第三十六話 二人目の受難(後輩談)
杏子の事件発生から、三日が過ぎました。
学校の最寄り駅の改札を抜けると、曇り空ではありますが、雨の気配はありません。
二番目にお気に入りの傘を持ちながら、私は学校への道を、他の生徒と同じように歩きます。
「あ、姫! おはよう!」
「おはよう、舞衣」
途中で杏子と菜々子が合流します。
「おはよう。菜々子。杏子」
あの子でしょ。万引きで警察に捕まったのって。
よく平気な顔して学校来れるよね。
なんで退学とか停学になんないんだ。
やっぱ、あれだろ。姫川家の権力ってやつ?
「「――っ!」」
声の聞こえた方向へ、菜々子が、そして杏子も、怒りを隠そうともしない鋭い視線を向けます。
その二人の気迫に、近くを歩いていた生徒の何人かは驚いて、私達を遠巻きにして歩いて行きました。
声だけで発言者を特定できる訳も無く、
「杏子も菜々子も、落ち着いて。ほら、遅れちゃうよ」
「あ……うん、そだね。なーこも行こ」
「まったく。本当に、気分が悪い」
菜々子は、尚も怒りが収まらない様子ですが、杏子に促されて歩き始めました。
「でも、初日に比べたら、結構マシになったよ」
「私と舞衣の前だからって、強がってないでしょうね?」
「ホントだって。そりゃ、全然平気って訳にはいかないけど、この調子なら、頑張れる」
杏子がそう言いながら、大袈裟に笑って見せます。
「部活の方は? 私も菜々子も、部活までは一緒に居られないし……」
「部活の方も、部長と副部長、あと二年生の先輩達が協力してくれてるから大丈夫」
「それじゃあ……一応、八王子先輩の作戦は成功ってことになるのかしら」
「ふふん。まあ、そうなるかなぁ」
「何で舞衣が得意げなのよ」
「企画立案は八王子先輩で、実行が姫って感じだからじゃない?」
先輩が褒められて、ちょっと気分が良くなってしまった私。
菜々子は不思議に思い、杏子が私見を述べます。
実際の私の心境としては、個人的に気に入っている新発売のお菓子を友達に推薦したら案の定高評価だった、みたいな感じです。
杏子の解釈も、間違っている訳ではありません。
でも、お菓子が美味しいのは試行錯誤を繰り返して商品化した企業の手柄ですし、先輩の企画立案した作戦が功を奏したのは先輩の手柄です。
私が得意な気持ちになるのは変なのですが、でも、学校中から極悪人扱いされていた先輩が、こうして少しずつ他の人達に認められていく様子を見るのは、嬉しいのです。
――以下、回想――
警察署での事情聴取が終わった私と先輩、それから杏子は、杏子の親御さんが迎えに来てくれるまで、警察署内の職員用の食堂で待機する事となりました。
使用許可は、先輩のお父さんがくださいました。
普段は口数の多い杏子も、流石に精神的なダメージが大きかったのでしょう。暗い表情で俯いたまま、黙っています。
この食堂は、警察署の職員の方々が昼食や休憩に使用するためのスペースなので、午後七時三十分を回った今の時間帯は、私達以外の人影はありません。
賑やかなはずの場所が静寂に包まれ、照明を半分だけ点けているので部屋の半分は薄暗く、心なしか、呼吸するための空気が重苦しく感じました。
片側四人掛けの長テーブルには、私と杏子が隣り合って座り、私の向かいに先輩が座っています。
先輩が、食堂の入口に設置してあるドリンクサーバーで、三人分の温かい緑茶を注いできた紙コップが、テーブルの上で音も無く半透明な湯気を立ち上らせています。
「ねえ、姫」
両手を温めるように紙コップを持ったまま、杏子が小さく私を呼びます。
「何、杏子?」
「私が店員に捕まって、お店の事務室に連れて行かれる時、学校の人も何人か同じ店に居たんだよね……。だから、明日、皆に言われるよね、きっと……。あはは、どうしよう……」
一目で空元気と分かる薄い笑みを浮かべる杏子に、私は、何と返事をして良いものか分からずに、視線を先輩に向けてしまいました。
私の視線に気付いた先輩は、一瞬だけ悩むような顔をしてから、私に向かって頷いてくれました。
「田母神、だったか?」
「あ、は、はいっ」
先輩に名前を呼ばれて、驚きの余り背筋を伸ばして返事をする杏子。
「あぁ……悪い。一応、自己紹介するのが礼儀か。二年の八王子だ」
「い、一年の田母神杏子です。姫には、いつも、お世話になってます?」
杏子の様子がおかしい理由は、緊張とストレスに起因するものなのですが、先輩は自分自身が怖がられているからだと判断したのでしょう。まずは、自己紹介から会話をスタートしてみました。
それに対応した杏子は、噂話には聞いていたけれど初対面な先輩との距離感が掴めず、奇妙な切り返しをしていました。
と言うか、私が先輩の家族か何かみたいな挨拶はやめて。むしろ、お世話してるのは私の方と言いそうになって、杏子の前なので言葉を飲み込みました。
「いや……それを俺に言われても困るんだが……。まあ、いいか。それで、明日以降の学校の対策で、考えがあるんだ。聞いてもらってもいいか?」
ほら、先輩も反応に困って雑な話題の切り返しちゃうし。
人間関係を豊かにするために、雑談がいかに重要か、毎晩のように電話して教えてあげてるのに、ちっとも分かってない先輩です。
それは、まあ、先輩が私とお喋りしたいという気持ちに応えてあげている側面があるのも事実ですけど。
今は、それよりも、杏子の問題が最優先です。
「先輩、杏子の事、どうしたら守れますか? 私が出来ることなら何でもします。教えてください」
「私からもお願いします。このままだと、学校に行きずらくなりそうで……」
ここ最近一年余り、悪い噂話に耐え忍んできた先輩です。こういった非常事態への何らかの対処法も心得ているものと、勝手な期待を寄せてしまうのも仕方がありません。
私と杏子の視線を受けて、先輩はこう切り出しました。
「姫川と田母神には、今から、田母神が万引きの疑いで警察に事情聴取された噂話を、学校の連中に広めてもらう」
私と杏子は、呆気に取られて、しばらく沈黙しました。
私達の反応は予想の範囲内だったのか、先輩は特段気にした様子も無く、こう続けました。
「ただし、噂話を広める相手は、姫川と田母神の話を信じてくれる人間に限定する。欲を言えば、発言力の強い奴がいい」
「……あ、そういうことですか」
私は、自分の頭の上で電球がピコンと光った気がしました。
――以上、回想終わり――
先輩曰く、噂話は、集団の中心となるような人物に集まるもの、らしいです。
どこで誰が目撃していたか分からない杏子の件を、噂話が広がらないようにすることは不可能です。
そこで先輩が提案した作戦は、噂話を広めようとする奴の出鼻を挫こう、というものでした。
具体的には、噂話を広めようとする人物が、真っ先に噂話を持って行きそうな中心人物に、先んじて根回しをしておきます。
根回しを引き受けてくれた中心人物は、噂話を持って来た人に、一言こう言ってくれればいいのです。
「その話は、店員の勘違いだったらしいよ」
勿論、これだけで噂話が雲散霧消する事はありません。
それでも、発言力のある人物の言った事と正反対の噂話を広めようとする行為は、学校内と言う閉鎖的空間において、デメリットの大きな行為となるでしょう。
噂話は、自分自身にデメリットやリスクが無いから面白可笑しく話せるのです。
よって、牽制効果は充分に期待できます。
と、先輩が言っていました。
先輩のプレゼンテーションを聞いた後に、三人で話し合いをしましたが、最終的には先輩の作戦を採用することとなりました。
あとはスピードと運の問題です。
結果として、幸運の女神は私達に微笑んでくれました。
また、事件発生の翌日に先輩から聞いた話では、お店の防犯カメラ映像を警察が確認した結果、杏子が商品を自分の鞄に入れる姿は映っていなかったそうです。更に言えば、万引きした商品の陳列棚に近付いてもいなかったそうです。
では何故、杏子の鞄から万引きした商品が出て来たのか。それについては、先輩のお父さんから指令を受けた、内藤巡査長さんが鋭意調査中、とのお話でした。こればかりは、お任せするしかありません。
大切な友達の一大事に、私には噂話の払拭くらいしかできることがないのが口惜しい限りです。
杏子も、私達の前では普段通りに振舞っていますが、内心は暗澹たる思いでしょう。
そう思えばこそ、私と菜々子と和の三人は、杏子を学校内で独りにしないように、時間の許す限り一緒に居るようにしています。
そんな私を嘲笑うように、見えない魔の手は、次のターゲットへ伸びていました。
スカートのポケットに入れていたスマートフォンが、突然呼び出し音を鳴らしました。
私が電話の応答ボタンを押して話し始める前に、電話の向こう側の人物が切羽詰まった様子で話し始めます。
「姫川さん! 今、どこ!?」
相手は、別のクラスの女の子で、同じラクロス部の部員の子です。
電話の声が漏れ聞こえたらしく、私の前を歩いていた菜々子と杏子も、立ち止まって振り返ります。
「今は、もうすぐ学校に着くけど、」
「早く来て! 西塔さんが! 昇降口で、大変なの!」
「――――今行くっ!」
「舞衣!?」「姫!?」
二人に事情を説明するより早く、私は走り出していました。
遅れて二人も私に続きます。
進行方向の生徒の間を縫うように走り抜ける私達を、驚いた人達の声が追って来ますが、今は構っていられません。
校門を潜り、昇降口まで五十メートル。制服のスカートの裾が気になって、全速力で走れないのがもどかしく、体感時間は実際の時間よりも長かったと思います。
内履きに履き替える時間もまどろっこしいので、外履きを脱ぎ散らかしたまま、靴下のまま下駄箱の間を駆け抜けます。
そこには、かなりの人数の人垣ができていて、その中心に背の高い和の顔と、上級生らしき男子生徒三人が対峙している様子が見えました。
そして、次の瞬間には、
「っざけんな!」
和の怒号と共に、和が男子生徒の一人に殴りかかり、周囲の人垣から悲鳴のような声が上がりました。




