↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【虹を渡った男】なぜ『虹』という漢字は虫偏なのか?【中国雲南省由来の異説】  作者: 尾妻 和宥


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/10

5.帰還不能点

「聖地。だったら無断で入るのはまずい?」


「わしの許可がいる。ま、これ次第だが」と、長老は言って、親指と人差し指で丸を作った。「……もっとも、あそこへは自力で渡るのは難しいんだ。このわしだって、年に一度渡れるかどうか。渡るにせよ、それなりのリスクを覚悟せねばなるまい」


「いくらかお支払いできます。ヘリコプターをチャーターしましょう。空からなら手っ取り早い。仮に島のてっぺんが狭い台地だったとしても、懸垂下降ラベリングの経験はありますから、ご心配なく」


 私は身を乗り出して言うと、長老は腕組みしたままため息をついた。


「……それができたら苦労しない。昔、上海の富裕層の連中が、ヘリと言わず、オスプレイ、ハリアーまで総動員して慕西島に挑んだ。しかし空からだと、なぜか(、、、)島の姿が(、、、、)忽然と(、、、)消えてしまうのだ(、、、、、、、、)。湖のどこを探しても見つけられない。したがって着陸することはできない」


「なんですか、それ?」


「幻の島なのか、あるいは現実と異界の境界線に存在しているということなのか。奴らはあらゆる角度で検証してみたが理由がわからん。だからこそ聖地たる所以なのだ」


「だったらボートで島に近づき、下部から登攀とうはんするしかない?」


「それも奴らは試した。ところがツルツルの花崗岩の崖なんだ。まるで神がサンドペーパーで磨いたみたいに滑らか。いくら世界の名だたるクライマーを連れてきたとて、太刀打ちできまい。しかもハーケンすら歯が立たないほど硬い岩なんだ。ロッククライミングしようにも、まるで取っ掛かりすらない。あれは自然現象の代物ではないのだ……」


「では他の方法を考えてみましょう。島の高さは?」


「それこそ男根のようにおっ立っておる。およそ100メートルもの高さだ。……船からドローンでも飛ばすつもりかね? 上海の連中もそれを試した。だがあの島の上空さえも気流が異常なのだ。ドローンは近づいたとたん、通信を断たれて湖へ真っ逆さまだ」


 これにはさすがの百戦錬磨の私も困り果てたよ。

 オスプレイだのステルス機だの、現代科学の粋を集めたミリタリースペックの垂直離着陸機まで用意した大富豪が、手も足も出ずに引き揚げたというからね。

 長老は私をじっと見つめると、煙管きせるの煙をくゆらせ、こう続けた。


「手段がないわけではない。天梯草が欲しくば、雨上がりを待つしかない。空に虹が架かったわずかの間だけ、慕西島へ続く唯一の道が現れるのだ。わしや畢摩ビモたちは、そうやって行き来する」


「虹、ですって?」


 我が耳を疑った。

 虹が架かるのが条件だと?

 長老の口から語られた『道』の正体は、およそ正気を疑うものだった。


「チャンスは雨が止んだあと、太陽が雲間から姿を現したとき、七色の虹が森から島の頂上へとつながる。正確には、森の精霊たちが手助けしてくれ、『生きた橋』となってくれるのだ」


「生きた橋?」


「もっとも、虹はいつの間にか消えてしまうように、渡っている途中、足場がなくなり、湖へ真っ逆さまに墜落することもある。おぬしが言う取引とやらが、自然を貪るだけの不届きな盗人であるならば、虹は容赦なくおぬしを振り落とすかもしれんぞ。それでも行くか?」


 さあ、ようやく話が見えてきただろう、お嬢さん――ひな子さんだっけ?

 あなたがさっきAIで調べた、『虹』の漢字の成り立ち――天と地をつなぐ巨大な蛇、あるいは水を飲みに現れる龍とは一風変わった伝承が、この地にあったわけさ。しかも現在進行形の形で。同じ中国でも、こうも違う起源があったとは、恐らく日本人のほとんどは知らないだろう。




 長老の言葉に、思わず私は生唾を飲み込んだよ。

 全身の毛穴という毛穴が縮むような緊迫感。

 とはいえ、ここで引き下がるわけにはいかない。破格の報酬は惜しいし、なにより日本を発つ前、ハゲに悩むクライアントの執念に背中を押されていた。手ぶらで帰るわけにはいかなかった。私自身の経歴にも傷がつく。


はらを括ります」


 航空業界に、『帰還不能点』という専門用語がある。航空機が離陸し、空港へ戻れるだけの燃料がなくなる限界点をさす。もう後には退けない。


 その日を境に、私は集落に滞在し、ひたすら雨を待った。

 雲南省の年間降雨量は地域や標高差によって極端に異なる。もっとも省全体の平均で見ると約1,000mm〜1,100mm前後だとされている。


 日本のそれがが約1,700mmであることを比較すると、日本よりはやや少なめという印象だね。ましてや雨の8割以上が夏の雨季に集中するそうだ。

 雲南省は典型的な亜熱帯モノスーン気候。1年がはっきりと雨季――つまり5月から10月――と、乾季――11月から4月――に分かれるんだ。ちょうど春先に集落を訪れていたから時期外れだったわけさ。


 ということで、簡単には降ってくれない。

 私は幾日も中国の最果ての山奥で、空を見上げ、手のひらを差し出してすごすことになった。シャーマンたちは護摩焚ごまたきして神に祈りを捧げてくれた。

 こうして我慢比べがはじまったんだ。


◆◆◆◆◆


 ただ無為にあばら家で、ぼうっとすごしてばかりいたわけじゃない。

 まずは現場を下見に行くべきだった。じかにこの眼で見ることにより、もしかしたらまだるっこしい奇蹟を待つまでもなく、なんらかの攻略法を発見するかもしれないだろ。

 というわけで、畢摩ビモの健脚の若者に道案内をしてもらい、私はついていった。


 それにしても中国の深山は悪路そのもの。

 日本のような大人しい森を想像してもらっては困る。雲南省南部のそれは、それこそ亜熱帯性のジャングルさ。

 湿気とむせ返るような熱気で、あらゆる植物が巨大化し繁茂していた。


 『絞め殺しの木』の異名を持つガジュマルがそこらじゅうに立っていた。他の木に巻き付いて成長し、最後にはその主を枯らして乗っ取るんだ。野生のバナナや、人間の背丈をはるかに超える巨大シダ植物が埋め尽くし、行く手を阻んでいた。ろくに獣道すらない。それでも私たちは道なき道を踏破した。


 この分だと雲南省に限らず、途轍もなく広いこの国土には、人跡未踏の地はいくらでもあり、未知の動植物は無数にひそんでいるのではないか。


 野人イエレンをはじめ、サーベルタイガーの生き残りと称される過山黄グオ・シャン・ファン、ロバの頭を持ったオオカミである驢頭狼リュトウロウ……。身震いせずにはいられないね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。