27 サイコパス
辞退しねえのか。
ディートの決断を知ったエルンスは、呆れ気味に笑った。
訓練で叩きのめした相手が、二人がかりで担がれて行く。身につけていた防具には無数の傷が付いていて、その隙間からは鮮血が溢れだしていた。
真剣を使っての訓練で、エルンスは親衛隊の同僚を幾人も血塗れにした。とどめを刺すところまでは行かないので死者は出なかったが、特に若い親衛隊員は恐れをなし、エルンスとの対戦を希望する者はいなくなった。
ヴァイス大学の実践武術の最終試験官に選ばれてから、エルンスは何かに取り憑かれたかのように訓練に没頭した。それまでは、どちらかと言えば手を抜いている方だったが、周囲が驚くほどに訓練への姿勢が変わった。
物足りねえな。
お前らの親衛隊としての誇りは、どこに行ったんだよ。
青ざめている親衛隊のことを、エルンスは睥睨した。
防具を脱ぎ、真剣を置いたエルンスは、訓練場の端の木陰まで行き、やおら腰を下ろした。陽光を浴びた緑葉が、地面に幾何学的な模様を映し出している。
指折り数える。
本番まで、三ヶ月を切った。
俺は、誰と戦うことになるのか。
対戦相手は、最終試験当日に発表されることになっていた。どのように選ばれるのかは機密事項のため、エルンス達最終試験官には皆目見当がつかない。
頭に浮かぶのは、やはりアニスとティアの二人だった。
まったく、冗談きついぜ。
二人とも殺したら、それこそ世界がひっくり返るぞ。
エルンスは、ため息をついた。
ちゃんと、殺せるのだろうか。
命乞いでもされたら、俺は。
ふいに、エルンスの頭上を影が覆った。顔をあげると、そこにはヨシアが立っていた。
「ヤッホー」
笑みを浮かべたヨシアは、おもむろにエルンスのとなりに腰掛けた。
「何の用だ」
「冷たいねえ、相変わらず」
ヨシアは、肩をすくめた。
こいつなら、躊躇なく二人を殺すだろう。
こいつは、命乞いをされても、泣き喚かれても、ゲラゲラ笑いながら剣を突き刺すような女だ。
「最近変だよ。エルンス」
「どこがだ」
「訓練とか、全然余裕ないし」
エルンスは、目を見張った。
「そんなだと、最終試験で負けちゃうよ」
ヨシアは、微笑みを向けた。
俺が、学生ごときに、負けるだと。
そんなことなど、あってたまるか。
エルンスは、拳を震わせた。
「お前、馬鹿にするなよ」
エルンスが語気を強めると、ヨシアは口を尖らせた。
「せっかく、励ましてあげようと思ったのにな」
「何」
「剣に迷いが出てるし。わかりやすいんだよね、エルンスは」
ヨシアは、意地悪な笑みを浮かべた。
まただ。
またこいつに、見下されている。
エルンスは、歯がみした。
ヨシアが親衛隊に入隊したのは、エルンスの入隊から三年後だった。親衛隊には珍しい、ヴァイス大学出身。しかも、数年ぶりに実施された実戦武術の最終試験で、対戦した最終試験官を倒している。言わばヨシアは、鳴り物入りでの入隊だった。
一目見た瞬間から、エルンスはヨシアの纏う得体の知れないものに戦慄した。
こいつは、絶対にまともじゃない。
何でこんな奴が、親衛隊に採用されたんだ。
冷たい汗が、背中を伝った。
入隊直後から、訓練においてめきめきと頭角を現したヨシアは、瞬く間に親衛隊で一二を争うほどの強さを誇った。剣術、槍術、騎馬術、果ては弓術まで。ヨシアはどの術式も得意であり、そしてどの術式でも強かった。欠点という文字は、彼女の辞書には存在しなかった。
だが、エルンスの目には、ヨシアの術式は美しく見えなかった。ただひたすらに、人を殺すことに特化した、無慈悲な術式に見えて仕方がなかった。
世が世なら、英雄となり得ただろうに。
平和な世の中じゃ、あいつはただのサイコパスだ。
そんなエルンスの危惧が的中した出来事があった。
リードア王の視察に同行した三十名の親衛隊の中に、エルンスとヨシアの姿があった。視察先は、ラクサール王国屈指の貿易都市プロセイ。王国の南部地域に位置するこの都市は、王都ヴァイスに次ぐ人口を抱える大都市だった。
五年ぶりのリードア王の訪問に、プロセイの街は歓喜に包まれた。国王を乗せた馬車が大通りに姿を見せると、沿道には多くの市民が詰めかけた。国王を警護するエルンス達親衛隊は、熱狂する市民の一挙手一投足に目を光らせていた。
馬車がプロセイ市庁舎前に差しかかったとき、一人の老人が観衆に押し出される格好になり、沿道に飛び出してしまった。脚がもつれた老人は、その場に膝をついた。
刹那、剣を抜いたヨシアは、躊躇することなく、その老人を一刀両断にした。
身体が腹部から真っ二つに分かれた老人は、夥しい量の鮮血と臓物を大通りにぶちまけた。
悲鳴と怒号が交錯する中、エルンスは確かに見た。
老人の返り血を大量に浴びたヨシアが、異様な笑みを浮かべているのを。
過剰防衛とも取れるヨシアの行動だったが、軽い謹慎処分のみで、結局罪に問われることはなかった。政府は老人の家族に多額の示談金を支払い、それ以上の追求はさせなかった。
騒動の後、ヨシアは七日間の謹慎を経て復帰した。謹慎が明けると、初めは警戒していた親衛隊員だったが、ヨシアが騒動の前と変わらず明るく朗らかだったことに安堵し、すぐに元の関係に戻った。
だが、エルンスの警戒が解けることはなかった。
あの異様な笑みが、ずっと頭にこびりついていた。
あんなのは、防衛とは言えない。
ただ単に、人殺しを愉しんだだけだ。
あいつこそ、殺しておくべきじゃないのか。
このまま野放しにしていたら、親衛隊にとって、大きな災いになる。
どうして、誰も気づかないんだ。
エルンスは、罪に問われることを覚悟して、何度かヨシアを本気で殺そうと考えたこともあった。だが、訓練で対戦したヨシアの圧倒的な実力の前に、為す術がなかった。
あの華奢な身体の、どこにそんな力が宿っているんだ。
ヨシアの巨岩のように重たい剣に、エルンスの剣は粉々になった。
何の因果か、エルンスはヨシアと共に、最終試験官に選ばれた。
ひょっとしたら、あの二人のどちらかが、ヨシアと対戦することになるのかもしれない。
だとしたら、とてもかわいそうだ。
枷の外されたサイコパスは、よだれを垂らしながら、惨たらしく嬲り殺すだろうから。
「エルンス」
我に返ると、ヨシアはいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
「業は、私が背負う」
エルンスは、瞠目した。
「だからもう迷わないで。心置きなく戦ってね」
囁くように言ったヨシアは腰を上げ、訓練場の外へ向かって歩き出した。
その瞬間、暖かく柔らかな風が吹き抜けた。
エルンスは、胸が締めつけられる思いがした。
あいつらしくねえな。
いつも飄々としているくせに、相当覚悟を決めてやがる。
くそったれが。
俺も、覚悟を決めたぞ。
ヴァイス大学の学生ども。命乞いしても無駄だ。
無慈悲に、残酷に殺してやる。
エルンスは、顔の前で拳を強く握った。




