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「愛しているんだ」
薄く開いたドアの奥。大きな窓の傍で、初恋の人は姉に告げた。うっすら朱に染まった頬、潤んだ碧眼。そこには、美しい姉しか映っていない。
姉は背伸びをして、彼の唇に顔を寄せる。離れていた影がぴったりとくっついたその時、私の恋は終わりを告げた。
*
姉は美しい人だった。礼儀作法は完璧で非常に賢く、誰にでも分け隔てなく優しい。まさに完璧な淑女。社交界の華。
「オリヴィア・ローズバインは女神の愛し子である」
人々はそう誉め揚した。それほど姉は美しく、誰からも慕われる人だった。
そんな姉にも、欠点があった。
「あんな妹さえいなければ完璧だというのに」
それが私、妹の存在だ。
シャーロット・ローズバインは『ローズバインの恥晒し』と呼ばれていた。私はローズバインの人間らしからぬ性格をしている。人前に出ること、そして人と話すことが苦手だったのだ。
ローズバイン家は国一の商団を持つ商人上がりの貴族。会話術が非常に高く、社交界を己の庭にできる人々だ。
そんな中、口下手で恥ずかしがり屋の私はローズバインのお荷物でしかなかった。
「どうしてあなたはそんなにうまく笑えないのかしら」
かつて社交界の華だった母は呆れ、何度もため息をついた。父はついに私を視界に入れなくなった。兄は私の存在を認知しなかった。
使用人たちも私を軽んじ、存在自体を忘れたように接する。
まるで透明人間にでもなったような気分だった。
「シャーリー。相手を思って丁寧に言葉を選ぶのはあなたの魅力であり、美徳だわ。だから、そんな顔をしないで」
でも、姉だけは違った。
誰からも忘れ去られた私を、ただ一人見つけてくれた。愛してくれた。
「……姉様は変わってるね」
「変わってなんかないわ。寧ろ、周りが変なの。こんなに優秀で優しい子に気づかないなんて」
どうかしてると思わない?
そう笑う姉は愛らしくて、童話のお姫様みたいに輝いていた。
私は姉が大好きだった。いつだって姉を中心に、世界は回っていた。
しかし、そんな世界の巡りの中に、たった一人。その人は入り込んできた。
「これ、落としてたぞ」
「……ありがとう、ございます」
その人とは王立学院で出会った。たまたま、実技試験でペアになったのがきっかけで、話すようになった。
彼は騎士科の学生だった。綺麗な顔立ちなのに不愛想で言葉足らず。それでいて学科一の剣術の腕を持つ彼は、皆に一目置かれ、そして密かに恐れられていたように思う。
事実、出会ったばかりの頃は私も彼が怖かった。何を考えているかわからないし、時折怖い目をしてこちらを凝視する。怖い以外の何物でもない。
でも、会話を重ねるうち、次第に彼が何を考えているのかわかるようになった。
「アレン……デザートはあげないよ」
「わかってる」
「ほんとかなぁ」
アレン・レッドグレイヴは可愛い人だった。そして優しい人だった。
彼は一度たりとも私を『ローズバインの恥晒し』と呼ばなかった。それどころか、私を愛称で呼ぶほど親しくなった。
「ここ段差があるから気を付けろよ、シャーリー」
「それくらいわかってるよ」
出来損ないの私にも、分け隔てなく優しくしてくれるアレン。そんな彼に初恋を捧げるのに、そう時間はかからなかった。
でも、初恋は叶うことなく散った。
『愛しているんだ』
そう、彼が姉に囁くのを目撃したあの瞬間に。
*
「私、アレンにプロポーズされたの」
姉が幸せそうに告げた時、両親は諸手を挙げて喜んでいた。レッドグレイヴ家は公爵家。伯爵家の我が家からしたら喜ばしいことこの上ない嫁ぎ先だ。
両親は婚約成立に向け動き出し、兄は姉を心の底から祝福していた。屋敷中がお祭り騒ぎになる中、たった一人、私は取り残されていた。
姉にアレンを紹介したのは私だった。初めてできたお友達を、大好きな姉に紹介したかったのだ。
けれど、私は飛び切りの馬鹿だった。なんせ初恋の人を、この世で最も麗しい女性と引き合わせるという愚行をおこなったのだから。
「シャーリー、今度アレンと出掛けるの。一緒に行かない?」
「……ダメだよ、姉様。デートは二人っきりで行かなきゃ」
姉が大好きだった。でも、そんな大好きな人が、気づけば世界で一番憎い人になった。
大好きな笑顔を直視できなくて、私は逃げるように家を出た。幸いにも、姉とアレンの婚約発表は卒業年。卒業研究と称し、魔塔へ転がり込んでも違和感のない学年だった。
それから私は、学院と魔塔を往復する日々を送った。家族は何も言わなかった。それだけ私に興味がないということなのだろう。
「シャーリー!」
「……姉様、御機嫌よう。どうしたの?」
「まだ屋敷に帰ってこないから……心配したのよ?」
「そう、なんだ。ごめんね、まだ研究が終わらなくて」
「でも少し帰ってくるくらいできるじゃない」
変わらず、姉だけは私に気を配った。学院で私を見つければ話しかけるし、食事にも誘ってくる。
だが、私はその誘いや会話からそれとなく逃げていた。できる限り、綺麗になっていく姉を見たくなかった。
「アレンも一緒にどうかって、言ってるのに……」
そして、アレンとも距離を置いた。
姉とアレンの婚約は学院のトップニュースとなった。二人は最大級の祝福を受け、幸せそうに笑っている。そして私は数多の侮蔑と陰口を頂戴した。
私とアレンの仲をよく思わない人間は大勢いたようだ。時には物理的に嫌がらせも受けたが、もう抵抗する気力も残っていなかった。
*
卒業後、私は魔塔に入った。本格的に魔術に携わりたかったのだ。
家族は特に反対しなかった。それどころか、さっさとどこかへ行ってしまえと言う雰囲気を感じていた。
「おはよ、シャーロット。また徹夜?」
「おはようノラ……まだタイミング掴めなくて……」
「いい加減にしないと、また倒れるわよ」
ぽんと私の頭を軽く叩き、隣に腰を下ろすその人。学院時代からの付き合いである彼女は、私の数少ない友人だった。
彼女は私と姉の一連のトラブルを知っている。それどころか、私以上に姉とアレンに対して怒ってくれた。
『なんであんなに無神経にシャーロットを傷つけられるわけ?!信じられない!!』
私は幸せ者だと思う。こんなに自分事のように怒ってくれる友人がいるのだから。
不幸なんかじゃない。
「シャーロット、まだ返事が書けてないの?」
ふいに友人が問いかける。その視線の先には未開封の手紙が一つ。甘やかなローズの香る、見慣れた手紙の差出人は良く知った人物だった。
「……ちょっと、忙しくて」
「嫌なら嫌でいいんじゃない?あんな家」
ばっさりと言い捨て、友人は本を魔法で開きだす。
しゅるしゅると舞う風の糸。爽やかな秋風のような、涼やかで懐かしい音が嫌な気分を吹き飛ばしていく。ほんのりと睡魔が脳を襲いだした。
ああ、そう言えば、こんな陽気の日は、よくアレンと中庭で本を読んだりしたっけ。二人でお互いの好きな本を持ち寄って、交換して、感想を言い合って。
『このシーン、絶対シャーリーに刺さるって思ったんだ』
『こういう展開、好きだもんな』
なんて、全部わかり切ったような傲慢な物言いをしていたっけ。
でも存外、彼のおすすめする作品は私好みだった。だから文句も言えなくて。それ以上に私の好みをわかっていてくれたことが嬉しくて、無邪気にはしゃいだものだ。
「……姉様には、何の本をおすすめするんだろ」
ぽつりと呟いた疑問は風に乗って、遠くへ消えていった。
*
姉の結婚式は快晴の中おこなわれた。
日の光で輝くウェディングドレスに劣らない麗しい姉と、丹精に仕立てられたタキシードが良く似合う初恋の人。お似合いな二人は歓声に包まれ、幸せそうに笑っていた。
「綺麗ねぇ」
「やっぱりお似合いよね」
そんなコメントが侮蔑の視線と一緒になって突き刺さる。こちらに注がれる視線全てが痛くって、逃げ出したくて仕方がなかった。
せめて意識を逸らすように、姉を見つめる。姉は飛び切り綺麗だった。多分、今まで見た中で最も美しい姿をしていた。
「……本当に、きれい」
姉と初恋の人が婚約して早一年。傷は未だ塞がらず、まだ彼が好きだった。
そしてそれ以上に、まだ姉が好きだった。姉を、嫌いに慣れない自分が嫌だった。でも、どうしたって姉を嫌いになる前に自己嫌悪に陥るのだ。
だって、私たちは別に想いあっていなかった。これは一方的な恋。彼が誰を好きになろうと、彼の勝手だ。そこに私の意志は関係ない。
「……素敵な二人」
並べば並ぶほどそう思ってしまう。お互いの友人に囲まれ、幸せそうに笑う二人は素敵だ。
無邪気に微笑む姉。照れくさそうに、友人たちの揶揄いを退ける初恋の人。初恋の人は逃げるように姉を見て、愛おしそうに微笑んでいた。あんな笑顔、初めて見た。
もう痛む場所もなかった。ずっと膿んで、じくじくとしたそこに新しいナイフが刺さっただけ。加算する痛みはもはや無に等しい。
「っ!」
ふいに、彼と目が合った。湖の水面のように美しい碧眼は私を捉え、すぐに逸らされる。まるで視界にすら入れたくないような、そんな仕草だった。
またどこかにナイフが刺さったような気がした。どこに刺さったかはわからない。
「……おめでとうございます。姉様、レッドグレイヴ卿」
そう呟き、そっと会場を後にする。ほのぼのと周辺を照らす日の光から逃げるように、私は屋敷へ歩を進めた。
*
「ねぇシャーロット、今日一緒に食事に行かない?美味しいお店見つけたの」
開いていた本に栞を挟まれ、ゆっくりと閉じられる。もう読むな、とでも言いたげな手つきに私は諦め、眼鏡を外した。
「ありがとう、ノラ。じゃあ、行こうかな」
「そうこなくっちゃ!ほら行きましょ!」
風が舞い、コートとマフラーが手元にやってくる。相変わらず器用だな、なんて思いながらそれらを纏って、二人で魔塔を後にした。
街には雪がうっすら積もっていた。ほとんど一日で消えるのが当たり前だから、こうやって残るのは中々に珍しい。ブーツの爪先で残った雪を軽く蹴る。
雪はさふっと音をたて、少量がブーツに乗っかった。私はそれを軽く払い、名前を呼ぶ友人のもとへ駆ける。
「転ばないでね」
「はーい」
姉のようなことを言う友人にくすくす笑い、私は彼女の後を追った。
姉が結婚して三年目になろうとしている。
私は結婚式の後、すぐに魔塔に戻った。パーティーにも参加せず戻ったため両親は激怒していたが、もうどうでもよかった。
あれから、私は一度も実家に帰っていない。それどころか時々来る手紙も読まず、すぐに燃やしていた。
時折聞こえてくる囀りによると、姉夫婦は仲良くやっているらしい。義兄も姉のために武勲を上げているそうだ。幸せそうで何よりである。
このまま、ただ幸せを享受して、私の知らないところで生きていってくれればそれでいい。
「ただただ、幸福であれ。幸多からんことを」
そう願って、今日も研究に勤しんでいた。
姉が駆け落ちする、その時までは。




