第21話
砦の守備線は、血と泥にまみれていた。
朝から続く白兵戦で、土煙が立ち込めていた。
視界は10メートル先もぼやける。
味方の負傷者が次々と担架で後送されていく。
ズシャッ!
肉を裂く音が響き、悲鳴が絶えない。
「右翼が崩れかかってる! 援護を寄越せ!」
ヴィルヘルムが剣を振り回した。
喉を裂くように叫ぶ。
髪が額にべったり張りついている。
肩で息をしながら歯を食いしばる。
「もう限界だ……盾が持たない!」
近くの重装歩兵が盾を構え直すが――。
ズブッ!
敵の槍が隙間を突き、肩を深く抉った。
「ぐあっ!」
男は膝をついた。
盾がガランと地面に落ち、泥に沈む。
ギュスターヴが馬上で声を張り上げた。
「予備隊を投入しろ! 中央を死守せよ!」
だが予備の兵も半分を失っていた。
レオハルトは剣を握りしめ、敵兵を斬り伏せながら前進していた。
指の傷が開き、柄が血で滑る。
「っ……!」
敵の騎士が馬を蹴り、グンッと距離を詰めてきた。
大きく剣を振りかぶる。
真正面から斬りかかってきた。
レオハルトは体勢を崩した。
――避けきれなかった。
「こんな所で……!」
走馬灯のようにアリスティアの顔が浮かぶ。
あの丘の上で腕の中で微笑んだ横顔。
好きだ、と伝えておけばよかった――。
ドスッ。
鈍い音が響き、振りかぶっていた敵騎士の体が前のめりに崩れ落ちた。
胸から背中まで矢が突き抜けている。
敵兵がレオハルトに覆いかぶさる。
彼は反射的にその死体を横に流し、顔を上げた。
遠く土煙を蹴立てて駆けてくる集団。
黒と金の旗。
百合薔薇部隊の三人が先頭に立ち、その中央に――。
アリスティアがいた。
左手には見慣れない形状の弓。
普通のロングボウより短く、両端が反り返っている。
複雑にカーブしている。
リカーブボウだ。
コンパウンドボウの試作過程で生まれた副産物だった。
百合薔薇部隊が前線に持ち込んだ隠しの切り札。
「アリスティア様だ!」
味方兵が叫ぶ。
彼女は馬を飛ばしながら次々と矢を番え、放つ。
リカーブボウの弦が鋭く鳴るたび、敵の騎馬が転倒していく。
「レオハルト!」
アリスティアは馬を止める間もなくドサッ! と飛び降りた。
土を蹴って全力で駆け寄ってきた。
レオハルトが呆然と立ち尽くす中――。
令嬢は両手を伸ばして彼の首に腕を回した。
ギュッと抱きつき、唇を重ねた。
柔らかく熱く、血と汗の匂いが混じるキス。
レオハルトの目が見開かれる。
周囲で戦っていた騎士たちが剣を振る手を一瞬止めた。
「うおおおお!」
「やりやがったな!」
──時を同じくして。
敵陣の後方、小高い丘の上。
白銀の近衛旗と王家の紋章がはためく指揮陣。
馬上に座る金髪の青年──ルドルフは聖戦の総司令として前線視察に来ていた。
そしてはっきりと見えた。
あの金髪。
変わった体躯──細く引き締まり戦場に似合わぬ美しさ。
でも間違いない。
あれはアリスティアだと確信した。
そして彼女が抱きついている男。
互いに唇を重ねている。
ルドルフの指が握りしめたまま白くなる。
「……アリスティア」
胸の奥が熱く苦しく締めつけられる。
母上の声が頭の中で響く。
『あの女はあなたに相応しくない』
でも今の彼女は輝いていた。
そして幸せそうで――。
副官が慌てて駆け寄る。
「殿下! 教国軍から撤退命令が出ています! エルトリアから介入があった模様!」
ルドルフは頰が引きつり唇を噛む。
「……撤退だ」
命令は短く掠れていた。
馬を反転させながら最後に一度だけ振り返る。
アリスティアはあの男と笑い合っている。
ルドルフの拳が鞍を叩いた。
ドンッ!
「……母上」
アリスティアはゆっくりと唇を離し、両手でレオハルトの顔を包んだ。
涙がぽろぽろと頰を伝い、彼の甲冑に落ちる。
「よかった……生きてて……」
レオハルトは固まったまま言葉を失っていた。
胸がドクドクと鳴り頰がカッと熱くなる。
耳まで真っ赤に染まる。
「……ア、アリスティア?」
声が上ずった。
彼女は小さく笑った。
「……続きは後でね」
その時味方の騎士団が一斉に声を上げた。
「まだ戦いの最中だぞ! 副司令補佐!」
レオハルトが我に返り剣を握り直す。
アリスティアもカーブボウを構え直し背中合わせに立った。
すると遠くから角笛が低くブオオオ……と鳴り響いた。
敵陣の白銀の聖騎士団がピタリと動きを止めていく。
馬を反転させながら隊列を整え始める。
数百メートル先で銀の鎧が徐々に遠ざかっていく。
グランベルク軍の猛攻を受けつつも整然と後退を始めた。
レオハルトが眉を寄せる。
「いったい……これは?」
アリスティアは呟いた。
「ありがとう、セレスティン」
――時間は少し遡る。
アリスティアはまだ馬車の中だった。
セレスティンが口を開く。
「アリスティア・グランベルク」
少年の声がいつもの甘えた調子から一変した。
低く冷たく落ち着いたものに変わった。
「この戦い勝たせてやろう」
アリスティアはセレスティンを見た。
そして胸に手を当て膝をつく。
護衛の騎士二人が息を呑んだ。
「お嬢様、一体……何を」
少年が告げた。
「俺はエルトリア帝国の第6皇子セレスティン・エルトリアだ」
騎士たちが腰の剣に手を伸ばす。
アリスティアは手を上げて制した。
セレスティンは気にせずに続ける。
「私を戦場に戻せ。話を付けてやる」
彼女は立ち上がり騎士たちに向き直った。
「アリスティア・グランベルクとして命じます。この方はエルトリア帝国の第6皇子セレスティン・エルトリアで間違いありません。今すぐこの方を連れて教国の指揮系統へお連れなさい」
騎士の一人が声を震わせた。
「しかし副司令補佐これは」
「私の命令です」
アリスティアは揺るがなかった。
馬車の扉が開く。
令嬢はステップを優雅に降り、スカートを広げて膝をつく。
両手を重ね、頭を垂れ貴族礼を捧げた。
セレスティンはそれを横目で見て鼻を鳴らした。
「『貸し』だとは思っていない」
別の馬車が横付けされ、護衛の騎士たちが少年を丁寧に誘導する。
馬車が戦場へと向かっていく。
百合薔薇部隊の三人が駆け寄ってくる。
「アリスティア様!」
カタリナが満面の笑みで手を振る。
「迎えに来ましたよ! 要塞が危ないって聞いて飛んできました!」
クラリスが続けた。
「ゲルハルト中佐からの急報です。150名の精鋭を連れてきました」
ソフィーネが布に包まれた弓を手渡す。
「リカーブボウも完成しました」
アリスティアはそれを受け取り、弦を弾いた。
「ありがとう……みんな」
カタリナが声を張った。
「さあ行きましょう! まだ間に合います!」
――そして時は戻る。
もう一つの角笛が鳴り響いた。
今度は王国軍の陣からだ。
白銀の聖騎士団に続き王国正規軍も隊列を整え後退を始めた。
戦況が目に見えてひっくり返った。
聖戦の正当性が失われた瞬間だ。
王国軍の加担は過剰介入と見なされ撤退を余儀なくされた。
残されたのはロンバルドの本軍と他領の小貴族・傭兵の寄せ集めだけ。
逃げ遅れた者たちもいる。
ロンバルドが馬上で叫ぶ。
「どうなってるんだ!? 王国軍までも撤退だとっ!?」
傭兵の一団がざわつき始めた。
「おい……これはマズいんじゃねーか!?」
「こんな状況で戦う義理はねえ!」
散り散りになる兵。
グランベルク軍の怒涛の反撃が孤立した敵を押し流していく。
レオハルトは剣をゆっくり下ろし戦場を見渡した。
死体の山、遠くでうめく負傷者。
「終わったのか……?」
アリスティアはリカーブボウを肩にかけ彼の隣に立つ。
彼女は力強く微笑んで――。
「戦争は――これからよ」




