第22話『最悪/最高のタイミング』
「は、ぁっ……!?」
(な、んだこれ……? 腕が腐って……。う、ごけない……)
腕を触られただけだ。一秒にもみたないそれだけで、カナタの全身に腐敗が広がった。最初に触れられた右腕は段々と溶け始め、尋常じゃない痛みと身体の震えが止まらない。
「あ、う、あ……」
今にでも泣き叫びたいが、声すら出てこない。涙がポタポタと地面に落ちる中で、男はカナタに近づいてくる。
それを、
「邪魔! どいて!」
男よりも早くカナタの前に現れたアレスが掌から血液を出し、男を遠くに飛ばした。
そして、焦りを浮かべた顔で膝を曲げ、地面に横たわっているカナタの背中に手を置く。
「カナタ!? 大丈夫!? ――ちょっと待ってて。今――ッ!」
「折角触ったんだから、邪魔しちゃダメだよ」
速かった。飛ばしたはずの男はすぐにアレスの前まで戻り、蹴りでアレスを吹き飛ばしたのだ。
右腕で即座に防いだが、それでも十メートルは飛ばされてしまった。
(チッ……面倒だね。多分、兄さんはあいつにやられたのかな。溶けている感じが一緒だった。あいつが今言っていたし、発動条件は触れることだろう。まずいな。――いや、待って……!)
この間、アレスの脳内では0.1秒にも満たなかった。
触れることで、身体を腐敗させる技だということは見破った。
そして、アレスは右腕を男に触れられてしまった。それが一瞬にして身体に広がるのを見ると、アレスもまずい。
ならば――
「――へぇ、判断が早いなぁ」
左手に血液の刃を生み出し、即座に右腕を切り落とした。考えてから実行までの流れが早く、腐敗は全身に広がらずに済んだようだ。
そして、切り落とした右腕は瞬きする間に再生していた。
「……出来れば、君は今ので動けなくしておきたかったんだけど。君のお兄さんと戦ったばかりだしさ」
やはり。そうアレスは思った。
(やっぱりこいつが兄さんと戦ってたんだね。普通に戦って兄さんが負けるはずないし、油断していたところを触れられたんだろうね。まずは――)
「《切断》」
「うっ!?」
アレスが『権能』を使った。不可視の斬撃が男を襲うが、謎の力で斬撃は別の方向に向かってしまった。
(……重力かな? 変な方向に斬撃が曲がった。……出来るだけ使いたくなかったけど、仕方ないか)
「……ん? 何それ?」
アレスの手に現れた小さいガラス瓶。その中には、赤い液体が入っていた。
男の質問には見向きもせず、瓶の蓋を開け、中の液体を飲み干した。
その瞬間、アレスの髪と瞳の色が茜色となり、これまでとは違う雰囲気を醸し出した。
「はっ!」
「……ッ! パワーが、上がって……!?」
血液を腕に絡めた重い一撃が振り下ろされ、男は受け止める。だが、これまで以上のパワーで押し切られてしまう。
「ッ……近いなぁ……! 離れてよ……」
「上に……」
攻防の末に、男が腕をかざすと、アレスは上空に吹き飛ばされてしまった。
「この隙に……」
そう呟き、男はカナタのもとに歩いてくる。
「はぁっ……うっ……」
今にでも逃げ出したい。が、身体は溶け、思うような動きが出来ない。
それに加えて、
(や、ばい、死ぬ……。頭が回んない……。治癒……治癒魔法で……)
「はぁ……っ!?」
――最悪だ。このタイミングで、頭痛がカナタを襲った。もはや治癒魔法を行う力など微塵も残らず、ただ肉体は腐り溶けていき、頭痛で今にも意識を失いそうになってしまった。
(く、っそ……このタイミングで……? ま、ずい……意識が……。俺、ここで死ぬのか……? 嫌だ……絶対……に……)
――そして、カナタの意識は落ちた。
「……あれ、ちょっと。起きてくださいよ。やりすぎましたか? こんなので倒れるほど弱くないと思ってたんですけど……」
カナタをこんな目に合わせた本人が、そんなことを言い出す。
「うーん、ダメか。期待しすぎちゃったのか……な?」
「動かないで」
次の瞬間、後ろにいるアレスによって全身を血液で拘束されてしまった。
身動きが取れない。そんな中で、唯一動く首を曲げて後ろを振り向く。
「こんなに縛って……。一体何?」
「……よくそんなこと言えるね。どうしてカナタを狙ったの?」
「どうして、か。僕の目的のためだよ。あ、目的が何かとか質問はやめてね? 答えるわけないし。そして――!!」
「なっ……」
その瞬間、男は上空に飛んだ。――いや、引き寄せられるように上っていった。アレスがすぐさま追いかけようとするも、男は空から大声を出す。
「僕に構っていいのかな? 君たちのお友達が死にそうなのに?」
「チッ、あいつ……。――あ」
男の言う通り、カナタをここに放ったまま追いかけるわけにはいかない。空を飛ぶ男から目を背けようとした時、さらにその上から降りてくる、赤髪の少女が目に入った。
「はぁっ!」
「な、はっ!?」
少女が男に蹴りを入れると、骨が折れる音がしながら男は再び地に飛ばされてしまったのだ。
「き、みは……」
「あんたが私の真似をしてた人? 勝手に私の顔をしてお兄ちゃんを襲って、今度はアレスまで襲ってるの?」
それは、アレスの妹である本物のセツナだった。女神のように空からゆっくりと地面に降り、男を睨みつける。
「セツナ! 兄さんはどうだった?」
「アクアさんが治してくれたよ。今はレンゲと一緒に家に帰ってるところ。こっちは何があっ――」
「話してる場合じゃないだろう!」
アレスとセツナが話し、目線が向いていない隙を男は見逃さなかった。
二人まとめて触り、動けなくさせよう。そう考えて近づいた。
しかし、その手が触れる前に――
「《切断》」
小声でセツナが『権能』を発動した。その刹那、二人に触れようと男が伸ばしていた両手は粉々に切り刻まれてしまう。
「あっ……くっ……!」
男はバク宙を繰り出し、なんとか後ろに戻る。やはり、この二人と戦うのは無理だ。
(仕方ない。ここは一旦引くか)
そう思った時だった。"彼"が目に入ったのは。
「カ、ナタ?」
何やらガサゴソと音がし、アレスとセツナは後ろに振り向く。
――そこには、身体が溶け、意識を失っていたはずのヨナギ・カナタが立っていた。




