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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
21/38

21 未知との遭遇

 二日経っても、結論は出なかった。あまりにも悩みすぎて、食事も喉を通らないほどだった。

 今日は久しぶりの休みだったので、たっぷり寝てやろうと思ったが、逆にいつもよりも早く目が覚めてしまった。何度も寝返りを打ってみたり、部屋の天井をじっと眺めてみたりしたが、ついぞ眠気はやってこなかった。

 諦めたディートは、ベッドから身体を起こした。部屋の窓からは、ヴァイス郊外の明かりがポツポツと灯っているのが見えた。時刻は午前三時半。朝と呼ぶにはあまりにも早い。

 気晴らしに、散歩でもするか。

 ベッドから降りたディートは、寝間着から運動着に着替えた。姿見の前に立ち、手ぐしで寝癖を整えてから、部屋を後にした。

 官舎を出ると、冷たい風が吹き抜けた。季節は初夏で、日中は汗ばむ陽気ではあったが、この時間帯ではさすがにまだ肌寒かった。

 散歩だとちょっと寒いし、少し走ろうかな。

 ディートは、官舎からほど近い場所にある、小さな公園に向かった。

 歩いていても、頭に浮かぶのは、実戦武術のことだった。

 訓練ばかりの代わり映えのしない日常の中で、それはまさに青天の霹靂だった。

 ヴァイス大学の学生との、本物の武器を使用した真剣勝負。もちろん、訓練でも他の親衛隊員と本物の武器を使用しての対戦は数えきれないほど行ってきたが、それは真剣勝負とはほど遠い、安全に配慮した形だけのものだった。

 聞けば、実戦武術を選択した学生が出たのは五年ぶりで、しかも五名もの受講者が出たのは、選択科目として採用されてから初めてのことらしい。

 あの名門ヴァイス大学に、そんな骨太な学生がいたとは。

 驚きと共に、好奇心が湧いてきた。

 幼い頃から武術に強い憧れを持ち、武術を極めんがために、進路は自然と軍に向いていた。ヴァイスの陸軍大学校へ進学し、軍の採用試験で優秀な成績を収めたディートは、大学校卒業後すぐに親衛隊へ配属された。

 ディートにとってヴァイス大学は、近くて遠い存在だった。実家から歩いて二十分くらいの距離にあったが、その立派な門構えは嫌でも敷居の高さを想起させた。そもそも、武術を極めることを目指していたディートにとって、ヴァイス大学は目標ですらなかった。むしろ、嫌悪感さえ抱いていた。

 確かに軍幹部にも、ヴァイス大学出身の者は大勢いる。だが、ディートの目には、アイケ以外の幹部は、揃いも揃って出世と自己保身にしか興味のない俗物に映った。軍事に関する知識は豊富なのだろうが、それを裏付ける強さが全くない。故に尊敬もできない。幹部に理不尽に叱責されても、こいつはいつでも殺せる、と思えば、怒りはすぐに収めることができた。

 そんな、頭でっかちなインテリの巣窟のイメージしかなかったヴァイス大学に、命知らずの学生が五名も集結するとは。純粋に会ってみたい、顔を見てみたい、という強い欲求が生まれたディートは、迷わず募集に飛びついた。その一方で、倍率がとても高かったので、まあ自分が選ばれることはないだろうけど、当たったらいいな、という宝くじを購入するようなワクワク感を楽しんでもいた。

 だが、なぜか自分が選ばれてしまった。その瞬間、胸に去来したのは嬉しさよりも焦りだった。将来有望なヴァイス大学の学生を、この手で殺めてしまう可能性があることに、今さらながら怖じ気づいてしまった。

 それでも、抗えない武術への探究心に突き動かされたディートは、迷いを捨て、覚悟を決めていた。しかし、ここにきて対戦相手を知ってから、その覚悟は揺れに揺れていた。

 尊敬してやまないアイケ元帥の愛娘に、隣国エレル王国の王女。

 今考えても、恐ろしい組み合わせだった。まだ正式に対戦相手は決まっていないが、自分がどちらかと刃を交えることになると想像するだけで、背筋が寒くなった。

 アニスに関しては、以前から親衛隊の仲間うちでも噂になっていた。アイケの素質を受け継いだ、文武共に秀でた稀に見る才媛であると。だからこそ、対戦者発表の際のアイケの態度が、未だに信じられなかった。

 あの時の元帥には、ためらいや憂いといったものは、一切感じられなかった。取り繕っている雰囲気も、全くなかった。私は結婚もしていないし子供もいないけど、親は子供に対してあそこまで残酷になれるものだろうか。

 一方のティアに関しては、隣国の王女という誰もが興味をそそられる大人物でありながら、ラクサール王国にはほとんど情報が伝わってこなかった。公式の行事にはまったく姿を見せず、どのような容姿で、どんな性格なのかも謎であった。一部では、学問にかまけて遊びほうけている無能な姫様、という噂まで立った。

 いやいや、ヴァイス大学に入学している時点で、無能とはほど遠いでしょ。

 ディートは、軽く憤った。

 それにしても、とディートは思う。わざわざ越境してまでヴァイス大学に入学したにもかかわらず、なぜ実戦武術を選択するという、何のメリットもない、命の危険を顧みない行動を取るのだろう。王女であるならば、なおさらそんなことをする必要なんてないのに。

 再び、好奇心が頭をもたげてきた。

 どういう人なんだろう。

 話をしてみたい。

 命を取り合う相手になるかもしれないのに、そんな悠長なことを考えている自分が可笑しくなった。

 考え事をしていたら、いつの間にか公園に足を踏み入れていた。漆黒に包まれる中、葉擦れの音と虫の音が静かに響き渡っていた。

 公園の中央にある小高い丘まで移動したディートは、屈伸を始めた。

 せっかくの休みなのに、私はいったい何をやっているのだろう。

 頭上に瞬く星空を見ながら、自分に呆れていた。

 準備運動を終え、これから走りだそうとしたとき、背後から足音が近づいてきた。

 こんな時間に、誰だろう。

 恐る恐る振り返ると、暗闇の奥から人影が迫ってくるのが見えた。

 武術を極めることに熱心なディートだが、こと幽霊の類いについてはまったく耐性がなかった。幼い頃に祖母から聞いた怪談があまりにも恐ろしくて、長らくトラウマになっていた。

 悲鳴を上げそうになったディートだったが、人影の方が先に悲鳴を上げていた。甲高い女性の悲鳴だった。

 丘の上で派手に尻餅をついた人影は、背中と臀部をさすりながら悶絶した。

「大丈夫ですか」

 人影が幽霊ではないとわかったディートは、すぐに駆け寄った。

「あ、大丈夫です」

 痛みに耐えながら、女性は気丈に言った。闇に目が慣れてくると、女性は照れ笑いを浮かべていた。

 ディートが手を差し伸べると、女性はその手を握った。一瞬奇妙な違和感を覚えたディートだったが、握った手に力を込めて女性を立たせた。

「ありがとうございます」

 女性はぺこりと頭を下げた後で、服に付いた芝生を手で払った。

「すみません。驚かせてしまったようで」

「あ、いえ。私の方こそ」

 女性は、髪に付いた芝生を払った。

「丘の上に、長身の人影が見えたので、びっくりしてしまって」

「ああ、そうですよね」

 それはそうだ。

 暗闇の中で、大きな女が佇んでいたら、私だってびっくりする。

「何センチあるんですか」

「身長ですか。確か、百八十センチくらいです」

「いいなあ、うらやましい」

 ディートを見上げた女性は、無邪気に微笑んだ。

 身長は、百六十センチほど。年齢は、二十歳そこそこといったところか。とても愛らしくて、それでいて色香と気品を兼ね備えた顔をしている。

「私、ティアって言います」

 心臓が、大きな音を立てた。

 いや、まさか。

 ありふれた名前だし、そんなはずはない。

 こんな偶然、あってたまるか。

「私は、ディートと言います」

「かっこいい名前ですね」

 ティアは、うれしそうに頷いた。

 何、このグイグイ来る感じは。

 この子には、人見知りという概念はないのだろうか。

「こんな夜中に、何をされていたんですか」

 それはこっちの台詞だよ、と言いたくなったが、ティアの笑顔を前にすると強くは言えなかった。

「なかなか眠れなかったので、気晴らしに散歩でもしようかと」

「お近くに住んでるんですか」

「ええ、まあ」

 当然ではあるが、軍の官舎に住んでいるとは、口が裂けても言えない。

「私はちょっと離れたところに住んでいて、ここはヴァイスの友だちに教えてもらったんです。小さいけど、とても良い公園ですよね」

「ということは、ティアさんはヴァイス出身じゃないんですか」

 ディートの問いに、ティアは一瞬だけハッとなったが、すぐに笑顔に戻った。

「ラクサールの地方出身で、今は大学の寮に住んでいます」

 ティアの見え透いた嘘に、ディートはすべてを悟った。

 間違いない。

 この子こそ、エレル王国の王女、ティアだ。

 こんな形で、会うことになろうとは。

 興奮を抑えきれなかったディートだったが、表面上は冷静さを装っていた。

「ティアさんの方こそ、どうしてこんな夜更けに、わざわざここまで来ているんですか」

 ディートが訊ねると、ティアは困ったような笑みを浮かべた。

「長くなるので、よかったら座ってお話ししませんか」

 ティアの視線の先には、小さなベンチがあった。

「良いですね。ぜひ」

 ディートは、頷いた。

 決めた。

 王女との会話の中で、結論を出そう。

 ベンチに向かって歩いている間に、ディートはそう決意した。

 二人が腰掛けると、ベンチは少しだけきしんだ。二人の間の隙間は二十センチほどしかなく、息がかかりそうなくらいに近かったので、ディートは気恥ずかしかった。

 信じられない。

 私のとなりに、一国の王女様がいるなんて。

 まるで、夢でも見ているような気分だ。

 よくないこととは思いつつも、ディートはすっかり舞い上がっていた。

 そんなディートの思いを知らないティアは、神妙な面持ちになった。

「実は私、大学で武術を習っていて、今度親友と戦うことになったんです」

「そうなんですか」

 わざとらしくならないように気をつけながら、ディートは言った。

「親友はとても優しくて、だけど底が知れないほど強くて、私は彼女に、嫉妬に近い感情を抱いてしまっているんです」

 ディートは、息をのんだ。

 その親友というのが、五人の中の一人なのか。

「武術の先生は親友に、王立公園でのトレーニングを勧めました。親友と一緒の環境でトレーニングをしても、彼女を超えることはできない。そう考えて、この憩いの広場でのトレーニングを選びました」

 ひとつ息をはいた後で、ティアは続けた。

「親友との対戦の後は、大きな対戦があります。それは、本物の武器を使った、命の危険さえ伴う戦いです。私はそれまでに、もっと強くならなければならない。残された時間は、そう多くはありません」

「わからないですね」

 ディートが言うと、ティアはとなりを向いた。

「たかが大学の科目でしょう。なぜそこまで命をかける必要があるんですか。単位だって、他の科目で取ればいい。そんなの、馬鹿げてる」

 冷静なつもりだったが、つい本音が口をついて出てしまった。

 寂しげに微笑んだティアは、前を向いた。

「理屈じゃないんです。誰よりも、強くなりたい。ただ、それだけなんです」

 そんなの、私だって同じだ。

「なぜ、そこまでして、強くなりたいのですか」

「詳しくは言えませんが、私は近い将来、大きな仕事を任されることになります。仕事を円滑に進めるためにも、言葉に説得力を持たせたい。ただ知識を身につけるだけでは、駄目なんです。身体的な強さと精神的な強さがあってこそ、初めてその言葉に説得力が生まれる。私は、そう信じています」

 ディートは、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 私が思っていることと、一致している。

 ディートの目に映るティアの横顔には、風格のようなものが漂っていた。

「そこまでの覚悟がいるというのは、相当大きな仕事なんですね」

 ディートが言うと、こちらを向いたティアは苦笑した。

「ええ、嫌になるくらい。でも」

「でも」

「私は、その仕事を愛してますから。一生を捧げるつもりです」

 よどみなく、ティアは言った。

 その瞳には、一点の曇りもなかった。

 ディートは、身体の震えを抑えるのに必死だった。

 この子は、生まれながらにして指導者なのだ。

 そしてその運命を、進んで受け入れている。

 私は、彼女の足元にも及ばない。

「ひとつ、教えてください」

「はい」

「大きな対戦であなたは、相手に何を望みますか」

 一番訊きたかったこと、訊かなければいけないこと。

 その答え次第で、結論は変わる。

「もちろん、全力でぶつかってきてほしいです。私も、全力でぶつかります」

「もし、相手が躊躇したり、手を抜いたりしたときは、どうしますか」

 ディートの問いに、ティアは笑みをつくった後で、

「そのときは、絶望して、自分で首をかっきります」

 と、迷いなく答えた。

 その瞬間、ディートの中にずっとわだかまっていたものが、スウッといなくなった。

 ありがとう、王女様。

 結論が出ました。

「良い話が聞けました。おかげで、よく眠れそうです」

 ディートは、軽く伸びをした。

「それはよかったです」

 ティアは、にっこり笑った。

 腰を上げた二人は、軽く別れの挨拶をした後で、それぞれ別の道へ歩を進めた。

「ディートさん」

 足を止めたディートは、後ろを振り向いた。

「また、会えますか」

 ティアが訊ねると、ディートはこくりと頷いた。

「近い将来、必ず」

 ディートが答えると、ティアは屈託のない笑みを見せた。

 官舎へと続く道すがら、ディートはずっと自分の手を見ていた。

 ティアの手を握ったときの、一瞬の違和感。

 今なら、わかる。

 あれは、鍛え上げられた強者の手だ。

 朝陽が、徐々に空を染め上げていく。鳥のさえずりが、耳に心地よく響いてくる。

 王女は私が、最終試験官であることを、とっくに見抜いていた。

 だからこそ、迷える私を導いてくれたのだ。

 望むところです、王女様。

 もし私があなたと戦うことになったら、全力で殺しに行きます。

 あなたへの、感謝を込めて。

 微笑んだディートは、明るさを取り戻した空の底辺を見つめた。

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