01 いざラクサール王国へ
王宮の豪奢な門扉の手前で、ティアは振り返った。その顔は、寂寞たる両親の表情とは対照的に、晴れやかだった。
「お父様、お母様、行って参ります」
ティアが快活に言うと、母親のティルスの双眸から涙がこぼれ落ちた。
「気をつけて行くのですよ」
震えるティルスの肩に、傍らに立つ父親のフォートン五世はそっと手を置いた。
「たくさん学んで、立派な王女になるのだぞ」
フォートン五世は、かみしめるように言った。
微笑んだティアは、門扉が開かれると、両親に背を向けた。
「さ、姫様」
侍従のヘイスに促され、ティアは歩を進めた。
門扉の向こうには、幾分地味な黒塗りの馬車が待機していた。ヘイスが馬車の扉を開けると、ティアは軽やかに乗りこんだ。
王宮の門扉が閉められるのと同時に、馬車はゆっくりと動きだした。
車窓からは、エレル王国が誇る名峰、エイプス山脈が見えた。標高四千メートルを超える山脈は、麓の春色を拒むかのように真っ白に塗りつぶされていた。
エイプス山脈に目を輝かせているティアの対面で、ヘイスは小さく息をはいた。車輪の音と、馬の蹄の音が車内に心地よく響いてくる。
「何なの爺、辛気くさい顔して」
ティアが怪訝そうに言うと、やや前屈みになっていたヘイスは慌てて姿勢を正した。
「言いたいことがあるのなら、はっきり言ってよね」
「いえ、そのようなことは」
スーツのポケットからハンカチを取りだしたヘイスは、こめかみの汗を拭った。
ティア達が向かっているのは、エレル王国の隣国、ラクサール王国の王都ヴァイスであった。馬車で、丸一日はかかる長旅だった。
ヴァイスには、世界にその名を轟かせる最高学府のヴァイス大学があった。そこに見事合格したティアは、二日後に行われる入学式に出席する予定だった。
ヴァイス大学を受験する。娘の唐突な宣言に、フォートン五世は面食らった。エレル王国の王族であれば、王宮のすぐ近くにあるエレル大学へ進学するのが通例だった。王族は受験を免除され、面接のみで入学することができる。ましてやティアは国王であるフォートン五世の一人娘だ。当然のように面接すらも免除される。だがティアは、エスカレーター式にエレル大学へ入学するのをきっぱり断った。
ヴァイス大学といえば、世界中の頭脳が集結すると言われる名門である。数多の優秀な学者や政治家や軍人などを排出している最高学府を受験するというのだから、フォートン五世の驚きは幾ばくか。
また、フォートン五世を驚嘆させたのが他でもない、王女たるティアがエレル王国を出て隣国のラクサール王国へ行くということだった。
エレル王国とラクサール王国の関係は、険悪とは行かないまでも良好とも言いがたいものだった。フォートン五世の祖父であるフォートン三世の治世時には血で血を洗うような抗争を繰り返していたが、父であるフォートン四世の治世時には和平条約が結ばれ、以降は今日まで平穏な時代が続いている。だが、依然として貿易摩擦や領土問題で揉めることもあり、軍事衝突とまでは至らないまでも、政治的な小競り合いはもはや常態化していた。
そんな隣国に、王女が単身で乗りこもうとしているのである。最悪の場合、命を狙われる危険性だってある。当然のことながらフォートン五世もティルスも猛反対したが、ティアの意思は固かった。
私は、険しくても自分の道を行きたい。
誰かに用意された安全な道なんて、行きたくない。
ティアは、力強く言いきった。
揺るがない娘に、フォートン五世はついにヴァイス大学の受験を許可した。諦念が半分と、どうせ受かるはずがない、という娘への期待の薄さが半分だった。
だがティアの頑張りは、父親の想像を遙かに超えていた。哲学、科学、数学、物理学、天文学、すべての受験科目で高得点をたたき出し、見事に合格を果たした。届いた合格通知を誇らしげに見せつけるティアに対して、フォートン五世は思わずひれ伏しそうになった。
ヴァイス大学への入学に際して、フォートン五世はティアに条件を付けた。
エレル王国の王女であることは、くれぐれも内密にすること。
ごく一般的な学生として振る舞うこと。
エレル王国内では有名でも、ラクサール王国内となれば知名度はぐっと下がる。ティアという名前も、この世界ではさほど珍しい名前ではない。しかし、政治に関心がある者の中には、ティアの存在に気づいてしまう者もいるだろう。それに、エレル王国から越境入学するのは、何もティアだけではない。王女様がいる、とエレル王国出身の学生から一気に情報が拡散してしまう恐れもある。決して易しくはない条件ではあったが、ティアは二つ返事で了承した。ばれない自信があるというよりは、まあばれてもなんとかなるでしょ、という楽観的なものだった。
気づかれないように、ヘイスは対面に座るティアを一瞥した。十八歳となり、母親譲りの美貌に色香も加わって、王女としての気品は申し分なかった。だが問題は、その性格にあった。男勝りと言えば聞こえはいいが、要するに手の付けられないほどのおてんばなのだ。侍従長であるヘイスを筆頭に、臣下たちはこのおてんば娘に、幼少期の頃から散々振り回されてきた。
女子とはほとんど遊ばず、男子とばかり遊んだ。野山を駆けまわったり、戦争ごっこをしたり、湖を泳いだりして、しょっちゅう臣下達を慌てさせた。最初のうちは咎めていた両親だったが、返事だけは立派でまったく言うことを聞かない娘に業を煮やし、終いには放任を決め込んだ。
成長しても、ティアのおてんばぶりは変わらなかった。公務は堅苦しいから嫌いと言って欠席を繰り返し、学校の友だちと遊ぶことを優先した。さすがに思春期ともなれば男子だけとはいかず、女子とも遊ぶようになったが、遊びの内容は幼い頃とほとんど変わらなかった。野外で身体を動かし、たっぷりと汗をかいた。自然と腕っ節も強くなり、王女であることの忖度を抜きにしても、格闘においては並の男子ではかなわなくなった。
ああ、もっと強い奴と戦いてえ。
それが、ティアの口癖になった。
おとなしくいるはずがない。
ヘイスの危惧は、最高潮に達していた。
この御方は、必ずや問題を起こす。ことによっては、エレル王国が傾くほどの大きな問題を。
ため息をつきそうになるのを、ぐっとこらえた。
いったい姫様は、どなたに似たのだろう。
ふと、ヘイスは思った。
父親のフォートン五世も母親のティルスも性格は穏やかで、真面目に公務に取り組んでいた。
フォートン五世は争いを好まず、ラクサール王国を含め各国との安定した関係を築くのに腐心していた。
ティルスは王妃でありながら贅沢を好まず、慎ましやかに暮らしていた。宮中晩餐会などの公式行事以外でドレスを着ることはなく、庶民が着るような地味で動きやすい服装を好んだ。
国民生活の安寧のために我が身を犠牲にするような慈愛に満ちた方達から、なぜ嵐のような姫様がお生まれになったのか。
そうだ、先々代様だ。
姫様は、先々代様にとてもよく似ている。
ヘイスは、若い頃を思い返した。
先々代ことフォートン三世は、滅亡寸前のエレル王国を復活させた傾国の英雄であった。当時軍人として仕えていた若きヘイスは、フォートン三世の類い稀なる軍事の才能を目の当たりにしていた。
過酷な訓練を課して鍛え上げた騎馬隊や弓隊を指揮し、その機動力と正確性をもって敵軍を圧倒した。かと思えば、愛馬を駆って自ら先頭に立ち、躊躇なく敵陣へ突撃し、幾人もの敵将を討ち取った。
ヘイスの目には、まるでフォートン三世が戦場で踊っているかのように映った。
フォートン三世に率いられたエレル王国軍は破竹の勢いで進軍し、ラクサール王国に奪われたかつての領土を取り戻しただけでなく、さらに領土を拡大した。
その一方で、占領下では凄惨な殺戮が行われていた。
フォートン三世は、少しでも反抗的な態度を取った村落や集落があれば、そこの住民を皆殺しにするよう命じた。女や子ども、老人さえも容赦がなかった。
ヘイス自身も、泣きわめいて命乞いをする母子を手にかけたことがあった。王の命令とは言え、耐え難い苦しみだった。未だに夢でうなされることがある。
ラクサール王国の王都ヴァイス攻城戦の最中、流れ矢に当たったフォートン三世は、その傷が元で戦死した。指揮官を失ったエレル王国軍はヴァイスから撤退し、およそ十年にも及んだ戦いは幕を閉じた。
息子であり先代のフォートン四世の尽力により、ラクサール王国と和平が結ばれたものの、ヘイスと同年代の者にとっては、フォートン三世のラクサール王国内での虐殺行為は、一向に消えない悪夢として残り続けていた。
ティアは、まごうことなきフォートン三世の曾孫である。エレル王国では英雄でも、ラクサール王国では憎むべき侵略者である。そんなかつての侵略者の曾孫が、大学に入学という形で言わば王都ヴァイスに乗り込んでくるのだ。平穏無事に済むことなど、ありえない。
にもかかわらず、ティアには不安のかけらさえも見られなかった。むしろ、期待に胸を膨らませているのが手にとるようにわかった。敵陣に身ひとつで乗りこむようなことなのに。
豪胆なのか、単なる馬鹿なのか。
「爺」
「は」
「馬鹿って言ったね」
我に返ると、ティアはヘイスのことをまっすぐ見つめていた。
しまったあ。心の声が漏れてしまったあ。
「言っておりません」
声が震える。背中に冷たい汗をかいた。かつて戦場でも感じたことがないほどの緊張感だった。
「次言ったら殺すから」
言葉とは裏腹に、ティアはにっこり笑った。
屈託とは真逆の、張りついたような笑顔。
まさしく、先々代様と瓜二つ。
膝を震わせながら、ヘイスはそう思った。




