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121、エピローグ

 なーん、と小さな白い猫が鳴く。

なんだ、あんたってば……そこにいたのね。

いてくれたのね。

ずっと、一緒にいたのね。


***


 柔らかな風が前髪を揺らし、あたしはうつろに目を開けた。

「大丈夫か?」

心配そうに覗き込んでくる瞳に、あたしは眉をひそめながら小さくうなずく。熊の優しい労わる眼差しに少しだけほっとした。

ああ、ちゃんと生きてる。あらためてその気持ちが湧き上がる。

 その口から血の跡はぬぐわれ、その瞳には生気がある。

あたしは泣きたいくらい嬉しくて、抱きついてしまいそうなどうにももどかしいその思いを悟られるのがいやで必死に顔をしかめて見せた。 

「おまえ、ぶっ倒れたんだぞ? 覚えてるか?」

「……思い出したくない」


 あたしは喉がからからに渇いていることに気付き、「水……」とてを伸ばした。その手にグラスが押し付けられる。それを引っつかむようにして中身を飲み干すと、あたしはぎしりと歯軋りした。

「あの腐れ魔女は!」

いいや、あれは魔女じゃなくて悪魔だ。悪魔に違いない。

「エイルと何か話しをしてる」

あたしは苛立ちのままに舌打ちしながら、部屋の中を見回した。

あたしがいたのは殺風景な個室だった。寝台と極一般的な机と本棚。レイリッシュの塔とは思えない落ち着いた色彩にむしろ居心地が悪い。

 こういう落差って不思議。

あたしが戸惑っていると、ロイズが「なぁ」と声をかけた。

「おまえと猫がどうたらって、どういう……」

「猫ぉぉぉ?」

 あたしはうびゃーっと声をあげた。

猫、猫、猫っ!?

心臓がばくばくと激しく鼓動し、あたしの耳はぴんっと立った。


「何の話し!」

「いや――うん?」

「猫耳がどうかした!?」

「……いや、なんでも、ない?」

「猫耳と猫尻尾ファッションに苦情ですかっ」

「ファッション……そう、ファッション? なんだよな。なのか?

いや、きっとオレは色々疲れてるんだ、うん。そうだよな……おまえが猫――」

すまん、気にしないでくれ。

と、それでも微妙な顔をしている男にあたしはにっこりと微笑みかけた。


よしっ、この脳筋! 深く考えるんじゃない。

猫がどうかしたかしら!?

あたしと猫には何の関係もありませんっ。


突っ込むなっ。


 あたしは必死に誤魔化しにかかり、ふとロイズの肩のソレと目があってしまった。そう、肩にはティラハール。肩、というか背中に張り付いているというか、もう本当になんだそれ。

「ソレ……」

「ああ、ティラハールみたいだぞ。

やっぱり人形(ひとがた)の時が小さくて可愛いと本性も小さくて可愛いな」


可愛い?

いま、可愛いとかいった?

そのトカゲみたいな手足と獅子の顔と鱗と羽をもって奇怪なイキモノが可愛い? おまえの目は腐ってるんじゃないのか? 色々と打ち所が悪かったんじゃないのか?医者いくか? ここは一応王宮だから、最高の医者がいるらしい。魔女もいるからあまり不要だけど。


 あたしは微妙な顔をした。

獅子の顔がすりすりとロイズの頭に鼻面をすりつけてる。

可愛い……?

「まあいい。なんだか判らないけど、おまえが死ぬようなことにならなくて良かった」

ロイズが穏やかな様子で言うが、あたしは内心で「どこが良いんだーっ」と叫んでいた。


 あたしの中に猫がいるんだそうだよ。猫の魂がね!

にゃんこさんはあたしが寝てる時に勝手にあたしの体でうろちょろしていたんですってよ、こわいですね!

 あたしの体ってば悪魔の人体実験により猫の体と融合されてるんですってよ!

って、あたしは何モノだよ。ってか魂と離れてる間にどんだけ遊ばれてるんだよ。あたしはきぃぃぃっとなりながら、ふと意識を集中して猫耳を消そうとした。


 体、この体があたしの体であるのであれば魔法が使える筈だ。

何の問題もなく。負担など覚えることもなく。

 そしてその思いの通り、あたしは猫耳を引っ込めることに成功した。

「あ、無くなった」

 ロイズの言葉にぱっと頭に手をやると、確かに猫耳がない!

あたしはぐっと両手の平を握りこみ、小さく喜びを表した。よしっ、よしっ。この調子で分離だってできる筈。分離したら猫はロイズの家に放り込み、あたしは自分の家に帰れば万事良好。不足ナシっ。なんだ、腹はたったけど結果よければ全て――


「ブラン」

「なによぉ」

今喜んでるんだから水はささないでよ。あたしがへらへらとしていると、ふいにロイズが真顔で言った。


「オレ、おまえのことが好きだ」


 ロイズが真摯に言う隣。

肩の上のイキモノがものごっつい目をして歯をむき出しにしています。鼻に皺をいっぱい寄せてくかかかかっ、と白いぎざぎざの鋭利な牙を剥き出しにしている。

あたしは引きつった。

か、可愛い?

「おまえとずっと一緒に――」

「ぎゃあっ、口を開くなっ」

 あたしは威嚇からついで炎を吐きそうになっているティラハールに思いっきり叫んだ。やばい、このイキモノ危ないよっ。ちょっと、なに平然とそれを肩に乗っけてるの。


どこが可愛いんじゃ、ボケェ。

 

「ブランっ」

「話は後で聞く。今は駄目。今は危険。とりあえずティラハールの口押さえてっ」

「は?」

 意味が判らないという様子でロイズは自分の肩のいきものに左手で触れ、ひょいっと自分の胸元に持ちかえた。

「ティラハールが何だ?」

 まるで猫にするように喉元を撫でてやりながら、ロイズが不機嫌そうに言う。ティラハールはぐるぐると喉を鳴らしながら機嫌をなおしたようだが、あたしは思いっきり引きつった。


 懐かれてる、というか本当にとり憑かれてますよ。

「ブラン、オレは真面目に言ってるんだぞ」

 怒るようにロイズがもう一度口を開こうとするが、突然その部屋の扉が開き、その場に弟を引っつかんだアンニーナがだかだかと乱入した。

 ロイズが小さく「くそっ」と舌打ちすると、咄嗟にあたしの二の腕を掴んで早口で言った。

「戻ったら、話しがある」

それに返事をする以前に、乱入者はあたしを呼んだ。


「ブランマージュ!」

「アンっ」

おまえにも言いたいことがあるっ。

勢い込んだあたしだったが、アンニーナは出鼻をくじくように言った。

「これあげる」


はっ?

アンニーナはぐったりとした弟をずいっとあたしの前に押し出し、

「もう焼くなり煮るなり好きにしていいわ。あんたがそうしたいっていうのであれば、百回殺してくれてもいい。奴隷でも足でも下僕でも好きに使いなさい」

「ねーちゃん、勘弁してくれよっ」

「勘弁できる訳ないでしょっ、この馬鹿。この阿呆っ。あんたのおかげでブランがどんだけ酷い目にあったと思う! ついでにあんたのおかげであたしがどうなるか判るか、この馬鹿カスっ」


あああ、とうとう愛する姉ちゃんにまでカス呼ばわりされてるよ、カス。

「あんたのおかげであたしは大陸追放よっ」


その言葉にあたしは真顔になってしまった。

「はい?」

「――レイリッシュに命じられたのよ。あたしは今の場所を抜けて魔女狩り大陸行き」

「はいぃぃ?」

忌々しいとばかりにアンニーナは自分の弟をがつんと一発殴り、ついでとばかりに放り出した。

「あの大陸を再生させるの。他の大陸からも何人か魔女が派遣されるわ。旧王宮の残党はまだ多少残ってるみたいだけど、粛清を掛けることが決定してる」

 粛清。その言葉にいやな記憶が呼び覚まされた。

けれどそれはもう覆されたりしないだろう。レイリッシュは決して許しはしない。

――罪は自ら購うもの。

彼女は決して揺るがない。それが人に対してであれ、魔女に対してであれ。

だからこそ、レイリッシュは頂点にいるのだ。

苛立ちを隠すことなく言いながら、アンニーナはあたしをひたりと見た。


魔導師(エイル)も行くそうよ」

 その言葉が耳に届いた瞬間、あたしはその場から転移した。

ロイズの声があたしを呼んだけれど、あたしは反射で行動していた。

できるかどうかは考えなかった。実際できたのだからあたしの魔力はもう完全に戻っていたのだろうけれど。

 あたしは脳裏にエイルを描き、あいつの波長を、気配をさぐりあてて掴み取る。

一瞬のうちに先ほどの趣味の悪いレイリッシュの居間へと戻り、あたしは声を張り上げていた。

「レイリッシュ!」

どくどくと心臓が鼓動する。体温が上昇し、頭に血が上る。あたしは自分の背にエイルを感じながら、面前の漆黒の悪魔と対時した。

 突然現れたあたしに、不敵な笑みを浮かべてみせるレイリッシュは、唇をぺろりと舐めた。

余裕たっぷりに。

「エイルを自由にしなさいよっ」

「突然現れたかと思えば話が見えないわよ、子猫ちゃん」

 レイリッシュは形の良い眉宇をひそめ、跳ね上げる。

「嘘おっしゃい! エイルを魔女狩り大陸に行かせようとしているのは判ってるのよ」

「あら、耳が早い。やっぱり猫耳って便利?」


 猫耳なんかあるか!

と、思ったもののハっと気付いて手をかければそこにまたしても猫耳のぺらっとした感触を覚えてあたしは脱力しそうになってしまった。


――気を張ってないと戻るんかい!


 あたしはくぅぅっとうなりつつ、もう一度気力を奮い起こそうとしたのだが、ふいに背後から抱き寄せられ「違う」と耳元で囁かれた。


「その話は二人でなさい。あたしは退散してあげるから――ああ、その前に」

 レイリッシュはくすりと笑った。

「回答は出たわよね、魔導師?――あなたにとって魔女とは何か」

「――」

「言わなくてもいいわ。おまえは変わった。それでこの話はおしまい。ブランマージュ。あんたももう自由よ。なんといってもあなたは体を見つけたわ。自分の体も、そして、あたしくしの求めた師匠の体も」

レイリッシュは一旦言葉をきり、愛しむような眼差しであたしを見た。

「辛い思いもさせたわ。けれど、必要なことも多くあったと信じてる。

――愛しているわ」

 悪魔の癖して女神のような慈愛を込めて楽しそうに笑いながら、レイリッシュはふわりと大気に溶けた。


 言葉と同時に二人だけにされ、あたしが複雑な吐息を落とし、ついでぴきりと固まった。

背中にぴったりエイルが張り付き、あたしの手に自分の手を絡めてきたものだから、口の中で「うぎゃ」っとへんな音が漏れてしまう。

「私は自ら行くのだ」

「……うそっ」

「あそこは興味深い。魔女が場の安寧を図るまでの間に面白いものを多く見ることができるだろう」

 エイルの顔があたしの首筋にかかる髪をよけ、首筋に触れるぎりぎりで吐息を落としていく。

あたしはお腹にぐっと力を込めながらエイルの言葉を一歩離れた場所で耳にするような、奇妙な感覚で聞いていた。

 どう言っていいのか判らない。

自ら行くのだというのであれば、止めることは意味が無い。行きたくないのに無理やり行かされるのであれば絶対にそれを阻止してみせる。

 けれどエイルは自らの意思で行くのだ。

あたしは、動揺していた。

「そう……」

指と指の間。エイルの長く神経質そうな指先が入り込む。

吐息がぺたりと首に押し当てられ。強い力が肩とも首とも判別のつかない場所を吸い上げた。

 鈍い痛みが、胸をも刺す。


「私はおまえのものだ」


 囁かれた言葉にあたしは真っ白になった。

「いつでも受け取りに来い」

なぁに言っちゃってるのかしらね、このエロ魔導師は。

あたしはぐいぃっと相手の腕の中から逃れ、とんっと床を蹴った。

「やぁん、ダーリンってばあたしがそんなにお好き?」

「私の感情についてはおまえが好きなように当てはめればいい」

なんじゃそりゃ。


 口角をあげてニヤリと笑う男に、あたしはんべっと舌を出した。

「あたしやることがあるから先に帰る! 熊男と仲良く帰るのねっ」

「早々にその耳と尾をとるのだな。それと約束を違えるな」

 きっぱりといわれた言葉にあたしは激しくどきどきした。

――本来の姿に戻った時は……

エイルの言葉が耳の奥で木霊する。


 元の姿に戻ったら抱くと、このあたしを抱く、と。この男は言っていた。

かぁっと頬が赤くなる。血の流れを感じながら、ばっかじゃないのっ、と言おうとした途端にエイルが言った。

「あの蝙蝠をさっさと元の姿に戻せ」

「……」

「どうした?」


ぎいやぁぁぁぁぁっ。


 死ね、死んでしまえあたし!

あたしは真っ赤になってふいっと顔をそむけて「知らないっ」と転移した。

蝙蝠を戻せだと? あいつは裏切りものなんだぞっ。

全て知っていた癖に、主であるあたしをずぅっと欺いていたんだぞっ。

しばらくは罰として当分あのままですよ、確定!

あああ、もぉっ。

アンニーナに「エイルとロイズを家に送ってくれたらイロイロチャラ!」という思念だけを残してあたしはともすれば叫びたくなるような感情をなんとかごまかした。


 二度の転移のあと、森の中にある自らの家に久しぶりにたどり着き、あたしは大きく息を吸い込んだ。

 なつかしい我が家!

もう何ヶ月も訪れることの無かった家。

裏切り者の蝙蝠と――悪魔の手下によって占拠されていた家。

 小さな三角形の屋根の、本当に小さな家だけれどなつかしの我が家だ。まずは家でゆっくりとして、それから自らの体と猫の体――そして魂とを分離する。

 やり方は判らないけれど、本をあされば何とかなるだろう。

そうして猫とあたしとに別れたあとは、猫をロイズの家に放り込めばあたしはあたしに戻れるのだ。


 ああ素晴らしい!

生きてるって素敵。

なんかイロイロと頭の痛いことはあとまわし。

ロイズの話だとか、まぁ、珍しく真面目にナニか言ってたけど、正直あの横の生き物が怖くてそれどこじゃなかったし。エイルはエイルだし。もぉとりあえずあたしは自分の家でゆっくりと体を伸ばそう。

考えるのは後、後。

あたし考えるの苦手だし。


全てが終わればあたしは晴れて自由の身。

悪い魔女としての再スタートを切るのだ。

そう! あたしは何といっても悪い魔女なのよ。

悪い魔女ブランマージュ。もう誰にも邪魔させないっ。


 あたしは玄関に手をかけ、誰もいない家に向かって「ただいまー」と元気よく声をかけてドアノブをまわした。


「おかえり、ブラン!」

 勿論、その「ただいまー」に返事が返ることも、玄関ドアに人の姿があることも予想外。

「ぎゃぁっっっっ、なにっ、なにっ、何してんのっ」

「留守番。君のお母さんにはちゃんと許しを貰ってるからね!」

あたしはエプロンをつけて立っている男の姿に絶叫した。

第一警備隊隊長、ギャンツ・テイラー……ひよこのアップリケ付きエプロンの男は満面の爽やか笑みでぎゅうっとあたしを抱きしめた。

 

「ご飯にする? お風呂にする? 勿論ぼくならいつでも準備万端だよ」

「やめろっ、変態っ」

このドMっ。

あたしは相手の腕からのがれようと身をよじりながらその向こう脛を蹴飛ばしにかかった。

「あああ、久しぶりだとすごいゾクゾクする。もっと(ののし)って」


なんで、なんで、なんだこれっ!

――侘びの品をおまえの家に。

ふっとエリィフィアがどさくさにまぎれて言っていた言葉がよみがえり、あたしは両目を見開いた。

ギャンの後ろ、テーブルの上に白いオウムが耐え難いと言う様子でふるふると震えてのたうっている。

ばっさばっさとその羽でもってテーブルを叩きながら。

「おまえの婿だってよー、ひぃっ、苦しいぃ。チビの顔、うけるっ」


お詫び、詫び? 婿ぉぉぉっ。

「お断りだぁっ」

「ああ、背骨にクルっ」

これのどこが詫びだ!


イヤガラセいがいのなにものでもないだろっ。


FIN~



ここまで読んでいただきお疲れ様でした。

実はまだイロイロとエピソードが落ちてます。猫の魂とか、ロイズとかエイルとか(笑) そんなこんなで、番外などで彼等のその後を書いていこうと思っています。


ですが、本編はこれで終了。

長い物語にお付き合いいただきまして感謝を。

皆さんの小さな「くすり」を産み出すことができましたでしょうか?

少しでも楽しんでいただければ良いのですが。


2010/10/30 たまさ。


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