街のルール
サイレンの音が、ダンツィア街の細い路地を裂くように響いた。甲高い警笛が、濁った空気を揺らす。
ついさっきまで暴れていた売人たちは、石畳や壁際に転がったままだった。
砕けた薬瓶。どす黒い液。木箱の破片。
そして、何事もなかったように立つヴァヴェル。
その空気を、怒鳴り声がさらにぶち壊した。
「ゴラァー! ガキども!
何暴れてやがんだ!
全員しょっぴくぞ!」
路地の入口から、制服姿の警官たちが一気に雪崩れ込んでくる。
その先頭にいたのは、いかつい犬の獣人だった。
背は高く、肩幅も広い。
顔にははっきりと傷が走っていて、目つきも悪い。
面倒そうな顔をしながらも、現場の全てを一瞬で見渡していた。
「おぅ、ヴァヴェルか。
何暴れてやがんだ」
ヴァヴェルは、倒れた密売人たちを一瞥したまま、拾い上げた箱を無造作に放った。
「これ」
犬の獣人が片手で受け取る。
「あぁ?」
「裏で流行ってる薬だ。
ここが密売場みたいだから、潰しといた。
あと調べといてくれ」
「お、おい待てよ。
っち。勝手なやろうだ」
それだけ言い残すと、ヴァヴェルは踵を返した。そのまま何事もなかったように歩き出し、去り際に一度だけ智春へ視線を向ける。
黄金の目は、ほんの一瞬だけこちらを射抜いて、すぐに外れた。
獣人の男はすぐに後ろの警官たちへ怒鳴った。
「おら!
伸びてる奴ら全員しょっぴけ!
薬も一つ残らず押収だ!」
警官たちが一斉に動き出す。
倒れた連中を押さえ込み、縄をかけ、瓶や木箱を次々と回収していく。
「なんの騒ぎかしら?」
その喧騒の中に、妙に軽い声が混ざった。
振り返ると、路地の入口からモーラナが歩いてきていた。
白衣の裾を揺らし、人と証拠品の間を避けながら、まるで買い物帰りのような余裕の表情でこちらへ近づいてくる。
智春は顔をしかめた。
「先生、こんな危ないとこで何しとんや」
「薬品の買い出しでね。
ダンツィア街には色々と掘り出し物があるの」
そう言って、転がっている連中を一瞥した。
その目が一瞬だけ細くなる。
「それより、何があったの?」
智春が答えようとしたところで、さっきの犬獣人がこちらへ歩いてきた。
「よう、モーラナ」
「シマルグル君、久しぶりね。
また、うちの子たちが何かしたかしら?」
「あぁ、いや。
なんか最近流行ってる薬の売人どもを潰してくれたらしくてな」
「そう……」
獣人はすぐに智春へ視線を戻す。
「で、小僧。お前は?」
「あぁ、俺もその薬追ってここに行きついてな。おっさんは?」
「誰がおっさんだよ」
獣人は鼻を鳴らした。
「ヴァッへ・シマルグル。見ての通り警察だ」
それから智春を見て、口元を歪める。
「お前、マルボルクだろ。お前の先輩だよ」
モーラナが軽く補足する。
「シマルグル君は学園時代の顔役なのよ。
智春君も街ではおとなしくしないと、殺されちゃうわよ」
智春は顎で、ヴァヴェルが去っていった路地の奥を示した。
「さっきの奴はどーやねん。あいつが暴れたんやで」
「あー、ヴァヴェルのことか? あいつはいいんだよ」
「なんでやねん! 差別やないか」
「俺がいいって言ったらいいんだよ」
「さては……」
智春は目を細める。
「おっさん、あいつに敵わんから……」
ガチャン。
次の瞬間、智春の手首には手錠がかかっていた。
「はい、逮捕」
「おい待てなんでやねん! 俺が何をした!」
「本当のことを一切オブラート包まずにおまわりさんの心を傷つけた罪。無期懲役」
「勘弁してくれや!」
シマルグルは豪快に笑った。
「はっはっは。嘘だよ」
そう言って手錠を外す。
パットンが肩を揺らして笑い、ブレアは呆れたように息を吐いた。
エリックだけが小さくため息をつく。
だが、そこでシマルグルの顔から笑みが消えた。
「あいつは本当にいいんだよ」
低い声だった。
「確かに何考えてるかわからん奴だが、自分の力の使い方を心得てる」
少し間を置いて、智春を見る。
「小僧、お前は?」
「力の使い方?」
「あぁ。不良だからってどこでも誰でも殴ってちゃカッコわりーだろ」
シマルグルの視線は真っ直ぐだった。
「お前の振る拳に意味はあるのか?」
智春は答えられなかった。
トルマンとの喧嘩が頭を過る。
体育館での乱戦。
それから、さっき見た廃人の顔。
密売人の下卑た目。
殴る理由は、確かにあった。
だが、改めて訊かれると、その全てがひとつの言葉にまとまらない。
「拳の意味……」
「あぁ」
シマルグルはそれ以上急かさなかった。
答えを押しつけるでもなく、ただ問いだけを置いた。
モーラナがそこで、空気を少しだけやわらげるように笑った。
「でも、智春君すごいわよ。
トルマン君を倒しちゃったんだから」
「へぇ、あの爆発小僧をか。お前やるなー」
智春は頭をかいた。
「あーー、別に。あれは勝った気せーへんわ」
その返しに、シマルグルは少しだけ口元を緩めた。
「バカではないらしいな」
その時、後ろで処理していた警官が駆け寄ってきた。
「警部! 押収と確保、完了しました!」
「よし! 引き上げるぞ!」
シマルグルはすぐに振り返って怒鳴り、そして歩き出しかけてから、もう一度だけ智春の方を向いた。
「じゃあな、小僧」
さっきまでの荒っぽさとは少し違う声だった。
「街では暴れるなよ。学園内で好き勝手やるのはいいけどよ。健全に暮らしてる市民方には迷惑はかけるな。それがマルボルクの唯一のルールだ」
智春は短く返した。
「あぁ」
シマルグルはそれ以上何も言わず、警官たちを引き連れて去っていく。
智春たちは裏通りを抜け、表通りへ戻った。
ダンツィア街の腐臭が薄れ、人の熱気と灯りが戻ってくる。
石畳には人が溢れ、店の明かりが並び、笑い声がどこからも聞こえる。
さっきまで見ていた裏と同じ街とは思えないほど、まともな顔をしていた。
その雑踏の向こうに、ふと見覚えのある顔が見えた。
その時、智春の足が止まる。
視線が鋭くなる。
「あいつは……!」




