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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
13/38

13 平和の定義

 結局、一睡もできずに、朝を迎えた。寝間着から普段着に着替えたティアは、櫛で手早く髪を整えた。

 ノイは、改めて昨日の涙の訳を訊きたかったが、ティアの思い詰めたような表情を見たら、何も言えなくなった。

 朝食も摂らずに、ティアは大学に向かった。眩しい陽光が、不眠でぼんやりとする頭を容赦なくかき乱してくる。

 教室に入ると、すでにアニスが席にいた。ティアを一瞥したアニスは、いつものように頬杖をつき、つまらなそうに窓の外を眺めた。

 席に着くなり、ティアは机の上に突っ伏した。深いため息が、教室を漂った。

 外の鳥のさえずりがくっきりと聞こえるほどに、教室は森閑となった。ティアはぎゅっと目をつむり、息を潜めた。

 長い沈黙を破ったのは、アニスだった。

「ひどい顔ね」

 アニスの皮肉たっぷりの声を耳にしたティアは、やおら顔を上げた。

「脳天気そうなあなたでも、悩むことがあるのね」

 アニスは、冷ややかな目を向けていた。

「話してごらんなさい」

「え」

「あなたがそんなに腑抜けていたら、こっちまでおかしくなりそう」

 訊いてくれるの。

 私の、話を。

 一気に脳が覚醒したティアは、昨日の出来事をまくし立てるように話した。もちろん、フォートン三世のことは上手くごまかしながら。目を一切合わさず、相づちも打たないアニスだったが、耳だけはティアの方を向いていた。

 ティアが話し終えると、アニスはひとつ息をはいた。

「くだらない」

「は」

「そんな簡単に答えを見つけられたら、とっくの昔に争いなんてなくなっている」

 ティアは、瞠目した。

「人間は、農耕を始めてから、自分の財産を持つことができるようになった。戦争とは、言わば財産の奪い合い。あの人よりも、財産が欲しい。だったら、あの人から奪ってしまえばいい。それは現代でも続いている、カルマのようなもの。私達人間は、そこから決して逃れることはできない」

 アニスは、まっすぐにティアを見つめた。

「人間には、様々な感情がある。それらをすべてコントロールすることができたら、恒久的な平和は実現できるかもしれない。でも、そんな均一化された無個性な世界なんて、気持ち悪いでしょ。想像しただけでも、吐き気がする」

 アニスは、眉をひそめた。

「個性と個性がぶつかって、争いが起きる。人間が人間らしく在るためには、避けては通れない道。あなたは、感情や自分の意思や個性を捨ててまで平和を望むの」

 アニスの問いに、ティアは首を横に振った。

「私達にできることは、過去の戦争を反省し、二度と起こさないように分析をすること。それでも、きっと戦争は起きる。反省と分析を繰り返し、なるべく被害を少なくすること。私の考える平和は、そういう不完全な平和」

「不完全な、平和」

「あなたの考える平和って、何。誰もが笑って豊かに暮らせて、肩を組んで朗らかに語り合うような、反吐が出そうなくらいに甘ったるい平和なの」

 ティアは、唇をかみしめた。

「よく考えることね。正解なんてないでしょうけど」

 アニスは、長い髪をかき上げた。

「見つけたい」

「え」

「アニスの言うとおり、正解なんてないかもしれないけど、自分なりの答えを見つけたい」

 ティアの瞳に、光が戻った。

「だったら、見つけなさい。幸いにも、ここヴァイス大学には、あなたの答えのヒントになるようなものがたくさんあるのだから」

 険しかったアニスの表情が、少しだけ和らいだ。

「ありがとう、アニス」

 ティアが白い歯をこぼすと、アニスは目をそらした。

 少しして、リデルとミーアが教室に入ってきた。

「おっはよう、二人とも。今日の講義も頑張ろうね」

 ティアは、二人の肩に腕を回した。

「なになに、いつになくテンション高いけど」

「ていうかティア、その目の下の隈はなんなの」

 戸惑う二人がおかしくて、ティアは声を上げて笑った。

 まったく、世話の焼ける子ね。

 窓の外を見つめながら、アニスは心の中でつぶやいた。


 本当に、嵐のような子。

 深い眠りについたティアの寝顔を見つめながら、ノイは微笑んだ。

 今朝はこちらが心配になるくらいやつれた表情をしていたのに、夕方になるといつもより元気になって帰ってきて、夕飯をもりもり食べたと思ったら、寝間着に着替えもせずにベッドに飛びこんで、そのまま眠ってしまった。

 夕飯の際に訳を訊いたら、平和について考えたら眠れなくなって、次の朝にアニスと平和について話したらすっきりしたらしい。

いつの間に、アニスさんとそんな深い話をする仲になったのだろう。全然心を開いてくれないって、ぼやいていたはずなのに。

私も、ティアみたいなコミュニケーションお化けになれたらな。

 ティアのはだけた掛け布団を元に戻したノイは、自分のベッドに腰を下ろした。

 平和、か。

 ノイの脳裏に、故郷のライマ帝国の情景が浮かんできた。

 ここ数十年間は他国との戦争もなく、対外的には落ちついていた。豊かな鉱物資源に恵まれ、安定した貿易黒字により、国民の生活水準も高い。一見すると、恵まれた国のように思われた。

 だが、実際のところは、専制君主である皇帝の独裁が続いていた。

議会は皇帝の意思を確認するだけの機関であり、皇帝の意思に反する行動を取る議員は皆無だった。というよりも、そのような考えを持つ者は議員にすらなれない。すべてが、皇帝の意のままに操られていた。

 皇帝への個人崇拝も、年々強固なものになっていった。各家庭には皇帝の肖像画を掲げることが義務づけられ、学校や職場では毎朝、皇帝を賛美する国家の斉唱が行われていた。

 他国との貿易には積極的だったが、国外への旅行は厳しく制限された。逆に旅行者の受け入れもかなり制限され、政府の要人レベルでないと入国は許されなかった。帝国政府は、反政府組織の結成に繋がりかねないとして、他国からの情報流入にとても神経をとがらせていた。

 そんな閉鎖的な帝国ではあったが、唯一ヴァイス大学への進学だけは許していた。最高学府の俊英は、帝国も喉から手が出るほど欲していた。そのとてつもなく狭き門をくぐり抜けたのが、他ならぬノイだった。

 帝国での日々は、とても穏やかだった。平和といって、差し支えなかった。皇帝への崇拝も、ごくごく当たり前のこととして受け入れていた。もはや、食事を摂ることとかわらない、日常のひとつに過ぎなかった。

 だが、ヴァイス大学へ入学すると、現実を目の当たりにした。ライマ帝国出身と言うだけで顔をくもらせたり、目をそらされたりした。ティアのように興味津々に近づいてくる人の方がずっと稀で、警戒してくる人の方が圧倒的に多かった。それだけ、ライマ帝国の現状が、皇帝への個人崇拝が、他国には奇異なこととして捉えられているのだろう。

 ノイも、理解していた。帝国の平和は、偽りの平和であると。

 ノイが生まれる何十年も前に、帝国では大規模な粛清の嵐が吹き荒れた。少しでも皇帝に批判的な言動をしたら、帝国内に張り巡らされた秘密警察によってすぐに捕らえられ、裁判も経ずに即刻処刑された。裏切り、密告が相次ぎ、何の罪もない国民が、次々と処刑台に送られていった。

 一説には三十万人以上が処刑され、ひとつの村ごとなくなったという噂もあった。帝国政府はその事実を徹底的に隠蔽したが、その恐怖は国民の心に深く根づいていた。

 ヴァイス大学に入学して、ノイが最初に思ったのは、行き交う人びとの笑顔がごく自然であることだった。帝国にいたときは、特に大人達の笑顔が、作り物のように感じられることがあった。

 帝国の日々は穏やかだったと感じていたが、大学生活を送っていくうちに、あれは緊張感に満ち満ちていた日々だったのだ、とノイは思うようになった。

 確かに他国との戦争はしばらく起きていないし、経済的にも豊かだから、その点は平和と言えるのかもしれない。

 でも、心の平和って、帝国にはないよね。

 みんな、何かに怯えて、心を殺しながら暮らしている。

 それって、幸せって言えるのかな。

 私にできることって、いったい何だろう。

 ノイは、そっとベッドに身体を横たえた。

 ティアの深い寝息に、耳を傾けながら。

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