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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
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02 こんにちはヴァイス大学

 馬車がヴァイスに到着したのは、翌日の朝のことだった。馬車を降りたティアは大きく伸びをして、ふうっと息をはいた。

 眼前には、ヴァイスの街並みが広がっていた。整然と立ち並ぶ近代建築に、活気あふれる商店街、ゴミひとつ落ちていないほどに整備された石畳の道、そのどれもがティアの心を躍らせた。

「姫様。本当にこちらでよろしいのですか。大学までは、まだだいぶ距離がありますが」

 ヘイスが訊ねると、ティアはこくりと頷いた。

「のんびり歩いて行くよ」

「そうですか」

「荷物はもう、寮に届いているだろうしね」

 ヘイスの胸に去来したのは、なんとも言えない寂しさだった。

 これまでさんざん振り回されてきて、顔も見たくないほどうんざりすることもあったのに。

「爺、大丈夫。卒業したら帰ってくるから」

 ヘイスの心を見透かしたかのように言うと、ティアは微笑んだ。

 その顔は母親のティルスにそっくりで、ヘイスは息をのんだ。

 なんと、お美しい。

「それまで、生きていてよね」

 茶目っ気たっぷりに言ったティアは背を向け、雑踏の中に消えていった。

 どうぞ、ご無事で。

 そう祈ったヘイスは、静かに頭を下げた。

 ヴァイスの光景を楽しみながら歩くこと二十分、視界にヴァイス大学の校舎が入ってきた。大理石で造られた巨大な学び舎は、その伝統と格式で見る者を圧倒した。

 校舎を見上げたティアは、目を輝かせた。

 今日から、お世話になります。

 いっぱい勉強させてください。

 心の中で、ティアは校舎に語りかけた。

 ヴァイス大学の学生寮は、校舎から五百メートルほど離れた郊外にあった。伝統的な建築物の校舎とは打って変わって、真新しいレンガ造りの建物だった。

 寮の玄関を入ると、屈強な守衛が立っていた。初顔のティアを見る目は、明らかに警戒していた。

「学生証を提示してください」

 守衛は、重い声で言った。

 真新しい学生証を見せると、険しかった守衛の表情がぱっと明るくなった。

「新入生のティア様ですね。ただいまお部屋を確認いたしますので、しばらくお待ちください」

 そう言って、守衛は玄関奥の小部屋に消えていった。表情だけでなく声色まで変わったのがおかしくて、ティアはたまらず吹き出した。

 ティアの部屋は、最上階である三階の一番奥だった。ドアを開けると、あらかじめ先に送っていた荷物の入った箱が並べられていた。

 両方の壁際にはベッドがひとつずつ、タンスと机もひとつずつ、要するに二人部屋なのだが、充分な広さと清潔感があった。王宮の自分の部屋は広すぎて落ち着かなかったティアにとっては、正に願ったり叶ったりの環境であった。

 窓辺に立ったティアは、広がる街並みに目をやった。ヴァイス大学の校舎のすぐとなりには、ラクサール王国の王宮があった。まるで巨大な二つの建物が、ヴァイスの街を睥睨しているかのようだった。

 窓を開けると、うららかな春の陽気とともに、賑やかな声が流れてきた。深呼吸をしたティアは、晴天をたゆたう雲を見つめた。

 ここから、私の新しい生活が始まるんだ。

 心の中で、そうつぶやきながら。

 荷物の整理を終えると、いつの間にか眠ってしまったようだった。長旅の疲労が、ティアを深い眠りに誘っていた。

 どのくらい眠っていただろうか。

 目を覚ましたティアがゆっくりとまぶたを開けると、眼前に人の顔の影があった。

「うわっ」

 驚いたティアが声を上げると、影も声を上げた。

 ベッドから飛び起きて身構えたティアの側で、ひとりの女の子が尻餅をついていた。

「ごめんなさい」

 腰を上げた女の子は、ぺこりと頭を下げた。窓から射しこむ夕日が、彼女の黒髪に光の輪を作った。

「あまりにも気持ち良さそうに寝ていたから、つい見入ってしまって」

 女の子は、恐縮したような笑みをつくった。豊かな黒髪は、肩の辺りで綺麗に切り揃えられていた。顔立ちは柔和で、背はティアよりも少し低い。灰色のトップスに茶色のロングスカートと、落ち着いた服装だった。

「私はノイ。今日からよろしくね」

 ということは、この子がルームメイトなのか。

 寝起きの頭でそう理解したティアは、手ぐしで髪を整えた。

「私はティア。こちらこそよろしくね」

 ベッドから降りたティアとノイは、握手を交わした。

「ティアは、軍人志望なの」

「え」

「なんとなく、そう思っただけ」

 ノイは、握手するティアの手に目をやった。

「特に志望している職業はないよ。いっぱい学んで、そこからやりたいことを見つけられたらいいかなって」

 ティアが手を離すと、ノイは小さく頷いた。

 なんだろう、不思議な子だ。

 握手しただけで、将来が見通せるとでもいうのかしら。

「私も同じ。見ての通りひ弱だから軍人なんか無理だけど、なんでもいいから国のお役に立てる人になりたい。それを見つけるために、ここに来たんだ」

 ノイは、目を輝かせた。

「国ってどこなの」

「ライマ」

「え、めっちゃ遠いじゃん」

 ティアは瞠目した。

 ライマとは、大陸の東端に位置する帝国だった。

 専制君主の皇帝の元で軍国主義を掲げ、皇帝への個人崇拝も顕著で、ここ数十年間は大きな戦争はなかったものの、周辺国は常に脅威にさらされてきた。ただ、大陸の西端にあるエレル王国との関係は、海上貿易を通じて比較的良好であった。

 ノイの強い意志、国の役に立ちたいという意思は、紛れもなく皇帝への個人崇拝からくるものだった。だがティアは、それを警戒しようとは思わなかった。逆にノイのことを、もっと知りたいという好奇心の方が勝った。

 ノイを通じて、遠すぎて現実味がなかったライマ帝国のことも詳しく知ることができるかもしれない。

「ティアも、ラクサール出身じゃないよね」

「どうしてそう思うの」

「なんか、言葉がちょっとなまってるし」

 ノイはクスクス笑った。

 ちくしょうめ。気をつけていたつもりだったのに。

 言葉遣いや礼儀作法に厳しい宮廷行事をサボり続けたつけが、ここにきて回ってきてしまった。

「お見込みの通り、エレル出身だよ」

「やっぱり」

「辺境のど田舎の村」

 咄嗟に、ティアは嘘をついた。別に王都エレル出身と言ってもよかったのだが、ノイは勘が鋭そうだったので、やめておいた。

「そうなんだ」

 ノイは、意外そうな顔をした。

「なんか変」

「ううん。雰囲気的に王都の、位の高い貴族の出身なのかなって」

 今日のティアは着飾っているわけでもなく、ごく一般的な服装をしていた。それこそ、ノイよりも地味目だった。

 知らず知らずのうちに、私はお姫様オーラを出していたのか。

 そんなもの、邪魔くさいだけなのに。

「それも、なんとなくなんだけどね」

 ノイは、照れくさそうに頭をかいた。

 だめだこりゃ。

 ばれる気しかしねえ。

 ティアは、笑うしかなかった。

 一階の食堂に入った二人は、夕飯として野菜たっぷりのスープと焼きたてのパンを食べた。食堂には他の学生もたくさんいて、あちらこちらで会話が弾んでいた。

「賑やかでいいねえ」

 ティアは、つぶやくように言った。広い王宮で、家族だけの食事が基本だったティアにとって、楽しく賑やかな食事は憧れでもあった。

「私は、ちょっと落ち着かないかな」

 ノイは、肩をすくめた。

「賑やかなの苦手」

「そういうわけじゃないんだけど、ライマだと食事の時間は私語厳禁だったから」

「どうして」

「食事の前には、必ず皇帝陛下の肖像画に手を組んで、お祈りするの。今日も平和な日常を、豊かな恵みをありがとうございますって。だから食事中の私語は、皇帝陛下への不敬に当たるの。物心ついたときからそうやってきたから、もう身体に染みついちゃった」

 苦笑したノイは、スプーンでスープを口に運んだ。

「でもここはラクサールなんだから、そういうことしなくていいんでしょ」

「うん。ラクサールでそういうことしたら、白い目で見られるだろうし。だから、じきに慣れると思うよ」

 食事のエピソードひとつ聞いても、ティアは息苦しさを感じた。

 ライマに生まれなくてよかった。私だったら、耐えられない。

 でも、ノイにとってそれは当たり前のことで、きっと大切なことでもあるんだよな。

 ここで私の価値観を押しつけるのは違うし、比べるものでもない。

 私がやるべきことは、見守ってあげること。

 困ったらいつでも手を差し伸べてあげられるように、準備をしておくこと。

 せっかくルームメイトになったんだもん。ノイが居心地が良いと感じてもらえるような部屋にしてあげなくちゃ。

「ノイ」

「ん」

「お祈りしたくなったら、言って」

 ノイはきょとんとした。

「お部屋なら、いつでもしていいからさ」

 周囲に聞こえないようなささやき声でティアが言うと、ノイは吹き出した。

「ティアって面白いね」

「へ」

「気遣いの方向が、なんかとっちらかってる」

 口に手を当てたノイは、吹き出して笑った。

 これって、褒められてるのかな。貶されてるのかな。

 まあ、ノイが楽しければいいか。

「よし、明日の入学式に備えて、たくさん食べるぞ」

 ティアは、目の前のパンを豪快に頬張った。

「入学式って、そんなに体力使うっけ」

 至極真っ当な疑問を呈したノイは、苦しそうに笑った。

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