これでやっと人間だ
目を覚ますとそこは美しい泉だった。芝に寝る僕を囲うようにとても浅く透明な水が張り巡らされていて、ヘレメルというおとぎ話で出てくる鳥の囀りまでも聞こえる。転移して初めてこれを見た時は本当に興奮した。そのせいで冷静さを欠いて、ああなったのかもしれない。
「……よっと」
僕は床に手をついて体を起こし、ゆっくりと立ち上がり、そのまま制服の襟を整える。そして美しく反射する水面を見つめた。そこにはまだ17歳だった頃の僕がいた。日本人特有の黒髪黒目に、17歳ならではの活気溢れる体。全て僕が無駄にしたものだ。
僕が一歩足を出すと水は円を描くように揺れながら、広がっていく。それを見ると、まるで自分の存在が証明されたようで、心が落ち着いた。
「行くか」
ーー自然溢れる森に突如現れた文明。国門の前に着き、僕は大きく深呼吸する。門番のような存在はいなく、ここまでは問題なかった。問題はここからだ。前は挙動不審だった上に、身分証なしの変な格好をした黒髪黒目。さらには魔法の適性なし。これはどうやらこの世界によくいるスパイの特徴と、かなり一致していたようだった。
「魔法の検査は受けない。それでいい」
小さな声でつぶやき、もしかしたら魔法が使えるんじゃ? なんていう淡い期待を抑え込む。そのまま無言で街中を通り過ぎ、いわゆるあちらの世界での市役所のようなところへ訪れる。人はあまりいなく、目立ちたくないので好都合だ。
「すみません」
「はい?」
落ち着いた薄い青髪の見た目、優しくて可愛い声、などから柔らかな印象を覚える女性。ただもう誰も信用はしない。見た目で判断しない、声で判断しない。そして性格で判断しない。利用価値で判断する、これが生き残るための大前提。
「遭難してしまって……彷徨っていたらこの国についたのですが」
無知なあの時と違い、今ならこの世界の知識も多く持っている。何度、何度やり直すことを妄想したか。森の中で毎日、どうしたらよかったのか考えて、働きながら考えて。後悔、後悔、後悔、後悔。後悔だらけの人生だ。
「珍しい服ですね? どこの国の方ですか?」
その女性は興味深そうに、僕の服にすっと顔を近づけて凝視してきた。この国で遭難者はそう珍しくない。遭難者にウェルカムな上、位置関係的にも集まりやすいのだ。本来、カウンターで要件を聞かれて別のところに案内されるはずだが、人がいないからかそのまま話す雰囲気だ。
「ハイデラル王国のユヘリメカという村で育ちました」
すると女性はさらに驚いた表情を見せたが、すぐに納得したように頷いた。
「ユヘリメカ……あそこは癖が強いですからね〜」
ユヘリメカは割と有名な村で、癖の強いもの達が集まっていることで知られている。そのおかげで僕がどんなに変な格好、髪色をしていようがなんとも思われないのだ。
「魔物に襲われて仲間と離れてしまったのですが、その時テミーカードも落としてしまって……」
テミーカード。あちらの世界で言う身分証に近いものだ。これがないと怪しまれて、この世界じゃなんにもできやしない。国によって種類の違い等はあるものの、テミーカードを持っていない人間は少ない。
「つまり、テミーカードを作りたいということですね」
「はい」
「今回は遭難してしまったということもありますし、無料でお作りしますね」
その女性は気を使うように僕に言うと、優しく笑った。そのまま何も書かれていない板、テミーカードを持ってきた。ここに職員の人が個人情報を魔法ペンで手書きするのだ。
「ルイス・カリルリウスです」
今適当に考えた偽名だ。特に本名を言うメリットはないからね。すると職員さんは集中した様子でゆっくりとペンを動かし始めた。これは魔法での文字なので、ミスした時消すことが難しいのだ。
「出身は、ハイデラル王国のユヘリメカっと」
職員さんは確認するように口ずさみながら丁寧に文字を書いた。それは機械のように綺麗な字で洗練されていることが伝わってきた。日本とは文字こそ違うものの、美しさは強く伝わるだろう。
「年齢は……13歳くらいかな?」
「いや17歳ですけど」
「えっ!? 同い年?」
別に僕がロリっ子なわけではなく、日本人はこの世界では若く見られがちなのだ。僕にはむしろこの世界の人が若く見えるのだが、おそらく考え方の違いなのだろう。この世界では17歳で働いている人なんていくらでもいるし、12歳で遭難していようが珍しくもない。そんな世界だ。
「えぇ? まあ自分を大きく見せたいのはわかるけど、テミーカードに嘘は書けないなぁ」
その女性は立ち上がると、宥めるように僕の頭を撫でて言った。完全に舐められている。この国は平均身長が高く、高身長イケメンが多い。よって170センチの13歳も割といるのだ。ただここで変に意地を張って怪しまれるのも面倒だ。
「ごめんなさい。ほんとは15歳です」
「ほら〜、次からはダメだよ?」
「はーい」
そんなこんなで僕は2度目の人生、身分証を手に入れた! これほど喜ばしいことはない。これで少なくとも人間として皆扱ってくれるはずだ。15歳です、とか、ユヘリメカ出身です、とか後々めんどくさいことになりそうな嘘を重ねてしまったが、テミーカードを作れたし良いだろう。




