第4話 嫦娥ぁぁぁ! 〜稗田阿求による記録〜
※この作品は、上海アリス幻樂団様の「東方Project」の二次創作です。
第4話は、董卓の登場回です。
少帝の廃位と、曹操の暗殺未遂があります。
稽古は、白玉楼の縁側で行われた。
「董卓の台詞は、こちらです」
私が差し出した台本を、純狐さんは、じっと見つめた。
「暴君の役なのね」
「史実どおりです」
「いいわ。やるわ」
珍しく、一番乗り気だった。台詞も、一度で覚えてきた。
「余に逆らう者は、一人残らず斬る。この天下は、余のものだ」
台本どおりである。私は、安堵した。この安堵が、のちほど、何の役にも立たなかったことは、記録しておく。
その隣で、蓬莱山輝夜さんが、台本の自分の頁を見つめていた。
「……私は、何をするの」
「玉座に座っていただきます」
「それから」
「それだけです。台詞は、ありません」
「偉い役って、言ったわよね」
「献帝は、位は一番高い役です」
輝夜さんは、台本を閉じて、にっこりと笑った。声は、笑っていなかった。
◇
本番の日、舞台の上には、都の宮殿が組まれた。
河童たちの仕事である。玉座の裏には、回り舞台の仕掛けがあったが、使う予定は、ない。にとりさんが、袖から残念そうな顔をしていた。
幕が上がると、少帝役の秦こころさんが、玉座から引きずり下ろされた。台本では、廃位の場面である。台詞は、一言もない。
無表情の面は、廃位の拍子に外れて、下から別の面が出てきた。泣き顔だった。観客は、感動していた。
袖から、黒い装束の三人が堂々と現れて、こころさんを猫車に載せ、運んでいった。
「……あれは、何」
袖で出番を待っていたレミリアさんが、日傘の陰から、小声で尋ねた。
「少帝の退場です」
「見えているわよね、あの人たち」
「見えないことになっています」
猫車は、レミリアさんの前を、堂々と通り過ぎていった。
入れ替わりに、新しい帝が、玉座に座る。輝夜さんの献帝は、背筋を伸ばして、微笑んでいた。
その前に、董卓が、ゆっくりと歩み出た。
純狐さんの衣装は、黒と赤である。それだけで、観客が静まった。
「余に――」
純狐さんは、そこで一度、息を吸った。
「嫦娥ぁぁぁ!」
台本には、ない台詞である。
観客が、息を呑んだ。
「……なんだ、あれは」
「名前か? 誰かの名前か」
「董卓の、怨敵では」
深読みが始まった。
「嫦娥ぁぁぁぁぁ!!」
純狐さんは、天に向かって、もう一度叫んだ。屠自古さんの雷が、袖から合図に合わせて落ちた。にとりさんの仕掛けが、天井の照明を明滅させる。観客席から、どよめきが上がった。
玉座の輝夜さんは、笑顔のまま、小さな声で呟いた。
「……私じゃないわよ」
聞こえたのは、袖の私と、慧音さんだけだったと思う。
「嫦娥ぁぁぁ!」
台詞は、その後も、全部、嫦娥だった。
「余に逆らう者は」も、「この天下は」も、「斬る」も、すべて、「嫦娥ぁぁぁ!」に置き換わっていた。観客は、感動していた。私は、台本の余白に、筆を走らせた。
――董卓役、台詞を全面的に変更。嫦娥とは誰か、回答なし。
◇
場面は、董卓の私室に移る。
台本では、ここで、曹操が七星剣を携えて現れる。董卓を暗殺するためである。
舞台の奥から、日傘をさしたレミリアさんが、静かに入ってきた。
「董卓様に、宝刀を献上いたします」
台本どおりの台詞である。ただし、レミリアさんの目は、本気だった。
董卓役の純狐さんは、背を向けて、横になっている。台本では、ここで、鏡に映った曹操の姿を見て、董卓が気づく。鏡は、河童たちが用意した。
純狐さんは、鏡を見なかった。
「……嫦娥」
天を見上げて、小さく呟いた。
レミリアさんの手が、止まる。台本には、「曹操、気づかれる」と書いてある。しかし、気づかれていない。今なら、刺せる。
刺せば、史実が変わる。
レミリアさんは、七星剣を握りしめたまま、しばらく動かなかった。観客は、固唾を呑んでいた。袖の慧音さんが、手を合わせているのが、見えた。
やがて、レミリアさんは、深いため息をついた。
「……仕方ないわね」
剣を、わざと、音を立てて、床に落とした。
「あら、手が滑ったわ」
純狐さんが、ようやく振り返る。
「嫦娥ぁぁぁ!」
「台本どおり、逃げるわよ!」
レミリアさんは、日傘を広げて、舞台の袖へ駆け出した。屠自古さんの雷が、その背後に落ちる。文さんが、袖から風を吹かせて、日傘が大きくあおられた。
「ちょっと、風が強すぎるわ!」
「台本どおりです!」
袖から、小さな声が返ってきた。文さんである。
私は、台本の余白に、書き込んだ。
――曹操役、暗殺を断念。史実を守るため、失敗の演技に苦戦。
◇
幕が下りた。
舞台の袖で、文さんが、号外の束を抱えていた。曹操が各地に送る檄文を、新聞にして、観客に配るという。
見出しは、「曹操、董卓を討つべし!」。
私が書いた覚えは、ない。
袖の慧音さんが、また額に手を当てていた。
(第四話 了)
本日の配役
董卓 純狐
献帝 蓬莱山輝夜
少帝 秦こころ
曹操 レミリア・スカーレット
舞台美術 河城にとり/河童たち/蘇我屠自古(雷)/射命丸文(風)
黒子 火焔猫燐/小野塚小町/宮出口瑞霊
台本・記録 稗田阿求
備考 董卓役は、全台詞を一語に変更していた。
第4話をお読みいただき、ありがとうございます。皆月葵です。
今話は、董卓の登場でした。
少帝の廃位と、曹操の暗殺未遂があり、輝夜さんの「偉い役」にも、ひとつ答えが出た回です。
董卓の台詞は、台本では何行もありますが、聞こえてくる言葉は、ほとんど一種類でした。
次回は、呂布が登場します。
その体は、一つではありません。
感想や、「この人にこの役が合いそう」という案があれば、お気軽にどうぞ。




