第22話
戦争はグランベルク家の勝利で幕を閉じた。
敗残兵の処理が終わり、アリスティア率いる部隊が領地に戻った。
街は人波の海と化した。
門の外から城館までの大通りは色とりどりの花びらで埋め尽くされた。
両側に並んだ民衆の歓声が空を揺らした。
「白百合の聖女様だ!」
「アリスティア様、お帰りなさいませ!」
子供たちが手を振り、女性たちがハンカチを振る。
男性たちは帽子を脱ぎ、拳を掲げて叫ぶ。
「勝利をありがとうございます!」
「我らの誇りです!」
前線に立つ貴族など滅多にいない。
それも若き女性貴族が自ら弓を手に敵軍を退けたのだ。
この勝利は名実ともにアリスティアが引き起こしたものだった。
街中が熱く語り合っていた。
酒場では酒が無料で振る舞われ、広場では即興の歌が作られた。
子供たちがそれを口ずさんでいた。
令嬢は周囲の熱狂に少し圧倒されながら手を振り返した。
「ありがとう、みんな……本当に、ありがとう」
心の中で呟く。
「私もみんなと同じように毎日少しずつ変わってきた……。食事一つ、技術一つでこんなに笑顔が増えるなんて。この街がみんなの努力で輝いている」
民衆の歓声がさらに大きくなった。
「白百合万歳!!」
レオハルトが馬を並べ、囁く。
「君の功績だよ、アリスティア」
彼女は首を振った。
「みんながいたからよ」
城館の玄関前でギュスターヴとエレオノーラが待っていた。
アリスティアは馬から降りるなり駆け寄って父の胸に飛び込んだ。
「お父様!」
公爵は娘を抱きしめた。
「アリスティア……無事でよかった……」
エレオノーラも加わり、三人で固く抱き合う。
アリスティアの目から涙が溢れた。
「もう二度とあんなことはしないでください! 私を遠ざけたりなんて……!」
彼女は父の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らす。
ギュスターヴは娘の背中を撫で、自らも目を赤く染めた。
「許してくれ……お前を守りたかっただけだ。なのに、お前を傷つけて……本当に、すまなかった」
エレオノーラは二人の肩を抱き、繰り返す。
「無事でよかった……本当に、よかった……。アリスティア……」
三人はしばらく離れず、強く強く抱きしめ合った。
周囲の騎士たちも目を伏せ、見守っていた。
翌日、邸の応接室にセレスティンが現れた。
ヴィルヘルムとレオハルトを伴い、堂々とした第6皇子らしい華やかな衣装に身を包んでいる。
銀髪を丁寧に整え、赤い瞳が鋭く輝いていた。
ギュスターヴは立ち上がり、一瞬目を細めた。
「なるほど……教国が撤退したわけだ」
アリスティアは優雅に立ち上がり、セレスティンに向かってお辞儀をした。
「セレスティン殿下……。この度は、本当にありがとうございました」
少年は軽く手を上げた。
「礼はいい」
アリスティアは父に説明を始めた。
「教国はエルトリア帝国と外交上の重要な取引で友好関係を保っているんです。そんな皇子がいる場所で聖戦は続けられなかったわけです」
ヴィルヘルムが腕を組み、口を開いた。
「旗頭がなくなった王国軍も撤退せざるを得なかったというわけだな」
セレスティンはふっと笑った。
ギュスターヴが椅子に腰を下ろし、慎重に尋ねた。
「それで、本日はどうしてこちらへ? 我々はまだ敵対関係だ。自国へ送れと言うのは、少々無理があるぞ」
少年は肩をすくめた。
「保護させてやる。理由は後で分かる。お前らにとって恩恵がでかいと思うが?」
アリスティアは父に提案した。
「お父様、私……弟が欲しいと思っておりましたの。戦場で保護した孤児の貴族子弟を教育中、ということにすればよろしいのでは?」
セレスティンは即座に反応し、アリスティアに駆け寄って抱きついた。
「お姉ちゃん大好き!」
そしてレオハルトに視線を移した。
「これくらいの演技など、造作もない」
レオハルトは露骨に「こいつ……」という表情を浮かべた。
ギュスターヴは少し考え込み、頷いた。
「一時的な賓客。それでよいか?」
セレスティンは歯切れ悪そうに、でも満足げに答えた。
「まぁよい。では兵舎に戻る」
ヴィルヘルムとレオハルトに目配せし、踵を返す。
アリスティアが慌てて声をかけた。
「こちらでお泊まりになっても、よろしいのですよ?」
レオハルトが思わず「えっ」という顔をした。
セレスティンはその顔を見て、アリスティアの顔をちらりと見た。
「戦場からはできるだけ離れた方がいいって学んだんだよ」
そう言い残し、三人は部屋を出て行った。
その日の夕暮れの丘の上。
アリスティアは一人、街を見下ろしていた。
背後から足音。
「……ここにいると思った」
振り返ると、レオハルトが少し照れたように立っていた。
アリスティアは隣に腰を下ろすよう促した。
二人は並んで座り、しばらく無言で街を眺めていた。
やがて彼女がぽつりと呟く。
「……守ったのね」
レオハルトがアリスティアを見る。
「あぁ」
「この街も家族もみんなを……あなたが、私が戻るまで守ってくれた」
彼は少し顔を赤らめた。
「……君も、な」
静寂が訪れる。
風だけが二人の間を通り抜けていく。
レオハルトが意を決したように口を開いた。
「あの……アリスティア」
「……なに?」
「戦場で言った、『続き』って……」
言葉を詰まらせる彼にアリスティアは何も言わず、ただ少し悪戯っぽく微笑んだ。
そしてそっと目を閉じた。
レオハルトはごくりと喉を鳴らした。
――覚悟を決めて。
ゆっくりと手を伸ばし、アリスティアを抱き寄せた。
そして優しくその唇を重ねた。
夕陽が二人の影を長く伸ばし、街の明かりがぽつぽつと灯り始める。
今度のキスは戦場の熱でもなく衝動でもなく。
ただ二人だけの穏やかで確かな想いだった。
レオハルトが唇を離し、照れくさそうに笑う。
「……ありがとう」
アリスティアは彼の胸に頰を寄せた。
「……ばか」
そして心の中で呟く。
「努力は報われる。どんなに小さな一歩でも積み重ねればこんな景色が見える……。私みたいに豚と馬鹿にされた人間でも変えられるんだ。自分を諦めなければ誰だって輝ける。みんなも自分のペースで少しずつ変わっていってほしい」
二人はさらに強く抱きしめ合い、街の明かりに向かって静かだが熱い誓いを交わした気分だった。
──数か月後
王宮は重苦しい空気に包まれていた。
玉座の階段の下、王妃派の貴族たちが顔を青ざめさせていた。
エルトリア帝国の使者が厳しい表情で立っていた。
使者は羊皮紙を広げ、読み上げた。
「第6皇子セレスティン・エルトリアを即時帰国させよ。さもなくば宣戦布告とみなす」
部屋に重い沈黙が落ちた。
誰もが顔を見合わせる。
玉座のすぐ脇にイザベラ王妃が座っていた。
隣には青白い顔をしたルドルフが立ち、少し後ろにロンバルド侯爵が控えていた。
イザベラは唇をわずかに吊り上げた。
「……ふふ」
ルドルフは俯いていた。
あの戦場の光景が瞼の裏に焼き付いて離れない。
アリスティアが別の男と唇を重ねていた姿だ。
母上の言葉が頭の中で繰り返される。
『あなたは正しかった。あの女は悪魔よ。』
なのに胸の奥に残るのは得体の知れない空虚だけだった。
ロンバルドは無言でしかし満足げに口元を緩めていた。
負けはした。
しかしすべては計画通り──いや計画以上にうまくいっている。
イザベラは立ち上がり、使者の去った扉の方へ視線を向けた。
「これで、すべて私の手に」
ルドルフがわずかに顔を上げた。
「……母上」
イザベラは呟くように答えた。
「心配しないで、ルドルフ。あなたは私の可愛い子よ。今度こそすべてを取り戻してあげるわ」
ロンバルドが一歩前に出て頭を下げた。
「王妃様のおっしゃる通り。帝国など恐れるに足りません。我々にはまだ──」
イザベラの瞳に狂気めいた光が宿った。
部屋に静寂が戻る。
王国中が再び緊張の渦に包まれた。
――だが辺境ではもう新しい風が吹き始めていた。
白百合の旗がはためき笑顔が溢れる街で、誰もが未来を信じて歩き始めていた。




