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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
22/38

22 対戦開始

 その日の実戦武術は、まず前半を剣術の型の復習にたっぷりと時間を割いた。真剣の重さに苦戦して一番おぼつかなかったノイも、だいぶ様になっていた。荒々しかったレムも、落ち着いた型を披露するまでに上達した。

 ライドの指摘や指導は的確で、とてもわかりやすかった。ティアも、目からうろこが落ちる思いを何度もした。

 真剣を振ることがこんなにも楽しいだなんて、先生がいなかったら絶対に感じられなかったな。

 夏の日差しが照りつける運動場で、ティアは汗だくになりながら夢中になって真剣を振り続けた。

 休憩時間に木陰で水分補給をしていると、ライドが倉庫から木剣を携えてやってきた。

「あなたたち、本当に防具はいらないの」

 ライドが確認すると、五人は顔を見合わせた。

「先生、この暑さで防具を着て戦ったら、脱水症状になりますよ」

 レムが代表して言うと、他の四人はこくりと頷いた。

「怪我しても知らないわよ」

 呆れ気味に言ったライドは、五人に木剣を配った。ティアは木剣を持った瞬間、軽すぎて拍子抜けした。

「めっちゃ軽い」

 ティアが嬉々として木剣を振り回すと、四人は慌てて身をかがめた。

「あなた、馬鹿じゃないの。周りに人がいるのにいきなり剣を振り回すなんて。子供じゃないんだから」

 アニスがたしなめると、ティアは頭をかいた。

「ごめん、ごめん」

「これから対戦するというのに、お気楽で良いわね」

 アニスがため息交じりに言うと、となりにいたノイは必死に笑いをこらえていた。

 ライドから、対戦形式が発表された。一人当たり、必ず二人と対戦すること。時間は最大でも十五分間。それまでに決着がつかなければ強制終了となる。

「二対二で一人は余ることになるから、その人は私と対戦しましょう」

 ライドの提案に、五人は目を丸くした。

「心配しないで。死なない程度に痛めつけてあげるから」

 ライドは、片目をつむった。

 絶対にやりたくねえ。

 レムは、真夏であるにも関わらず、冷たい汗をかいた。アニスやファオやノイも、同じ思いだった。

 うわあ、すごい。

 先生と戦えるだなんて。

 喜んでいるのは、ティアだけだった。

 対戦相手の決め方は、五人に任された。話し合った結果、結局ジャンケンで決めることになった。

「いきなり先生だあ」

 いの一番に負けたティアは、ライドとの対戦が決まった。なぜかはしゃいでいるティアに、四人は軽く引いていた。

 その後のジャンケンで、アニス対ファオ、レム対ノイの対戦が決まった。特に一番大きなレムと一番小さなノイの凸凹コンビは、身長差も相まってまるで親子のようで、とてもこれから剣を交えるような関係には見えなかった。

「お手柔らかにお願いします」

 ノイは、レムにペコペコと頭を下げた。

「あ、こちらこそ」

 めちゃくちゃやりづれえ。

 レムは、心の中で叫んだ。

 最初の対戦は、アニス対ファオだった。

 二人が運動場の真ん中で対峙すると、空気がピンと張りつめた。剣術の型の美しさでは一二を争う二人の対戦に、否が応でも緊張が高まった。

 最初に仕掛けたのは、ファオの方だった。素早い身のこなしで飛びこんで行くと、素早く木剣を水平に振った。アニスは紙一重のところでそれを避け、ファオの左側に回り込んだ。

 間髪入れずにアニスが木剣を振り下ろすと、ファオは仰け反って躱した。すかさずアニスがファオの脚をめがけて木剣を振ると、ファオは小さく跳躍してそれを避けた。

「速い」

 ノイが、つぶやく。

 アニスが下から上に向かって木剣を振ると、ファオは木剣を合わせた。木剣同士でも、強く当たれば金属のような音がした。アニスはファオの木剣を弾き返そうと力を込めたが、ファオの木剣はビクともしなかった。それどころか、ファオの木剣がアニスの木剣を徐々に押していった。

 どうしてもここは、男女の力の差が出てくるのかな。

 ティアがそう思った瞬間、アニスは身を翻してファオの背後に回った。アニスの木剣が急に消えたことで、自分の木剣を地面に叩きつけてしまったファオは、それにまったく反応できなかった。

 アニスは木剣を、ファオの背中に振り下ろした。鈍い音と共に、ファオは頭から地面に倒れ込んだ。土煙が上がる中で、アニスは傷みに悶えるファオのことを静かに見下ろしていた。

 あえてファオに押し返されることによって、逆にファオの力を借りて加速をつけて、背後に回った。

 あんな芸当、咄嗟にできるものじゃない。アニスの類い稀なる才能が、自然と呼び起こしたんだ。

 やっぱり、アニスは強い。

 ティアは、興奮を隠しきれないでいた。

 背中の痛みが治まったファオは、やおら立ち上がると、服についた土を手で払った。

「ごめんなさい。痛かったかしら」

 アニスが言うと、ファオは少しずれていた眼鏡を指で戻した。

「身体以上に、心に痛かったよ」

「そう」

「次は必ず、勝つから」

 眼鏡の奥の瞳が、鈍く光った。

「楽しみね」

 アニスが微笑むと、ファオは背中を向け、その場から離れていった。

 そういえば私、アニスの笑った顔、初めて見たかも。

 それほど、会心の戦いだったのかしら。

 あんなに可愛いんだから、もっと笑えばいいのに。

 もったいないな。

 次の対戦は、レム対ノイだった。アニスとファオは背格好がほとんど同じだったから見栄えがしたが、レムとノイだと体格差が歴然としていて、とても公平な戦いには見えなかった。

「体格だけ見ると、まるで弱い者いじめね」

 ライドは、肩を揺らして笑った。

 確かに、見た感じはそうかもしれない。

 でも、今のノイなら、きっと良い勝負になる。

 ティアは、そう確信していた。

 一方で、運動場の真ん中へ向かうレムの足どりは、明らかに重たかった。

 槍術や騎馬術ではその才能をいかんなく発揮していたノイだったが、剣術に関しては、まだ荒削りなところがある。ライドの指導のおかげで剣術の型はだいぶ様になってきたが、実戦でそれをどう活かせるかは未知数だった。

 レムが危惧しているのは、小柄で華奢なノイに大怪我を負わせてしまうのではないか、ということだった。木剣とはいえ、レムの腕力で頭に当たれば致命傷になりかねない。ノイには防具を着けて欲しかったが、一人だけ防具を着けるというのも気が引けたのだろう。

 悪く思うなよ。

 木剣で入念に素振りをしているノイに、レムは心の中で謝った。

 対峙した二人は、ゆっくりと剣を構えた。

 レムの目には、ノイの構えは隙だらけに見えた。

 先生には怒られるかもしれねえけど、少し手加減するか。

 早めに決着をつけてやろう。

 最初に仕掛けたのは、レムの方だった。ノイに対して、まっすぐに飛びこんで行く。

 片脚だけでも狙えば、それで戦闘不能になるだろう。骨にひびが入らないように、なるべく裏もも当たりを狙うか。

 そう思いながらレムは木剣を振ったが、ノイは易々と飛び越えた。レムの木剣を振る速度は、真剣と時よりも明らかに遅かった。

 素早くレムの左側に回ったノイは、右の大腿部を目掛けて木剣を振った。態勢を崩していたレムは為す術なく、ノイの一太刀をもろに受けた。肉の弾けるような音と共に、巨漢のレムは運動場に倒れ込んだ。

 土煙がもくもくと上がる中、沈黙がその場を支配した。

 あまりにも早い決着、時間にして十秒もなかった。

 圧勝したノイは、汗ひとつかいていなかった。

 ティアは、見逃さなかった。

 レムを見下ろすノイが、一瞬だけ異様な笑みを浮かべていたのを。

「あ、すみません」

 すぐに焦りの表情になったノイは、レムの側にしゃがみ込んだ。

「痛かったですよね。ごめんなさい」

 涙目のノイは、木剣を打ちこんだレムの右大腿部をさすった。

 何が、早めに決着をつけてやるだ。

 こんな醜態をさらして。

 レムは倒れたままで、拳を震わせた。

「さっさと立ちなさい」

 ライドの怒声が、運動場に響いた。その表情は、いつにも増して険しかった。

 フラフラと立ち上がったレムは、対面に立つライドの顔をまともに見ることができなかった。

「あなた、手加減しようとしたわね」

 図星を指されたレムは、不承不承頷いた。

「いったい何様なの。剣豪にでもなったつもり。手加減するなんて、百億年早いわよ」

 ライドの叱咤に、巨漢のレムはみるみる小さくなっていった。

「先生、百億年は長すぎます」

 レムを庇おうとしたのか、ノイは変なところに反応した。

「何なのよ、あの子は」

 アニスが、口惜しそうにつぶやいた。

 まったくだよ。

 ティアも、アニスと同じ気持ちだった。

 たとえレムが本気で挑んだとしても、ノイはたやすく勝っただろう。それほど圧倒的な力量差があった。木剣を振る速さと正確さは、それこそ剣豪の域にまで達していると言っても過言ではないほどだった。

 やばすぎでしょ。

 成長曲線が、とんでもない角度になっている。

 それにしても、一瞬垣間見せたあの異様な笑みは、いったい。

 まるで、人を痛めつけることに快感を覚えているような、ノイらしくない笑み。

 なんだか、すごく嫌な感じがする。

 ノイの中で、何かが目覚めようとしているの。

 ライドの剣幕にアワアワしているノイを見ながら、ティアは背筋が寒くなった。

 レムへの長い説教を終えたライドは、次に控えていたティアの元へやってきた。

「私は今、非常に気分が悪い。だから、思いっきり行かせてもらうわ。覚悟なさい」

 ライドの宣言に、ティアは姿勢を正した。

「お願いします」

 ノイのことは、一旦隅に置こう。

 今は先生との対戦に、全力を注ぐんだ。

 ティアは、決意を固めた。

 運動場の真ん中で対峙した二人を、他の四人は固唾をのんで見守った。

 頑張って。怪我しないで。

 木剣を構えるティアに、ノイは強く祈った。

 ライドの構えを見た瞬間、ティアは絶望した。

 嘘でしょ。

 隙が、まったくない。

 どこに剣を振るっても、弾き返されるイメージしか湧かない。

 構え自体は、至ってオーソドックスなものなのに。

 これが、先生の本気か。

 ティアの頬を、一筋の汗が伝った。

「来ないのなら、こちらから行くわよ」

 つぶやいたライドは、一歩前に踏み出し、木剣を振るった。右腰の当たりを狙った一太刀を、ティアは間一髪で躱した。すぐさま、第二波がやってくる。避けきれないと判断したティアは、木剣で受け止めた。

 重くて早いライドの一太刀が、ティアの手をしびれさせた。

 まずい。

 このままだと、上からやられる。

 ティアの予想通り、ライドは木剣を頭上に掲げると、ティアの肩を目掛けて振り下ろした。手のしびれが残っていて、とても受け止められない。瞬時に判断したティアは、後ろに飛びのいた。剣先が服の裾を掠めると、破れて小さな穴が空いた。

 駄目だ。防戦一方になってしまう。

 攻撃の糸口を見つけないと。

 荒くなった呼吸を鎮めながら、木剣を構えるライドを凝視した。

 ただ闇雲に飛びこんだら、それこそ先生の木剣の餌食になってしまう。

 考えろ、考えるんだ。

 ティアは、懸命に自分を鼓舞した。

 ジリジリと間を詰めてきたライドは、突如として猛烈な速さで飛びこんできた。そのまま木剣を振り、ティアの腹部を狙った。

 するとティアは、地面に這いつくばるようにして、これを避けた。目の前に、ライドの脚が迫ってくる。そのまま木剣を振るえば、くるぶしに当たって転倒させられる。一筋の光明を見出したティアは、右手で木剣を振った。

 だが、ライドのくるぶしに木剣が当たる寸前に、背中に鈍い痛みが走った。

 ライドの木剣が、ティアの背中目掛けて振り下ろされていた。何かが破裂したような音が、運動場に響き渡った。

 一瞬呼吸ができなくなったティアは、地面にうずくまった。背中の痛みが、全身に巡っていく。叫びたくなるほどの激痛だったが、声はでてこなかった。

「ティア」

 青ざめたノイが、ティアの元へ駆け寄ってきた。

「骨は避けたから、すぐに痛みは治まるわ」

 ティアの傍らに立つライドの額には、大粒の汗が浮かんでいた。

 何なのよ、あの動きは。

 あんなの、一か八かでできるような避け方じゃないわ。

 先生の剣の速さと軌道を完全に読み切って、尚且つ針の穴ほどの僅かな隙を突くような真似を、あの子は瞬時に行った。

 この狭いコミュニティの中で、どうしてあんな化け物が、しかも二人も出てくるのよ。

 ノイに介抱されているティアを見つめながら、アニスは唇を噛んだ。

 ライドの言うとおり、痛みは五分もすればだいぶ治まった。試しに木剣を振ってみたが、若干背中に痛みは走るものの、二戦目をするのに支障はなかった。

「どう」

 ノイが心配して訊ねると、ティアは肩をグルグル回した。

「全然大丈夫」

 ティアはノイに向かって、親指を立てた。

「あまり褒めることはしたくないけど、たいしたものね。まさかあんな、カエルみたいなトリッキーな動きをするとは思わなかったわ」

 ライドは、ため息交じりに言った。

「でも負けちゃったし。やっぱり先生は強かったです」

 ティアは、頭をかいた。

「当たり前じゃない。こんなところで負けたら、あなたたちの剣術の講師なんて務まらないわよ」

 ティアとライドは、笑みを交わした。

 二人のやり取りを、少し離れたところで見ていたアニスは、強い嫉妬に駆られた。

 ここで置いて行かれるわけにはいかないのよ、私は。

 誰よりも強くなって、お父様を。

 アニスは、そっと拳を握った。

 少しの休憩を挟んでから、二戦目の対戦相手を決めるために、四人がジャンケンをしようとしたとき、アニスがそれを強引に制した。

「次は、あなたと戦いたいのだけれど」

 アニスの視線の先には、ティアが目を瞬せていた。

「よろしくて」

 有無も言わさぬアニスに気圧されたティア以外の三人は、顔を見合わせた後で、ぎこちなく頷いた。

 アニスが、私を指名してくれた。

 ティアは、天にも昇る心地となった。

「勘違いしないで。あなたが手負いだから勝てそうと踏んでいるわけではないわ。この中で剣術ではあなたが一番強そうだから、純粋に戦いたくなっただけよ」

 アニスの言葉に、ティアは破顔した。

「私もずっと、アニスと戦いたいと思ってた。すごくうれしい」

 ティアが本音をぶつけてくると、アニスは表情を引き締めた。

「手加減なんて、しないから」

「こちらもだよ」

 二人の間に火花が散っているのを、他の三人の目には、はっきりと見えた。

 その後のジャンケンで、ファオとノイの対戦が決まった。必然的にライドとの対戦となったレムの顔は、わかりやすく血の気が引いていた。

 二戦目の最初は、ファオとノイの対戦となった。一戦目のノイの圧勝劇を目の当たりにしていたファオは、運動場の真ん中に歩を進めながら、考えを巡らせていた。

 ノイからは、強者のオーラがまったく出ていない。いや、出てはいるが、それも一瞬だけ。

 彼女は、普段は力を極力セーブしながら、ここぞというときにだけ力を爆発させているタイプだ。そのタイミングがまったく読めないから、こちら側としては常に気を張らなければいけなくなる。

 だとしたら、爆発のタイミングをなくせばいい。

 一か八かだが、やってみる価値はある。

 ノイと対峙したファオは、静かに木剣を構えた。

 ファオの持ち味でもあるしなやかで速い剣が、ノイを襲う。ノイはそれを木剣で受け止めたが、ファオの剣は更に速さを増していった。ひとつひとつは重くはないものの、五月雨のように繰り出される手数に、ノイは徐々に押されていった。

 最後は、右の脇腹に一撃を喰らい、ノイはその場にしゃがみ込んだ。勝負が決まった瞬間、ファオは木剣を足元に置くと、両膝に手をついて苦しそうに呼吸を繰り返した。全身から汗がしたたり落ち、地面を濡らした。

 ティアが駆け寄ると、ノイは右の脇腹を押さえて苦笑していた。

「私の弱点、バレバレだったね」

「あれは、ファオが上手かったよ」

 物量の多さで、ノイの爆発を押さえ込む。ある意味力業でファオらしくない作戦ではあったが、ノイには上手くはまった。

 対レム戦のノイの圧勝劇を、ファオは冷静に分析していた。それだけでなく、実現性のレベルも桁違いに高かった。

 自分のスタイルは保ちつつも、臨機応変に対処している。実戦では根本的な強さ以上に、ファオのような分析力と判断力が鍵を握るのかもしれない。

 私に足りないものを、ファオは持ち合わせている。

 いつか私も、ファオの域に達したい。

 息を整えて足元の木剣を拾うファオを見ながら、ティアは強く思った。

 そして、ティアとアニスの対戦となった。

 二人は目を合わすことなく、運動場の真ん中にまで進み出た。未だかつていないほどに、空気が張りつめていた。

 ひとつ息をはいた後で、二人は向かい合った。

 無表情でありながら眼光の鋭いアニスとは対照的に、喜びを抑えきれないティアは微笑みを浮かべていた。

 アニスが木剣を構えると、少し遅れてティアも構えた。

 唾を飲みこむ音が、周りに聞こえそうなくらいの静寂が、辺りを包み込んだ。

 なびく風が、二人の髪を緩やかに揺らしていた。

 仕掛けたのは、アニスの方だった。ティアの右肩に向けて、木剣が振り下ろされる。速くて重たいアニスの剣を、ティアはあえて木剣で受け止めた。

 力比べが始まった。押しこむアニスに、押し返すティア。ジリジリと、一進一退の攻防が続いた。

 力の加減でティアが往なそうとするのを察知したアニスは、押しこむのを止めるやいなや、ティアの腰を目掛けて木剣を素早く振るった。ティアはそれも避けようとはせず、木剣で受け止めた。アニスの剣先が、ティアの腰に触れる寸前だった。

 そこからは、激しい打ち合いが始まった。木剣がぶつかり合う音が、断続的に響いてくる。もはや、作戦も何もない。がっぷり四つの肉弾戦と言っても、差し支えがなかった。

 呼吸が乱れ、手のしびれを感じながらも、二人は打ち合うのを止めなかった。いや、止めることができなかった。止めれば、それはすなわち敗北に通じる。それほどまでに二人の太刀は重たく、そして速かった。

 次元が違う。

 ノイは、心の中でつぶやいた。

 打ち合いを止めたのは、アニスの方だった。後ろに飛びのくと、今度は素早い突きを繰り出した。顔を目掛けてくる剣先を、ティアは首を傾けて避けた。剣先に触れた髪の毛が、何本か散った。その後も繰り出される突きをギリギリで避けながら、ティアはそっと間合いを詰めていった。

 アニスが突きを入れた瞬間、脇に僅かな隙が見えた。突きを避けたティアは、その隙を狙って木剣を振るった。確実に仕留められると思ったティアだったが、アニスは仰け反るようにしてティアの剣を躱した。

 まずい。脚を狙われる。瞬時にそう思ったティアは、膝を折り曲げて跳躍した。しかし、ティアの予想に反して、アニスの木剣が頭上から降ってきた。身体を捻って避けたが、剣先が左肩に当たった。鈍い痛みが襲ってきて、ティアは歯を食いしばった。

 あの不安定な体勢から、振り下ろせるなんて。

 ティアは改めて、アニスの身体能力の高さに舌を巻いた。

 間髪入れずに木剣を水平に振ったアニスに、ティアは避けながらも片手で木剣を振った。剣先がアニスの腰骨辺りに当たったが、アニスは一切表情を変えることなく、今度は木剣を反対側から振るった。ティアは剣先を当て、かろうじてそれを躱した。

 楽しい。

 こんなに楽しい戦いは、初めてだ。

 ティアは疲れを感じることなく、目の前のアニスに向かって夢中で木剣を振った。

 激しい打ち合い、躱し合いが、延々と続いた。

 三人は、息をするのも忘れそうなくらいに、二人の戦いに見入っていた。

 アニスは、渾身の力を込めて、木剣を振り下ろした。だいぶ体力は削られているにもかかわらず、その威力は更に増していた。

 今だ。

 アニスの剣を、弾き返せ。

 ティアも、最後の力を振り絞って、木剣を下から上へ振った。アニスの木剣とティアの木剣が合わさった瞬間、運動場を震わせるほどの大きな音が鳴り響いた。

 二人の木剣は、ちょうど真ん中から割れていた。

「やめっ」

 ライドの声で、二人は振り上げていた腕を降ろした。折れた木剣を握りしめたまま、二人は肩を上下させながら、荒くなった呼吸を鎮めた。

「何なんだよ、この戦いは」

 レムは、放心したようにつぶやいた。

「自分の実力不足を、痛感させられるね」

 表情は変わらないファオだったが、声は微かに震えていた。

「木剣も壊れたことだし、両者引き分けということで、いいかしら」

 ライドは、二人の肩をポンと叩いた。どちらも服に汗が滲んでいて、ライドの手のひらを湿らせた。

「決着は、つけたかったわね」

 アニスは、悔しそうにつぶやいた。

 戦いの興奮が収まったティアの胸に去来したのは、歓喜だった。

「ありがとう、アニス」

「え」

「めちゃくちゃ楽しかった。またやろうね」

 満面の笑みを湛えたティアは、手を差し出した。

 アニスは、ためらいがちにティアと握手を交わした。

「やっぱり私、アニスのことが大好き」

 ド直球なティアの告白に、さすがのアニスも頬を赤らめた。

「残念ね。そういう趣味はないから」

「どういう趣味」

 ティアがきょとんとすると、アニスは握手をほどいた。

「覚えておきなさい。今度戦うときは、血祭りに上げてあげるわ」

 そう言い放ったアニスは、肩を怒らせてティアから離れていった。

 本気で戦ってくれて、ありがとう。

 最高に楽しかったよ。

 遠ざかるアニスの背中に向かって、ティアは改めて感謝した。

 ティアに寄ってきたノイは、涙目になっていた。

「ちょっと、何で泣いているの」

「よくわかんない。もう、感情がぐちゃぐちゃ」

 微笑んだノイは、こぼれる涙を手の甲で拭った。

 戦いの興奮、二人への羨望、そして嫉妬。

 それらが渾然一体となって、ノイの心をかき乱していた。

「いやあ、最後にすごい戦いを見せてもらったぜ。よかった、よかった」

 わざとらしく朗らかに言ったレムは、ティアとノイに手を振ると、そそくさと運動場を後にしようとした。

「ちょっと待ちなさい」

 ライドが呼びかけると、レムの足はピタリと止まった。

「まだ最後じゃないわよ。わかっているでしょ」

 ねっとりとしたライドの言葉に、レムは恐る恐る振り向いた。

「あなたこそ、血祭りに上げてあげるわね」

 木剣を手にしたライドは、舌なめずりをした。

 その後、運動場にレムの断末魔の叫びがこだましたのは、言うまでもない。

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