第17話
次の日、約束の時間。
レオハルトは少しこぎれいな服装で噴水広場のベンチに座っていた。
そわそわと足を組み替えて待っていた。
普段の騎士服ではなく、黒の細身のチュニックに銀の刺繍が入ったベストを羽織っていた。
革のブーツも磨き上げてある。
髪もいつもより丁寧に整えていた。
戦場で日焼けした頰が少し緊張で赤みを帯びていた。
「……本当に来てくれるよな」
すると遠くからアリスティアの姿が見えた。
瞬間、ドクンと胸が高鳴った。
彼は思わず息を呑んだ。
三か月半の過酷な環境下で鍛えられた体は肉付きが良く、それでいて贅肉がほどよく落とされていた。
肩のラインが引き締まり、腰のくびれが強調されている。
歩くたびにドレスの裾がサラサラと優雅に揺れる。
周りの通行人たちが思わず振り返るほど、彼女の存在感は際立っていた。
侍女が丹精込めて作り上げた顔立ちと髪型。
金髪を緩やかに編み込み、頰にかかる一本の髪が陽光にキラキラ輝く。
が、そのアリスティアの手には別の誰かが既に手を繋いでいた。
それはあの少年兵だった。
レオハルトの心臓がズキンと痛む。
令嬢が近づき、柔らかく微笑んだ。
「お待たせ」
レオハルトは立ち上がり、頭を下げた。
視線は少年の手へ釘付けだ。
「あぁ、今来たところだ。……あの、その坊主は?」
顔があからさまに引きつり、慌ててゴホンと咳払いをした。
レオハルトが少年セレスティンと目が合った。
少年は一瞬アリスティアの顔を見上げ、もう一度レオハルトの顔を見た。
明らかに何か思いついたような悪い顔をし、そして同時にとてもかわいらしい顔をした。
アリスティアに猫なで声で言った。
「ねぇおねぇちゃん、はやくいこ」
レオハルトの脳が通常の三倍駆け巡った。
一瞬にして理解した。
この少年がいけ好かないと。
三人は石畳の通りを歩き始めた。
アリスティアがセレスティンの小さな手を握っていた。
二人が少し前を並んで。
レオハルトはその後ろを半歩遅れてついてくる。
距離が微妙に離れて寂しい。
街は陽光に満ちていた。
商人たちの「新鮮な果物だよー!」という呼び声が響く。
ガラガラと馬車の車輪が石を転がす音が賑やかだ。
「この道、昔はもっと静かだったのに、今は人通りが全然違うわね」
彼女が周囲を見回した。
セレスティンが上目遣いに令嬢の顔を覗き込んだ。
「お姉ちゃん、みんな元気だね」
「ええ、そうね。みんな変わったわ。顔色が良くて歩く足取りも軽やかで。こんなに活気づいているなんて嬉しい限りよ」
レオハルトが少し遅れて前を歩く二人を眺めた。
内心でため息をついた。
「俺がエスコートするはずだったのに」
アリスティアの横顔が柔らかく輝いている。
セレスティンが時折彼女のドレスの裾を引いて何か囁く様子が羨ましい。
少年はふと振り返り、レオハルトの表情に気づいた。
にやりと悪戯っぽく笑った。
またチラッと見て口元を抑えてくすくすと肩を震わせる。
彼は慌てて視線を逸らし、漏らした。
「あいつ絶対わかってやってるな」
アリスティアが足を止め、振り返ってレオハルトを見上げた。
「ん? 何か言った?」
「みんなが元気なのは、アリスティアのおかげだよ」
「みんなが頑張ったからよ。食事の工夫や訓練をちゃんと続けてくれた結果だわ」
「きっかけは君だ。領民たちも騎士団も街全体が君の影響で強くなった」
セレスティンが二人の会話を聞きながら急に手を離した。
自分の腹を押さえた。
「ねえ、お腹空いたもう我慢できない」
アリスティアの腕にすがりつく。
彼女が少年の頭を撫でた。
「ちょっと早いけどいいところを知ってるの。予約しておいたレストランがあるから行ってみましょうか?」
「本当に? 行く行く!」
セレスティンが目を輝かせた。
レオハルトも頷いた。
「俺も楽しみだな。どんな店なんだ?」
三人は通りを曲がり、街の中心部にある賑わう大きな宿屋兼酒場に入った。
店員がすぐに気づき、予約しておいた席へと案内する。
問題なく奥の仕切られたテーブルに通された。
三人が椅子に腰を下ろすとすぐに料理が運ばれてきた。
テーブルに並ぶのはジュージューと音を立てて運ばれてきた牛肉の厚切りローストだ。
ハーブの香ばしい匂いがプンプン漂う。
ジューシーな豚肩ロースのグリル、鶏もも肉のローストに彩り野菜の付け合わせ。
肉の表面が黄金色に輝き、熱々のソースがトロリとかかっている。
部屋中に食欲をそそる香りが広がる。
レオハルトが目を丸くした。
「ここでも肉料理が中心か。街の店まで変わってるなんて驚いたよ」
「ええ、お父様が領内のシェフたちに広めてくれたの。みんなの体が強くなるって実感してるみたい」
その時、奥の厨房からシェフが出てきた。
アリスティアの前に頭を下げた。
「アリスティア様! お越しいただきありがとうございます。街に活気があふれてるのは全てアリスティア様のおかげです」
アリスティアが照れながら返す。
「そんな、言い過ぎよ」
「いえいえ! 肉食のメニューを増やしてからお客様の笑顔が増えました! 本当に感謝しております。ありがとうございます」
「シェフたちの腕がいいからこそよ。また新しいレシピを考えたら教えてくださいね」
シェフが感激した様子で頭を下げて戻っていった。
セレスティンがじっとその様子を眺めていた。
やがて目の前の肉料理に両手を合わせて目を閉じる。
アリスティアがそれに気づき、自分のフォークでステーキを切り分けた。
少年の小皿に多めに盛った。
豚グリルも鶏ローストも少しずつ取り分けて目の前にいくつもの小皿を並べてあげる。
「セレスティン。たくさん食べてね」
彼女は自分の皿から一口食べてみせた。
「あっ」
レオハルトが声を上げた。
アリスティアがレオハルトを制する。
「いいのよ」
それを見て少年はナイフとフォークを手に取った。
肉を切り分けて口に運んだ。
パクッ。
目が大きく見開かれた。
すぐに細めて頰が膨らむ。
幸せそうに体がくねる。
レオハルトが目を丸くして見守った。
「おー坊主。うまいだろ!」
セレスティンが肉を頰張る。
「これは……おいしい……!」
アリスティアの方を見て目を輝かせる。
彼女は笑顔を返した。
「気に入った? もし気に入ったなら今度作り方をメモしておきましょうか?」
少年は頭をぶんぶん縦に振り、黙々と食べ進めた。
料理を食べ終えた後、セレスティンは少し目が虚ろになった。
椅子にもたれ、瞼が重そうに落ちてくる。
緊張が解けたのか、久しぶりの満腹感か、眠気が襲ってきたようだ。
三人はレストランを出て近くの広場へ移動した。
ベンチに三人で腰を下ろす。
セレスティンがコテンとアリスティアの膝に頭を預けた。
自然と体を寄せてくる。
彼女は銀髪をサラサラと指で撫でた。
優しい手つきで梳いた。
温かさと柔らかい感触が伝わる。
レオハルトがそれを見て胸がチクッと痛む。
心の中で叫びが──だがつい口からもポロリと漏れていた。
「あーいいなぁ……」
アリスティアが口元に指を当て、無音で「しー」と伝える。
彼は小さなため息をつき、街並みの喧騒に視線を移した。
商人たちの活気、子供たちの笑い声。
こうした時間がずっと続けばいいのに。
二人は無言で同じ思いを抱いていた。
少し時間が経ち、セレスティンが目を覚ました。
体を起こし、ぼんやりと周囲を見回す。
アリスティアが声をかけた。
「起きました?」
少年が口を拭った。
「ご苦労……」
すると、はっとした顔で彼女を見る。
令嬢がニコリと返すのを見て少しバツが悪そうに頰を掻いた。
「もう兵舎に帰るよ」
アリスティアが立ち上がり、手を差し伸べた。
「送ります」
セレスティンは首を振り、手を振って立ち去り始めた。
「逃げないよ、お姫様」
レオハルトが追いかる。
少年がジェスチャーで「お前はあっちだろ、バカ」と指を差す。
レオハルトはアリスティアの元に戻った。
「あいつ生意気だな」
「ふふ、可愛いところがあるのよ」
彼女はレオハルトを上目遣いに見る。
「……ねえ、レオハルト。行きたい場所があるの。二人で、行ってくれない?」




