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2通目

 アレン・レッドグレイヴ卿。王立騎士団、第二部隊の団長に最年少で就任した出世株筆頭。王族の血を引く公爵家の嫡男であり、姉の夫だった人。


「……座らないのか」


 そして、私の好きだった人だ。

 掠れたような低い声に促され、ゆっくり腰を下ろす。衣擦れの音さえ心臓に悪かった。スカートの上に手を重ね、顔を上げる。怖くて仕方がないが、ここで逃げては彼に失礼だ。

 唇を引き結び、彼を視界に捉える。


「っ……こ、この度は、オリヴィア・ローズバインが公爵家へ多大なるご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。また、私のような者を妻として迎え入れてくださること、心より感謝申し上げます」


 深く頭を下げ、心の底から謝罪した。今の私にはこれしかできなかったから。

 私との再婚は、公爵家から打診されたと兄に教えてもらった。帳消しにはならないが、私を差し出す事である程度は慰謝料が減額されるそうだ。

 実家への強制送還と軟禁の意味がようやく分かった気がした。


「構わない。オリヴィアとの約束だからな」


 そう告げ、彼はカップに口を付ける。

 その言葉にすぅと緊張と、ほんの少しだけ浮かんだ心が落ちた。

 そっか、姉様、お願いしてたんだ。そうだよね。だってアレンは、姉様に恋をして姉様を妻にって父に直談判したのだから。

 ほんのり浮かれていた心がずんと沈み込む。ほんのり浮かんだ希望が、一気に羞恥に変わっていく。希望を抱いた己が恥ずかしくて、それ以上に憎い。間抜けで滑稽で、愚かだ。

 何だか、無性に死にたくなった。


「寛大なお心、感謝いたします。レッドグレイヴ卿」


 口角を緩く上げ、三日月形に瞼を閉じる。狭まった視界は嫌な現実を排除してくれて、息がしやすかった。

 だがそれと同時に、己への嫌悪感が身体中を埋め尽くした。今、自分を守っているのは憎いはずの姉の教えだ。この機に及んで、まだ姉に縋るなんて。本当に情けない。


「……式は予定していない。三日後、教会に向かうのみだが、構わないな」

「はい。お時間を頂戴するわけにはまいりませんので」

「屋敷には教会のあとそのまま向かう。準備をしておいてくれ」

「承知いたしました」


 淡々と続けられる今後の話。どれも想定通り過ぎて、傷つくことさえできなかった。

 すべてに頷き、従順に話を聞いていれば、ふいに仕事の話になった。


「魔塔の件だが、今まで通りで構わない」

「え?」

「優秀な魔術師を結婚などと言って辞めさせては、俺のもとに大量の抗議文が寄せられるからな」


 ただし、泊まり込みはしないでくれ。屋敷の者に迎えに行かせるから。

 その言葉に目を丸くすれば、嫌か、と問われる。その問いに慌てて首を横に振った。まさか許されるとは思っていなかったため、理解が追い付かなかったのだ。

 アレンはため息をつき、紅茶を飲み干した。


「それでは、話は以上だ。質問は?」

「いえ、ありません」

「そうか。俺は屋敷へ戻る」


 そう告げると立ち上がり、アレンは部屋を出ていく。慌てて追いかける父と母をぼんやりと眺め、姉に習った所作で見送る。

 アレンは最後までこちらを見ず、屋敷を去っていった。


*


 三日後、結婚式は三十分もかからず終わった。

 立会人は神父様、参列者はアレンの部下が数名に、兄のみ。質素なものだ。誓いのキスも無ければドレスもない。今だって、姉のドレスを緊急で仕立て直したものを纏っている。

 色がアイボリーなだけましだと思いたい。

 見慣れたアレンの筆跡をぼんやり、視線でなぞっていればふいに腕を掴まれた。


「屋敷に向かうぞ」


 熱を感じない淡々とした声色に少しだけ肩が竦んだ。掴まれた腕が痛いが、痛いとはどうしても言えなかった。ぐいぐいと慣れない歩幅を、駆けるように追いかける。

 大きな背中を追いかけ、ふと思い出す。そう言えば、式が終わったらすぐに仕事に戻るって言っていたような。


「レッドグレイヴ卿、騎士団に戻らなくてよろしいのですか?」

「……君ももうレッドグレイヴだろう。君を屋敷に送ったら戻る」


 ぎゅ、腕を掴む力が強まった気がする。

 そのまま駆け足で教会を出れば、空は快晴。目を細めたくなるほど綺麗な青だった。

 アレンは私を馬車に乗せると、向かいに腰を下ろす。広く感じた馬車内は大きいアレンがいるせいか、少し窮屈だった。

 馬車は一分もしないうちに動き出す。ごとごと響く車輪の音を聞き、ぼんやり車窓の向こうを眺める。


 好きな人との結婚が、こんなにも呆気なく終わってしまってしまった。


 その事実が心を蝕み、己の惨めさを際立たせる。私には大きかった姉のドレスに皺が刻まれた。


「……シャーリー」


 ふいに、懐かしい呼び方が鼓膜を撫でた。びくりと肩が跳ねて、瞬時に彼を視界に捉える。アレンはこちらを見ずに告げる。


「屋敷の案内は侍女長に頼んである。彼女に聞いてくれ」

「はい」

「君の仕事始めは一週間後を予定している。暫くは公爵夫人の仕事を学んでくれ」

「承知いたしました」


 新婚夫婦と言うよりも、雇用主と従業員の会話のようだ。巷ではやっている恋愛小説の愛されない妻みたい。

 まぁ、実際そうなのだが。

 じっと彼を見つめ、現実を受け入れた。式の最中から今に至るまで、彼と視線が交わることは一度だってなかった。彼の視線はいつだって、姉を探して彷徨っている。

 きっと、この先こちらに意識が向かうことは、一度だってない。

 ああ、本当に。居心地が悪くて、気持ちが悪い。

 吐きそうだ。


「シャーリー」

「はい。旦那様」


 ゆっくり、懐かしい碧眼に私が映った。


「俺のことは、恨んでくれて構わない……ただ、オリヴィアのことは恨まないでやってくれ」


『愛しているんだ』

 そう、姉に告げていた。あの日の言葉が鼓膜を貫く。ずっと押し込めていた感情が、暴れに暴れた。

 わかっている。彼があの人だけを愛していることを、あの人の言葉を律儀に守るほど、彼女を求めていることを。理解している。しているが、だからと言って素直に「はい、承知いたしました」と言えるほど賢くはなかった。

 心痛な面持ちでこちらを見つめるアレンに、私はにっこり微笑んで告げた。


「承知いたしました」

「……ありがとう」


 ああ、そんな顔をしないでほしい。これから、その安堵の笑みを崩そうとしているのに。


「第一、わたくしが旦那様のことを愛することは決してございません。ですから、安心して姉様を探してくださいませ」

「は……?」


 碧眼がまん丸に形を変える。なんでそんな顔をするのか、心底わからないがまあいい。その様をにっこりと見つめ、飛び切りの笑みを浮かべたまま続ける。


「わたくし、こう見えて魔塔でも腕のいい魔道具職人ですの。必ず、姉様を見つけるための魔道具を作って見せます」

「シャーリー……?」

「シャーロット、ですわ。旦那様」


 鼓膜を撫でる愛おしい音を振り切って、私は告げる。旦那様の顔は細めた瞼のせいでもう見えない。

 でも、それでよかった。だってきっと喜んでいるはずだから。だって彼が求めるのは姉であって、私じゃなかったのだから。


「ローズバインの恥晒しを妻に迎える汚名を着せてしまう無礼、この魔法で必ず晴らしてみせます」


 ごめんね、アレン。大好きだよ。ずっとあなたが好きだった。大好きだから、私があなたの最愛を取り戻してあげる。


「安心して姉様を待っていてくださいませ、旦那様」


 姉に倣ったとびっきりの笑みを浮かべ直して、私は胸を張った。

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