凡人に、つけいる隙を与えない。

 エルンスは、苦笑いを浮かべた。

 一方のノイは、表情こそ冷静を保っていたが、内心はバクバクだった。

 目線で攻撃を予測していることがバレたら、一気に不利になる。

 頼むから、気づかないで。

 槍を握る手に、力を込めた。

 数打ちゃ当たる戦法は、効かなそうだな。

 だったら、渾身の一撃を喰らわすまでよ。

 エルンスは身体を捻り、全身を使って槍を水平に振り抜いた。槍先が、ノイの腹部を襲う。

 エルンスの中では、ノイの身体が真っ二つになるイメージができていたが、ノイはしゃがみ込んでそれを避けた。

 嘘だろ。

 何で避けられるんだよ。

 エルンスが身体を捻ったことで、ノイは次の攻撃をたやすく予想することができた。

 一方向でしか来ないから、後は高さに注意すれば。

 素早く起き上がったノイは、大振りになったことで隙が生まれたエルンスの腹部に、槍先を突き刺した。

 顔をゆがめたエルンスは、腹部を手で押さえながら、片膝を突いた。指の隙間から、鮮血が溢れてくる。

「勝負あったわね」

 腕組みをしたアニスがつぶやくと、となりのティアは頷いた。

 次の攻撃に移ろうと、ノイが槍を構えると、槍を足元に置いたエルンスは両手を挙げた。

「参ったよ。降参、降参」

「え」

「お嬢ちゃん、強かったよ。たいしたもんだ」

 エルンスは、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。

「お嬢ちゃん、確か、ライマ出身だっけ」

「え、あ、はい」

「勉強頑張ってな。将来は、ライマを背負って立つ人間になるんだぞ」

 ポカンとするノイを置いて、エルンスは脇腹を手で押さえながら、救護隊の待機しているところへ歩を進めた。

 まったく、嫌になるぜ。

 次から次へと、新しい才能が出てきやがる。

 どうあがいたって、勝てねえだろ。

 まあ、生きてりゃいいか。

 生きてりゃ、何か良いことがあるだろうからな。

 その時、エルンスの前に、ヨシアが立ち塞がった。

「おい、邪魔だ。俺はこれから治療をしても」

 エルンスが言い終わる前に、ヨシアは持っていた剣を振った。

 肩口から腹部までに、大きな切れ込みが入った。

 噴き出した鮮血は、雨粒のごとく降り注いだ。

 エルンスが地面に仰向けに倒れると、剣に付着した血を払ったヨシアは、来賓席の方を向いた。

「親衛隊員に、降参は認められない。そうですね、ゲルト元帥」

 ヨシアが声を上げると、ゲルトは頷くか首を振るか曖昧な態度を取った。となりに座る親衛隊長のリュドマーは、口を開けたまま固まっていた。

 何が、降参は認められないだ。

 そんなの、事前に聞いてねえぞ。

 たった今、お前が決めたルールだろ。

 朦朧とする意識の中で、ヨシアがしゃがみ込んで自分を覗いているのが見えた。

「ごめんなさいね。痛かったでしょう。でも、もうすぐ楽になるからね」

 ヨシアの言葉には、慈悲や哀れみなど、まったくなかった。

 まるで、いたぶっている昆虫に話しかけているようだった。

 ちくしょう。

 ちくしょうめ。

 こんなことになるなら、もっと早く、こいつを。

 エルンスの耳元に口を寄せたヨシアは、そっと囁いた。

 それが、この世でエルンスが最期に聞いた言葉だった。

「地獄で、マスでもかいてろ」

 フラフラと戻って来たノイは、ティアの前でへたり込んだ。

「ノイ」

 しゃがんだティアは、ノイの両肩を掴んだ。身体は、激しく震えていた。

「私、私」

 目の焦点が、合っていない。歯をガチガチと鳴らし、涙と鼻水とよだれで顔はぐしょぐしょになっている。

 エルンスに勝利して単位を修得した、という喜びは、一切なかった。レムの死に続いて、ヨシアに殺されたエルンスを目の当たりにしたノイは、精神が崩壊寸前になっていた。

「もう、大丈夫」

 ティアは、ノイのことを強く抱きしめた。背中を何度もさすり、時折優しく叩いた。まるで、赤子をあやすかのように。

 すると、ノイの身体の震えは、徐々に収まっていった。嗚咽も小さくなり、鼻をすする音だけになった。

「よく頑張ったね」

 ティアが囁くと、ノイは大きく息をはいた。

「深呼吸しよう」 

 ティアが声を掛けると、ノイはティアから手を離した。

「一緒にね」

 ティアの微笑みを目にしたノイは、また涙を流した。

 ノイが落ち着くまで、二人は何度か深呼吸を繰り返した。アニスはその様子を、少し離れたところから黙って見ていた。

 なぜあの子は、咄嗟にああいうことができるのかしら。

 こんな混沌とした状況で、極めて冷静に。

 私でさえ、身体の震えが収まらないっていうのに。

 あんなことは、努力でどうにかできるものじゃないわ。

 やはりあの子は、生まれながらにして、人の上に立つべき存在なのね。

「どうして」

 戻って来たヨシアに声を掛けたのは、顔面蒼白のディートだった。

「あそこまでする必要なんて、なかった」

 震える声でディートが訊ねると、ヨシアは微笑んだ。

「私達は、国王陛下をお守りする親衛隊だよ。もし暗殺者が現れて怪我を負ったら、エルンスみたいに降参するの」

「それとこれとは、話が」

「一緒だよ。エルンスは、敵前逃亡に等しいことをした。怪我だって、たいしたことなかった。あれから挽回することも、充分可能だったのに」

 ディートは、息をのんだ。

「ノイちゃんがあんなに一生懸命戦っているのに、それに報いようともしない。そもそも、他のことに気を取られ過ぎて、ノイちゃんのことをまともに見ていなかった。だから負けた。そんな人間、親衛隊に必要ないでしょ」

「だからといって、殺すことはなかった」

 ディートが語気を強めると、ヨシアは肩をすくめた。

「フリックはもう、とっくに受け入れているけど」

「え」

「ねえ、フリック」

 ヨシアが声を掛けると、次の試合に備えて剣を振るっていたフリックは、その手を止めた。

「ヨシアのおかげで、目が覚めたよ」

 ディートは、瞠目した。

「希望する対戦相手じゃなかったから、いまいちモチベーションが上がらなかったが、さっきので気合いが入ったぜ。これがいわゆる、背水の陣ってやつだな」

 フリックの目は、異様なほどギラついていた。

 狂ってる。

 みんな、頭がおかしくなっている。

「ディート」

 声を掛けられて振り向くと、ヨシアはいつものように微笑んでいた。

「だから言ったでしょ。あなたには向いていないから、辞退したらって」

 ディートのこめかみを、冷たい汗が伝った。

「私の言うことを聞かないから、こうなったんだよ。後悔しても、もう遅いからね」

 ヨシアの微笑みが、ディートを震え上がらせた。

 ようやく落ち着きを取り戻したノイは、大きく息をはいた。

「ありがとう、ティア」

 ノイが言うと、ティアは頷いた。

「ノイはもう、上がっていいよ」

「え」

「ノイの出番は終わったんだから。これからの対戦は、無理に観る必要はない」

 ティアが諭すように言うと、ノイは俯いた。

「大丈夫。必ず勝って戻ってくるから」

 ティアの言葉に、ノイは顔を上げた。

「私は、ここに残る」

「え」

「みんなの戦いを、目に焼き付けたい」

 ノイは、言葉に力を込めた。

「やめた方がいい。心が完全に壊れちゃう」

「観なかったら、それこそ後悔に押し潰されて、心が壊れるよ」

「ノイ」

「レムさんも、きっとどこかで観ている。私だけが、逃げるわけにはいかない」

 ティアは、ハッとなった。

 ノイの瞳からは、さっきまであった怯えの色が消えていた。

「そうだね。ノイの言うとおりだ」

 ティアは、目を細めた。

「私も、ノイに恥じない戦いをしなくちゃね」

 ノイは、笑顔で頷いた。

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