7.虹の架け橋の物質化
岸の一角から、湖の慕西島のてっぺんにかけて、みごとな虹の架け橋がかかった。
古代中国人が大蛇か龍と見立てたそのポエティックな比喩も、豊かな想像力のなせる業かな。
まさに現世と異界を、長大な龍が橋渡し役としてつないだように見えた。
とはいえ虹は、しょせんは光の屈折にすぎず、実体が伴っているわけではあるまい。
どうしてこれが物理的な橋となるというのか? 虹の根元に近づこうとしても、やはり光のいたずらにすぎず、見る角度によっては姿を消してしまい、決して近づくことができない。
手を拱いていた、そのときだった。
どこからともなくシャーマンたちの祈りの合唱がこだました。朗々とエコーがかかった大勢の歌声が湖畔一帯にあふれているのだ。
今回私はたった一人で森へやってきていた。とすれば彼らは集落にいながら、空間を超えて支援してくれているにちがいない。
イ族の結束力に私は感謝した。
不意に異変が起きた。
足元の草むらだけではない。ガジュマルの大木、巨大化したシダ類、朽ちた倒木の洞の中から、たくさんのなにかが湖に向けて集まってくる。
虫だ。
恐るべき数の虫がさざ波となって押し寄せる。その七色の帯を覆い尽くさんばかりに上りはじめたから、我が目を疑わずにはいられない。
ザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワ…………。
錯覚ではなかった。
膨大な数のウデムシが列をなし、我先に身体を絡ませながら、虹に重なるようにして上へ上へと嵩を増していくのだ。ウデムシはカニにも似ていることから、左右に素早く横歩きしていた。
そもそもどこにこれだけのウデムシが隠れていたのか? 次から次へとウデムシが湧き出ては虹に重なる形で物質化していく。
そう、まさしく――架け橋の物質化。
ウデムシどもは自らの小さな身体を折り重ねながら、急勾配の橋桁を構築していく。
まるで虫による壮大な組立体操である。ただし橋脚はない。完全に中央で宙に浮いた危なげなアーチにすぎないのだ。
とはいえ、ちゃんと厚みまであった。異次元クラスの天文学的な数を要するだろう。
あれよという間に虫でできた架け橋は完成していった。
「これこそが、『生きた橋』の正体か……」
私は二の句も継けず、その場に立ち尽くしていた。とても現実に起きた現象だとは俄かには信じ難い。
すぐに気を取り直した。
長老が言っていたことを思い出す――わずかな間だけ、橋はかかっているだけにすぎないのだ。
グズグズしていれば、上る途中で崩壊するか、仮に島までたどり着けたとしても、帰りに消失してしまうかもしれない。事は一刻を争う。
ウデムシ製の橋にジャングルブーツをかけた。
虫どもは潰され、プチプチ、バキバキという嫌な音を立てる。それでも橋の形状は崩れない。なんとか足先に物理的な取っ掛かりを感じられた。
こうして私は橋を上りはじめた。
人ひとりがやっと通れるほどの道幅しかないため、高いところまで上れば、それこそ足が竦むにちがいない。
橋桁の感触は不安定で、見た目にもはるか先の方でうねり、撓み、波打っている。これぞ生物の橋に他ならない。
足元でウデムシを踏み潰す手応え――足の裏なのに手応えとはこれいかに、だが――を感じつつ、爪先にグイと力を入れ、身体を引っ張り上げる。
歩幅を大きくして前進。勇気を出して脚を交互にくり出した。
私は両腕を水平に伸ばし、バランスを保ちながら慎重に、けれどもできるだけ早歩きで進んだ。じっさいの虹の発生時間が短いように、これはきっと時間との戦いなのだ。
徐々にアーチの坂を上るにつれ、高度を増していく。
じきに眼も眩むほどの高さになった。
パキパキパキパキッ! バリッボキッブチッ、プチプチプチプチ、パキッメキッバギッバギッ!
ブーツの下で大量のウデムシの潰れる音がする。
虫は潰れると、青紫色の体液を飛び散らせた。虫嫌いの人なら絶叫ものにちがいない。かく言う私だって、顔をしかめずにはいられない。
ウデムシの橋は途中、風にあおられ何度もガクンと撓んだが、なんとか持ちこたえている。多くの犠牲を払いながら、私が島まで到達するのを頑張ってくれている。
アーチの一番高くなったところまで達したとき、ひときわうねったせいで、私は思わず手をつき、踏ん張らねばならなかった。
屈んだ拍子に、カーゴパンツのサイドポケットから携帯電話を落としてしまった。湖に真っ逆さまに落下していく。もはや後の祭り。衛星通信対応の携帯電話だったのに。あれなら圏外であろうと、万が一のときはSOSを発信できたのだが……。
とにかく命があるだけ、よしとするしかない。
私は気を取り直して進むことにした。
畢摩の長老たちも、この魔法の架け橋を渡ったと言っていた。恐らく墜落死した者もいるだろう。とすれば、恐らく日本人で虫製の架け橋を渡ったのは、私が第一号ではないか。
どれほど時間がかかっただろう。
はるか眼下に広大な森と鏡のような湖面を見ながら綱渡りし、やっとのことで慕西島の頂上にたどり着いたのだった。
私は聖地に足を踏みしめると、極度の緊張から解放された。
その場に頽れると大の字に寝そべり、全身で息をした。
◆◆◆◆◆
慕西島の頂上は、ほぼ平坦だった。
およそシングルス用のテニスコート3面半ほどはあろうかと思われる台地である。花崗岩の硬い地面に土が積もり、そこに天梯草とおぼしき高山植物が群生していた。
ヨモギを思わせる尖った緑色の葉には、びっしりと産毛に覆われている。白い可憐な花がそよ風に揺れていた。植物はそれだけ一種類だ。ミツバチが飛び交っていた。
私は今来た架け橋に眼をやった。まずは退路を確保しておくべきだろう。
今のところウデムシ製のアーチは安定している。ここから見れば、いかに急勾配であったか思い知らされた。虫たちは互いに大きな腕で絡ませ、ギチギチと身をよじらせながら健気に耐えている。はたしてあとどれくらい、この姿勢を維持できるやら……。
私は島の突端に立ち、ためしに真下の湖をのぞき込んでみた。
おお……まさか!
これが驚かずにはいられるか!




