↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/20

9. 止まれ(前編)

「篠橋(しのはし)さん、先日の標識撤去について問い合わせが入ってます」


 篠橋は少し前に、整備士を辞めて自治体職員になった。なお、作業着は胸のネームをディーラー名から自治体名に変えて着いてきた。

 今朝も作業着で出勤したところ、別の職員から電話が入ってると伝えられた。


「先日の標識?」


 思い当たる標識の件といえば一つしかない。

 農村集落の市有地山中に、突然道路標識が立てられた。

 そこは道路ではなく、昔、入会地だった頃の休憩所のようなもので、今では少しだけ開けた土地の脇に地蔵のようなものがあるだけの場所だ。そんなところにある日突然、道路標識が立てられた。篠橋にはもちろん、地元の人にも訳がわからない。

 上司から笑顔でセーバーソーを渡されて、篠橋は先輩や同僚と一緒に撤去したばかりだった。

 山中だというのに基礎もしっかり埋まっているそれを、誰がこんなことするんだろうという疑問と共に、ひとまずポールを切断し、標識板を含む上部だけを回収した。特に問題はなかったはずだ。


 なんかやらかしたっけ、クレームだったら嫌だなぁと思いながら電話を変わった篠橋は、再び標識が立てられてるという報告を集落の人から受けたのだった。



     §



 恒一は、学生時代の仲間の多くと今でもメッセージアプリで繋がっている。自動車大学校時代の友人で作ったグループトークも現役だ。

 当然現職の整備士が多いので、何か新しいタイプの商品が出たとか、どこかでリコールがあったりすると今でも盛り上がるグループである。


 来客がなく事務所で仕事をしていたその日、グループは全く別の理由で賑やかになっていた。

 そのグループトークに、妙なスクリーンショットが貼られたのである。

 内容はSNSの投稿で、「山中に生える道路標識」。それだと珍風景のような扱いだが、その写真にグループのメンバーが写っていたことから盛り上がっているようである。


〈これ、篠橋じゃね?〉


 最初に記事を貼った投稿に、篠橋はすぐに反応している。


〈俺だよ俺。なんかこれ、マジで変なんだけど〉

〈こんなとこでオレオレ詐欺か、いやオレオレ作業〉

〈整備士離脱組、結局作業着から逃れられてない〉


 気の置けない仲間が好き勝手言っている中で、恒一はその写真から何か嫌なものを汲み取った。


 仲間のからかい半分のコメントを他所に、篠橋は続けていた。


〈これ、車なんか入れない山道にいつのまにか設置されてた。そこまでは手の込んだイタズラかと思えるんだけど〉

〈思えねえ〉

〈意味わかんねーだろ〉

〈見た目も重さや質感も本物っぽいし、基礎まで埋め込まれてる〉

〈どゆこと?〉

〈山道ってどんなん?〉

〈手の込んだイタズラってレベルじゃないよね?〉


 篠橋の話と仲間のやり取りが続いていく。

 山道で、車や重機が入れないような場所に、基礎からきちんと埋め込まれた本物のような道路標識が設置されていたこと。

 基礎から掘り起こすのは、場所を考えるとかなり難しいので篠橋がセーバーソーで切断したこと。


〈さすが整備士より整備してる男〉


 篠橋は市役所支所の環境保全課で働いている。整備士を辞めて公務員になったのに、結局山林整備などが仕事、というのが仲間内のネタになっていた。

 現役整備士の多いグループトーク、話はすぐに撤去の工法や工具へ逸れる。恒一も普段ならその話題に乗るところだが、他が気になって静観していた。


〈車入らんのだろ、どうやったん?〉

〈発電機その他担いで登った〉

〈まさかの有線式?〉

〈有線しかない〉


 ここですごい!、マジで!?、などのスタンプが続いている。それはそうだろう。発電機はかなり重いはずだが担いで登るとは。


〈二回やった〉

〈二回!?〉


 篠橋からもう無理⤵︎、のスタンプ。と共にコメントが入る。


〈で、二回やったのにまた生えた。それがその投稿。少し市内で話題になり始めて野次馬みたいなの来てた〉

〈うわぁ〉

〈何その怪奇現象〉


 話が戻ったところで、恒一もメッセージを入力した。


〈それ、いつからある?〉


 短いメッセージにもすぐ反応する篠橋。


〈最初の撤去は三週間前。先週、二回目。一ヶ月以上前からあるみたいだけど正確なところはわからない〉


 それに返事を返したところで工場の前に車が止まった。どうやらお客様らしい。


〈悪い、客来た〉


 別に抜ける挨拶をする必要もないのだが、なんとなくそう書いて挨拶をすると、恒一はスマホを置いて立ち上がった。


〈頑張れよ社長〉


 そんなメッセージを見たのは、来客の対応が終わった後だった。



      §



 その日の仕事を終えた後、恒一はグループトークに貼られていた写真を湊に見せた。

 湊の判断には一秒もかからない。画面を一瞥すると、特に興味もなさそうな声で言う。


「普通に霊だよね。本物じゃない」

「いや、でも、これ、ソーで切断してるらしいんだけど」


 霊はソーでカット出来るものなのだろうか。切断している本人すらそれが霊だと気付かないような状態で。有り得ないだろう。

 しかし湊はその想像をこともなげに否定する。


「実体化は珍しくもない。ただ」


 湊は瞬きをしてスマホの画像にもう一度目を移した。


「無機物は僕も初めて見た。普通は人か、そうでなくても生き物になる」


 天気の話……いや、湊の場合、今日のご飯の話をしているような口調で続ける。


「生き物になってる場合、切れても血は出ないんだけど、金属だとどうなんだろう」

「篠橋に聞いてくれ……」


 湊にとって篠橋は知らない人なので、返事もなかった。


「これ、今度見に行ってもらっていいか?」


 その質問には素直に頷く湊。


「一応、篠橋が来(・)な(・)い(・)こ(・)と(・)確認しとく」

 

 気まずげに目を逸らした湊に気が付かないまま、恒一はグループではなく篠橋個人にメッセージを送る。


〈さっきの標識の話、見に行っていいか? そういうのに詳しい知り合いがいる〉


 返事はすぐに来た。


〈そういうのってなんだよ。鏃(やじり)の知り合い? なんかそういう知り合い、いそうなイメージないな〉

〈イメージとかどうでもいいだろ。少なくとも俺は信用してる相手だし、様子見るだけにする〉


 そこで音声通話が呼び出された。


『面倒だから直接話すけどさ』

「ああ」

『金払えねえよ?』

「取らねえよ」


 依頼されていくならともかく、気になるから勝手に見にいくだけだ。湊を付き合わせる埋め合わせは何かしなくてはならないだろうが、それは恒一の問題だ。


『でな、その標識なんだけど』

「なんだ?」

『間違いなく俺が切ったのに、切断の痕もなく元に戻ってる。おかしいだろ?』

「マジか……」


 言われなくてもおかしい。金属を切断した後、なんの痕跡もなく元通りなんてそう簡単に出来るわけがない。さらにソーで切って撤去するだけ、切断面の状態気にもしてなかっただろう。

 条件次第ではやってできないことはない。しかし垂直に立っている状態での作業となると話は別だ。


『もう一つ、意味わかんないことあってさ』

「まだあるのか」

『撤去した後、廃棄物保管場所に置いてあった標識が消えてる』

「……誰か持って行ったとか?」

『いや、防犯カメラ確認したら、他は異常ないのに標識だけが一瞬で消えた。こつぜん、てこういう感じ?』


 それを意味わかんないことで済ますのか。

 忽然の語義を確認している場合か?


 とにかくその標識は、湊の言う通り、この世のものではなさそうだ。ソーで切断できたとしても。


「とにかく、木曜行くけど、篠橋はどうする?」


 もし来ると言われたら、忙しいだろうから無理するなと言うつもりで一応聞いてみた。しかし篠橋は本当に忙しいらしかった。


『えーと、木曜? あー、ごめん無理だわ』

「わかった、どっちにしても一度その知り合いに見てもらうから行く」

『解決するなら助かる! もう発電機担いで山道歩きたくねえ! 村の人には言っとく』


 怪奇現象よりも切実なのはそこらしい。気持ちはわからないでもないが、それでいいのかと疑問に思う恒一だった。



      §



 篠橋の働いている市は、恒一の家から高速を使っても一時間以上かかる。

 ネットを見ると既に配信者などが訪問し始めているらしく、悩んだ恒一はまだ人が少なそうな朝に動くことにした。

 湊に告げると、車で寝てていいならとの返事。悪いな、と声をかけても何も悪くない、と返事をするのは相変わらずだった。


 木曜の朝、七時に家を出る。少し距離があるし軽トラでは寝心地が悪いので、蓮のSUVを借りる約束をした。

 眠そうな湊はフラフラと後部座席に乗り込むと、そのままドアにもたれかかって寝る態勢。シートベルトを律儀につけるのは蓮の教育の賜物だろう。

 寝るのに邪魔なのか、サングラスはつけていない。

 その様子を一瞥すると、恒一は車を発進させた。



 目的地の集落はまだ静かだった。農家の人は朝早いイメージだったので少し意外に思いながらゆっくり車を進めていると、恒一の耳には比較的慣れたキュルキュルという音が聞こえてきた。

 少し先の道路の脇に、軽トラが止まっている。恒一はあまり邪魔になりそうにない場所に車を停めると、降りて軽トラに向かった。地元より空気が少し冷んやりしていて心地がいい。

 軽トラの脇で荷台から荷物を下ろしている推定農家の人に、恒一は躊躇わずに声をかけた。


「おはようございます。あの、この軽トラ、修理屋持って行った方がいいっすよ」

「あーん? なんだ、兄ちゃん」


 七十くらいだろうか、日に焼けた肌の老人が怪訝そうに恒一を見る。

 特に怯むこともなく、恒一は続けた。


「いや、通りかかったんだけど、音が気になって。俺、車屋なんで。この音、多分ベルトがヤバい」


 別に車は売っていないのだが、知らない人には整備士より車屋と言った方が話が早いのだ。


「車屋か? ヤバいって、それじゃ修理できんの?」

「ごめん、部品がないから無理っすねー。早めに修理屋持ってった方がいいよ」

「直せないんかい」


 老人は拍子抜けたように笑うと、恒一に尋ねる。


「兄ちゃん、この辺に用事か?」

「市役所の篠橋に頼まれて来たんですよ。なんか変なことになってるって」

「あー、役所の篠橋さんか! 何度も来てもらったのになあ」


 篠橋のことは知っていたらしく、明らかに表情が緩んだ。

 その頃になると別の人がやって来る。


「なんだ兄ちゃん」

「役所の篠橋さんの紹介だってよー。車屋だって」

「何で篠橋さんが車屋紹介してんた?」

「なんか軽トラヤバいらしい」


 その度に最初の老人が雑に紹介し、恒一の属性が謎になっていく。別に恒一は軽トラを見に来たわけではない。


「いや、軽トラは修理屋持ってってくださいよ。そうじゃなくて、山の中の標識の件だって」


 逆さに伏せられたプラスチックの収穫コンテナに、いつのまにか座って話している恒一。手にはぬるい麦茶の入った湯呑みも持っている。自然と、農家の人たちの井戸端ならぬ畦道端会議に溶け込んでいた。


「あー、あれかぁ」

「なんか切っても二日くらいで戻るんだよねぇ」

「最近、見に来る奴が増えてなぁ。農道に車停めるから困るんだよなぁ」

「空き地ならあっちにあるのになぁ」

「兄ちゃんも後で車移動してな。あっちの倉庫の隣停めていいから」

「あ、はい、ありがとうございます」


 地元の人の関心は標識そのものより迷惑駐車のことである。


「止まれの地蔵の脇に『止まれ』の看板だもんなぁ。なんか意味あるのかねぇ」

「止まれの地蔵?」


 ネットで軽く情報を見ていた恒一にも初耳だった。篠橋からも何も聞いていない。止まれの地蔵の横に生えた止まれの標識。地元の人の疑問と同じことを考える。何か意味があるのだろうか。


「ああ、山ん中の地蔵。昔から止まれの地蔵って言ってなぁ」

「どういう謂れなんすか?」

「知らねえ」


 由来はわからないのか、と思ったところで別の老人が口を挟む。


「いや、昔からじゃねぇぞ。あれ、いつのまにかそう言うようになった」

「ああ、俺が小さい頃は言ってなかったな」


 地元育ちの老人たちがああでもないこうでもないと言い出す横で、恒一は首をかしげるしかない。


「あれ言い出したの修(おさむ)だよ、確か」

「修?」

「鈴木んとこの。こないだ亡くなった」

「ああ、修さんかぁ。早くに亡くなったなぁ」


 小学生時代に修がそう呼びだした。あれは止まれの地蔵だと。

 そんな昔のことよく覚えてるなとか、小学生時代の思い出話が花開いた横で、恒一は考え込む。止まれの地蔵、止まれの道路標識。亡くなった鈴木修さん。

 標識が生えたのは鈴木さんが亡くなってしばらくしてからのようだ。

 しかし、止まれの地蔵と言い出したのは子供時代。

 どう言う関係があるのだろう。


 少しぼんやりしている間に、話題は変わっていた。


「……で、隣地区の水田さんとこ、けっこう猪にやられたらしいぞ」

「またか、最近多いらしいな」

「ここは獣害なくて助かるよなぁ」

「でも今年の雨にはやられた」


 そうこうしているうちに、一人が腰を上げて田圃に入る。


「どうだー?」


 畦に残っている一人が声をかけると、田圃の人が答えた。


「そろそろいいと思うぞ、準備するか」


 その声で座っていた人たちが一斉に腰を上げた。


「兄ちゃん、コンバイン入れんから車退かしてくれよ」

「あ、すぐ動かします」


 動き出す人々に合わせて恒一も車に戻った。

 後部座席ではまだ湊が眠っていた。


 ある意味大物である。


 車を動かした先の隣の倉庫から稲刈りのコンバインが出てきて、恒一は思わず車から降りてゆっくりと進行する様子を眺めた。整備士になるくらいだ、元々こう言う機械には興味がある。自動車大学校には農機を勉強するコースもあったが、父の残した工場は農村部ではないため恒一は受講していない。

 コンバインを間近で見るのは初めてだった。


「兄ちゃん、稲刈りやって行くか?」


 恒一の視線に気がついた農家の人に声をかけられ、慌てて首を横に振る。


「やってみたいけど絶対迷惑になるので遠慮しときます、ありがとう」


 そう言う恒一に、農家の人は笑ってコンバインごと去って行った。

 それを見送った後、車を振り返って後部座席のドアを開ける。


「湊、ついたぞ。起きろ」


 半身乗り込んで、肩を揺すると湊はうっすらと目を開けた。


「……もう着いた?」

「結構前に着いたんだけどな」


 欠伸をしながら車を降りる湊を待って、恒一は田圃を振り返った。


 さっきまでのんびり話していた人たちは、忙しそうに動き回っていた。

 恒一は何となく頭を下げると、黄金色の田圃に背を向け、まだ緑の濃い山へと足を向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。