竜の通る道
「どけ」
低く、短く、冷たい声だった。
その一言だけで、場の空気が変わった。
密売人たちが膨らませていた魔力のざらつきが、一瞬だけ揺らぐ。
智春たちが振り返ると、そこには銀の長髪の男が静かに歩いてきた。
黒い角。
竜鱗に覆われた異形の腕。
黒い上着に黄金の目。
エリックが目を見開く。
「あなたは……」
智春はその顔を見た瞬間、すぐに思い出した。
「お前、トルマンとの喧嘩の時に上から見とったやつか」
男は大して反応もしないまま、智春たちの前へ出た。
「お前らにこいつらは荷が重い。助けてやるから下がってろ」
その言い方が気に入らなかった。
智春は即座に食ってかかる。
「助ける? なんでお前に助けてもらわなあかんねん!
大体なぁ、この喧嘩は俺らが先や!
後から来て──」
エリックが慌てて智春の肩へ手を伸ばした。
「智春くん! ここは任せましょう!」
「なんでやねん! 誰やねんあいつ!」
「ヴァヴェルさんです! 学園の三年ですよ!」
「三年やからなんやねん!」
エリックは半ば叫ぶように言った。
「あの人はこの世界で唯一の竜人の生き残りで……学園の最強格五人の内の一人に数えられてるんです!」
その言葉を聞いて、智春は一瞬だけ黙る。
「へぇ」
視線はヴァヴェルから逸らさない。
「そいつら倒したら、てっぺんか」
智春は笑わなかった。
ただ、目だけ細くなる。
その声に、今度はヴァヴェルがわずかに目を向けた。
「お前、学園のてっぺん目指してんのか」
「悪いか?」
「どうでもいい」
ヴァヴェルは本当にどうでもよさそうに言った。
「まあ、あの学園を獲りたいなら、ここは引いとけ」
「それはできん」
智春は一歩も引かなかった。
「俺はあいつら潰さな気すまへんねん」
「お前にできるのか?」
「あ? 当たり前やろ」
「あの数はまだお前には早い気がするけどな」
「後から出てきて好き放題言うてくれるやんけ」
「事実だろ」
エリックが割って入った。
「智春くん、ここはヴァヴェルさんに任せましょう」
(まだ早い……? 三年が、智春くんの将来性を買っているのか?)
ヴァヴェルは一瞥だけエリックへ向けた。
「連れの方は頭良さそうだな。
まあ、みとけ。すぐ終わるから」
智春は数秒だけ睨み返した。
「……そこまで言うなら見させてもらうわ」
そう言って、一歩だけ下がった。
一方、密売人の顔色は目に見えて悪くなっていた。さっきまでの薄い笑みが、もう半分死んでいる。それでも虚勢だけは張る。
「な、なんだてめぇは! 一人で何ができる!」
子分たちが前へ出る。
全員、ペルヴィンチで底上げされていた。
浮いた血管。
揺れる目。
荒い呼吸。
魔力だけが不自然に膨れ上がっている。
だが、ヴァヴェルは一瞥しただけだった。
「うるさい」
次の瞬間。
一番前にいた男が、地面に沈んでいた。
智春は目を見開く。
全く見えなかった。
群れて襲いかかったはずの子分たちが、突っ込んだ順に沈んでいく。
ヴァヴェルの強さは圧倒的だった。
一歩、進む。
それだけで人が転がる。
腕を振る。
木箱ごと人が吹き飛ぶ。
竜が歩いた跡に、人間が勝手に転がっていくような光景。
それは災害そのものだった。
気がつけば智春は鳥肌が立っていた。
アイゼンの速さ。トルマンの強さ。
それらとはまた別の次元だった。
「……すごいわね」
パットンが、珍しく素直に呟く。
ブレアも息を呑んでいた。
密売人は、ついに背を向けた。
子分の一人を押しのけ、逃げようとするが遅かった。
ヴァヴェルの手が伸び襟首を掴まれた。
次の瞬間には石壁へ叩きつけられていた。
鈍い音が路地に響く。
男の体は壁を滑り落ち、その場で動かなくなった。
本当に、一瞬で終わった。
さっきまでの喚き声も怒号も消え、裏通りに静寂が落ちる。残っているのは、砕けた瓶が転がる音と、倒れた連中の苦しいうめき声だけ。
ヴァヴェルの服はほとんど乱れていない。
何事もなかったように立っていた。
木箱の陰から、割れていないペルヴィンチの箱をひとつ拾い上げる。
中身を一瞥し、それを片手でぶら下げた。
智春は開いた口が塞がらなかった。
「……あんなやつが五人もおるんか」
エリックが短く答える。
「はい」
「トルマンは、その五人には?」
「入っていません」
パットンが少しだけ意地悪く笑った。
「あら、智春ちゃん。
びびったかしら?」
智春はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり口元を上げる。
「いや、最高や……」
視線はまだ前にある。
「ワクワクしてまうやんけ」
その時、甲高いサイレンの音が響いた。
複数の音が、ダンツィア街の路地に反響しながら近づいてくる。
ブレアが顔を上げる。
「なに……?」
エリックが耳を澄ませる。
「来ましたね……」
ヴァヴェルは拾い上げたペルヴィンチの箱を見下ろしたまま、短く呟いた。
「やっと来たか」




