第三十五話 一人目の受難(2)
「本日、十七時頃、駅前の文房具店『パレット』の店員から、店内で万引きの被害があったと通報を受け、付近を警邏中の俺……八王子警部が現場へ臨場」
部屋の中央で椅子に座ったまま、親父が手元の書類を読む。
サボって煙草を吸いに出ていたのだろう。
「言っておくが、サボってた訳じゃねーからな」
俺の考えを読んだらしい親父は、眼光鋭く補足説明をするが、それが更に胡散臭さを増長する。
「いいから、続き」
俺が一グラムも信用していない態度で続きを促すと、わざとらしく咳払いをしてから、渋々話を戻す。
「……ごほん。で、店内事務室において通報した店員から事情を聴取。同時に、同事務室内で待機していた被疑者、田母神杏子(女性、十五歳、高校生)からも事情を聴取。
店員は、被疑者が、持ち物のトートバッグへ未会計の商品一点約五千円(証拠品)を入れるのを目撃したとして、同人を店内で確保。店内事務室へ移動し、持ち物を改めたところ、前述の証拠品が出てきたため、警察へ通報した。
被疑者は、証拠品を自身のトートバッグに入れていないとして、容疑を否認。
まあ、防犯カメラの映像を確認すれば、事実関係もハッキリするだろうと言うことで、店内での事情聴取は終了。
被疑者のお嬢ちゃんには悪いけど、署に来て必要書類だけ書いてもらう事にしたんだが……」
手元の資料から顔を上げた親父は、苦い顔をしながら机の反対側を見る。
机を挟んだ対面には、田母神杏子と姫川が並んで座っている。青い顔をしている田母神に、姫川が寄り添いながら、背中を撫でたり、大丈夫だよと励ましたりしている。
それでも、田母神の顔色は大分良くなった方だった。俺達が部屋に入って来た当初は、天井の蛍光灯の色のせいもあって、血の気の無い真っ白な顔をしていた。
「署に来た途端、喋らない、動かない、問いかけにも反応しないと来たもんだ」
親父が腕組みをしながら、天井を仰いで大きな溜息を吐いた。
「大人だって、突然犯罪者扱いされて警察に連行されれば、平静でなんか居られないだろ。事情聴取の警察が、熊みたいな怖い顔のオッサンなら尚更」
「名誉毀損罪でしょっ引くぞ、盆暗息子」
天井を向いたまま、目だけをこちらに向ける。
そうやっていちいち威圧するから、田母神は恐怖と緊張で固まってしまったのではないだろうか。
「公然と事実を摘示されている自覚はあるんだな」
こちらとしては日常茶飯事なので、意にも介さない。
「八王子警部、不味いですって。いくら息子さんでも、捜査中の案件ですよ」
俺と並んで、部屋の入口近くに立っていた内藤巡査長が、諦め半分くらいの声色で進言する。
内藤巡査長の言う通り、捜査中の案件を、完全に部外者である俺や姫川に喋ってしまうのは守秘義務違反だ。
ただし、盆暗親父と言えども、その程度の良し悪しは分かっている上での行動だろうから、何か考えがあっての事だとは思うのだが。
「内藤。手前は、俺がその位の事も分からねえとでも思ってんのか?」
俺から内藤巡査長へ視線を移す親父。
内藤巡査長は、親父に睨まれただけで背筋を伸ばして直立不動となる。
「いえ、そういう訳では……」
「お前が黙ってれば、何も問題ねぇ。分かったな」
「……は、はい。……いや、その理屈はやっぱりおかしいですよ、八王子警部。上に報告とかはしませんけど」
一瞬同意しかけた内藤巡査長だったが、親父との付き合いが長いのもあってか、すぐに気を取り直して親父へ正論を返した。
対して親父の方は、目論みが失敗して不機嫌になるかと思いきや、苦虫を噛むような顔で唸った。
「内藤に言い返されるとは、俺もとうとう焼きが回ってきたか……。まあ、あれだ。こんな盆暗息子でも、たまぁに役に立つ時があったりなかったりするもんだ。幸い、このお嬢ちゃんと、そっちのお嬢ちゃんは友達らしいから、このまま付き添ってくれて書類さえ書いてもらえりゃ、とっとと帰れる……んん?」
身も蓋もないこと堂々と言い放った親父が、ここで不意に何かに気付いて、机の向かいに目を凝らす。
正確には、姫川に注意を向けた。
「おい、盆暗息子。このお嬢さん、あの姫川さんトコのお嬢さんか?」
「どの姫川さんの話か知らないけど、確かに苗字は姫川だ。フルネーム、姫川舞衣」
バッと、音が聞こえる程の勢いで振り向いた親父は、内藤巡査長に詰問するような口調で言う。
珍しく、親父の顔に、緊張の色が見えるような気がする
「内藤、そっちの案件は暴行だったな? 狙われたのは、どっちだ?」
「へ? あ、被疑者の証言が事実なら、息子さんの方です」
「……そうか、ならいい」
「え、いいんですか?」
内藤巡査長が疑問を呈するが、親父の顔に珍しく浮かんでいた緊張の色が消える。
まあ、俺が心配されないのは珍しい事ではない。それよりも、大抵の物事に無頓着な親父が、僅かでも緊張を示すような理由が、姫川に――――いや、姫川の家にはあるらしい。
「お前、姫川さんのお嬢さんとは親しいのか?」
親父が俺の交友関係について質問するなんて、これも珍しい経験だった。
「まあ……人並みに」
「そうか……。なら、気を付けろよ。お前が危ない目に遭うのは一向に構わんが、そっちのお嬢さんは間違っても巻き込むな」
「ああ……。言われなくても……」
気を付けていたつもりだった。
それでも今日は、姫川を危ない場面に立ち会わせてしまい、怖い思いもさせてしまった。
口の中に苦い味が広がるような錯覚に耐える。そちらに意識を持って行かれたせいで、親父が何故そんな忠告をしてきたのか、という疑問には至らなかった。
「あの、書類、書けました」
親父の向こう側から聞こえた姫川の声で、俺も親父も内藤巡査長も、姫川と田母神の方を見る。
田母神は先程よりも随分落ち着いた様子で、書き上がった書類を親父の方へ差し出していた。
差し出された書類を親父が無言で受取り、目を通す。
「……よし。悪いな、今日はもう終わりだ。親御さんに連絡して、迎えに来てもらうから、もうちょいここで待機しててくれ。内藤」
「はい」
親父は、田母神の書いた書類を内藤巡査長へ引継ぎ、内藤巡査長は俺と姫川の書類を含めて三名分の書類を持って、取調室を退出した。
「あの……、私は……、逮捕……されるんですか?」
ここに来て、初めて田母神が口を開いた。
その両目には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
「あ~……いや、それは無いんだが……。しかしまあ、場合によっちゃあ、あと何回か署に来てもらうことにはなるんだが……」
親父が、田母神を怖がらせまいとして、中途半端な回答をする。
残念だが、現状、田母神を擁護する確固たる証拠は無い。
それでも、と俺は考える。
田母神の隣で、平気そうに振舞って、田母神を励ましている姫川。
大事な後輩の友人が、犯罪者の濡れ衣を着せられて困っている。この状況を、他人事として放置するのは、義理人情に欠ける。
いや、そんな高尚な理由は無いか。
もっと単純で、俗物的な理由だった。有体に言えば、姫川の助けになりたい。大事な後輩と、その友人の役に立ちたい。
「阿保息子。余計な事はすんじゃねぇぞ?」
半分は親父が巻き込んだようなものだろう。
「余計な事はしないから、安心しろ、阿保親父」
「お前、さっきから親に向かって阿保とは何だ」
「事実を言ったまでだ」
「おう、良い根性だな。久しぶりに性根を叩き直してやろうか」
「年甲斐も無く燥ぐと怪我するぞ」
「んだと、この野郎……」
売り言葉に買い言葉で、親父との言葉のドッチボールは、内藤巡査長が戻って来るまでしばらく続いた。
そんな視界の隅で、ほんの一瞬、姫川が、何かを決意するような固い表情を見せた気がした。




