1通目
「シャーロット、手紙が来ているよ」
「もう、またですか」
溜息をつき、先輩から手紙を受け取る。上質な紙で出来たそれに軽く目を通せば、そこには予想外の人物の名が刻まれていた。
「オリヴィア・ローズバイン……?姉様?」
どうしてローズバインの名を名乗っているんだろう。結婚してもう三年がすぎたというのに、まだ彼の姓に慣れていないのだろうか。
言い知れぬ違和感と背を逆撫でるような焦燥感が私を襲う。いつもだったら捨てるそれに、今日はナイフを押し当てた。
『親愛なるシャーリーへ
この手紙を読んでいる頃、私はこの国にはいないでしょう。
私の役割は終わりました。私は私の愛する人とともに私の人生を生きてゆこうと思います。
シャーリー、私はあなたのために沢山のことを諦めてきました。
だから、最後くらい姉のわがままを聞いてください。
どうか、私の元夫、アレンと再婚してください』
「……は?」
頭が真っ白になった。愛する人、人生、わがまま。そして、再婚。意味がわからない。
確かに、姉に不自由させている自覚はあった。私のせいで姉があの両親に束縛されていると理解していた。でも、それでもこんなに酷いわがままを言われるようなことはしていないはずだ。
「どうして……」
そうつぶやくと共に、研究室に友人か駆け込んできた。
「シャーロット!塔の前にローズバインの馬車が来てるんだけど!」
「え?」
「あんた何かやったの?!」
やるわけないし意味がわからない。友人は私の手を引いて窓へ連れて行く。門の前には確かに家紋の馬車が停まっていた。
門戸を叩くのは私を嫌っていた執事。兄と姉を可愛がり、決してこちらに目を向けなかった人間。そんな人が、どうして。
「帰らない方がいいんじゃない?」
友人が告げる。心配そうに垂れた眉根にへたくそに笑い返した。
「でも、私のところに馬車が来るなんて相当のことがあったに違いないし」
「帰ったらその面倒ごとに巻き込まれるに決まってるわ!」
「……そうかも、でも」
胸元に隠した姉の手紙を服越しに撫でる。姉は、きっと実家にも手紙を送ったのだろう。そしてあの最後の一文と相応の文章を送ったに違いない。
走ってくる足音を聞きながら、ぼんやり執事を見つめた。少しソワソワしている様が滑稽で面白いと思ってしまうのだから、私も大層歪んでいる。
「シャーロット……君のご実家から馬車が来ていて、今すぐ帰ってきてほしいと」
「わかりました。今行きます」
「シャーロット!」
友人が怒鳴るように私の名前を呼び、腕を掴む。薄紫の瞳は心配に染まっている。掴む手の力が強くて、何だか泣きそうになった。
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」
「嘘よ、そんなわけない。帰ったってまた傷つけられておしまいだわ」
友人は首を振り、何度も行くなと言う。
思えば、この子だけだったか。私が嫌がらせを受けたら相手を殴りに行こうとしたり、姉とアレンが婚約した時私より怒って泣いてくれたのは。この子だけだったな。
「……多分、傷つかないのは無理だから」
「なら」
「だから、帰ってきたとき、慰めてくれない?」
友人は目を見開く。強く握られた手を撫で、ゆっくりその手を解いた。そして、自分の髪を結んでいたリボンを友人の手首に結んだ。
「これ、物質。 これがある限り、帰って来るよ」
「……本当ね?」
「うん、約束」
一度、友人をきつく抱きしめるとそっと離れ、部屋を後にした。
塔の長い階段を下り、外に出る。重い曇天の下にいた執事は、ややいらだった様子で私を一瞥した。
「お待ちしておりました、お嬢様。旦那様がお呼びでございます」
「……いったい何の用ですか?」
「詳細は旦那様がご説明いたしますので。さ、馬車へ」
急かすように促す執事に小さくため息をついた。これ以上引き延ばすのも少し可哀想だ。大人しく乗り込めば、馬車はすぐに動きだした。
執事の疎ましそうな視線を浴びつつ、窓の外を眺めて時間をつぶした。
屋敷に着いた途端、私は引きずられるように家族のもとへ連れていかれた。書斎には怒り狂った父と憔悴しきった母、そして何を考えているかわからない兄がいた。地獄絵図とはまさに現状を指すのだな、なんて現実逃避する。
父は部屋に入った私に気づき、忌々しそうな顔をした。ばちりと合った視線に肩が跳ねる。どれだけ離れても、やはり父は恐ろしくて仕方がなかった。
「……お呼びでしょうか、お父様」
震えないよう気を張って、そう問いかける。心の中で友人の顔を思い浮かべ、必死に心を守った。
父は私の声を聴くと舌を打ち、テーブルを叩いた。
「どうしてお前なんかがオリヴィアの代わりを勤めなきゃならないんだ!!」
『どうか、私の元夫、アレンと再婚してください』
姉の手紙の最後の一文が浮かぶ。
そうか、やはり姉はここにも手紙を送っていたのか。納得と同時にきゅうと、胸が痛んだ。久しぶりに侮蔑の目を浴びたからだろうか。
父は頭を掻きむしり、ぶつぶつと怒りの言葉を吐き捨てる。そのすべてが呪詛に思えてならなかった。
母は私を見ると立ち上がり、そのままこちらへやってくる。そして私の前に立つと、大きく振りかぶって平手を打った。バシンとこれまたいい音が部屋に響く。
「忌々しい子……!そこまでして、オリヴィアを貶めたかったの?!」
「……なんの、お話です、か」
「惚けるんじゃないわよ!!白々しい!!」
もう一度、母が振り被る。しかしその手は降って来ず、兄によって制された。
「離しなさいジョエル!!」
「いけません母上。仮にも花嫁になるのですから」
傷などつけたら、我が家の沽券に関わります。
兄の言葉に母がゆるゆると止まる。母はそのまま兄に支えられ、ソファーに沈んだ。
私は叩かれた頬の痛みに耐え、塔で待つ友人を思った。無傷で帰るのはやっぱり難しかったようだ。ぐっと奥歯を噛み締め、両親を見つめる。震える身体を抑え込むように、手の甲をつねった。嘆くことに忙しい両親を一瞥し、今度は兄が口を開く。
「要件は理解しているな?」
「……はい」
「なら、すべきことは分かっているだろう」
「しかし、兄様」
私に姉の代わりなんて務まりません。
そう告げようとしたとき、兄は遮るように言った。
「一度も家の役に立たなかったお前がようやく役に立つんだ。口答えするほどのっぴきならない言い分が、お前にあるのか?」
姉よりも深みのある薔薇色の瞳が、まっすぐこちらを射抜く。標本の虫のように、ピンで刺されたような感覚がして動けなかった。
言いたいことは沢山ある。
私にだってやることがある。それに、もうほとんど絶縁されたようなものじゃないか。私が出て行った時、誰よりも喜んでいたくせに。
ぐっと拳を握りしめ、睨みつけるように兄を見上げた。
「私、には」
「ああ、私には、なんだ?」
揚げ足を取るような口ぶりに、いら立ちが募っていく。
私にも仕事があるんだ。はいそうですか、わかりました。なんて大人しく嫁ぐわけにはいかない。今のチームにだって迷惑がかかるし、何より魔塔に所属する魔法使いは王家の魔法使い。家門の問題一つで簡単に辞めることなんてできない。
それを、王宮勤めの兄が知らないはずないのに。
「魔塔のことは相手方にも伝えてある。退職するか否かは相手方の判断に任せている。お前は何も考えず、オリーの後釜におさまればいいんだ」
兄はそう言い切ると、未だ汚い言葉を吐き散らす両親を宥めに戻っていった。
*
その日から魔塔に帰れず、暫く実家待機を余儀なくされた。
部屋から出るのは呼び出された時のみ。基本自室に軟禁され、傍には見張りとしてメイドが配置された。
「……別に、逃げやしないのに」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何も」
ぎゅっと背後でリボンを引っ張られる。さっきよりもきつくなったコルセットに呻けば、背後でメイドが笑った気がした。
実家への強制送還から一週間。私を省いて進めた再婚は、あと数日でフィニッシュのようだ。今日は相手方との顔合わせ。
ふわふわのフリルと繊細なレースのあしらわれたドレスは重たくて、私には似合わない。こういうのは、姉様にこそ似合うのだ。
「待っておられますので、急ぎますよ」
「……ええ」
行きたくない、そう言ったら怒られてしまうな。ぐっと言葉を飲み込み、メイドの後を追った。
応接室の前には全員集まっていた。父は苛立ちをその目に滲ませ、母は私を見て薄く口元を歪ませる。兄は私を一瞥し、すぐに視線を逸らす。
「いいか、上手くやれよ。わかっているな?」
私の肩を力強く掴み、父が言う。その言葉に小さく頷き、部屋へ入った。
「……お待たせいたしました。レッドグレイヴ卿」
ついとスカートを持ち上げ、視線を落とす。目の前の男は座ったまま、静かに告げる。
「座れ」
とん、とテーブルを叩く音がする。顔を上げ、ゆっくりその人を見る。
三年ぶりに対面したその人は、あの頃よりも男らしくなってそこに座っていた。




