7. 環状線の落とし物(その1)
4話に分けます。
「あれ? これ、恭平のか?」
塔家 恭平は、恒一の中学時代からの友人である。ともにバスケ部で切磋琢磨した仲だった。恒一同様に社会人で、都内で働く会社員。今でも付き合いが続いているくらいには、恒一は彼を気のいいやつだと思っている。というか、当時のバスケ部仲間はだいたい今でもそこそこ付き合いが続いていたりする。
高校からは別の道を歩んではいるが、恭平はその中でも特に仲が良い方と言えるだろう。
つい最近、恒一は恭平が中古車を購入したいという買い物に付き合った。業者によっては事故や水没を誤魔化すところもあると不安になった恭平に頼まれたのだが、恒一だって商品を見ただけで完全に判断できるわけではない。
それでも可能な限りはボンネットやトランクの中、覗き込める範囲で下回りなどは確認した。
なんなら車の下にスマホを突っ込んで動画も撮ったし、ついほぼ寝そべるように車の下を覗いてしまったので販売店の店員にドン引きされた。恭平はその場で笑っていた。お前のためなんだがと恒一も笑ったので、結果として笑い話だ。
そうやって恭平が気に入った車を購入し、納車時の点検を断って値切った料金で恒一が納車整備を代わりにやっている。
セコイかもしれないが、昨今都市近郊では車を持たない人が増えている。
そんな立地の修理工場としては、ふつうの営業の範囲だと思ってもらいたい。
とにかく、そうやって恭平の車は鏃自動車工業(株)にやってきた。
そして、整備履歴を確認しようとグローブボックスを開けた恒一は、そこに今では珍しくなった道路マップの本を見つけたのだった。
恒一と同学年の恭平ももちろんスマホ世代だ。恒一は紙の地図なんて社会科の授業で使ったきりで、当然恭平もそうだろうと無意識に考えていたので意外だった。
「え? いや、俺のじゃないなぁ」
恒一が渡した道路マップを手に取ってしげしげと眺めながら恭平が言う。
「そうだよなあ、よく考えたら納車してすぐ持ってきたんだろ?」
「そーだよ。これ、どうやって見るんだ? ページ変わったらわかんないじゃん」
「俺も使ったことないからわからん」
販売店で前の持ち主のものは返却や処分が行われているはずだが見落とされたのだろう。中古車販売については詳しくはないが、それなりによくありそうなことだ。
恒一も恭平も、ついでに湊も、それがこれから始まる悪夢の入り口であることに、微塵も気づくことができなかったのだった。
§
恒一の工場は従業員が少ないため、木曜日と日曜日は定休日である。
だが、恒一は休みの日でも工場にいることが多い。
開業から二年近く経ってようやく慣れてはきたが、まだしなければならない雑用を業務時間中に終わらせることが難しいのと、もう一つ。
「悪い湊、三脚こっち持って来てくれるか。……ああ、そこでいい、ありがとう」
整備の様子の動画を撮っていたりする。
別に配信者になりたかったわけではない。
だが、今の世の中、新規顧客はほぼネット頼みである。知り合いやコネから預かる仕事もそれなりにあるが、常に新規顧客の獲得は意識していないとすぐに修理する車が来なくなるだろう。
平日、暇な時は長年の経験がある打金の作業を撮影したりもしている。
特に旧車の作業はさすがベテラン、持ち主も打金を指名で来ることもあるくらいの腕前だ。そういった動画を上げることで、旧車をわざわざ隣県から持ち込んでくれる人も出てきた。
なので、動画を作成する時間のある時はなるべく作業動画を撮ることにしている。
自分でカメラを動かすといちいち移動が大変だが、休日は湊が手伝ってくれるので大変助かっている。
その日は、ちょうど恭平の車を選んでから日が経っていなかったので、『友達に頼まれて中古車選びに着いていき、販売員をドン引きさせてまで見た中古車選びのポイント』とでもタイトル付けようかと考えている動画を撮影していた。納車時の整備は販売店によっても本当にさまざまなので、購入後の整備は是非当工場に!のような露骨なことは言わないが、それを期待した動画である。
販売店で見る前提だから恭平と行ったときにやった通り地面に這いつくばって見たりもしていたときだった。
休日なので工場のシャッターは閉めていたのだが、出入りをすることはあるので通用口の鍵はかけていなかった。
その扉がバタンと音を立てて、いきなり開いた。
「よー、恒一いるー?」
湊が。
凍りついた。
「あー、鍵かけてなかったか……」
額に手を当てて恒一は小さく呟いた。
一方、全く人が来るなんて心構えが出来ていなかったがために、逃げることもできずに動けなくなった湊。
「あれ? 何やってんの?」
中学時代から出入りしていたがために勝手知ったる鏃自動車工業。勢いよくドアを開けて入ってきたのは、恭平であった。
非常に残念なことに、二階に上がる階段は通用口のそば、つまり恭平の立つ方にある。湊がこっそり逃げ出すことは不可能。
恒一は起き上がりながら、湊は放っておいて恭平に声をかけた。
「動画撮ってだんだよ、サイトにあげるやつ」
「休みの日じゃないの?」
「逆に休日の方が撮りやすいんだよな。客来ねえし」
「へえ、動画かあ。どんな感じ?」
あ、まずい。恒一が思った時には、恭平の興味はその撮影した動画——湊が未だに握りしめている三脚に取り付けられたスマホに移ってしまった。
なんの気負いもなく湊に近づく恭平を止めるのもおかしな話で、恒一はどうしていいか分からず思わず見守るだけになる。
「あれ?」
こちらに視線を向けることもしない俯き加減の横顔に恭平は見覚えがあったようだ。
湊の肩がぴくりと動く。
恭平も湊も恒一と同じ中学出身だ。とはいえ同じクラスになったこともなく、お互いに恒一の友人の一人と認識している程度だった。そのごくわずかな記憶に、湊の横顔が引っかかったらしい。
「えーと、そうだ。薄氷! お前、薄氷だよな?」
「……っ、あ、え……」
ただ口から音が出ただけとしか言えない、返事というにはあまりにもお粗末な湊の声に、恭平は全く気にする様子もなく話し続けた。
「久しぶりだなー、覚えてるか? 俺、塔家。恒一と同じバスケ部だった!」
湊になんの屈託もなく話しかけてくる人間なんて、恒一しかいない。滅多に人に会わないような生活をしてはいるが、ごく稀に人間とエンカウントしてしまった時は、たいていまともに返事もできずにしどろもどろになってしまう。そんな湊に呆れて、あるいは気を遣って、相手は会話を切り上げる。湊が恒一や蓮以外と話すときは必ずと言っていいほどそうなる。
それなのに、恭平は湊の様子を気にすることなく気軽に捲し立ててくる。
「え、薄氷ここで働いてんの? 休日出勤? 社長横暴なら労基に駆け込んでやれ!」
笑いながら人聞きの悪いことを言い出す恭平に、湊は目を白黒させているだけ。ここで恒一がようやく助け舟を出した。
「その辺にしといてやってくれ。あまり話すの得意じゃないんだよ」
「お、なんだよ横暴社長」
「誰が横暴だ。手伝ってくれてるだけだ。……湊、悪いけどそれ二階に片付けといてくれるか」
湊はなんとか頷くと、握りしめた三脚を持って二階へと消えた。あ、動画撮影したままだな、と恒一は気がついたが仕方がない。多分一人になって落ち着いたら止めてくれるだろう。
なんとなく湊を見送ってから、恭平が口を開いた。
「なに? 薄氷雇ってんの?」
「いや、動画撮るの手伝ってもらってただけ」
「日曜日潰してかわいそうに」
「日曜日に車買うの付き合わせたやつが言うセリフか?」
そーだった、と恭平は笑った。一方的に話しかけただけで会話が成り立たなかった湊に気を悪くしている様子もない。恭平はそんなやつである。
「そうそう、これなんだけどさ」
恭平は、購入した車のグローブボックスから出てきた道路マップを手にしていた。
「ここのラーメン屋割とよく行くんだけどさ、これ」
地図を開いて指差した場所は、ここからもそう遠くはない、都内の環状線の近くだった。人気なラーメン屋があり、恒一も何度か行ったことがある。
「こんなとこに神社なんかなかったんだよな。しかもなんか変じゃね?」
ラーメン屋からそう離れていない場所に、神社を表す鳥居のような地図記号が書いてあった。このラーメン屋は敷地に駐車場がないので近隣のコインパーキングと契約している。そのコインパーキングに環状線から向かう途中の道にそれは記されていた。
そして、それだけではない。
足跡のようなマークが鳥居に向かって歩いているように記されている。
「地図アプリも見たんだけどさ、やっぱり神社なんかないんだよな。なんだろこれ」
「いや、知らねえよ」
そこまで恐怖を覚えたわけではないが、恒一はその鳥居と足跡のマークが何か嫌なものに見えた。あまり関わりたくない類の何かだ。
そして恭平が見せたスマホの画面には、同じ場所らしい地図が表示されているが、確かに足跡はおろか鳥居すら表示されていない。
道路マップ自体、最新版ではないもののさほど古いものでもない。ここ五年程度のもので、恭平はストリートビューの過去ログまで確認したようだ。やはりここ五年、この場所に神社があった形跡はなかった。
「この場所見に行ってみないか? ついでにラーメン食いに行こうぜ! 薄氷も!」
外食に付き合う湊は想像できないなと、恒一は苦笑した。
「いや、ラーメンはともかくわざわざ行かなくても。神社がないこと確認したんだろ?」
「自分の目で見てないし。なんか足跡とか意味ありげじゃん。面白そう」
恒一はもう一度道路マップを眺めた。足跡も鳥居も手書きで記入されたように見えず、ごく自然に印刷された地図ですよという顔をしてそこにある。しかし、見ているとぞわぞわと嫌な感じが這い上がってくる。
「いや……なんか嫌な感じがする。行かない方がいい」
恒一がそう言うと、恭平は不満そうに声を上げた。
「えー、ノリ悪いな。まさか怖いとかないよな?」
「そうだよ怖いってことでいい。恭平は何も感じないのか?」
「べっつにー? 単なる地図じゃん、これ誤植みたいなもんかなぁ」
「誤植なら尚更見に行く意味ねえじゃん」
「そう言われるとそうだな」
恭平は笑って地図を閉じた。
「で、ラーメンどうする?」
「悪い、せっかく誘ってもらったけどやること溜まってんだ。休日に処理しとかないと平日回らん」
「うわー、社長さんも大変だなぁ。忙しいとこ急に来てごめん」
実際事務作業を休日に捌いていたりはするので、休みの日もそこそこ忙しいのは間違いない。行きたくないという気持ちの方が大きいのは隠しておく。
「調整はできるから今度行こうぜ。俺から声かけるよ」
「わかった、邪魔して悪かったな」
「いや、来てくれるのは全然構わない」
湊は構うかもしれないけど、まあ鍵をかけとけばインターホンがあるから大丈夫だろう。
「あと、そこわざわざ見に行くなよ。なんか犯罪のための記号とか書き込んだのかもしれないし」
「あー、そういうこともありうる……のか?」
恭平は首を傾げつつも、手を振って工場を後にした。
ラーメンは自分も食べたくなったので今度行こう、恒一は呑気にそんなことを考えながら、湊のもとへと階段を登って行った。
恒一が、恭平がいなくなったと聞いたのは、その翌々日のことだった。
§
恒一が、その日の車検で入庫していた車のサスペンション周りを見ていた時、近くの交番に勤務している暮守巡査がふらりとやってきた。
打金は廃オイルの処理に行ってもらっていて留守だった。
「こんにちは。鏃くん、忙しいかな」
「こんにちは、暮守さん。少しくらいなら大丈夫ですけど」
汚れた手をウエスで拭きながら、恒一は車体の下から出て答えた。
「この間、塔家恭平……くんが、ここに来なかっただろうか」
「恭平?」
警察から知り合いの名前が出るというのは嫌な予感しかない。事故にでもあったとか事件に巻き込まれたとか。
「日曜日に来ましたけど。……なんかあったんですか?」
「それがね、日曜から家に帰ってこないとご家族から相談があったんだ。職場にも行っていないようだね」
「日曜から?」
今日は火曜日だ。恭平は大学を卒業後、都内で普通に勤めている。平日は満員電車が大変だ、と最初の頃はボヤいていた。お調子者ではあるが、仕事をサボるようなやつでもないし、心配かけるとわかっているのに黙って外泊をするやつでもない。たかが二日とは言え仕事にも行っていないなら、家族が心配するのは無理もない。
「ちょっと話ついでに飯に誘われたんですけど、用事があったので断ったんですが……」
暮守がここに来たということは、恭平は恒一に会うと家族に告げて来たのだろう。しかし、恭平がここにいたのは30分程度だ。その後、例のラーメン屋に行ったのだろうか。
「どこに行こうとしてたかわかる?」
「都内の環状線のとこのラーメン屋です。気が変わってなければですけど」
嫌な予感を抑えながら、恒一はラーメン屋の名を答えた。
「ああ、あそこか」
それなりに人気の店なので、名前を言えばわかる人も多い。暮守も知っていたようだ。
「恭平……大丈夫なんでしょうか」
行くなと言ったのに。いや、まだそうと決まったわけではない。でもあの地図を見た時の嫌な予感が本物だったら。
恒一の予感通りなら、暮守に聞いたところでどうしようもない。けれども聞かずにはいられなかった。
「まあ、そんなに心配することもないと思うよ。事故とかだったらとっくに情報来てるはずだし、仕事とかで嫌になってふらりと居なくなって、数日したらケロッと帰ってくるのはよくあることなんだ」
暮守にとってはそうなのだろう。警察官なら行方不明者の相談を受けることも多いので、よくある話の一つ。
恒一にとっても、もちろん恭平の家族にとってもよくあるなんて言えたものではないが、似たようなことを多く扱っている暮守がそう言うなら。
そう思っても、恒一はちっとも安心できないのだが。
「もし連絡があったらご家族に一報入れてあげてくれるかな」
「わかりました」
じゃあ、と片手を上げて去った暮守は翌日、再びやってきた。
そして、恭平の車がラーメン屋の近くのコインパーキングに放置されているのが見つかった、と恒一に伝えたのだった。




