4. 勝手に畳まれている洗濯物(後編)
恒一がほぼ日課になっているコンビニへの買い物に向かう途中、寶積寺の境内をとぼとぼと歩いてくる男に出会った。男は恒一の姿を目に留めると、力ない笑顔で挨拶をしてきた。
「ああ、こんにちは、鏃くん」
一瞬誰か分からずにマジマジと顔を見てから、恒一も慌てて答えた。
「あ、こんにちは、暮守さん。制服じゃないから一瞬誰か分かりませんでしたよ」
近くの交番に勤務している暮守巡査だ。巡回連絡や、交通課の応援で事故車両を探しにきたりと、何度か恒一とも面識がある。
「どうしたんですか、勤務でもないのにこんなところで?」
もちろん恒一は暮守の私生活など知らないので、どこに住んでいるのかもわからない。もしかしたら近所に住んでいるのかなと想像する。
「いや、ちょっとそこの家の人に用事があったんだけどね……ちょっとうまくいかなくて」
暮守が指したのは、寶積の家だった。寶積寺の住職や蓮が住んでいる。一階は蓮の会社の事務所になっているはずだ。
「お休みの日に、ですか」
恒一は不思議に思った。非番の警察官が蓮の家になんの用事だろう? 勤務中なら何かやらかしたと思うんだが。いや、くるなら税務署員の方が確率高そうだな。
恒一がバカな想像をしているとは知らない暮守は疲れた笑みを見せた。
「高校時代の友人でね。ちょっと厄介なことがあって相談に乗ってもらったんだけど……」
「え、暮守さん、蓮兄の友達?」
暮守が最後まで言う前に、恒一が驚きの声を上げた。
「ああ、裏側がお隣さんだよね。知ってて当たり前か」
「遠縁でもありますよ」
暮守がこの地に赴任してから1年程度だ。人口がそこそこ多い地でもあり、住民の関係をそこまで把握できてはいない。
「でも蓮兄のところに用事って、もしかして……」
「ああ、実はね……」
暮守から簡単なあらましを聞いて恒一は後悔した。蓮の案件なのだからそういう話だと薄々は感じていたが、まさかお巡りさんからそんな話を聞くとは思わないのが普通だろう。
「それにしても、下村さんかぁ」
「知り合いか?」
「登下校の交通安全ボランティアを長年されてたから、この辺で育った子供はだいたい知ってますね」
特にこの辺りは通学路と駅に行く道が重なるので、小中学校を卒業しても挨拶をしているのが常だった。
「寶積には十万円でなんとかすると言われたんだけどね……」
ガックリと肩を落としている暮守には悪いが、恒一は苦笑するにとどめた。湊を見ているとどこにそんな費用がかかるのかさっぱり分からないが、内情をほとんど知らないので口を出せるわけでもない。
知り合いからも容赦なくとるんだなあ、と微妙な気持ちにはなったが。
下村さんのことは気になるが、それでも怪奇な現象には関わりたくはない。
立ち話はそこまでにして挨拶を終えると、恒一は当初の目的であるコンビニに向かった。
湊が普段言っているのだから、下村さんもいずれ消えるはずだ。それまでそのコインランドリーには近づかないようにしよう。
『おはよう、恒一くん、いってらっしゃい!」
通学路を通る子供の名前を覚えて声をかけてくれる人だった。恒一は、専門学校を卒業するまでの十四年間、ほぼ毎日声をかけてもらっていた。
親が亡くなったと知って、とても気にかけてくれたことも覚えている。
当時、誰の世話にもなりたくなくて、恒一の生活はやや荒れていた。そんな恒一が着ていたしわくちゃな制服のシャツを気にして訪ねて来てくれたことを思い出した。
アイロンの掛け方を教えてあげると言われて、思春期な恒一は突っぱねてしまったが、下村さんは交差点で会うと変わらない笑顔で声をかけてくれていた。
いい人だった。
思い出すと寂しくもなるが、恒一はかぶりを振る。
気にならないわけではないが、やはり関わりたくはなかった。
§
コンビニから帰ると、珍しく出掛けていた湊が戻っていた。すでに着替えてラフな格好でソファにだらりと寝そべっている。
「戻ってたのか。なんか食う?」
コンビニの袋を少し持ち上げて見せると、湊は気怠げに体を起こす。
「スティックパンある?」
「あるよ」
袋から取り出して投げてよこすと、キャッチした湊がベリっと力任せに開封して、一本を口に咥えたまま再び寝そべった。
行儀の悪さは気にしないで、恒一はお茶のペットボトルも傍に置いてやる。
自分はコーヒーのスクリュー缶を取り出して残りの袋をおくと、ソファに腰掛けて一口飲んだ。
「……下村さんかぁ」
「誰?」
先ほどの暮守とのやりとりを思い出してなんとなく呟くと、いつのまにか咥えていたパンを一本消費した湊が反応した。
「覚えてないか? 学校行くとき交差点で旗振ってたおばあちゃん」
「覚えてない」
予想通りの即答。
中学時代から、湊はあまり家に帰らずに恒一の家に入り浸っていたので、一緒に登校したことは何度かある。何度かしかないのは、恒一は部活の朝練に参加していた上に、湊はほぼ遅刻していたからである。
湊の自宅からは下村さんのいた交差点は通らないので、自宅に戻っていた時は時間通りに出たとしても会っていなかったはずだ。
「なんか、コインランドリーに出るらしいんだよ」
次のパンを噛みちぎろうとしていた湊は、そのまま動きを止めた。
「毎晩のように放置された洗濯物を畳んでるんだってさ。何が気になったんだろうね」
どこかで聞いた話だ、と湊はパンを咀嚼しながら考えた。面倒な報告書やらとを書かされている途中にやってきた男。蓮の知り合いらしかったが、さっさと奥の部屋に逃げたので顔は見ていなかった。後から使っていたノートパソコンを事務員の衣縫が持ってきてくれたのでそのまま報告書は書き終えたが、しばらく男と蓮が話していたので部屋から出ることもできず、なんとなく話を聞いていたのだった。
蓮の提示した十万円でという価格は、本人が言っていた通り破格である。人件費を除いた経費がガソリン代と高速代程度の、沼田リフォーム案件(2. 夜中に勝手に起動しているPC参照)だっておそらく三〜五十万は取っているはずだ。なお、チャッカマ◯は湊の個人所有物である。通販で買った。
危険手当がつくような案件だと三桁、中には四桁万をもらうこともあるらしい。蓮の顧客はなんかおかしいので、湊は絶対に深入りしないことにしている。おかしくなくても他人に深入りできないことは置いておく。
「まあ、いつも湊が言ってる通り、そのうち消えるんだろうなぁ」
どことなく寂しそうに言う恒一。
こういう時、彼は別に湊に頼ろうとはしていない。言葉通り、気にはなるけどいずれ解決することもわかっているはずだし、そもそも関わりたいとも思っていない。
湊はパン一本分の時間だけ考えた。恒一が気にしてるのは明らかだ。それに、蓮も気に入らない。まだ以前に恒一を巻き込んだことには腹を立てていた。割引価格とはいえ、あの守銭奴の収入を減らしてやるのも悪くはない。
湊への給料の支払い元がどこかは考慮しないことにする。
「僕が行く」
「え?」
何を言われたかわからない顔をして、恒一が湊を見た。
「下村さんの話。コインランドリーに、僕が行く」
「湊が!? 正気か!?」
「なんで正気疑われてるのかな」
確かに湊が自分から外に行くなんて言ったことはないかもしれないけど。一応恒一の気持ちにも配慮したつもりの湊は憮然とする。
「え、いや、悪かった。蓮兄はいいのか?」
「今更。前から蓮さん関係なくやってるでしょ」
「確かに」
過去に巻き込んだ自覚のある恒一は納得したが、今までの話は蓮の元に持ち込まれた話ではない。今回、すでに蓮に話が通っている案件を掠め取るつもりだが、それを説明する気は湊にはなかった。
「ただ」
湊はそっと目を伏せた。
「そのコインランドリーまでは連れて行って欲しい」
引きこもり、一人では外出できないのであった。
§
恒一の仕事の関係で、翌日……からさらに日を跨いだ深夜二時二十分。
西澤コインランドリーから少し離れたコインパーキングに、恒一は車を停めた。
助手席から降りた湊は、スーツこそ着ていないがサングラスにマスク、フード付きパーカーは完備である。恒一はスウェットにTシャツというラフな姿で運転席から降りた。ここで行きたくないと騒いでも仕方がないことはわかっているし、せっかく湊が自分から出ると言ったのだ、なるべく協力もしたい。
静かにドアを閉め、すぐそこのコインランドリーに向かう。湊は少し辺りを見回すと、コインランドリーから少し離れた暗がりに向かった。
「どうした?」
小声で声をかけると、湊は暗がりの一角を示した。
「そこで寝てる」
「寝てる?」
「毎晩現れるような霊って、だいたいそれ以外の時間は活動してない」
「あ、ああ」
それはそうだ。今回のように暮守や他の人にも見えているなら、常にその辺をうろついている下村さんの霊を、知り合いの一人や二人目撃している方が自然だが、そんな騒ぎにはなっていない。
「極限まで霊力が薄い状態で、その辺にいるんだよ。特定の条件で現れて、活動する」
本当に横になってるとか眠っているわけではなく、存在感を極限まで薄めて活動停止状態になっていることを「寝てる」と表現しているらしい。
また嫌な話を聞いた、と恒一は眉間に皺を寄せる。
「その辺にたくさんいるわけじゃないよな」
「普通はいないから安心して」
湊はそう囁くと、再び暗がりに目を向けた。
「そろそろ起きるね」
湊の言葉に呼応するように、ぼんやりと下村さんが現れた。
途端に、ゾクリと恐怖とも不快感とも取れる感情が恒一の中に湧き上がってくる。恒一はグッと歯を食いしばった。
どう見ても下村さんだ。子供の頃から「いってらっしゃい」と声をかけてくれた優しい人だ。何も怖いことなんかないはずなのに。
下村さんを追いかけるように歩き出した湊を慌てて追いかけた。
下村さんは、話に聞いていた通り、コインランドリーのドアを開けると、中へと入って行った。
恒一と湊は、ガラス戸の外から中を覗き込む。
いくつかの乾燥機の中に、すでに洗濯乾燥が終わったと思われる洗濯物が残されていた。
そのうち一つのドアを開けると、下村さんは据え付けられているテーブルの上に取り出して、たたみ始めた。
「もしかして、これが心配だったのかな」
湊がぽそりと呟く。
下村さんが畳んでいるのは、近隣の小学校の体操服だった。
恒一が通っていた時からデザインは変わっていないので、よく知っているものだ。
恒一はごくりと唾を飲み込み、拳を握りしめるようにして怖気を抑え込む。
「……下村さん、らしい」
少し声が震えていたかもしれないが、湊は何も言わなかった。
雨が降っても交差点に立ち続けていた人だった。
こんな時間に子供の服があって放置されていて、明日間に合うのかな、とか畳まずに置いておいたらシワになる、とか。そんな心配をしていてもおかしくない。
恒一の、しわくちゃの制服を心配してくれたように。
「どうする?」
短い質問に、恒一は首を傾げて湊を見る。
「このまま浄化もできるけど。何か伝える?」
「何かって……」
下村さんに目を向けた瞬間、また気持ちが悪い悪寒が走る。何か声をかけるなんて、とても無理だ、と思った時。
「これで、どう?」
そんな言葉と共に、湊の両手が恒一の視界を塞いだ。
「え、湊? なんだよ?」
意味がわからず戸惑う恒一に対して、湊は冷静だった。
「多分恒一のそれ、視覚からきてる。塞いだらマシにならないかな」
一度手を外して恒一の顔を見上げると、ため息をつく。
「でかいんだよ、恒一。腕がだるい」
「いやそんなこと言われても」
確かに、先ほどまであった恐怖や不快感はずいぶん治った。
だが、下村さんに目を向けると、再び復活する。確かに「見る」ことが関係してそう、と言われれば自分でも納得してしまう。
思わず目をつぶったが、すぐに恐怖感が消えるわけではなかった。
つぶったままの恒一の目を、湊の手がふわりと覆う。
その瞬間、恒一の中にあった嫌な感じが拭われるのがわかった。
「なんかしたのか?」
「した。そのまま目を開けなければ、話しかけることはできると思うけど」
詳しい説明はせずに、湊は引き戸をカラカラと開けた。中がどうなってるのかはわからない。
「"下村さん"」
自分の口から出た声が自分の声ではないような違和感があった。湊が霊に話しかけるときと同じような、ほんの少し響きが変わったような、わずかな違い。
「"えーと、ありがとう"」
咄嗟に何を言えばいいのかわからないまま、なんとか言葉を紡ぐ。
「"ちゃんと、アイロンもかけられるようになったから。気にかけてくれて、ありがとう"」
もしかしたらもう覚えていないかもしれない。車の免許を取ったこともあり、専門学校を卒業してからは下村さんのいた交差点を渡ることもすっかりなくなった。
長い間大勢の子供達を見守っていた下村さんが、その中の一人にすぎない恒一のことなんか忘れていてもおかしくはない。
正直、恒一だって今回の件があるまで忘れていたのだ。もちろん言われれば思い出したが、常に頭にあって気にしていたわけではない。
それでも思い出してしまえば出てくる心残りを、恒一は口にした。
目をつぶっているから、どうなっているのかはわからない。
自分に話をさせることで、あとは湊がなんとかする、その信頼だけで思い出した後悔を言葉にしただけだ。
『恒一くん、元気でね』
毎朝元気に挨拶してくれた声が耳を掠めた。
たぶん、下村さんは荒れてから立ち直るまで、全部お見通しだったんだな、と恒一は思わず笑った。
「もう目を開けていいよ」
そう言われて開けた視界には、畳み掛けの洗濯物が積まれているテーブルがあるだけで、下村さんはもうどこにもいなかった。
§
「結局、あれ以来洗濯物が畳まれてることもないらしいんだよなぁ」
一週間ほど経って、恒一はいつものコンビニで暮守とばったり顔を合わせた。休憩中らしく、忙しなく買い物をして出て行くこともなく、恒一はコインランドリーの件で声をかけられる。
「あれは気のせいじゃなかったんだけどなぁ」
毎日畳まれていた洗濯物が数回途中で放置され、以後畳まれることがなくなった。
それ、一回は暮守さんで、一回は自分たちだな、と恒一は心の中だけで呟く。
「まあ、蓮兄に大金払わなくて良かったんじゃないですか?」
蓮からすれば案件一つ逃したことになるけど、多分大して痛くはないだろう。
「それもそうだな。でもなんだか落ち着かないまま終わったよなぁ」
納得できない暮守がレジに呼ばれ、恒一も別のレジで会計を済まして、そのまま別れる。
相変わらず自転車に乗ることが多い暮守の白チャリを見送って、恒一はなんとなく自分の目を手のひらで覆った。
「結局、なんで俺は怖いんだ?」
湊の見立てであの時恐怖は確かに和らいだが、疑問だけが残る。
「まあ、考えても仕方ないか」
世の中には怖いものがいる。
それを消して回ってる湊みたいな人間もいる。
「結局俺は車の修理しかできないし」
わからないものを考えても、答えは出ない。
まあ、なんとかなるだろ。
またソファに寝そべってゲームでもしているだろう同居人を思い浮かべる。
なんとなく、本当になんとかなるだろうという気持ちになって、恒一は工場へのショートカットの道のりを戻って行った。




