15 ノイのヴィジョン
その日の夕方。寮の食堂に、ティアとノイの姿があった。
いつもはお互いのクラスのことや、講義のことで話が弾むのだが、今日に限っては二人とも黙々と夕飯を口にしていた。
いろいろなことがありすぎて、ティアは心身共に疲弊していた。食欲もあまり湧かず、具の少ないホワイトシチューをちびちびと口に運んでいた。ノイもそうなのか、パンを細かくちぎって、小鳥が突くようにチマチマと食べている。
ノイに訊きたいこと、整理しておきたいことはたくさんあるけれど、なかなか話すタイミングがつかめない。目の前にいるノイが、昨日までのノイと違うような感じがして、気後れしていた。
あの子、相当強いわよ。
また、アニスの言葉が頭をよぎった。
こんなにずっと側にいるのに、私は一切気づかなかった。
最後の、あの型。
あの型を防いだり躱したりするイメージを、私はまったく持てていない。
真っ二つになって、運動場に夥しい量の鮮血をぶちまけるイメージなら、簡単に作り出せる。
一体アニスは、ノイのどこに、その才能を見出していたのだろう。
「疲れた」
沈黙を破ったのは、ノイだった。
「明日、絶対に筋肉痛だね」
ノイは、苦笑した。
「そうだね」
いつものノイの笑みに、ティアは心がスッと軽くなった。
ノイはノイだ。変わってなんかいない。
「しかし驚いたよ。まさか、ノイが実戦武術を受講するなんてさ」
「ごめんね。怒ってる」
ティアは、首を横に振った。
「全然。むしろ、先に言われたら絶対に反対してたし」
「うん。わかる気がする」
ノイは、頭をかいた。
「そもそも、どうして受講を決めたの」
ティアは、ずっと訊きたかった問いを、ノイにぶつけた。
「選択科目なんだし、他の科目で単位を取る方が遙かに楽なのに」
パンをちぎる手を止めたノイは、小さく息をはいた。
「本当は私、ヴァイス大学に入学する予定じゃなかったの」
「え」
「両親は、私がヴァイス大学に行くことを、ずっと反対していたんだ」
ティアは、瞠目した。
ヴァイス大学への進学を反対する親なんて、聞いたことがない。それこそ、行きたくても行けない人なんて山ほどいるのに。
「訊きにくいんだけど、それって、経済的な理由とか」
「半分正解で、半分不正解かな。両親は私に、帝国の防衛大学に進んでほしかったの。そこは全寮制で学費もただで、ひたすら軍事に関する知識と技術を叩き込まれる、軍部のエリート養成所みたいなところなんだ。さしずめ、ラクサールで言えば、陸軍大学校に近いかな」
脳筋バーサーカー。
レムの言葉が、頭をよぎった。
「学力も高いから、帝国の軍幹部はほとんどが防衛大学出身なの。帝国は軍部が何より優先されていて、待遇もお給料も破格なんだ。だから、帝国の子供達は、親から防衛大学への進学を期待されるの。私もご多分に漏れずにね」
「相当狭き門なんだ」
「うん。それに、私の両親も防衛大学を志望して受験したんだけど受からなくて、そのことがずっとコンプレックスだったみたい」
「じゃあノイは両親から、自分たちが叶わなかった夢を押しつけられたの」
「押しつけられたっていうのは違うかもしれないけど、帝国の子供達はみんなそうだったよ。帝国に生まれたからには、防衛大学を目指せって。もはや、国是みたいになっていた」
なんだか、息が詰まりそうだな。
ティアは、帝国の子供達が気の毒に思えた。
「私も、何の疑いもなく防衛大学を目指していて、実際に合格ラインには達していたんだけど、土壇場になって志望校をヴァイス大学に変更したの。その時の両親の慌てぶりったら、見ていられなかったな」
ノイは、寂しげに笑った。
「改めて訊くけど、どうしてノイはヴァイス大学を選んだの」
「いろいろあるけど、一番はやっぱり帝国の外を見てみたいっていう、純粋な好奇心かな」
私と、一緒だ。
「行けるチャンスがあるのなら、行ってみたいって。でもそれだけじゃ、両親もなかなか納得してくれなくて。もう数えきれないほど話し合ったんだけど、最終的には両親の方が折れたの。条件付きでね」
「条件って」
「ヴァイス大学を卒業したら、必ず帝国の軍部に就職すること」
「でも確か、入学したての頃は、私はひ弱だから軍人なんて無理だって言ってた気がするけど」
「その時は、本当にそう思っていたの。両親との条件も、ヴァイス大学に行きたいから、形だけで実際には反故にしちゃってもいいかなって思っていた。今考えると、最低だよね。でも、大学生活を送っていくうちに、どんどん両親のありがたみを感じるようになっていったんだ」
ノイの瞳に、憂いが帯びた。
「両親は林業を営んでいて、帝国の平均以上の収入はあるんだけど、それでも学費を捻出するのは大変で、相当苦労をかけている。だから、両親の望みは叶えてあげたいって思うようになったの」
ティアは、胸が痛くなった。
「それで、軍部に就職するためにも、少しでも軍事に関する知識は身につけたいと思ったんだ。実戦武術を選んだのも、その一環で」
「だったら、なおさら選ばなくてもよかったのに」
「え」
「知識を得たいのなら、座学で充分でしょ。わざわざ命の危険を伴う実戦武術なんか、選ぶ必要ないじゃん」
ティアが語気を強めると、ノイは首を横に振った。
「軍部では、強さこそが正義なの。いくら知識があったって、実力が伴わなければ昇級できない」
「昇級して、何を望むの」
ティアの問いに、ノイはひとつ息をはいた後で、
「私は、帝国を変えたいと思ってる」
と、かみしめるように言った。
ノイの眼に宿った光に、ティアは息をのんだ。
「そのためには、出世しないと」
「帝国を、どう変えたいと思っているの」
「私の中でヴィジョンは固まりつつある」
「ヴィジョンって」
「それは言えないけど、ひとつだけ言えるのは、帝国の風通しを良くすることかな」
ノイの表情は、いつもの柔和なものに戻った。
「抽象的過ぎて、よくわからない」
「だよね。私もそう思う」
「でも、死んだら終わりだよ」
「え」
「死んだら、そんなヴィジョンも画に描いた餅になる」
ティアは、ノイの手を握った。
「実戦武術は、辞退しよ。私も一緒に辞退するから」
ティアの切実な言葉に、ノイは微笑んだ。
「ありがとう。優しいね、ティアは」
ノイは、ティアの手を握り返した。
「でも、私は死ぬつもりはないよ。本気で、親衛隊に勝ちに行く」
ノイの言葉に、ティアは身体が震えた。
「それに、死んだらその程度の人間だったってことが証明されるだけだから、わかりやすいでしょ」
ノイは、にっこり笑った。
その笑みが、普段のものとは違って、冷たいようなものに見えた。
食堂の喧騒が遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった。




