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必要悪

「タバコや!」


 智春の声が石畳の通りに気持ちよく響いた。

 その瞬間、ブレアは額を押さえた。


「最初にそれなのね……」


「あぁ。何するにしても、まずは一服や」


「未成年なんですけどね、一応」


 エリックが淡々と言うと、智春は鼻で笑った。


「この学園でそこ気にするやつおるんか?」


「先生は一応気にしてますよ」


「まぁ、今さらやろ」


 パットンが肩を揺らして笑う。


「それはそうね」


 四人は大通りを歩き出した。


 石畳の道は学園前の坂を下るほどに広がっていき、左右には背の高い建物が肩を寄せ合うみたいに並んでいた。


 壁は赤や黄や青に塗られ、窓枠には花が吊られている。


 その向こうに、さらに濃い赤レンガの倉庫群と、空へ突き刺さる巨大なクレーンが見えた。


 港から吹く風は潮の匂いだけではなかった。


 焼いた肉の脂。

 魚を炙る匂い。

 甘い果実酒の香り。

 香辛料のような刺激的な匂い。


「ええ匂いやなぁ……」


 智春がうっとりと呟く。


「さっきからそればっかりね」


「腹が減る街やな、ここは」


 露店の前を通るたびに、獣人の店主が大声で客を呼び、ドワーフが鍋を叩いて音を鳴らし、魔族の女が色鮮やかな布を翻して笑っていた。


 その間を、制服姿の生徒たちが何人も横切っていく。だが、その制服はマルボルクのものではなかった。


 紺を基調とした上品なブレザー。

 姿勢も顔つきも整っており、周りが自然と道を空けていた。


 智春はその一団を目で追い、わかりやすく顔をしかめた。


「なんやあれ。めっちゃ育ちよさそうやんけ」


「実際いいんでしょうね」


 エリックが答える。


「あの学校は王族や貴族が多いですし」


「へぇ」


 智春はまた辺りを見渡した。


 白いローブの上着に銀の刺繍を入れた服。

 胸元に奇妙な徽章をいくつもつけた灰色の制服。

 軍服のようなきっちりした立ち襟の集団までいる。


 通りには、さまざまな制服の生徒たちが行き交っている。


「いや、ちょっと待て」


 智春が足を止める。


「この街、学校だらけなんか?」


「そうよ」


 ブレアが当然みたいに言った。


「ヴォルノクライはもともと多種族の交易のために作られた港町なの」


 ブレアは少し先に見える港の方へ顎を向けた。


「見えるでしょ、あのクレーン」


 智春が目を細める。

 赤レンガ倉庫の向こう。

 海辺にずらりと並ぶ巨大な鉄骨。


「あれは、ダグニクス港」


 ブレアの声はいつも通り落ち着いていた。


「昔はあそこを中心に、人間も魔族も獣人もドワーフも、いろんな種族が物を持ち寄っていたの」


 エリックが横から言葉を継ぐ。


「そこへ、異文化交流をもっと進めようという話になって、学校が作られ始めたんです。


 最初は一つか二つだったんでしょうけど、気づけば街そのものが学園都市に変わったんです」


「へぇ……」


 智春は歩きながら周囲を見回した。

 通りには確かに学生が多い。


「なるほどなぁ。」


 そう言ってから、軽く首を傾げる。


「でも、余計にわからんわ」


「なにがよ」


 ブレアが聞き返す。

 智春は親指で自分の後ろを指した。


「そんな立派そうな学校が他にいくらでもあるんやったら、なんでマルボルクみたいな掃き溜めが残ってるんや?」


 ブレアとエリックが、ほぼ同時に口を閉ざした。

 ほんの一瞬だけ、街の喧騒が遠くなった気がした。


 代わりに答えたのは、露店の奥で煙草を並べていた年配の店主だった。


 片耳の欠けた犬の獣人で、皺だらけの顔に人のよさそうな笑みを浮かべている。


「坊主、そりゃ簡単な話だ」


 いつの間にか智春は、その店の前まで来ていた。


 木箱の上には煙草の箱がずらりと並び、その脇には火打ち石や紙巻きの葉も置かれている。


 智春の目が一気に輝いた。


「おっちゃん、最高やんけ」


「買う前から褒めても値引きはしねーぞ」


「ケチやなぁ」


「商売人だからな」


 店主は鼻を鳴らしてから、さっきの話の続きをした。


「マルボルクが残ってる理由だろ?」


「あぁ」


「平和なんぞ、口で言うほど頑丈じゃないからな」


 その言葉に、智春の笑みが少しだけ薄くなる。

 店主は煙草の箱を一つ持ち上げ、指先で軽く叩いた。


「今はどの国も手を取り合っとるように見える。

 けどな、明日にはどこが裏切るかわからん。

 でっかい犯罪組織もあるらしいしな」


 ブレアの目が、ほんのわずかに細くなった。


「そんな中で、綺麗な学校ばっか増やしても意味がねぇ。いざって時、前に出れる奴らが要るんだよ」


 エリックが静かに頷いた。


「マルボルクの卒業生は、他の学校の方たちより実戦向きですからね」


「そういうことだ」


 店主は笑った。


「行儀は悪いし、街の景観にもよろしくねぇ。

 だが、ああいう連中は騎士団や護衛、前線の兵としては頼りになる。


 必要悪ってやつだな」


 智春はそこで、小さく舌を鳴らした。


「必要悪、か」


「気に入らねぇか?」


「いや」


 智春は煙草の箱を見つめながら言った。


「妙に納得したわ」


 智春が言うと、店主は喉の奥で笑った。


「まぁ慣れだよ、慣れ。

 マルボルクのガキどもが通りを走りゃ、店の皿を引っ込める。

 喧嘩が始まりゃ、距離を取る。

 それでも、街の外から厄介ごとが来た時に最初に飛び出すのも、案外ああいう連中だ」


「へぇ……」


「だから嫌われてるが、認められてもいる。

 面倒な連中だよ、お前らは」


「はは、すまんな」


 そう言いながらも、智春は少しだけ口元を上げていた。

 店主は木箱から一つ煙草を取り出し、智春の前に置いた。


「ほらよ。

 ガキ向けじゃねぇ、少しきついやつだ」


「気ぃ利くやん、おっちゃん」


「その代わり高いぞ」


「そこは値引けや」


「断る」


 智春はぶつくさ言いながら銅貨を置いた。

 煙草を受け取り、一本くわえる。


 火打ち石で火をつける。

 先端が赤く灯り、煙が立ち上る。


「……悪くないな」


 智春はゆっくりと振り返った。

 港から吹く風が、黒いTシャツの裾を揺らし、くわえた煙草の火も流される。


「次、どこ行く?」


 その瞬間。


 ぐう、と間抜けな音が鳴った。

 智春の腹だった。


 ブレアがじとっとした目を向ける。


「……なによ今の」


 パットンが肩を揺らした。


「ふふ。煙草より先にご飯じゃないかしら」


 智春は舌打ちしながらも、視線はもう飲食街の方へ向いていた。


「しゃあないやろ。朝からなんも食ってへんねや」


「なら最初からそう言いなさいよ」


 ブレアは呆れながらも、通りの先を見た。

 制服姿の生徒たちが、笑いながら店へ吸い込まれていく。


「じゃあ、何か食べましょうか」


 智春がぱっと顔を上げる。


「ほんまか!」


「その代わり、店で暴れないでよ」


「善処すると思う」


「しないやつの台詞なのよ、それは」


 エリックが前を向いた。


「近くに学生向けの店があります。量は多いですよ」


「最高やんけ!」


 煙草をくわえたまま、短く息を吐く。


「よっしゃ。ほな、腹ごしらえや」


 四人は石畳の道を曲がり、灯りの並ぶ飲食街へと向かった。

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