プロローグⅡ 何者でもない少年
目を開けて、俺はすぐに気づいた。
これは、夢だ。
小麦の匂いを、穏やかな風が運んでくる。
遠くからは、水車がゆっくりと回る音が聞こえていた。時折、風に乗って子供たちの楽しそうな声も届いてくる。
あまりにも穏やかで、あまりにも鮮明な光景だった。
夢だとわかったのは、あんまりにも現代日本ではありえない世界観と体は自由に動けないし、思考だけはできても声は出せない。なんなら視点も固定されている。
俺の目の前には一人の少年がいる。という場面にしかうつせない。そばにいてもそばにいない。その場にいることが可能なだけの舞台を見せられている。そんな感じ。俺は演者ではなく、演者なのはこの少年なのだろう。
その彼は、小麦畑の向こうから差し込む陽の光を受けて、金色に輝いている。
小麦と同じ色をした、綺麗な金の髪。不思議な紋様が刻まれた朝の青い空みたいな瞳。
なぜだろう。
初めて見るはずなのに、俺には不思議と分かってしまった。
こいつが――これから未来で【勇者】になり、世界を救うのだ。
「アル! 遅いじゃない! 今日も約束忘れたのかと思ったわ!」
少女の声が、穏やかな風の中に響いた。
少年は――アル…は愛称だな。アルセインと呼ばれた。
どうやら彼の名前は、アルセイン・ルミナスというらしい。
そして、彼を待っていた目の前の少女はセレネ。
桃色の髪を揺らしながら頬を膨らませている彼女は、どうやらアルセインの幼馴染らしかった。
アルセインは少し困ったように笑う。
「ごめん、セレネ。少し寄り道してたんだ」
「もう……。約束したんだから、ちゃんと来てよね!」
少女はそう言いながらも、アルセインの隣へ並ぶ。
二人はそのまま、何でもないように歩き始めた。
――まるで、ずっと昔からそうしてきたように。
(俺は……こいつの人生を、ずっと眺めることになるのだろうか)
そんな疑問が、ふと頭をよぎった。
夢の中だからなのか、自分の意思で動こうとしても身体は思うように動かない。
俺の身体はただ、少年――アルセインの後を追っていく。
離れることもできない。
振り返ることもできない。
まるで、この先にある彼の人生を最後まで見届けろと言われているようだった。
(まあ……夢なんだ。目が覚めれば終わるだろ)
そう思いながら、俺はアルセインの後ろを歩いていった。
二人は、二人だけしか知らない秘密の場所でくつろいだり――……まあ、今は俺も知ってしまったわけだが。
(許せ)
穏やかな川岸で並んで魚釣りをしたりもした。
もっとも、二人仲良く釣りを楽しんでいたのは最初だけだった。
ちょっとした事故でアルセインが川へ落ち、それを助けようとしたセレナまで巻き込まれて、結局二人ともびしょ濡れになった。
当然、そのまま帰るわけにはいかない。
二人で必死に誤魔化そうとした結果――あっさり母親に見破られ、こっぴどく怒られた。
その隣では、アルセインの父親が腹を抱えて笑っている。
しかし、それも長くは続かなかった。
笑っていた父親まで母親に叱られ、
「いや、俺は何も――」
などと言い訳しながら、文字通り飛び上がっていた。
そんな騒がしくも穏やかな日々を、二人は当たり前のように過ごしていた。
そんな日々が、何度も繰り返されていた。
笑って、遊んで、時には怒られて。
何も特別なことなんてない、穏やかな毎日。
俺はただ、その光景を眺め続けていた。
RPGだってこんな細かく勇者になる前の描写は描かれていたか?ないかもしれない。こんな普通に生きていたんだ。
――そんなある日のことだった。
村の近くに、魔物が現れた。
大人たちが武器を手に取り、村人たちを避難させながら魔物へ立ち向かっていく。
その混乱の中で、一人の子供が取り残されていた。
まだ幼い。村の中でも一番年下なのではないかと思うほど、小さな子供だった。
魔物の姿に怯え、その場から動けずにいる。
周囲の大人たちも助けに向かおうとしていた。けれど、魔物がその道を塞いでいた。
そして――アルセインが動いた。
足は震えていた。
小さな手も、はっきりと震えている。
それでもアルセインは、その手を自分のもう片方の手で強く押さえつけた。
(怖い……よな)
見ているだけの俺にも、それが分かった。怖くないはずがない。
まだ子供なのだ。それでもアルセインは逃げなかった。
子供なりに考えて、周囲を見渡し、魔物の動きを観察する。そして、ほんの一瞬できた隙を見つけると――その子のもとへ駆け出した。
「こっちだ!」
アルセインはその子の手を掴み、必死に走った。
転びそうになっても立ち上がる。
怖くて泣きそうになっても、それでも手を離さない。
まるで、自分より小さなその子を弟のように守るかのように。やがて二人は大人たちのもとへ辿り着いた。
助かった。
それを確認した瞬間、アルセインはその場に座り込んだ。肩で息をしている。震えている。
それでも――笑っていた。
俺は、そんな彼を見ていた。胸の奥が、妙にざわつく。
眩しかった。
あまりにも眩しくて、目を逸らしたくなる。けれど――逸らせなかった。
まだ幼い少年が見せた、小さな勇気。
それは後に世界を救うことになる勇者の姿なんかじゃない。
ただ、自分より小さな子供を助けたかった。
それだけの、ありふれた優しさだった。なのに。
俺には、その姿がどうしようもなく眩しく見えた。
(……こいつ、本当に勇者になるんだな)
そんな言葉が、初めて頭に浮かんだ。
ただの夢のはずだった。目が覚めれば、きっと全部消えてしまう。それなのに――。
俺は、この勇者ではない少年の人生を、もっと見ていたいと思った。
まだ何者でもない。
ただの村の少年で、幼馴染と遊んで、親に怒られて、笑って。
そんな、ごく普通の少年。
けれど、いつか――何者かになる。
俺は、そんな少年の人生を、最後まで見てみたいと思った。
少女が、ひやひやした様子でアルセインを出迎える。
その表情には、無事だったことへの安堵と、無茶をしたことへの心配が入り混じっていた。頬を膨らませ、眉を寄せながらも、怪我がないか確かめるようにアルセインの身体を何度も見回している。
対するアルセインは、そんな彼女の様子を見て、少し困ったように、それでもどこか嬉しそうに笑っていた。
どうやら、かなり心配させたらしい。
(……これじゃあ、将来尻に敷かれるな)
俺はそんな二人を眺めながら、心の中で苦笑する。
頑張ってくれよ。アル。
しばらくの間、アルセインは拗ねたように頬を膨らませるセレネを宥めていた。やがてセレネは、仕方がないわね、とでも言いたげに小さく笑う。
それを見たアルセインも、ようやく安心したように表情を緩めた。
二人の間に、いつもの穏やかな空気が戻っていく。
しばらくして、ようやくいつもの調子を取り戻したセレネが、ふとアルセインを見つめる。
「アルセインって、本当に勇者みたいね」
そう言われたアルセインは、少し照れくさそうに笑った。
「勇者なんて大げさだよ。ただ、目の前で困っている人を放っておけなかっただけさ」
そう言ってから、アルセインは少しだけ考えるように空を見上げる。
「それに……僕は勇者よりも……」
ほんの少し間を置いて、少年らしい笑顔を浮かべる。
「冒険者の方が好きかなぁ」
その言葉に、俺は思わず目を瞬いた。
まだこの頃のアルセインは、自分が勇者になるなんて知らない。
ただ、知らない世界を見てみたい。いろんな場所へ行って、いろんなものを見てみたい。
そんな、どこにでもいる少年だった。
――この少年が、いつか世界を救う勇者になる。
そう思うと、なんだか不思議な気分だった。
さて、読者の皆様方。
このまま夢の続きを一つ一つ書いていたら、俺は一生この夢から覚められないかもしれない。
というわけで――この先は少しばかり、ダイジェストでお送りしようと思う。
16歳になったアルセインは、同じように村で過ごしていると、聖王国 エルディアから使者であり、同じく予言に選ばれた レオン・ヴァルハイトという剣士とエリシア・フェルミナという聖女が訪れる。ひとつ年上の青年と年下の少女だ。
アルセインは勇者として予言を、セレネは魔術師として予言を授かっているらしい。
後に、親友となる二人であったが、初対面はちょっと最悪だったらしい。
かくして、予言に選ばれたのはアルセインとその幼馴染のセレネだった。
神託は、下った。
『魔王が復活し、世界は混沌へと堕ちる』と
世界を救えるのは、選ばれし勇者アルセイン。
六人の英傑を集め、魔王を討て。
アルセインは迷っていた。
自分が勇者だなんて信じられない。
しかし村を、家族を、セレネを守るために旅立つことを決意するだろう。
ここから、残る四人の英傑との出会いが始まる。
剣士のレオン・ヴァルハイト
勇者と剣の腕を競い合い、最初は経験の差で負けていたが、共に戦ううちに成長して、お互い認め合うように背を任せることになるだろう。
そして親友へ
魔術師のセレネ・アストレア
幼馴染の魔術師。
アルセインが無理をするとすぐに気づき、時には厳しく、優しく。ずっと変わらない。同じ故郷を知っている者同士、支えて支える者同士であり、良き理解者だった。
聖女のエリシア・フェルミナ
レオンと共に村へ訪れた予言を伝える聖女。
傷ついた仲間を救う聖女。
アルセインの優しさを心から尊敬する。そして、人として心配するだろう。
狩人のルカ・フェンリル
魔王討伐の旅の途中、アルセインたちは森で荷物を盗まれる。犯人は狩人兼盗賊のルカ・フェンリルだった。
しかしルカは、盗んだ物資を困っている村人に渡そうとしていた。事情を知ったアルセインは彼を責めず、ルカもそんなアルセインを気に入り、仲間になる。
鍛冶師のガルド・グランベル
魔王討伐の旅の途中、アルセインたちは鍛冶師のガルド・グランベルと出会う。
アルセインの剣が戦いで折れてしまった際、ガルドがその腕を買い、彼のために新たな武器を鍛える。
完成した武器をアルセインに託し、ガルドもまた魔王討伐の旅に加わる。
槍兵のフィン・アルカディア
魔王討伐の旅の途中、アルセインたちは槍使いのフィン・アルカディアと出会う。
フィンは幼い頃からアルセインに憧れており、旅に同行して彼の背中を追いたいと願う。
アルセインはその想いを受け入れ、フィンも仲間に加わる。
こうして六人の英傑が揃う。
そして始まるのだ。魔王討伐の物語が。この夢は、物語が終わるまでは目が覚めないだろう。
いつもよりも長い長い夢になりそうだ。




