第12話
敵が去り、戦場に重い静寂が降りた。
泥濘んだ地面には、無数の矢と折れた槍が突き刺さっていた。
散乱していた。
ズシッ、ズシッ……
遠くで傷ついた馬の重い息遣いが響く。
農奴たちが敵の亡骸を、重い足取りで引きずっていた。
アリスティアは少し離れたところに立ち、その様子を見ていた。
運び出していく姿が目に入る。
「嫌な仕事だろうに」
しかし、彼らは誰よりも先に手を貸していた。
額に汗を浮かべ、唇を噛みしめていた。
黙々と作業を進める。
その背中に、令嬢への感謝が滲んでいるように見えた。
生き残った喜びが滲んでいるように見えた。
「……ありがとう」
アリスティアは胸の前で両手を合わす。
心の底から感謝が溢れ出した。
彼女の瞳がわずかに潤んで揺れた。
レオハルトが近づいてきた。
足音を殺すように歩き、アリスティアのすぐ横に立つ。
肩を落とし、眉を寄せながら低く囁いた。
「君はこんな景色、見慣れない方がいい」
アリスティアは首を振った。
「私の業だから」
短く、しかしはっきりと答えた。
彼女は目を逸らさなかった。
亡骸が運ばれていく様子を、一つ一つ追い続ける。
少し外れたところで、数人の騎士たちが穴を掘っていた。
土が飛び散り、深く抉れていく。
アリスティアは眉を寄せた。
「アレは?」
レオハルトが答える。
「敵の兵と馬を埋めるんです。いつものように」
アリスティアは日本での自分を思い出す。
土葬による病気の蔓延が、冗談では済まされないことを知っていた。
「ゲルハルトを呼んでくれる?」
レオハルトは一瞬、アリスティアの表情を窺った。
「すぐに呼んできます」
彼は踵を返し、走っていく。
背中が遠ざかるのを、令嬢は黙って見送った。
少し経って、ゲルハルトがやってきた。
甲冑に泥がつき、額に汗が光っている。
「どうしました、副司令補佐?」
彼は敬礼しながら尋ねた。
アリスティアは少し悩んだ。
空を見上げ、深く息を吸う。
そして運ばれていく死体の山に目をやりながら、口を開く。
「責任は私が取るわ。全て燃やしましょう」
ゲルハルトの目が見開かれた。
「ええと、それは……?」
アリスティアが死体の山を指さす。
「彼らを」
ゲルハルトがアリスティアの前に手を突き出し静止する。
「お嬢様!? それは、さすがに……!」
彼は言葉を濁し、なだめようとするように一歩近づいた。
アリスティアは力強く首を横に振った。
瞳を鋭く光らせ、唇を引き結んだ。
「それが、ここにいるすべての人間を救うことになるの」
彼女は一歩踏み出し、ゲルハルトをまっすぐ見据えた。
中佐は口を開きかけたが、アリスティアは続けた。
「私は何と言われてもいい。豚と罵られようが、狂気だと言われようとも。守るべきものを見誤りはしないわ」
ゲルハルトは腕を組み、視線を落とした。
しばらく沈黙が続いた。
レオハルトが横から口を開く。
「私にも責任を負わせてください」
アリスティアが驚いて振り返った。
彼はまっすぐ令嬢を見つめ、続けた。
「あなたを守ると決めたのです。だから、これは私の責任でもある」
ゲルハルトが頭を掻いた。
深いため息をつき、呻くような声を漏らす。
「……はあ。敵の残党が夜襲で火を放った、ってことにしておきましょうか」
彼は引きつった笑みを浮かべた。
肩をすくめ、言った。
アリスティアは頷いた。
「ありがとう。感謝するわ」
「本当に、いいんですね?」
中佐が念を押すように尋ねた。
「ええ」
「わかりました。では俺たちだけで」
「三人で」
レオハルトが即座に付け加えた。
三人は戦場の一角へ移動した。
松明の火を手に、亡骸の山に油をかけていく。
燃やすのはこの三人だけで。
他の誰でもない。
アリスティアは心に固く決め、火を放った。
炎が立ち上るのを、彼女は見つめていた。
熱が頰を焦がし、煙が目に染みる。
「昔の私なら……」
小さく呟く。
レオハルトが横から声をかけた。
「まだ何かやりたいことがあったのか?」
アリスティアは首を振った。
「いいえ」
レオハルトは少し首を傾げた。
「ここに来て数か月。その顔をしてる時は、何か案が浮かんでる時だろ」
令嬢はレオハルトの顔を一瞬見た。
ゲルハルトも横で興味深げに視線を向けてくる。
アリスティアは燃える炎を見つめた。
「馬って美味しいのよね」
レオハルトが顔をしかめた。
「うげっ」
ゲルハルトがこらえきれず、くすくすと笑い出した。
アリスティアは肩をすくめた。
「人を食ったような話よ。気にしないで」
レオハルトがぎょっとした顔で振り返る。
「えっ、人も食うのか?」
中佐も笑いが止まり、目を丸くした。
「おいおい……」
彼女は笑った。
「そういうことわざよ。人は他にも使い道が……いいえ、なんでもないわ」
レオハルトは安堵の息を吐いた。
「そう、だよな。たまにアリスティアが公爵令嬢だってこと、忘れそうになるぜ」
炎の勢いが少し落ち着き、風が煙を運び去る頃。
彼は無言でアリスティアの横顔を眺めていた。
火の光が彼女の瞳に揺れていた。
強い決意の奥に、ほんのわずかな疲れと寂しさが覗いている。
レオハルトは無言で手を伸ばした。
最初は指先だけ、炎の熱を確かめるように令嬢の右手に触れる。
アリスティアはピタッと息を止めた。
ドキッ……
心臓が跳ねる。
でもすぐにその温もりに気づき、頰がわずかに緩んだ。
彼女はゆっくり指を絡め、レオハルトの手を握り返す。
ズクッ、と熱いものが伝わり、二人の手がしっかりと重なった。
パチパチ……
炎の音だけが二人の間を満たす。
ゲルハルトは二人の様子に気づきながらも、祈りの言葉を唱え始めた。
低く厳かに。
砦からその様子を見ている兵たちも、同じように目を瞑り祈っていた。
確かに命はここにある。
これが戦争なのだと、目を瞑るしかなかった。
翌朝――
朝日が昇り、戦場痕を照らす中。
アリスティアは再び高台に立ち、眼下を眺めていた。
そこへレオハルトが一通の封筒を持って近づいてくる。
グランベルク家の紋章が押された手紙。
彼女は蝋を割り、羊皮紙を広げた。
手紙の内容に目を通す。
『アリスティアへ。新弓の設計図と戦果の報告、確かに受け取った。お前の功績は領地中に知れ渡り、民は「白百合の聖女」と呼び、誇りに思っている。ベアリングと新弓の生産は既に鍛冶場で始めている。だが、王都の状況は芳しくない。王妃殿下が「お前の活躍」をついに耳にし、激怒している様子だ。側近を何度も呼び、密かに動き始めている。国王陛下はまだ沈黙を守っておられるが、いつまで持つかわからぬ。無理はするな。お前はもう十分に戦っている。だが、もし王都が牙を剥いたなら――俺もグランベルクの全てをかけて迎え撃つ。父より』
アリスティアは手紙を胸に押し当て、空を見上げた。
遠くで兵士たちの力強い歌声が響いてくる。
「……王妃が動き始めたか」
彼女は唇を噛んだ。
ギュッ、と拳を握りしめ、瞳に鋭い光を宿す。
「なら、こっちも本気でいくわよ」
令嬢は不敵に微笑んだ。




