夢、希望、裏路地
木造りの広い店内には、長机がいくつも並んでいた。
制服姿の学生たち。
港の荒くれ者のような連中まで、種族も身なりもバラバラな客がひしめいている。
壁には魚の骨を模した飾りと、古びた船の舵輪。
天井からは乾燥させた香草と、見たことのない燻製肉が吊るされていた。
智春たちの机の上には、すでに皿が山のように積まれていた。
空になった深皿。
骨だけになった肉の皿。
飲み干された酒のジョッキ。
その隙間に、店員がまた新しい料理を置いていく。
「腸詰追加でーす!」
「煮込みも入りまーす!」
「団子、お待たせしましたー!」
智春は運ばれてきた腸詰を即座に掴んだ。
パットンも皿が置かれた瞬間に団子を自分の方へ引き寄せる。
肉にかぶりつき、団子を頬張る。
それらを酒で流し込む。
皿が空く前に、次の料理が消えていく。
向かいに座るブレアとエリックは、もう完全にあっけに取られていた。
「ち、ちょっと。もう少しゆっくり食べなさいよ」
ブレアが思わず言う。
だが、二人の手は止まらない。
「あかん、これは負けられへんねん」
智春は腸詰を噛みちぎりながら言った。
「えぇ、負けないわよ」
パットンも蒸留酒をあおりながら返す。
エリックはため息をついた。
「はぁ、この人たちとは食事したくないですね」
「同感」
ブレアが即答する。
その間にも、智春は深皿いっぱいに注がれた赤い根菜の煮込みスープを飲み干す。
パットンは肉と茸を詰めた半月型の団子を三つまとめて口へ放り込んでいた。
店員が新しい皿を置く。
その皿が机についた時には、もう半分消えている。
「この肉うまっ!」
智春が叫ぶ。
「酒に合うわねぇ!」
パットンも機嫌よく笑う。
ブレアは額を押さえた。
「あなたたちの胃袋、どこに繋がってるのよ」
「夢」
智春が即答した。
「希望」
パットンも続ける。
エリックが静かにグラスを置いた。
「脳が繋がってないのは確かですね」
一瞬だけ間が空く。
次の瞬間、ブレアが吹き出しかけて慌てて口元を押さえた。
「ちょっと……」
智春はにやにや笑いながら、また肉へ手を伸ばす。
パットンも負けじと皿を引き寄せる。
「まだいけるか?」
「誰に聞いてるのよ」
「こっちはまだ余裕やぞ」
「奇遇ね。私もよ」
机の上の皿はさらに増えていく。
食って、飲んで、また食う。
もはや勝負というより、災害だった。
その時だった。
「よぅ。うるせぇと思ったらお前らか」
聞き覚えのある低い声が横から落ちた。
智春たちが揃って顔を上げる。
通路に立っていたのは、銀狼の獣人だった。
咥えた煙草から細い煙を吐き、面倒くさそうにこちらを見ている。
「アイゼン様!」
パットンが目を輝かせ、椅子から飛び上がる。
「おい! 飛ばすなよ」
智春はジョッキを置いた。
「どないした。リベンジマッチか?」
「やらねーよ」
アイゼンは短く返す。
「学園の外で暴れると殺されるぜ?」
そのまま、少しだけ視線を逸らした。
「まぁ、礼を言いたくてな」
智春が目を細める。
「礼? なんやお前、負けた相手に感謝するんか」
「ちげーよ」
アイゼンの声は低かった。
「トルマンさんを、殴り飛ばしてくれたおかげで俺らは変われそうでな。いや、戻れそう……だな」
卓の空気が、ほんの少しだけ静かになった。
さっきまで笑っていたパットンも、ブレアも、何も言わなかった。
智春だけが、少しだけ目を細めたままアイゼンを見る。
「そうか。
ほな、よかったやんけ」
アイゼンは鼻を鳴らした。
「軽いな、お前は」
それから卓の端に置かれていた伝票を摘まみ上げた。
「礼にここは払っといてやるよ。
これで借りはなしだ」
智春が頷く。
「ありがとな」
「あと、勘違いすんなよ」
アイゼンは振り返らずに言った。
「俺はお前に負けたわけじゃねぇ。
そのうちケリつけてやるよ」
智春の口元が上がる。
「あぁ。楽しみにしとくわ」
パットンが身を乗り出した。
「アイゼン様! もう行っちゃうんですか?」
アイゼンは片手だけ軽く上げた。
「あぁ。じゃあな」
銀狼の背が、そのままレジの方へ向かっていく。
そして数秒後。
「高っ!! どんだけ食ったんだあいつら!」
店の奥から、珍しく間の抜けた叫びが聞こえた。
一瞬だけ静まり返ってから、卓の四人が同時に吹き出す。
智春は腹を抱えた。
「はっはっは!
そらそうやろ!」
食事が終わる頃には、窓の外の光が少しだけ傾いていた。
積み上がった皿の数は、もはや途中から誰も数えていなかった。
智春が満足げに背もたれへ体を預ける。
「食ったなぁ……」
「飲んだわねぇ……」
パットンも満足げだった。
だが、エリックはそこで現実へ戻すように口を開いた。
「ペルヴィンチの調査に来てること、忘れてないですよね?」
智春は一瞬だけ目を逸らしてから、気まずそうに頭をかいた。
「……あ、あぁ。覚えとるで」
パットンは蒸留酒の小瓶を指先で弄びながら、ふっと笑う。
「えぇ、忘れるわけないわ」
ブレアは呆れたように目を細めた。
「本当かしら」
エリックは小さくため息をつき、改めて話を戻した。
「まぁ、調査と言っても、薬の出所の詳しくはわかってないんですよね」
ブレアが腕を組む。
「聞き込みも無意味かしら。
こんな話、表でぺらぺら喋る馬鹿はいないわ」
「なんとかなるやろ。いくで」
智春が立ち上がる。
椅子を引く音だけが、やけに大きく響いた。
「当てはあるの?」
パットンが問う。
「お前の鼻」
「私は犬じゃないのよ!」
即座に返してから、パットンは少し顎を上げた。
「まぁ、それぐらいできるけど」
「できるのね……」
ブレアが素で言った。
パットンはふんと鼻を鳴らす。
「でもねぇ……そもそもどんな匂いを探せばいいのかわからないわ。
それに、この街は潮とか油とか、いろんな匂いが混ざってるわ」
「しゃーないな。
まぁ、なんとかなるやろ」
「さっきから、そればっかりですね」
エリックがため息を吐く。
「どこに行くつもりですか?」
「こういう時はだいたいの鉄板ルートがあるねん」
「なによそれ」
ブレアが眉をひそめる。
智春はにやっと笑っただけだった。
「……まぁ、ついてこい」
四人は店を出た。
飲食街の灯りを背にして、港の表通りへ戻る。石畳の道にはまだ人通りが多い。
だが智春は、その賑わいをまっすぐ突っ切らず、途中で脇へと逸れた。
洗いざらしの旗が頭上で揺れる横丁。
壁と壁の間に無理やり通したような細い道。
「ほんとうに、こっちなんでしょうね」
ブレアが不満げに言う。
「知らん」
「は?」
「知らんけど、こういうもんはだいたい人目につかんところにあるもんやろ」
エリックが小さく頷く。
「それはそうですね」
表通りの灯りが遠ざかるにつれ、道はどんどん暗くなっていった。
石畳は割れ、隙間に黒い水が溜まっている。
窓は板で塞がれ、軒先には古びた籠や錆びた釣り針が無造作に吊るされていた。
潮の匂いに混ざって、油と鉄と腐りかけた魚の匂いが濃くなる。
そこへ別の匂いが混ざった。
「……血の匂いがするわね」
パットンが足を止めた。
耳と鼻が、わずかに立つ。
さっきまで酒と飯にうつつを抜かしていた顔から、一瞬でふざけた色が消えていた。
「……当たりやな」
智春が言う。
「なんでわかったの?」
ブレアが眉を寄せる。
智春は肩をすくめて笑った。
「こういう時はだいたい、裏路地行ったらなんかイベントが起こるもんなんや」
「なんですかそれ」
エリックが呆れる。
「まぁ、なんでもええやろ。いこか」
智春が先へ進む。
その背を追って三人も歩き出す。
細い路地を抜けた先には、港の裏手へ続くさらに暗い通路が伸びていた。
表通りから漏れていた光は、もうほとんど届かない。
積まれた木箱。
錆びた鎖。
濡れた石壁。
その全部が、何かを隠すためにそこにあるように見えた。
高い屋根の上。
崩れかけた煉瓦の縁に、一人の男が立っていた。
銀の長髪が、夜風にゆっくりとなびく。
黒い角。
竜の鱗で覆われた異形の腕。
学ランめいた黒衣の裾が風に揺れる。
黄金の目だけが、下を歩く四人を静かに見下ろしていた。




