自由の街へ
トルマンとの喧嘩から、数日後。
医務室の窓から差し込む昼の光が白いシーツの上に広がっている。
智春はベッドに寝転がったまま、天井を睨んでいた。
「退屈やな……」
腹の傷はだいぶ閉じてきた。
だが、魔法が効かないせいで治りは遅い。
ギプスこそ外れたものの、まだ安静だと何度も言われている。
外では誰かが喧嘩しているらしく、遠くから鈍い音が聞こえてきた。
そのたびに智春の指先が、無意識に握られる。
「元気なやつらやなぁ……」
扉が開く音がした。
入ってきたのは、ブレアとエリック、それからパットンだった。
「なんや、お見舞いか」
智春が言うと、ブレアは腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「見舞いというより監視ね」
「脱走しようとしてないか見に来ただけですよ」
エリックが淡々と続ける。
「してへんわ」
パットンがベッドの足元まで来ると、智春の体を上から下まで眺めた。
「改めて見ると傷の治りが早いわね」
「そうか?」
「あの大怪我を魔法も使わずにここまで回復するなんてね」
エリックも眼鏡の位置を直しながら覗き込む。
「本当に人間なんですか?」
「正真正銘人間や」
智春は鼻で笑った。
「お前らは魔法ですぐやろ。せこいのはお前らの方や」
ブレアは腕を組んだまま、じっと智春を見ていた。
「でも、本当に不思議ね。
ねぇ、そういえば……トルマンとの戦闘中、智春の周りの魔力の流れが変だったのよね」
エリックも頷いた。
「僕も感じました。何か、急速に智春くんに吸収されていっているようでしたね……」
智春は目を細め、あの瞬間の感覚を探るように胸に手を当てる。
「あの時なぁ」
ゆっくりと記憶を辿る。
「なんか、体が軽くなったんや。
体と言うか……空気やな……」
エリックが少しだけ身を乗り出した。
「空気……」
「周りのもんが、スッと入ってくる感じや。
上手く言えへんけど、体の重さが消えたっちゅうか」
ブレアは黙ったまま聞いている。
赤紫の瞳が、いつもより少しだけ鋭かった。
「智春くん、他に体に異変は?」
「んー、特にやなぁ」
智春はしばらく考えてから、ふと思い出したように眉を上げた。
「あ、でもこの世界に来てから空気がやけにスパイス臭かったんやけどな」
「スパイス?」
パットンが片眉を上げる。
「なんやろな、胡椒とか、変な薬草とか、そういうの全部混ぜたみたいな感じや」
「鼻の奥にずっと残るねん」
「けど、少しマシになったわ」
ブレアがすぐに顔をしかめた。
「また訳のわからないことを……」
パットンはくすっと笑う。
「ふふ、不思議な子ね」
その時、エリックだけ考え込んでいた。
視線が床へ落ち、指先が小さく顎をなぞる。
智春はその様子を見て首を傾げる。
「エリック? どないした?」
「いえ」
エリックはすぐに顔を上げた。
「まぁ、わからないことを考えても仕方ないですね」
そう言う割に、声の奥に少し引っかかりが残っている。
「そういえば、智春くんが入院してる間に少し調べてきたことがあって」
「なんや、改まって」
エリックは窓際まで歩き、外を見ながら言った。
「僕たち、少し街を見てきたんです」
「街?」
ブレアが頷いた。
「ヴォルノクライの表通りは相変わらず賑やかだったわ。でもね、ある薬が出回ってるらしいの」
「薬……」
智春が復唱すると、エリックは小さく頷いた。
「ペルヴィンチ」
「ご存知……」
そこで智春の方を見る。
智春は首を傾げていた。
「ないですよね」
「あるわけないやろ」
「魔力活性剤とも呼ばれています」
「飲めば魔力の巡りが一時的に跳ね上がるそうです」
智春は天井を見たまま言った。
「強くなる薬ってことか?」
「雑にまとめすぎよ」
ブレアが呆れたように言う。
「そんな都合のいいものじゃないわ。
力は底上げされるけど、副作用も酷いの。
最悪、自我を失ったり魔法が使えなくなるらしいの。
正規の薬じゃない。裏で流れてる危ない代物よ」
エリックが言葉を継ぐ。
「しかも、最近急に広まってるらしいです。
ただの流行で済むならいいんですが……」
「済まんのやろ?」
智春はすぐに返した。
「ほんで、原還の盟の奴らがそれを売って資金を調達してる可能性があるってとこか」
エリックは小さく笑った。
「まぁ、そうですね。
入院してる間に少し賢くなりました?」
「喧嘩売っとる?」
「褒めてるんですよ」
パットンが足を組み替え、顎に手を当てた。
「でも、気になるわねぇ。そういう怪しい話って、だいたいろくでもない匂いがするもの」
「ろくでもない匂いなら、この学園にも充満してるけどな」
智春が言うと、三人とも一瞬だけ黙った。
それから、パットンが小さく吹き出した。
「それは否定できないわね」
ブレアはすぐに表情を戻した。
「とにかく、智春の怪我が治ったら街に行ってみましょう」
「週末には動けるんでしょ?」
「あぁ!」
智春の声が少しだけ弾む。
「どんな街なんやろなー。楽しみやな」
そこまで言って、ふと何かに気づいたように智春はパットンを見た。
「そういえば、パト子おるけどいいんか?」
ブレアが答えた。
「えぇ。パットンには協力してもらうことにしたの。戦力にもなるし、口も堅くて信用できると思って」
智春は素直に頷いた。
「そうなんか。
改めてよろしくな、パト子」
右手を握りしめ、パットンに向ける。
「えぇ、よろしくね。智春ちゃん」
差し出された拳に軽くぶつける。
「早く治るように添い寝してあげましょうか?」
「いらんわ!!」
週末。
学園では珍しく静かな朝だった。
智春は医務室の前で、ぐっと両腕を上に伸ばした。
腹の傷はまだ鈍く痛む。
だが、久々に吸い込む外の空気は、やけにうまかった。
「よっしゃ! やっと出られるわ」
その声に、先に待っていた三人がそれぞれ振り向く。
ブレアは黒を基調とした上品な私服で、相変わらず隙がない。
エリックは茶色のジャケットに白いインナーという落ち着いた格好。
パットンは太めのジーンズに白のブラウス、茶色のブーツという格好で、やたら堂々としている。
そして智春は、黒のTシャツにカーキのカーゴパンツだった。
「なんやその目は」
智春が言うと、ブレアはため息をついた。
「別に。案の定、あんたは飾る気がないのねって思っただけよ」
「飾ってどうすんねん」
「少しは年頃を意識しなさいよ」
「年頃ってなんや」
「そのままの意味よ」
パットンが横から笑う。
「でも、似合ってるわよ。
男はシンプルが一番よね」
「お前に言われてもあんま嬉しないな」
エリックが軽く咳払いをした。
「まぁ、行きましょうか。今日は表通りから入ります。
ヴォルノクライを知らない智春くんには、その方が早いでしょうし」
「おう」
四人は校門を出た。
坂を下った先に、街が広がっていた。
石畳の大通り。
色とりどりの細長い建物。
赤い屋根が重なり、その向こうには港のクレーンがいくつも空へ伸びている。
風が吹くたび、海の匂いと焼いた肉の匂い、甘い菓子の匂いが入り混じって流れてきた。
広場では露店が並び、噴水の周りでは子どもたちが走り回っている。
獣人が魚を捌いて売り、ドワーフが金物を叩き、魔族の女が色鮮やかな布を広げて客を呼び込んでいる。
笑い声。
怒鳴り声。
楽団の音。
動物の鳴き声。
全てがごちゃ混ぜになって、街そのものが生き物のように脈打っていた。
智春は足を止めた。
思わず、口元が緩む。
「なんやこれ……めっちゃええやんけ……!」
そのまま露店の方へ駆け出しかけて、すぐにブレアに腕を掴まれた。
「ちょっと! 子供じゃないんだから!」
「いや、しゃあないやろ! 見てみい!
めっちゃワクワクするやんけ!」
「するけど! いきなり走らないで!」
「あら、ブレアもワクワクしてるんじゃない」
パットンが笑う。
「うるさい!」
智春はきょろきょろと周囲を見回した。
「あっちもうまそうやし、あっちはなんか怪しいし、向こうは港見えるし……」
「落ち着いてください」
エリックが言う。
「無理や」
「でしょうね」
エリックはもう諦めたようだった。
智春は大きく息を吸った。
この街は、学園とは違う。
荒れてはいる。
雑多でもある。
だが、そこに息苦しさはなかった。
いろんな種族がいて、いろんな匂いがして、いろんな音が鳴っている。
不思議と居心地がいい。
「ええとこやな、ここは……」
智春がぽつりと零す。
そして次の瞬間、何かを思い出したように顔を上げた。
「せや」
「なによ」
ブレアが怪訝そうに聞く。
智春はにやっと笑った。
「まずは調達せなあかんもんがあるねん」
「調達?」
エリックが首を傾げる。
「エリック、店の場所教えてくれ」
「何を買うんですか?」
智春は胸を張って答えた。
「タバコや!」




