第20話
戦場は朝の霧を血と泥で塗り替えようとしていた。
第二陣の敵歩兵が峠の斜面を埋め尽くすように押し寄せてくる。
白銀の聖騎士団の突撃で開いた穴をロンバルドの本軍が容赦なく突いた。
ギュスターヴの声が響く。
「盾壁を再構築しろ! 一歩も退くな!」
兵士たちは歯を食いしばり、額に汗を浮かべて盾をガチャガチャと重ね直す。
だが敵の第三陣が横からドドドッと波のように溢れ出してきた。
「左翼が危ない! 援護を!」
ヴィルヘルムが剣を高く振り上げて叫ぶ。
顔が怒りで赤く染まる。
グランベルクの重装歩兵が槍を構えズンズンと敵の側面に突っ込む。
肉食改革で鍛えられた体は確かに強化されていた。
突きは重く、ズブッ!
盾の受けは固く、ガキン!
「押し返せ! 奴らの足を止めろ!」
兵士の一人が槍を全力で突き出し敵の胸当てを貫く。
隣の仲間が盾で敵の剣を弾き、ガンッ!
すぐに反撃の槍を返す。
ズシュッ!
「効いてるぞ! 奴ら息が上がってる!」
前線の誰かが叫んだ。
敵の歩兵たちは疲労が色濃く残り、顔を歪めていた。
足取りが重く、剣を振るう動きにも鈍りが目立つ。
一方、グランベルク軍の兵士たちはスタミナが持続し、練度の差を活かして一時的に押し返していた。
だが、次の瞬間――。
「また来やがった! 第三陣の後衛だ!」
新たな敵がドドドッと押し寄せてきた。
押し返した隙間を埋めるように、無数の兵が怒涛の勢いで迫る。
戦線は徐々に後退を強いられ始めた。
高台の弓兵陣地。
レオハルトはギュスターヴから託されたコンパウンドボウを手に息を整えていた。
「お前になら預けられる」
出立前の短い言葉。
ヴィルヘルムも無言で頷いていた。
この弓はアリスティアの意志そのものだった。
彼は深呼吸をし弦をグイッと引く。
滑車がカチカチと音を立てて回りワイヤーがビンと張り詰める。
「アリスティアのために!」
レオハルトは第一射を放った。
ビュンッ!
矢は想定よりも軽く鋭く飛んだ。
シューッと風を切り裂く音が響く。
狙った騎士の馬ではなく、隣の馬の首元をズブリと深く穿つ。
馬がヒヒーン! と嘶き前膝をガクッと折って倒れる。
騎士が転がり落ちる。
「…!?」
レオハルトの目が見開かれた。
飛距離が違う。
「あんなに遠くまで……!」
胸が高鳴る。
「これなら勝てる!」
レオハルトは次の矢を番え引き絞る。
「レオハルト様! 右翼の騎馬が回り込んできます!」
部下が叫ぶ。
彼は狙いを変え、矢を放つ。
また別の馬が倒れ、騎士が地面に転がる。
「すごいあの距離から!」
「奴らの突撃が鈍ったぞ!」
レオハルトの周りに希望が広がる。
彼は黙って矢を放ち続ける。
一本また一本。
敵の騎馬を確実に削っていく。
一方街道を遠ざかる車内。
アリスティアは座席にグッタリと崩れ落ち両手で顔を覆っていた。
ヒックヒックと嗚咽が漏れる。
車内は重苦しい沈黙に包まれていた。
護衛の騎士二人は窓の外を向いたまま微動だにしない。
背中が固い。
気まずさが空気をさらに重くする。
セレスティンは隣で膝を抱え、時折アリスティアを見つめていた。
突然ギギギッ!
馬車が急に止まった。
車体がガクン! と大きく揺れ令嬢の体が前に倒れ込む。
「っ!?」
護衛の一人が窓から身を乗り出した。
「どうした!? 前が塞がっているのか!?」
御者が慌てて答える。
「対面から馬車が来ています! 大勢の人影が…!」
アリスティアは顔を上げ窓に寄る。
霧のような埃の中、向かいの馬車列が徐々に浮かび上がる。
黒と金のグランベルク家紋がパタパタとはためいている。
馬車は十数台。
兵士を満載した150人分は優に超える大規模なものだった。
聞き覚えのある明るい声が響いた。
「おーい! アリスティア様ですかー!? お迎えにあがりましたー!!」
アリスティアの目が大きく見開く。
「カタリナ…!?」
クラリスの落ち着いた声が続く。
「アリスティア様ですね!? 無事でよかった!」
ソフィーネの小さな声も重なる。
「……早くこちらへ」
令嬢は窓から身を乗り出した。
「みんなどうして…!?」
セレスティンはその様子を見て腕を組んだ。
「お姉ちゃんどうするの?」
彼女はセレスティンを見下ろした。
瞳にわずかな光がキラリと戻る。
「戦場に戻るわ」
「勝ちたいの?」
アリスティアが微笑む。
「勝つわ」
戦場ではレオハルトが弓を撃ち続けていた。
矢が尽きかけ指からは血が滴る。
「レオハルト様! 敵の騎馬がまた…!」
「まだだ! まだ撃てる!」
しかし試作のコンパウンドボウは、男の力で連続使用するには耐久性が足りなかった。
弦が軋み滑車が微かに歪む。
ガキン!
小さな音がしてワイヤーが一本切れた。
弓の威力が一気に落ちる。
「くそっ…!」
彼は弓を置き、剣をズバッと抜いた。
戦場へ飛び降りる。
「少しでもこの手で敵を減らす!」
剣がビュン! と閃く。
久しぶりの対人戦闘。
心臓がドクドク鳴る。
だが体は違う。
肉食と訓練で鍛えられた筋肉が力強く応える。
腕が熱い。
「はっ!」
一人の敵兵の剣を弾き、喉元を突く。
次の敵が槍を突き出してくるが体を捻って避け、返しの一閃で肩を斬る。
「強い……!」
近くの味方兵が目を丸くした。
レオハルトは剣を振り続ける。
汗が飛び散る。
「これがアリスティアの力か! この体がやりたいことをやってくれる! お前がくれた力だ……!」
しかし疲労が重くのしかかり、視界がぼやける。
鉄の匂いが鼻を突く。
指の傷が開き、柄がヌルッと滑る。
「っ…!」
その瞬間、敵の剣が大きく振りかぶられた。
ブンッ!
レオハルトの瞳が敵の刃をギラリと捉える。
――ッ!!




