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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
27/38

27 サイコパス

 辞退しねえのか。

 ディートの決断を知ったエルンスは、呆れ気味に笑った。

 訓練で叩きのめした相手が、二人がかりで担がれて行く。身につけていた防具には無数の傷が付いていて、その隙間からは鮮血が溢れだしていた。

 真剣を使っての訓練で、エルンスは親衛隊の同僚を幾人も血塗れにした。とどめを刺すところまでは行かないので死者は出なかったが、特に若い親衛隊員は恐れをなし、エルンスとの対戦を希望する者はいなくなった。

 ヴァイス大学の実践武術の最終試験官に選ばれてから、エルンスは何かに取り憑かれたかのように訓練に没頭した。それまでは、どちらかと言えば手を抜いている方だったが、周囲が驚くほどに訓練への姿勢が変わった。

 物足りねえな。

 お前らの親衛隊としての誇りは、どこに行ったんだよ。

 青ざめている親衛隊のことを、エルンスは睥睨した。

 防具を脱ぎ、真剣を置いたエルンスは、訓練場の端の木陰まで行き、やおら腰を下ろした。陽光を浴びた緑葉が、地面に幾何学的な模様を映し出している。

 指折り数える。

 本番まで、三ヶ月を切った。

 俺は、誰と戦うことになるのか。

 対戦相手は、最終試験当日に発表されることになっていた。どのように選ばれるのかは機密事項のため、エルンス達最終試験官には皆目見当がつかない。

 頭に浮かぶのは、やはりアニスとティアの二人だった。

 まったく、冗談きついぜ。

 二人とも殺したら、それこそ世界がひっくり返るぞ。

 エルンスは、ため息をついた。

 ちゃんと、殺せるのだろうか。

 命乞いでもされたら、俺は。

 ふいに、エルンスの頭上を影が覆った。顔をあげると、そこにはヨシアが立っていた。

「ヤッホー」

 笑みを浮かべたヨシアは、おもむろにエルンスのとなりに腰掛けた。

「何の用だ」

「冷たいねえ、相変わらず」

 ヨシアは、肩をすくめた。

 こいつなら、躊躇なく二人を殺すだろう。

 こいつは、命乞いをされても、泣き喚かれても、ゲラゲラ笑いながら剣を突き刺すような女だ。

「最近変だよ。エルンス」

「どこがだ」

「訓練とか、全然余裕ないし」

 エルンスは、目を見張った。

「そんなだと、最終試験で負けちゃうよ」

 ヨシアは、微笑みを向けた。

 俺が、学生ごときに、負けるだと。

 そんなことなど、あってたまるか。

 エルンスは、拳を震わせた。

「お前、馬鹿にするなよ」

 エルンスが語気を強めると、ヨシアは口を尖らせた。

「せっかく、励ましてあげようと思ったのにな」

「何」

「剣に迷いが出てるし。わかりやすいんだよね、エルンスは」

 ヨシアは、意地悪な笑みを浮かべた。

 まただ。

 またこいつに、見下されている。

 エルンスは、歯がみした。

 ヨシアが親衛隊に入隊したのは、エルンスの入隊から三年後だった。親衛隊には珍しい、ヴァイス大学出身。しかも、数年ぶりに実施された実戦武術の最終試験で、対戦した最終試験官を倒している。言わばヨシアは、鳴り物入りでの入隊だった。

 一目見た瞬間から、エルンスはヨシアの纏う得体の知れないものに戦慄した。

 こいつは、絶対にまともじゃない。

 何でこんな奴が、親衛隊に採用されたんだ。

 冷たい汗が、背中を伝った。

 入隊直後から、訓練においてめきめきと頭角を現したヨシアは、瞬く間に親衛隊で一二を争うほどの強さを誇った。剣術、槍術、騎馬術、果ては弓術まで。ヨシアはどの術式も得意であり、そしてどの術式でも強かった。欠点という文字は、彼女の辞書には存在しなかった。

 だが、エルンスの目には、ヨシアの術式は美しく見えなかった。ただひたすらに、人を殺すことに特化した、無慈悲な術式に見えて仕方がなかった。

 世が世なら、英雄となり得ただろうに。

 平和な世の中じゃ、あいつはただのサイコパスだ。

 そんなエルンスの危惧が的中した出来事があった。

 リードア王の視察に同行した三十名の親衛隊の中に、エルンスとヨシアの姿があった。視察先は、ラクサール王国屈指の貿易都市プロセイ。王国の南部地域に位置するこの都市は、王都ヴァイスに次ぐ人口を抱える大都市だった。

 五年ぶりのリードア王の訪問に、プロセイの街は歓喜に包まれた。国王を乗せた馬車が大通りに姿を見せると、沿道には多くの市民が詰めかけた。国王を警護するエルンス達親衛隊は、熱狂する市民の一挙手一投足に目を光らせていた。

 馬車がプロセイ市庁舎前に差しかかったとき、一人の老人が観衆に押し出される格好になり、沿道に飛び出してしまった。脚がもつれた老人は、その場に膝をついた。

 刹那、剣を抜いたヨシアは、躊躇することなく、その老人を一刀両断にした。

 身体が腹部から真っ二つに分かれた老人は、夥しい量の鮮血と臓物を大通りにぶちまけた。

 悲鳴と怒号が交錯する中、エルンスは確かに見た。

 老人の返り血を大量に浴びたヨシアが、異様な笑みを浮かべているのを。

 過剰防衛とも取れるヨシアの行動だったが、軽い謹慎処分のみで、結局罪に問われることはなかった。政府は老人の家族に多額の示談金を支払い、それ以上の追求はさせなかった。

 騒動の後、ヨシアは七日間の謹慎を経て復帰した。謹慎が明けると、初めは警戒していた親衛隊員だったが、ヨシアが騒動の前と変わらず明るく朗らかだったことに安堵し、すぐに元の関係に戻った。

 だが、エルンスの警戒が解けることはなかった。

 あの異様な笑みが、ずっと頭にこびりついていた。

 あんなのは、防衛とは言えない。

 ただ単に、人殺しを愉しんだだけだ。

 あいつこそ、殺しておくべきじゃないのか。

 このまま野放しにしていたら、親衛隊にとって、大きな災いになる。

 どうして、誰も気づかないんだ。

 エルンスは、罪に問われることを覚悟して、何度かヨシアを本気で殺そうと考えたこともあった。だが、訓練で対戦したヨシアの圧倒的な実力の前に、為す術がなかった。

 あの華奢な身体の、どこにそんな力が宿っているんだ。

 ヨシアの巨岩のように重たい剣に、エルンスの剣は粉々になった。

 何の因果か、エルンスはヨシアと共に、最終試験官に選ばれた。

 ひょっとしたら、あの二人のどちらかが、ヨシアと対戦することになるのかもしれない。

 だとしたら、とてもかわいそうだ。

 枷の外されたサイコパスは、よだれを垂らしながら、惨たらしく嬲り殺すだろうから。

「エルンス」

 我に返ると、ヨシアはいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。

「業は、私が背負う」

 エルンスは、瞠目した。

「だからもう迷わないで。心置きなく戦ってね」

 囁くように言ったヨシアは腰を上げ、訓練場の外へ向かって歩き出した。

 その瞬間、暖かく柔らかな風が吹き抜けた。

 エルンスは、胸が締めつけられる思いがした。

 あいつらしくねえな。

 いつも飄々としているくせに、相当覚悟を決めてやがる。

 くそったれが。

 俺も、覚悟を決めたぞ。

 ヴァイス大学の学生ども。命乞いしても無駄だ。

 無慈悲に、残酷に殺してやる。

 エルンスは、顔の前で拳を強く握った。

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