第三話 ちびっこたちとお見舞い
結論から言うと……立派に風邪を引きました。
頭は痛いし、身体はだるいし、咳は止まらねぇし。前世も含めて、こんなふうに体調を崩したのは初めてだった。
自慢じゃないが、風邪なんて引かない健康優良児のハンコを押されていた自覚はある。
だというのに、このザマです。
将来、【勇者】になるんだったら、これくらい元気なままなのかと思っていた。けれど、勇者の卵といえど、所詮は人間の子供。子供の体力のなさをすっかり忘れて、無様にも風邪を引いてしまったらしい。
三年間、引きこもっていたとはいえ……川に落ちて風邪を引くなんて、情けないことこの上ない。
「からだ、おもいぃ……」
ごろん、と身体の向きを変える。
すると、声と物音を聞きつけたのか、アルセインの母さん――以降は便宜上、母さんと呼ぶことにする――が、扉からひょこりと顔を出した。
「安静にしてなさい! ……お腹すいたの? 食欲はある?」
食欲はない。
身体は重いし、苦しいし、できることなら一日中寝ていたい。
……素が出そうになるが、我慢だ。
「……うぅん、あんまりない……」
「そう? でも、ちょっとは食べないと駄目よ」
「……わか、ってるけど……ちょっと寝たらでいい……ケホッ、ケホッ」
「無理しないで、アルセイン。水を置いておくから、喉が渇いたら飲むのよ」
そう言って、母さんは優しく俺の額を撫で、ベッド脇の机に水差しとコップを置いていった。
……ああ。
こうされると、俺の母さんを思い出す。
こっちに来るまで、ずっと俺のことを心配してくれていた母さん。俺を撫でてくれる、あの手が好きだった。
……やべ。
涙、出てきた。
慌てて目をこすり、別のことを考えることにする。
例えば、そう。俺のことを【夜明けの子】と呼んだ、あの謎の声のこととか……。
なんだったんだろうな、あれ。
確か、なんか光って……。
そこまで思い出しかけたところで、扉の方から控えめに開く音が聞こえた。
あんまり身体を動かせないので、最低限の動きでそちらを見る。
「……ある……」
そこには、扉の隙間から、ひどく申し訳なさそうな顔をしたセレネが、控えめにこちらを覗き込んでいた。
心配そうに、じっと俺を見ている。
……こういうとき、どう答えればいいんだろう。
前世では、お見舞いに来てくれる友達なんて、そんなにいなかった。だから、正直よくわからない。
……熱で頭がぼんやりしている。
こういうとき、アルセインなら――。
――どう答えるのかな。
「…………ど、うしたの、セレネ」
できるだけ優しく。声も、表情も。
そう意識して、彼女の名前を呼んだ。
すると、セレネは少しだけ、びくっと震えたように見えた。
……もしかして、また思われちゃったかな。
いつものアルセインと、なんか違うって。
「……あの、あのね、アル……」
恐る恐る口を開く彼女の言葉を待つ。
何か言いたげに、口を開いては閉じ、また開いては閉じる。小さな手は、スカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
……熱で頭がぼんやりしている俺でも、さすがに気づく。
ああ、これ。
俺が風邪を引いたのは、自分のせいだと思ってるんだろうな。
実際、セレネの不注意が原因ではあるんだけど……。
だからって、それをそのまま口にしたら傷つくだろう。子供相手に、そんな大人気ないことを言うつもりはない。
それに、セレネに怪我がなくてよかった。俺が風邪を引いたくらいで済んだのなら、まあ……よしとしよう。
……うん。そういうことにしておこう。
ただ、こんな顔をされるのは落ち着かない。
どうにかして安心させて、笑えよ。
でも、なんて言えばいいんだ?
こういうとき、なんて声をかければいいのか。前世の記憶を探ってみても、ろくな答えが出てこない。
昔から、部のメンバーには「透は言葉が多すぎる」なんて言われて、何度も怒られてきたっけ。
……いや、今はそんなことを思い出している場合じゃない。
何か言わないと。
でも、何を――。
……だめだ。 頭が、重い……。でもなんか言わねぇと……
「……せれね」
俺が彼女の名前を呼ぶと、セレネの肩がびくりと跳ねた。
小さな身体は強張り、スカートの裾を握る手にぎゅっと力がこもる。
それから、恐る恐るといった様子で顔を上げた。
不安そうに揺れる、潤んだ瞳が俺を見つめている。
困った。
本当に、俺じゃない――アルセインなら、どんな言葉をかけるんだろう。
俺自身の言葉じゃ駄目だ。今の俺は、アルセインなんだから。
「……だい、じょうぶだよ。セレネ。ちょっと、熱があるだけだから、すぐ元気になるよ」
できるだけ安心させるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
声が掠れてしまったのは、熱のせいだ。きっと、そういうことにしておこう。
……うん。今のは、なかなかアルセインっぽかったんじゃないか?と緩く、首を傾げてみる。
ううん——……苦しい。正直、もう何も考えずに眠ってしまいたいくらいには、身体がつらい。
それでも、俺はどうにか口元を緩めた。
アルセインらしい、穏やかな笑顔を浮かべる。
大丈夫だと、心配しなくていいのだと、少しでも伝わるように。
……そういえば、最近やたらと口にしている気がする。
「大丈夫」。
アルセインとして振る舞うようになってから、何度この言葉を口にしただろう。
相手を安心させたいとき。心配をかけたくないとき。自分の失敗を誤魔化したいとき。
そして今みたいに、自分自身がちっとも大丈夫じゃないとき。
……いいか、別に、と改めてセレネの表情を見た。
「……ッ」
今にも泣き出しそうな顔をしていた。
なんなら、もう泣いていた。
どうして……!?
セレネは、笑顔を見せる俺を見て、かえって泣き出してしまった。
……えっ。どうして……
安心させようと思って笑ったんだけど。ちゃんと大丈夫だって伝えたつもりなんだけど。
なのに、どうして余計に泣くんだ……!?
困惑する俺の目の前で、セレネの瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
小さな手で慌てて拭っているけれど、拭っても拭っても、次から次へと溢れてくる。
……ああ、もう。
どうすればいいんだ、これ。
俺は熱でぼんやりする頭を必死に働かせた。
泣かせたいわけじゃなかった。責めたいわけでも、心配させたいわけでもない。
ただ、いつもみたいに笑っていてほしかっただけなのに。
……もしかして。
俺の笑顔、そんなに下手だったか?
それとも、余計なことを言ったか?
熱で回らない頭を必死に働かせていると、しゃくり上げる声が聞こえた。
「……ひっく、ごめんなさい、ごめんなさい、アル」
セレネは何度も謝りながら、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「ど、どうして泣くの、セレネ!?……ゲホッ…」
「ほら、大丈夫だよ。僕は大丈夫、だから、そんな顔をしないで、ねぇ…」
俺がそう言うと、セレネの瞳から、また大粒の涙がこぼれ落ちた。
……どうしろって言うんだ。
いや、本当に。
(……なんでこうなった? 俺、安心させようとしただけなんだけど!?)
|◆《何とか泣き止むまで宥めた》
セレネが帰ったあと、俺は再び布団に潜り込んだ。
……疲れた。
身体もそうだが、精神的にも疲れた。熱で頭がぼんやりしているところに、あの涙だ。どうすればいいのか、本気でわからなかった。
結局、セレネは母さんに連れられて帰っていった。
セレネとは、また遊ぶ約束をした。
帰る前には、どうにか少しだけ笑ってくれた。
……本当によかった。
あのまま泣かせっぱなしだったら、きっと今頃、罪悪感で熱が上がっていたと思う。いや、冗談抜きで。なれないことをした天罰を受けることになるだろうな絶対。
……とはいえ、最後まで心配そうな顔をしていたのは気になるけれど。
次に会うときは、いつも通り笑ってくれるといいな。
……そもそも、なんで俺は【勇者】を完璧に演じようと思ったのだろう——
今さらながら、そんな疑問が頭をよぎった。
最初は、ただ怖かっただけだ。
自分が本物のアルセインじゃないと知られることが。
だから、誰にも気づかれないように、完璧に演じてやろうと思った。
……でも。
さっき、セレネを安心させようとしたのは、本当にそれだけだったか?
あの子に笑ってほしいと思ったのも、アルセインならそうするはずだから?
…………。
いや。
それは、違う気がする。
少なくとも、あの子に泣いてほしくなかったのは……
「……も、わかんねぇよ。アルセインさんよ…」
ここにいるはずだった本人に問いかけても!分からないことだらけだ。
夢の最後で聞いた、『これから君が、勇者を背負うことになる』っていう言葉の結果が今なのか…?
俺に何を望んでるんだ?
何かを演じることしかない俺なんかに
……考えが纏まらない。全部この風邪のせいだ。
なんでこうなったんだろうか。俺は今日一日の出来事を振り返る。
水切りをして、セレネと遊んで。
川辺で魚を見つけて、はしゃいでいる彼女が足を滑らせて。
咄嗟に手を伸ばした結果、助けるつもりだった俺のほうが川に落ちた。
……うん。改めて考えても、災難続きだ。
それで、意識が遠のきかけたとき。
確か、声が聞こえたんだ。
水の中で、妙に鮮明に。
『あれ、夜明けの子だ。夜明けの子』
……夜明けの子。
……そういえば。
あのとき、俺は確かに川に落ちたはずだ。
冷たい水が全身を包んで、息ができなくなって。どうにか水面に浮かぼうともがいていたのに、身体は思うように動かなかった。
なのに。
水が、変な動きをしたんだ。
流れに逆らうように、川の水がうねって。まるで何かに導かれるみたいに、俺の身体がふわりと浮かび上がった。
気づいたときには、川岸にいた。
咳き込んで、何度も水を吐き出して。何が起きたのかもわからないまま、ただ必死に息をしていた。
……あのとき、確かに見たんだ。
白くて、ぼんやり光っていて。
水面から少し浮いたところを、ふよふよと漂っている――生き物、みたいな何か。
白くて、ぼんやり光っていて……小さな、何か。
手のひらに乗りそうなくらいの大きさで、ぽよぽよと浮いている。丸っこいような、ふわふわしているような……なんだろう、輪郭がはっきりしない。霧みたいな、光のかたまりみたいな。
頭のあたりには、葉っぱ……いや、角? みたいなものが、ちょこんと生えていて。
黒い目が、ふたつ。
……目、だよな。たぶん。
鼻とか口とかは、よくわからない。なのに、なんとなくこっちを見ているのがわかる。首を傾げているようにも見えるし、ただ身体が傾いているだけかもしれない。
……あれ。なんだっけ、これ。
熱でぼんやりする頭じゃ、うまく考えがまとまらない。
ただ、白くて、光っていて、ふよふよ浮いている。
……うん。やっぱり、よくわからない生き物だ。
そう、目の前にいるような……俺の顔を覗き込んでいるそのような生き物が…………
『いきてる?』『おきてる?』『夜明けの子』
…………
………………。
—————いるんだが!?
そいつは俺の目の前のテーブルや、枕の傍、布団の上、ふよふよと漂いながら、不思議そうにこちらを覗き込んでいた。段々増えてるんだけど!?
熱が見せる幻なわけないよな!?
いや、でも、目の前にいるんだよ。ぽよぽよ浮いてる、白くて光る謎の生き物が。
しかも、そいつ。
俺の枕元に、木の実をちょこんと置いていった。
…………。
えっ。
供え物?
俺、死にかけてると思われてる?
いやいやいや、待て待て。勝手に弔うな! 俺はまだ生きてる! 熱はあるけど!
俺が困惑している間にも、謎の生き物は満足げにふよふよと浮かび、今度は別の木の実を両手(?)で抱えて運んできた。
ぽとん。
……また置いた。
おい。
まさか、これ食べろってことか?
それとも、俺を元気づけようとしてくれているのか?
そいつはつぶらな目で俺をじっと見つめている。どうやら、俺が木の実を受け取るまで帰る気はないらしい。
……なんなんだ、こいつ。
正体はさっぱりわからない。
わからないけど――。
とりあえず、木の実を供えるのはやめてくれ。頼むから。
そう思っていると、目の前のそいつが、ぽよん、と身体を揺らした。
『よかった。おきてる』『よかった』『よかった』『いきてる』
……いや、うん。
生きてるよ。おかげさまで。
だから、そんなに増えなくていいんだって。
俺の枕元には、いつの間にか木の実の山ができつつあった。
第三話『ちびっこたちとお見舞い』を読んでいただき、ありがとうございます!
セレネを安心させるために頑張った透ですが、なぜか泣かせてしまうという結果に……。頑張れ透! 勇者を演じるのは、戦うことだけじゃないぞ!
そして、謎の光る生き物まで登場。木の実を供えられる透の明日はどっちだ!?
次回もお楽しみに!




