表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

負けてねぇ

 夜が、明けようとしていた。

 焦げた土と血の匂いが、まだ校庭に漂っている。


 砕けた地面には水溜まりのように血が滲み、抉れた跡が月明かりに黒く沈む。

 そこには、戦いの痕だけが残っていた。


 トルマンが倒れ、獣人たちは動揺し、動けなくなっていた。隙を見た人間たちが前に出かけたが、凱人がそれを許さなかった。


 低い声で何かを告げると、人間たちは渋々と足を止め、そのまま彼の後ろに続いた。


 去り際、凱人が一度だけ振り返り、智春と目を合わせる。


 何も言わなかった。

 ただ一瞬だけ視線が交わる。それから凱人は前を向き、静かに遠ざかっていく。


 獣人たちもアイゼンに促され、音もなく引いていった。


 校庭に残ったのは砕けた地面、血の染み。そして、倒れたトルマンだけだった。

 ただ静寂だけが、壊れた校庭に落ちている。


 空の端が、かすかに白み始めていた。




 医務室の扉が、蹴破るように開いた。

 クリップボードを手にしたモーラナが振り返った瞬間、その表情が固まった。


 扉の向こうに立っていたのは、トルマンを肩で抱えた智春だった。

 学ランはズタボロで原型を留めておらず、腹に巻かれた包帯は血で黒く染まっている。折れた腕がわずかに震えていた。


 それでも、その顔は笑っていた。


「しばいてきたで」


 モーラナは一瞬だけ瞬きをして、それから大きく息を吐いた。


「よかった」


 声が、わずかに震えていた。


「全く無茶して」


 智春はトルマンを近くのベッドへ無造作に放った。鈍い音とともに、巨体がベッドに沈む。


「ちょっと強く殴りすぎたわ」


 首を回しながら、涼しい顔で言った。


「先生、治したってや」


「あなたの方が重症じゃないの」


 モーラナが歩み寄り、智春の腕を掴んで引っ張った。


「早くこっちきなさい」


 その後ろから、アイゼンが医務室に入ってきた。口元に血が乾いたままで、それでも目は冷えていた。


 さらに後ろから、ブレアたちも続く。

 アイゼンは智春を見ながら、小さく呟いた。


「なんであの体で元気なんだ、あいつ……」


「それしか取り柄がないみたいですからね」


 エリックが眼鏡を押し上げながら答えた。

 パットンが大きく欠伸をした。化粧が少し崩れていたが、気にする様子はない。


「はぁーあ。流石に眠たいわね」


「夜通し喧嘩なんかして、バカじゃないの」


 ブレアが腕を組んだまま、智春を見ていた。

 その目はまっすぐ智春を追っていた。


 パットンが口元に笑みを浮かべる。


「でも姫様、叫んでたじゃない」


「あれは……別に」


 ブレアの頬がわずかに赤くなった。


「あと、姫って呼ばないで」


「あら、ごめんなさいねぇ」


 パットンは悪びれた様子もなく、それからゆっくりと言い直した。


「ブレア」




 モーラナが全員を見渡した。


「あなたたち、怪我は?」


「僕たちは大丈夫です」


 エリックが答えた。

 それからアイゼンへ視線を向ける。


「ただ、アイゼンさんは治療を受けた方がいいですね」


「あぁ」


 アイゼンは短く頷き、ポケットからタバコを取り出した。指先に赤い熱が灯り、先端に火が点く。


「先生、最後でいいから頼むわ」


 モーラナが眉をひそめた。


「堂々とタバコを吸わないの。私も一応教員なのよ?」


 その声を聞いていた智春が、ベッドの上から首だけ向けた。


「お、アイゼン。一本くれや」


「吸わないの!」


 モーラナの声が、今度は少しだけ強くなった。

ブレアが小さく息を吐いた。


「この学校の教員は大変ね……私たちは邪魔かしら」


「そうですね」


 エリックが頷いた。

 パットンはアイゼンへ向かって手を振った。


「アイゼン様、また後で♡」


「いや、もうくるな……」


 三人の足音が廊下に消えていく。

 廊下を歩きながら、エリックがパットンに顔を向けた。


「そういえば、パットンさんはなんでアイゼンさんに様をつけるんですか?」


「惚れた相手に様をつけるのは当たり前でしょう」


「どこに惚れたんです?」


「顔よ!!」


 言い切った。

 一片の迷いもなかった。


 エリックは何か言おうとして、やめた。


「そ、そうですか……」


「呆れた……」


 ブレアは額に手を当てながら、廊下を歩き続けた。




 医務室に静寂が戻った。

 智春は再び腹の傷を縫い直され、体中に包帯を巻き直す。折れた腕にはギプスが当てられていた。


 魔法が効かないため、全て手作業だった。 

 それでも、健やかな顔で眠っていた。


 隣のベッドで、トルマンも目を閉じている。

 アイゼンはベッドの横の椅子に座り、タバコの煙を天井へ吐き上げていた。


 青白いランタンの火が小さく揺れ、医務室の白い壁に影を落としている。

 やがて、トルマンの瞼がゆっくりと開いた。


「目が覚めましたか」


「アイゼン……ここは?」


「医務室です」


 アイゼンはそこで少し間を置いた。


「智春が運んでくれて」


「そうか……」


 二人の間に、沈黙が落ちた。

 遠くで鳥の声が聞こえる。

 夜明けが来ていた。


 アイゼンがゆっくりと口を開いた。


「……負けちまいましたね」


「……あぁ」


 トルマンは天井を見上げたまま答えた。

 アイゼンはタバコを指で弾いた。


「でも、最後……あんな楽しそうなの初めて見ましたよ」


「ああ。最高だったぜ……」




 その時、医務室の扉が静かに開いた。


 入ってきたのは、体育館から去った3年の熊の獣人。


 古傷だらけの顔に、血が乾いた跡が残っている。


「よぅ、派手に負けたな」


「バーグさん、なんのようです?」


 トルマンが目を細めた。

 バーグはゆっくりと歩み寄り、ボロボロのトルマンを見下ろした。


「少し様子を見にな」


 口元に笑みが浮かんだ。


「ふっ。いい面になったじゃねえか」


「冷やかしならいらないっすよ」


「もぅこの学園じゃあ、お前を冷やかすぐらいしか楽しみがなくてな」


 バーグは少し寂しそうな顔をした。

 視線が、どこか遠くへ向いた。


「もぅ、俺は用済みだな」


 そのまま振り返り、手を振った。


「じゃーな」


「バーグさん。あんた……学園辞める気か?」


 バーグの足が止まった。

 振り返らずに、笑った。


「……妙なとこ鋭いな」


 ゆっくりと振り返る。


「もう俺らは必要ねぇだろ。争いに負けた獣は去るだけだ」


「まだだ……」


 トルマンはゆっくりと上体を起こした。

 視線を上げ、バーグを真正面から見据える。


「まだ獣人族は負けてねぇ。こんなもんじゃ俺は止まらねぇ」


トルマンは一度、息を吐いた。


「……あんたがいなくても、やることは変わらねぇ。

 あの人の仇も、責任も全部──俺が背負う」


 トルマンの目は、まっすぐだった。

 低く、静かに落ちる言葉に熱がこもる。


「バーグさん。俺はこの学園を獲るぞ」


 その言葉に、バーグは目を見開いた。

 それから、口元だけで笑った。


「そんだけ吠えれたら十分だな」




「いいこと言うじゃねえか」


 廊下から、声がした。

 バーグが振りかえる。


「だれだ?」


「俺だよ」


 扉の向こうに立っていたのは、異様な存在だった。


 焼けた鉄のような深い赤の肌。

 白髪は乱雑に伸び、額から二本の角が突き出ている。


 鬼。

 鋭く、細い眼光。

 口元には笑み。

 だがそこにあるのは愛想ではなく、明確な余裕だった。


 制服はボロボロ。

 破れ、焼け、血が乾いて黒く染みついている。


 無数の傷が、その隙間から覗いていた。


 ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。

 それだけで、空気が変わった。

 その場にいる全員が、無意識に息を止めていた。


 トルマンの目が血走る。


「何しにきやがった……」


 その名を口にした瞬間、場の空気がさらに一段、沈んだ。


「オウガン」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ