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戦場のティア  作者: 白崎由宇
第一章 大学編
12/38

12 ヴァイス攻城戦

 午前の兵法学の講義を終えたティアは、昼食を済ませると、ひとりで王立公園に向かった。

 昼下がりのうららかな陽気に誘われてか、公園は多くの人で賑わっていた。屋台も出ていて、焼き菓子の甘い匂いが立ちこめている。

 緑のトンネルの中を、ティアはのんびりと歩いた。賑わいは徐々に聞こえなくなり、その代わりに葉擦れの音が心地よく響いてきた。

 公園の片隅にある銅像の前で、ティアは足を止めた。

 崩れかけの壁を背に、五人の兵士が必死に何かを叫んでいる。石でできた銅像の台座には長方形の銅板がはめ込まれてあり、こう書かれていた。

『ヴァイス攻城戦跡地 この悲劇を繰り返してはならない』

 近くにあるベンチに腰掛けたティアは、銅像を見るともなく見上げた。

 一人になりたいとき、ぼうっとしたいとき、ティアはよくこの公園を訪れていた。特に、兵法学の講義で気分が昂ぶってしまったときには、クールダウンも兼ねて行くことが多かった。

 ヴァイス攻城戦。

 歴史の教科書には必ずと言っていいほど載っている、エレル王国軍とラクサール王国軍との凄惨な戦い。

 五ヶ月にも及んだ長期戦で、両軍合わせて十万人以上、一般市民も合わせると十三万人以上の死者を出したこの地獄のような戦争は、エレル王国軍総大将、フォートン三世の戦死という形で幕が降ろされた。

 救国の英雄として、エレル王国では今もフォートン三世は神格化されている。至るところに銅像が建てられ、肖像画が掲げられていた。世代交代が進み、戦争を知らない若者が増えてきた現代においても、歴史の授業ではフォートン三世の偉業が讃えられ、数多くの英雄譚が出版されたことにより、その人気は衰えることがなかった。

 もちろん、直系の子孫であるティアも、曾祖父の偉業を物心ついた頃から叩き込まれていた。

 大きくなったら、ひいお爺様みたいな英雄になりたい。

 憧れは、膨らむ一方だった。

 だが、好奇心から歴史を詳しく調べていくうちに、エレル王国内では禁忌とされてきたフォートン三世の負の側面を知ることになった。

 占領した地域での、容赦のない虐殺、略奪、破壊行為。捕虜への虐待と、強制労働、流れ作業的な大量処刑。目を覆いたくなるような、ありとあらゆる鬼畜の所業に触れたティアは、吐き気をもよおすほどの嫌悪感を覚えた。

 ティアの、フォートン三世に抱く感情は、とても複雑だった。負の側面を知っても、嫌いにはなれなかった。フォートン三世がいなければ、エレル王国はとうの昔に滅亡していただろうし、自分が生まれてくることもなかった。

 軍事的才能だけでなく政治的感覚にも優れていたフォートン三世は、香辛料栽培の奨励などの農地改革を断行し、破綻の一歩手前だった王国の財政を、ものの見事に復活させた。

 滅亡寸前の国家を立て直すということは、至難の業だ。決して、綺麗事だけでは済まされない。時には、悪事に手を染めなければならないこともある。それはティアも頭では理解しているが、数多の残虐な所業を受け入れることはできなかった。

 時折、ぞっとすることがある。自分には、確実にフォートン三世の血が流れている。

 いつかその血から、悪の花が芽吹き、一斉に咲き誇り、自分を暗闇に引きずり込んでしまうのではないかと。

 北西の方向、公園のすぐ側に、石造りの大きな建物があった。

 戦争記念館。

 戦争の記憶を絶やさないために建てられた、言わば負の遺産。

 リデルに教えてもらってから興味はあったが、足は向かなかった。きっと、フォートン三世の悪行の数々が展示されているだろうから。ひどい行いをしてきたからそれも当然なのだが、それでも曾祖父への激しい非難を目にすることははばかられた。

 ここで、逃げちゃいけない。

 ちゃんと、向き合わなくちゃ。

 意を決したティアは、ゆっくりと腰を上げた。

 戦争記念館は、まるで貸し切りのようにがらんとしていた。ティアの靴音が、高い天井に反響している。

 入口近くには、古代の武器が展示されていた。石を砕いて木の棒に紐で結わえた簡素な槍や、木の板を重ねて紐で結んだ盾。展示台に備えつけられた本には、その武器に関する解説が書かれていた。先に進んでいくごとに、武器は徐々に洗練されていく。

 中央付近から、武器や防具の展示と共に、ラクサール王国の歴史が解説されていた。

 建国から五百年以上経った今もなお、大陸一の領土を誇るこの国が、いかにして大きくなってきたかが、熱のこもった文章で解説してあった。数々の戦争と、そこで活躍した英雄達の武勇伝が、本には事細かく記されていた。

 エレル王国出身のティアは、その解説を読んで、あまり良い気分はしなかった。ラクサール王国の英雄はすなわち、エレル王国にとってはそのほとんどが憎むべき敵将であったからだ。それは、フォートン三世に抱くラクサール王国の国民の気持ちと同じと言ってよかった。

 国が変わっても、気持ちは変わらないか。

 人間って、本質的に、そういう生き物なんだろうね。

 ティアは、読み終えた解説の本をそっと閉じた。

 最後の展示は、やはりヴァイス攻城戦だった。ティアはひとつ息をはき、昂ぶった気持ちを鎮めてから展示物に向き合った。

 そこにあったのは、崩れた城壁、傷ついた鎧、焼け焦げた服、おびただしい数の弓矢、粉々に砕けたレンガなど、攻城戦の凄まじさを想起させる品々だった。欠けた城壁には、血痕と思しき黒い染みがべったりと付着していて、その生々しさにティアは目を背けたくなった。

 来なければ、よかった。

 ここには、人間の醜さと愚かさが詰め込まれている。

「お若いのに、感心ですな」

 背後から声をかけられたティアは、振り向いた。

 杖をついた八十代くらいの男性が、静かに立っていた。

「ここへは毎週のように訪れていますが、年々来館者が減ってきている。特に、あなたのような若い世代はとんと見かけなくなった」

 男性は、寂しそうにつぶやいた。

「ヴァイス攻城戦に、ご興味がおありかな」

 男性の問いに、ティアは少し思案してから答えた。

「私の親族が、この戦いで命を落としているんです」

「なんと」

 男性は、目を見開いた。

「もうだいぶ前の世代の人なので、全然実感は湧かないんですけど、こうして見ていると、胸が苦しくなります」

「そうですか」

 男性は一歩前に進み、展示物を見上げた。

「私は、一兵卒として、この戦いに参加しました」

「え」

「夥しい数の死体を、目の当たりにしました。壁が破壊される音、兵士達の咆哮と絶叫、泣き叫ぶ女性や赤子の声、そのどれもが、私の耳にこびりついて離れません」

 男性は、少し目を潤ませた。

「地獄すら生ぬるいこの状況で、私は生き延びました。いえ、生き延びてしまったのです。多くの仲間の犠牲の下に」

 ティアは、男性の横顔を見つめた。

「戦争に、善も悪もない。勝者も敗者もない。あるのは、悲しみだけです」

 男性の言葉は、ティアの胸を締めつけた。

「それなのに、人間は数百年、数千年と争いを繰り返してきた。ほんの些細なことがきっかけで、多くの人の血が流れたのです」

 男性は、深いため息をついた。

「生き延びた私の役割は、こうして戦争の悲惨さを後世に伝えていくこと。それはもはや、使命だと感じています。人間が人間である限り、争いはいつかまた必ず起きる。それを少しでも防いでいくために、私はこれからも語り継いでいこうと思っています」

「戦争は、なくならないんですか」

 ティアが訊ねると、男性は柔らかく微笑んだ。

「あなたのような方が増えれば、いつかきっとなくなるでしょうね」

 男性の顔が、滲んで見えない。

 知らず知らずのうちに、泣いていた。

 その日の夜は、なかなか寝つけなかった。となりのベッドでスヤスヤと寝息を立てるノイを起こさないよう、ティアはそっとベッドから降りて、窓辺に立った。

 窓の外には、ヴァイスの街明かりが広がっていた。夜も遅かったが、街明かりは人びとの生活を色濃く反映していた。

 この街の平和は、たくさんの犠牲の上に成り立っている。

 石畳の道路には、今もきっと多くの市民の血が染みこんでいる。

 ひいお爺様。

 あなたの耳には、届かなかったのですか。

 ラクサールの人びとの、平和を願う声が。

「ティア」

 振り向くと、ノイが薄目を開けていた。

「ごめん、起こしちゃったね」

 しゃがんだティアは、ノイの頭をそっと撫でた。

「私も、もう寝るから」

 ノイの頬に、一滴の水が落ちた。

「どうして、泣いているの」

 ノイが訊ねると、ティアは小さく首を横に振った。

「何でもないよ」

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