30話 Adventurers of Venice/ヴェニスの冒険者達
お待たせしました。
洞窟の奥へ進んで、水郷石を取りに行く。先ほど倒したリザードロードが掃除をしてくれていたのか、敵モンスターの姿はみあたらなかった。どうやらぼく達は運がいいようだ。洞窟の突き当たりに青白く光る石の塊がある。ああ、あれが水郷石だ。あれを適当に硬いもので叩いてやれば、割れて、取ることができる。
「見つけたわね、これで一安心」
傍らに立っていたクリアミラもほっとした表情である。万が一ここで敵が待っていたりしたら、ぼくたちとしては非常に困る問題となっていただろう。強敵と戦って倒したという精神的疲労が今頃どっと出てきていた。そのような面も含めて、クリアミラは「一安心」と言ったのだとぼくは思う。
「後ろよろしく」
頷いて肯定の意思を示したクリアミラに後ろの警戒を頼んで、ぼくはアイテムから小型のトンカチを取り出した。冒険者に必要なセットを持っていなかったので、少し前に購入したのだけれど、あるとものすごく便利な代物が多い。例えば携帯の松明だとか、ロープだとか、あと保存食。味には疑問符がつくが、充分に役に立つアイテムがそろっているのだ。これもそのひとつ。残念なことに小型過ぎて武器としては使えない。捕った獲物を解体する用に小型のナイフもあるが、これも同様だ。
目の前の水郷石をこんこん、と叩いてやると、掌を広げたくらいの欠片が大きな水郷石から割れて、地面に落ちた。拾って、アイテムストレージに放り込む。依頼された分は3つ。同じ動作を2回繰り返して、掌大の淡く水色に光る石を回収する。
「終わったよ、クリアミラ」
「OK、帰りましょうか」
にこり、と破顔した彼女に合わせるようにぼくも笑って、この洞窟を急ぎ足に出る。この洞窟のある地点から奥──つまりはリザードロードと戦闘をした地点からこちら側──には敵がいなかったが、向こう側はそうとは限らない。ぼくの“オーバーモンスター”という特性も含めて警戒する必要がある。そのことを、ぼくも、そしてクリアミラも分かっていた。厄介なことに、それが出現するのはほとんど、何かしらの依頼を達成するような状態になってからだ。つまり、本当の意味で、この場合は戦闘するのが困難な敵という意味になるけど、そのような敵が現れるのはまさに今からだとぼくは考える。
ぼくも、クリアミラも笑っているけれど、警戒の度合いはさっきより強いんじゃないかな。
リザードロードを倒したということは、それ以上の敵が出てくるというようなデータに更新されているはずだ。未知のこちらよりも強い敵。この字面だけみるとかなりひどい。まさに勝てる気がしない、というやつだ。そろそろと慎重に歩いて、角が来ると覗き込んで安全を確認してから、そこを曲がる。もうすぐ入り口。今のところはオーバーモンスターのようなものは見当たらない。正直な話、一番怖いのは入り口に待ち構えているということだけれど。今の場所から入り口までは、5分もない。
入り口にたどり着いても、ぼくらが警戒したような奇襲はなかった。「上から来るぞ! 気をつけろ!」も「下だ! 下にいる!」といったような状況も発生しないまま終わりである。警戒した分拍子抜けしたような気分になったが、本来ならば、これが一番いい。
「よし、モンスターは待ち構えていない。……今回はぼくの運の勝ちだ」
ぼくの口から思わず、と言った感じで零れ落ちたその言葉をクリアミラが耳聡く拾っていた。「ふふふふ……」と笑いを隠せないような雰囲気がにじみ出ている。うん、全く隠せてない。ここまで行くと逆にモロバレという奴ではないだろうか。
「運ってなによ、運って」
自分の発言がトリガーになったように、彼女は耐え切れず笑い出した。出会ったころから思っていたことだけれども、もしかして君は相当に笑いの沸点が低いのか、それとももっと小さいころにワライダケでも食べたのか、と聞きたい気分である。そんなことを言ったら彼女の笑いに薪をくべるだけだから、やらなかったけど。
「はぁー、笑った笑った」
クリアミラの笑いの奔流が収まるのを待ってから、「戻るよ、クリアミラ」と彼女を促した。さっきの笑い声につられてモンスターが来ないとは言い切れない。その前に危険領域になりそうなここからは逃げ出すべきだとぼくは思ったのだ。クリアミラの左手を引いて、急ぎ足でメルトラン洞窟から離れる。洞窟に侵入する前に倒したスライムがいたが、それとは別固体のスライムがまたポップしていた。いつもならばドロップ品目当てに交戦するのだけど、今回はやめておく。
スライムは動きが鈍重だ。だから、ぼくが手を引いているクリアミラも含めて、素早く移動すればスライムとの距離は自然に開いていく。ネックだった機動力の低さは【舞空術】で解消済みだ。
「どうするの」というクリアミラの問いに、「逃げるよ」と短く答えて、ぱっと手を離して走り始める。エルフは筋力が低いけど、素早さ、敏捷性は高い。──エルフと並ぶ二台巨頭といってもいいかもしれないドワーフはその逆だ。閑話休題。
全速で走れば、スライムは追いつけない。しばらく走ってから後ろを見たら、スライムは既に小さな影となっていた。ここからテトラパッカには乗合馬車を使わなければならないが、時間帯が微妙すぎる。12時ごろから2時ごろまでは乗合馬車は出ない。だからどこかで時間を潰さなければならん。歩いていける距離に小さな町があったから、そこに行こうか、どうしようか。
「トランの町に行くの?」
クリアミラは、ぼくが歩く方向でどこに行くのか検討をつけたのかそう聞いてきた。
「そう、この時間だと乗合馬車は出てない。だからまぁ、ゆっくり休憩でもする気分でね」
彼女は髪をかきあげて、腰に右手を当て、「まぁ、そうね」と返事をした。彼女が髪をかきあげた瞬間の表情と、腰のくびれに思わず視線が吸い寄せられたが、彼女の女性としての魅力に関しては自分の意識の外に置くようにする。いや、彼女に魅力がないということではない。むしろその逆だ。ぼくだって女性に興味がないわけではないから、もちろん無意識で彼女のことを気にしてしまう。オトコとしてのサガというやつだ。もう本能の領域だからどうしようもないけど、それでクリアミラに不快な気分を味あわせるわけにはいかない。
自分の本能をねじ伏せ、視線をずらす。
「ま、時間もいい感じだし、そうしましょうか」
彼女は屈託なく笑って、ぼくに同意した。弾けるようなその表情を見ると、自分が馬鹿に思えてくる。うん、やっぱりあんまり考えないようにしよう。そのことは。
ぼくとクリアミラが目的にしている小さな町。街ではなく、町である。テトラパッカどころか、ワックタウンよりも規模は格段に小さい。だから、冒険者ギルドに代表される各種ギルドも置かれていないし、宿のような長期滞在のための施設もない。だから、本当に休憩のためだけによるのだ。そのため、カフェのほかにも観光地のような立地をしている。また、各種消耗アイテムはより安く購入することができる。そういった実利面もあって、この町は冒険者がよく立ち寄る町となっているのだ。まぁ、これはハヤトからの受け売りであるが。
「見えてきたわねー。こじんまりしてる」
またも、右手を腰に当てて、左手を額に添えて門を仰ぎ見るクリアミラ。いかん、考えるな。
「とりあえず、食事でもいく?」
ステータス画面を開くと、同時に、現在時刻も表示される。それによると、現在11時41分。仮想世界で食事を取って、現実世界のほうでも食事を取るにはちょうどいい時間だ。
「いいわね! パスタとかどうかしら?」
「乗った」
実際のところは何でも良かったから、彼女の提案に乗る。もちろん、そんなことは言わない。……なんだよ、女性に縁のない僕でもそれくらいのデリカシーはあるぞ。門をくぐると、そこには今まで来た街とはまた違う雰囲気に包まれていた。そうだな、海辺だし、大量の水をどこからか引いてきているんだろう、町のいたるところに運河があった。そう、ヴェニスだな、ヴェニス。つまりはヴェネツィアだ。
「さてさて、おいしそうなイタリアンはあるかしら?」と、きょろきょろと彼女が辺りを見回す。さすが観光地。食事を出していそうな店はたくさんあった。クリアミラもどうやら検討を付けにくいようだ。どうしようか。
「ああもう面倒くさいわ!」
堰を切ったように首を左右に振ると掲示板を呼び出したクリアミラはすごい勢いで検索をかけていく。ぼくはその剣幕に少し置いていかれたような気分である。こうなったら納得するまでなにも手を出さないほうがいい。ぼくは感覚でそれを理解していた。俗にいう第六感である。まさかこんなところでそれを使うとはまったく考えていなかったが。
「ここがいいわね、ああでも……まぁここかな」
ぼくは手持ちぶさたなので、どんな店がいいか四苦八苦しているクリアミラを見たり、海の近くらしく、いつもより眩しく光る空の太陽に目を細めたりしていた。海辺ではあるのだが、乾燥しているのか、雲はあまり見当たらない。日本というよりはイタリアとかあっちの地中海のようなイメージが近いと思う。
「何してるの、行くわよ」
「あ、ごめん」
いつのまにか、歩き出していたクリアミラにぼくは慌ててついていく。晴天に心を奪われていた。うん、でもこんなことも悪くない。それから、時々クリアミラが掲示板を呼び出しながら細い路地を右に左にカクカクと曲がっていくと、こじんまりとしたイタリアンレストランがあった。
「ここね!」
やっとみつけた! といった様子で口を開いた彼女と対照的に、ぼくはその勢いに押され、苦笑を洩らすばかり。うーん、これはやっぱり、男女の差というよりも、気質の差だろうか。
店の中に入ってあいている2人席に向い会って座り、メニューを開いてサッサと注文を済ませる。見るからに海の近くの町である。クリアミラのいうところのおすすめ品がいいだろうとぼくも考えた。「海鮮のトマトクリームパスタ」という名前からして普通においしそうだから、うん。
「このあと、妖精さんはどうするの?」
料理が来るまでの待ち時間、今後のことを話した。それだけ聞くと深刻そうに見えるだろうが、実際のところはそんなことはない。仮想世界で昼食を済ませた後現実に帰還するかどうかの話である。ぼくは一度戻ることにしたが、クリアミラはもう少し世界を楽しんでいくことにしているそうな。あとは合流地点。実際のところはテトラパッカになった。様々な利便性を考えた結果である。そんな話をしたあとは、運ばれてきたパスタに両者舌鼓を打つだけだった。黙ってても心地よい空気感というのは、恋人友人その他問わず、相性がいいということらしい。その点でぼくと彼女は問題はなさそうだ。
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