7. 環状線の落とし物(その4)
「恭平! 湊!」
「……え? あれ、恒一?」
まるで測ったかのようなタイミングでそこに恒一が駆け寄った。実際には測ったのでも偶然でもなく、無事に車検を終えて戻ったら湊がいないので急いで迎えに来たのだ。そして、近くをうろうろしていたところに突然二人が現れた。
恭平は慌てて立ちあがろうとして、足にうまく力が入らないことに気づく。数時間、体力の限界まで走り回っていた上に現実離れした体験。それらの緊張から解放されて気が抜けていた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……」
「湊は……大丈夫そうじゃないな」
「え、この人薄氷?」
湊は口から魂吐いて倒れていた。色々限界。もう無理。もう一度乖層に戻してくれ、引きこもりたい。でも乖層は自分で消し飛ばしてしまった。やっぱり来るんじゃなかった。
そんな湊を、恒一は強制的に現実に戻す。
「湊、立てるか? 車乗れそうか?」
その言葉ですくりと立ち上がると、キョロキョロと車を探す湊。意外と元気である。
「あ、軽トラ、コインパ置いてる。そこ曲がったとこ」
「ん」
短く答えて鍵を受け取ると、足取りはややふらふらとしながらも角を曲がって行った。それを見送り、もう一度まだ呆然としている恭平に向き直る。
「……なあ、なんだったんだ? 薄氷がなんで? わけわかんねえよ、なんだったんだよ……」
「俺もよくわかんねえ。とりあえず恭平、お前三日間行方不明だった」
「はぁ!?」
さらなる混乱に陥る情報に、恭平は慌ててポケットからスマホを取り出した。確かに水曜日の日付を表示している。恭平がここに来たのは日曜日の昼、体感的に数時間しか経っていないのにも関わらず、だ。
「あー、なんか悪い。立てそうか?」
恒一が手を差し出すと、恭平は遠慮なくその手を掴んで立ち上がった。
「なんとかな。ずっと走ってたから流石にしんどいわ」
苦笑と共に今度は立ち上がると、軽く砂を払う。
「……で、恭平。悪いんだけどさ」
「今度はなんだよ」
「慌ててたんで、軽トラで来ちまった。……二人しか乗れない」
「え? 俺の車は?」
「家族の人が持って行ったらしい」
「……」
今回一番の被害者は間違いなく恭平だ。しかし、湊もおそらく限界。恭平に運転させるにしても、狭い軽トラで二人でいて大丈夫ではなさそうだ。
「あー、まあ仕方ねえ、タクシー呼ぶよ……ラーメン屋の前にするかな」
営業職の恭平は時々タクシーを使うので手配も慣れてる。
「なんかすまん」
「別に恒一が謝ることでもないだろ。だけど俺、未だにわけわかんないんだけど」
ようやく日常に馴染んできて、恭平も調子が戻って来た。とは言え先ほどまでの恐怖感が全く消えたというわけではない。
「一応湊に聞いとく。どこまでわかるのかは俺にもわからないけどな」
「薄氷、何者なんだ?」
「何者って、湊は湊だろ」
霊能力者で除霊師ではあるが。ここでそれを説明してもややこしくなりそうなので、時間が取れるときにしようと思う恒一であった。
少しくたびれた足取りでラーメン屋の方に向かう恭平を見送って、恒一も湊が籠っただろう車に戻ろうとして、ふと視線の先、電柱の脇に何かが転がっているのに気がついた。
「あれ、イヤホン?」
片方だけの赤いイヤホンだ。
全く同じなのかはわからないが、湊がいつも使っているものも赤いイヤホン。別に赤が好きなのではなく、ネットで見たときにそれしか在庫がなかったと言っていた。
拾おうと近づいたとき、そのすぐそばにもう一つ、片方だけの白いイヤホンが転がっているのに気がついた。
同じ場所に、違うイヤホンが二つ。
少し考えて、恒一は両方を拾った。
赤いイヤホンは、確かに湊のものだった。
白い方は、持ち主不明。
§
ようやく家に辿り着いた湊は、なんとかシャワーを浴びて汗を流し、今はラフな格好でグッタリとリビングのソファに寝そべっていた。
「……腹減ったよな。なんか食うか?」
「作りたくない」
「作れって言ったわけじゃないんだけどな」
ほぼ死に体の湊に苦笑をこぼすと、恒一はスマホを取り出した。
「なんかデリバリー頼むか」
「うん」
「何がいい」
「なんでも」
現在の湊、意思決定力ゼロ。
湊の好き嫌いを恒一が把握しているのもあって、完全に丸投げだ。
「肉食うかー」
「うん」
「食欲あんのか?」
「うん」
「ステーキとか食えんの?」
「うん」
「ハンバーグの方がいいか?」
「うん」
うん、しか言わないbotになっている湊。
気にせず恒一は自分の分と合わせて注文すると、スマホをテーブルに置いて、さっきからほとんど動かない湊に視線をやった。相変わらずグッタリと寝ているだけだ。
恒一もソファに黙って座っている。
しばらく時計の音だけがリビングに響いていた。
「今日、一人で行ったんだな」
どれくらい時間が経ったか、ポツリと呟くような恒一の言葉に、湊は先ほどと変わらない返事をする。
「うん」
気だるげな声もそのままだ。
「俺が帰るまで待たない理由が、あったってことか?」
「うん」
「もしかして恭平、相当まずい状況だった?」
「うん」
同じ調子で返される返事に、恒一は息を呑んだ。
迎えに行った先の恭平は、疲れているようではあった。
三日間何をしていたかはまだ聞いていないが、少なくとも飲まず食わずで三日過ごした、という様には見えなかった。
「……恭平、死ぬ……とか、そういう可能性もあった……とか?」
躊躇いがちに聞いた恒一に、湊は全く同じ返答を返す。
「うん」
「……」
想像以上に深刻な事態だったことに、恒一は二の句が告げなくなった。湊はゆっくりと首を動かして、そんな恒一を見る。
「三日、経ってた」
「……」
「たまにある。依頼された時は無事だったはずなのに、僕が入った時には、手遅れ」
恒一は湊の仕事の具体的な中身は知らなかった。
もしかしなくても、想像以上に生々しい現場にいるのではないか。
「……危なくないのか?」
「別に」
「え、でも恭平は……」
「僕は、別に」
「でも」
何かを言い募ろうとしたとき、ドアチャイムが鳴った。
頼んでいたフードデリバリーが届いたらしい。
「……とりあえず、飯食うか」
インターホンに答えてから、恒一は階下に配達品を取りに行った。
§
翌日曜日、恭平は再び鏃自動車工業にやって来た。
今度は事前に連絡が入っていたので湊は籠城の構えである。
二階のリビングで恒一の対面に座っている恭平は、すっかりいつもの調子を取り戻していた。
「母ちゃんに泣かれるわ、会社からは怒られるんじゃなくて心配されてカウンセリング受けろって言われるし、上司と面談入れられるし、なんかおおごとになった!」
「そりゃそうだろ……」
「俺にとっては数時間なんだけどなぁ」
「世間一般では三日経ってるからな」
あっけらかんと言う恭平にやや呆れ気味に返す恒一。
恭平にしてもどこで何をしていたか説明できない。三日分の時間が飛んでいることは「強度のストレスによる記憶障害か?」と心配される。下手に本当のことを言ったら今度は「クスリでもやってないか?」なんて思われかねないのだ。
結局ちょっと嫌になって漫喫に引きこもっていたと適当な言い訳をしたのだが、それはそれで心配される原因となってしまった。
恭平としては納得いかないのだが、こればかりは仕方がない。理由が普段の恭平とかけ離れすぎている。恒一も知らずにそれを聞いたら本気で心配する以外の選択はないだろう。
そして、誰もが納得いく理由なんて、誰も知らない。
唯一知っていそうな湊は、部屋から出てこない。
「んで、なんなのあの変な場所。なんで地図に載ってんだよ?」
当然気になることを、恭平は聞いてくる。
「結論から言うと、正確にはわからないらしいんだが」
恒一は湊から聞いたことのあらましを話す。
恭平が本当に危険だったことはもちろん省く。
乖層で何かに追われていたことは間違いないようだし、本人も充分怖い思いはしたはずだ。
すでに怪異が消えている以上、更に心的負担を強いる理由はない。
あの足跡も神社も、何かは全くわからない。
湊や蓮は悪霊、と一口に呼んでいるし、元は霊だったとは考えられる、らしい。しかし、一般的に想像する霊とは離れた怪異のようなもの、とイメージした方が近い。
「で、あの場所は、除霊界隈では"乖層"と呼んでいるそうだ」
「除霊界隈」
よくわからないと言う表情のまま瞬きして繰り返す恭平。
そりゃそうだろうなと恒一も思う。
父親が寶積寺住職と従兄弟同士でなければ、恒一だってそういう反応だっただろう。
「まあ、実際に霊がいて、それを祓う仕事をしてる人間がいるってこと」
「薄氷とか?」
「そうだな」
蓮がやっている除霊ビジネスは、もともと寶積寺が歴史の中で受け継いでいたものと聞いている。昔は霊力の強い人間が跡を継いでいたそうだ。そういう立ち位置の寺や神社は、いくつかあるとも聞いたことがある。
恒一は全く詳しくないが、蓮以外にも同じような仕事をしている人もいるだろう。
乖層とかいう名前がなぜつけられたのかは知らないが、一般的には異界とかそういうイメージのようだ。それがなぜ地図に載っているのかは誰にもわからない。おそらく、悪霊と現世をつなぐ依代だろうとは思われる、そうだ。
乖層も、霊の住む場所とも、霊が作り出す場所とも言われている、それだけ。系統的に研究するにも、悪霊によって乖層の現れ方が違いすぎると聞いた。
「あの車、なんか憑いてるとかないよな……?」
「それは大丈夫らしいけど、不安なら後で湊に見てもらうか?」
今日、恭平は車で来ている。
それを見てもらう間だけ、恭平は恒一の部屋にでも籠ってもらえはいいだろう。
「薄氷が大丈夫っていうなら大丈夫かな」
あっさり引き下がった恭平はしかし、ふと首を傾げる。
「じゃ、なんで薄氷、俺から逃げたんだ?」
「あー……」
疑問がそこに行き着くかぁ。
恒一は思わず窓の外に目を向けた。
恭平が人間だから。
身も蓋もない理由であるが、他に思いつかないので、恒一は正直に告げた。
「まあ、あいつ人が苦手なんだよ」
微妙に濁す恒一の言葉を、恭平は笑い飛ばした。
「なんだよ、薄氷あの訳のわからない怪物より俺の方が怖かったのかよ!」
ゲラゲラ笑っている恭平に、恒一は返す言葉がない。
全くもってその通りである。
事前に湊と話をした際も、怪異については淡々と、「何かはわからないけどそこまで酷いものでもない」と語っていた。
もちろん恭平の認識とは大違いである。
しかも。
もし、恭平があの怪異に捕まっていたら、「確実に無事ではない。死ぬのか、体ごと消滅するのか、体を乗っ取られるのか。どうなるかもわからないが、人に執着していたからには無事ではいられない」とのことだった。それを語ったその口で、あの怪異は酷いものでなないなどと言えるのが、湊だった。
これを聞いた恒一は頭を抱えると共に湊に感謝することになる。
『三日、経ってた』
人が苦手で外なんか絶対に行きたくないはずの湊が、一人で外出してくれたからこそ、ここで恭平は笑っている。
「まあでも、その苦手な俺のこと助けに来てくれたんだよな」
まだ笑いながらもそう言う恭平に、こいつはこういうやつだよなぁ、と恒一も思わず笑った。
本当に、無事でよかった。
湊には感謝しきれない。
「薄氷にお礼言わないとなぁ。あいつどこ住んでるんだっけ?」
「あ、知らなかったか。湊はここに住んでるよ」
「え、マジで!?」
恒一が湊の部屋のドアを指す。その中では湊が籠城しているが、恭平が無闇に城攻めを始めるような奴でないことは信頼していた。
確かに城攻めはしなかったが。
「薄氷——!! ありがとな——!!」
リビングに特大の声が響き渡ったのだった。
「うるさい!」
間髪入れずにドアの向こうから響いた湊の声に、恒一はおや?と首を傾げた。
いつもの湊なら確実に一言も発せずにいそうなものだ。
今日はドア越しとはいえ、言い返した。
「悪い悪い! でもほんとありがとな! 命の恩人!」
軽いノリで言っているが、それなりに危険な目にはあったのかもしれないとは思える言葉だった。
「あ、そうだ」
突然思い出して、恒一はチェストの上に置いていた片方だけの白いイヤホンを恭平に見せた。
「これ、あそこに落ちてた。湊は、もしかしたら恭平のじゃないかと言っていたんだけど……」
「あ、片方無くしてたと思ってた! 見た目はそうだけどペアリングしてみないとわかんねえな。家に置いてきたわ」
「じゃ、渡しとく」
あの場所に落ちていた赤いイヤホンはやはり湊のものであった。本人曰く置いていったのだそうだ。
すぐそばに落ちていたこちらを、恭平のものかもしれないと言ったのも湊だ。
それがあったから、湊がギリギリ間に合ったのかもしれないと。現世と何か繋がりがあるものを入り口に偶然置いていったから、悪霊の侵食がゆっくりだった可能性があるとかなんとか。恒一にはさっぱりわからなかった。Bluetoothか?と聞いたらバカを見る目で見られた。解せぬ。
「ああそうだ、なんで俺、浦島太郎になってたわけ?」
今回、ある意味では最大の謎。なのに、答えは無慈悲にも、
「わからないそうだ」
としか答えられない。
ただ、時間経過に違いがあるのも珍しいことではないらしい。聞けば聞くほど意味がわからない異界、「乖層」。
そんな世界がこの世にあるとは、恒一には全く信じられない。アニメや映画の世界ではないかとすら思えるが、湊は何度もそんなとこに行っていた。蓮兄もだ。
世界が違いすぎる。
「薄氷があっさり消しちまったけどさ、マジで怖かったんだぜ。薄氷すげーよなぁ」
「まあ、そっち方面はかなり強いらしいとは聞いたことある」
「でもさ、そんな薄氷が俺見て逃げたってことは、俺最強ってことだな!」
それは違うと思う。
恒一でなくとも入れるだろうツッコミを、彼はちょっとだけ努力して飲み込んだ。
なぜそうなる。
一瞬真顔になって、馬鹿馬鹿しくなって恒一は笑った。
「ま、そういうことでいいのかもしれないな」
湊が本人としては(別の意味で)相当頑張って、恭平が無事だった。
今回の件は、それで、恭平と恒一が湊に感謝している。
それでいい。
やがて恭平が去り、湊が当たり前に部屋から出てきた。
行動基準は明確である。
「今回、本当にありがとな」
あらためてお礼を言う恒一に、湊は首を傾げた。
「別に恒一のためじゃない」
「え、恭平のためだった」
「絶対にそれはない」
そこだけは即答。
湊の基本は変わらない。
「俺のためじゃなくても俺はありがたいと思うよ」
湊は少し首を傾げたあと、冷蔵庫に向かって烏龍茶のペットボトルを取り出した。
「……恒一がいいなら、それでいい」
やはりよくわかっていないような湊の返事に、恒一は笑みを深めた。
§
時は遡る。
恭平があの乖層の内部で足跡に追い回され始めた時点で、道路マップは広場の建物の脇に放り出されたままになっていた。
そのまま恭平が逃げている間も、湊が入り込んで音楽が流れ始めてからも、ずっとそこに落ちていた。
やがて湊の叫び声と共に、強い光が乖層を覆い尽くし——やがて消えた時には、暗闇だけが残っても、それはまだ暗闇の中に残っていた。
いつまでも、いつまでも残っている——かと思われた。
暗闇に、光が差し込む。
誰かの手が、そのいりぐちから入り込んで、道路マップを取り出した。
誰かの、声が聞こえた。
「あれ? これ、恭平のか?」




