交差する医務室
「オウガン……何しにきやがった」
その名を口にしたあとも、トルマンは視線を逸らさなかった。
医務室の空気は張りつめたまま止まっている。
ベッドの上ではトルマンが上体を起こし、横の椅子にはアイゼンが腰掛けていた。
さらに奥のベッドでは、智春が包帯だらけのまま寝転がっている。
オウガンはそんな室内を見渡し、ふっと笑う。
「なんだ、1年坊なんかに負けたのかよトルマン」
「……お前には関係ねぇだろ」
オウガンは肩をすくめた。
「おいおい。それが先輩への口の聞き方かよ」
トルマンは鼻で笑う。
「お前を先輩だと思ったことはねぇ」
「まぁ、そんな噛みつくな。お前のことは気にかけてやってるだろ」
その時、壁にもたれて様子を見ていたバーグが、低い声で口を挟んだ。
「おい、オウガン。お前何しに来たんだよ」
オウガンは視線だけをそちらへ向ける。
「おう、バーグ。説教……の、つもりだったんだが。その必要もなさそうだな」
その言い方に、トルマンの顔からわずかに温度が消える。
次の瞬間、抑え込んでいたものがそのまま声になった。
「何が説教だ。テメェらがあの人にしたことは忘れてねぇぞ。テメェもあのヴェレスも……絶対に潰してやる!」
オウガンは怒りもしない。
ただ、あっさりと返す。
「そのためにドワーフたちを取り込もうとしたり、色々やってたみたいだけどなぁ。あぐらかいて1年にやられてたら世話ねぇだろ」
「うるせぇ」
トルマンの返事は短い。
だが、その短さに残った悔しさは、むしろ濃かった。
オウガンはふいに視線を横へずらす。
包帯の塊のようにベッドへ転がる智春へ。
「まぁいいや。そこの異物とか言われてる転校生。強いのか?」
トルマンも、その視線を追う。
「なんだ。やる気かよ」
「いや、お前を変えた1年がどんなやつなのか興味があるだけだ。3年にもなって1年坊相手にするわけにもいかねーしな」
それを聞いたバーグが、今度ははっきりと鬼の名を呼んだ。
「おい、オウガン」
「なんだよ」
バーグは顎で、トルマンとアイゼンを示した。
二人とも何も言わない。
ただ、まっすぐオウガンを見ていた。
「お前も、覚悟しといたほうがいいぜ」
バーグは口元だけで笑った。
「これからの学園は荒れるぜ?」
オウガンが眉をわずかに上げる。
「悟ったような言い方しやがって……まぁ、楽しみにしとくぜ」
そう言うと、オウガンは興味を失ったように背を向けた。
「じゃあな」
足音が遠ざかっていく。
バーグもその背を追うように歩き出す。
扉の前で一度だけ振り返り、短く言った。
「……あとは任せたぜ」
そのまま医務室を出ていく。
扉が閉まり、静寂が落ちる。
トルマンは、閉じられた扉をしばらく見ていた。
やがて、わずかに視線を落とす。
「……すまねぇ、ウィリアスさん。
仇を取るのは……もう少しかかりそうです」
それだけ言うと、トルマンは口を閉じた。
アイゼンの視線が、静かに横へ流れる。
ベッドに寝転ぶ智春。
だが、呼吸の具合がほんの少しだけ不自然だった。
アイゼンは、ふっと笑う。
ポケットからタバコの箱を取り出し軽く放る。
箱は智春の枕元に落ちた。
智春は動かない。
アイゼンも何も言わない。
そのまま立ち上がり、足音だけを残して医務室を出ていった。
昼過ぎ。
トルマンとアイゼンの傷は、モーラナの回復魔法で完治していた。
二人とも医務室を後にしている。
残されたのは、相変わらず包帯とギプスに縛られた智春だけだった。
ベッドの上で天井を見ながら、智春は小さく笑う。
(あの牛もアイゼンも、なんや事情があるみたいやな。
まぁ、てっぺんは渡せへんけどな)
枕元に置かれたタバコの箱から一本抜き出す。
口に咥え、火をつけた。
煙がゆっくりと立ち上がる。
その瞬間、医務室の扉が勢いよく開いた。
「嶽山くん! 大怪我って聞いたけど大丈夫なの?」
飛び込んできたのは、跳ねた癖毛にメガネ、肩をすぼめた姿勢の頼りない男だった。
ネクタイはずれ、息も少し上がっている。
その男を見て、智春はベッドの上で顔だけ向けた。
「見ての通りや。ピンピンしとるわ」
「なに普通にタバコ吸ってるの! 早く消して!」
慌てる男の後ろから、ゆっくりとモーラナが入ってくる。
相変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、保険医は新任教師に声をかけた。
「あら、ポンク先生。医務室では静かにお願いしますね」
「す、すいません!」
ポンクは顔を赤らめて背筋を伸ばした。
それを見た智春が、こそこそと声を潜める。
「なんや、惚れとんか?」
「ほ、惚れるだなんて! 僕には釣り合わないよ」
真っ赤になって両手を振ったあと、ポンクは慌てて本題に戻ろうとする。
「そ、そんなことより! 転校初日に暴れすぎだよ!」
モーラナがくすりと笑った。
「ふふ、元気があっていいじゃないですか」
その時、扉が静かに開いた。
「甘い」
低い声が落ちる。
空気が一瞬で冷える。
「やば!」
ポンクは咄嗟に魔法を発動した。
手から伸びた植物が、智春の咥えていたタバコを素早く奪い、そのまま火を消す。
男が無駄のない動きでゆっくりと足を踏み入れる。
入ってきたのは黒のコートを羽織った長身の男。襟は高く立てられ、隙は一切ない。その内側には、きっちりと整えられたスーツ。
短く整えられた黒髪は鋭く切り揃えられ、額から目元にかけて無駄な柔らかさは一切ない。
細いフレームの眼鏡の奥にあるその目は冷たい。
その男は、医務室の中心へ歩み出ると、抑揚のない声で言った。
「そんなぬるい指導だからゴミどもがつけあがるんだ」
智春の視線が、ゆっくりとそちらへ向く。
「ゴミ? 誰のことや?」
「お前みたいな感情任せに暴れることしかできない猿のことだよ」
智春は鼻で笑う。
「はぁ、お前みたいな奴はどこの世界にもおるんやな」
「教師をお前呼ばわりか。
それに、タバコ臭いな……」
男はわずかに眉を動かした。
「お前、吸ったな?」
「あぁ──」
言いかけたところで、ポンクが割って入る。
「吸ってない! 吸ってない! 僕たち教師の前で吸うわけないじゃないですか!」
モーラナも一歩前へ出た。
「プルヴェ先生。私とポンク先生でキツく言っときますから、今日のところは……」
そう言って頭を下げる。
わずかに揺れた胸元に、プルヴェの視線が一瞬だけ落ちた。すぐに顔を背けるが、目だけはそちらを向いたままだった。
それを見た智春が、ぼそりと呟いた。
「ムッツリか……」
プルヴェはわざとらしく咳払いをする。
「ま、まぁ……今日のところは勘弁してやる。喧嘩に関しても獣人族が先に仕掛けたみたいだしな」
そこで声の温度がさらに下がる。
「ただし、覚えとけ。国王の推薦か何か知らんが、問題を起こしたらすぐに退学にするからな」
そう言い残し、プルヴェは医務室を出ていった。
ポンクがへなへなと肩を落とす。
「はぁ、助かった……」
智春はベッドの上で首をひねる。
「なんやあいつ」
モーラナは柔らかく微笑んだ。
「プルヴェ・カルスキー先生。この学園で一番厳しいの。だから……」
そこでほんの少しだけ笑みを深める。
「悪さは、上手くやらないとね」




