第三十三話 這い寄る悪意(2)
割込みが思うようにいかず、まごまごしています。
油断していた。
恐らく、近くの民家の塀の影にでも隠れていたのだろう。痺れる足が忌々しい。
思い返してみれば、先程の声も、助けを求める声にしては緊迫感が全く無かった。
自分が襲撃される理由に見当もつかないが、悲しい事に、加害者側の都合だけで被害に遭う事件は枚挙に遑がない。
違う。
今考えるべきは、現在進行形で発生している事態の対処方法だ。
そして、何があろうとも、姫川だけは絶対に守らなければならない。
スタンガンを当てられたのは、腰の辺りだったと思う。
それが、自分の体のどこにどのように作用したのか分からないが、長時間の正座の直後のように両足が痺れて、思う様に動かせない。
お陰で、さっきの反撃は威力が全くなかった。
そして、
「おいおい、ダセェな。反撃されてんじゃねぇか」
蹴り飛ばした男子生徒の後方から、二人目の男子生徒が追い付くなり、馬鹿にするように言い放つ。
二人目の男子生徒も、見覚えは無い。だが、俺と姫川が校門を出た時から、ずっと後ろを歩いていた生徒で間違いない。
小雨の降る中、傘も差さずに歩いている豪気な奴だなと思っていたのだが、どうやらスタンガンの男子生徒と共謀関係にあるらしい。
恐らく、俺達がどこを歩いているのか、もう一人に連絡する役割だったのだろう。
「う……ゲホッ……うっせぇな。ンだよ、一発で気絶するんじゃねぇのかよ」
一人目が、俺に蹴られた腹を抱えながら呻く。
市販の護身用スタンガンの本質は、スパークの音や痛みで相手を威嚇するもの。
サスペンスドラマなんかでは、一撃で人間を気絶させる描写があるが、あれは演出上の表現だ。電源が乾電池や充電池の道具で、人間を一撃で気絶させられる高圧電流が発生させられる訳が無い。
いや、改造したスタンガンなら実現可能なのかもしれないが。
俺をスタンガンで気絶させた後で、財布の中身でも強奪するつもりだったのか、無抵抗な人間を殴る蹴るの暴行したかったのかは不明だが、当初の目的が達成出来ずに、相手側は困惑している様子だ。
駅まで、およそ三百メートル。
決して近くはないが、姫川の脚力なら充分逃げ切れる。そう考えて、姫川には駅に向かって逃げるように言ったのだが、一向に動く気配がない。
「姫川、駅に走れ。人の多い場所なら安全だ」
男子生徒二人に注意を向けながら一瞬振り返ると、困ったような笑みを浮かべて鞄を抱える姫川と目が合う。
「それが、その、足が竦んで……」
目の前で、突然、暴力沙汰が発生したのだ。姫川が怖がるのも無理からぬ話。
そう考えた途端に、腹の中に、静かな怒りが込み上げてくる。
二人組の狙いは、明らかに俺だ。それなら、俺が一人の時に来ればいいものを、選りに選って、姫川が一緒に居るタイミングで来たせいで、姫川が怖い思いをしている。
それが、どうしようもなく許せない。
「女とイチャついてる場合かよ!」
喚きながら、二人目の男子生徒が、何か棒状の物を持って突撃してきた。
痺れの残る足で、どうにか構えを取り、振り下ろされる武器を左腕を上げて防ぐ。
「オラァッ!」
「――――っ、セイッ!」
ガツンと、受け止めた腕に打撲の痛みが走るが、刃物ではなかった。透かさず、右足の前蹴り。
「ぐえっ!?」
だが、やはり踏み込みから蹴り込みまで動作に思ったように力が入らない。
相手は数歩後退しただけで、まだ戦意を喪失していない。離れた相手の手元には、鉄製の警棒が握られていた。
スタンガンといい、警棒といい、防犯グッズで犯行に及ぶとは、洒落がきき過ぎて笑えない。
そうこうしている間に、スタンガンの方が態勢を立て直し始めた。
立ち上がりつつ、スタンガンを拾おうとするのを阻止するために、間合いを詰める。
「テメエの相手は俺だよ!」
警棒男が、再び大振りな動作でスタンガン男との間に割り込んで来る。
「くっ……」
反射的に踏み止まり、振り下ろされる相手の右腕を、左腕を差し込んで払い除ける。
がら空きになる相手の胴体を突き上げるように、右手の掌底を叩き込む。
「うげぇっ!?」
気付けば、足の痺れが抜けていた。
踏み込みの力を乗せた一撃は、想像通りの威力を発揮する。
潰される蛙のような声を上げ、二人目が腹を抱えて蹲る。カラン、と乾いた音で道路に警棒が転がる。
残心する間もなく、今度は視界の隅からバチバチと音を出しながら、スタンガンを持った男子生徒が突進して来る。
不意打ちでもなければ、足の痺れもない今、スタンガンを持っているだけの体当たりなど、恐れるに足らない。
「ハァッ!」
相手に向かって左足をしっかり踏み込み、スタンガンを腰だめに構えて走って来る男子生徒に、クロスカウンターの要領で右足の後ろ回し蹴り。リーチは、こちらの方が長い。
相手の胸に、的確に右足が突き刺さる。
「うごっ!?」
走って来た勢いも相俟って、スタンガンを手放した男子生徒が後ろへ転がる。
残心。
二人共、反撃して来る様子がないことを確認し、姫川に振り返る。
と、姫川が半ばぶつかるようにして、駆け寄って来る。
「先輩! 何なんですか、これ! 大丈夫ですか!? ケガしてませんか?」
制服の胸の辺りを掴んでいた姫川の手が、次いで身体検査をするように腕やら足やらをパンパン叩き始める。
「大丈、夫だ。足の痺れもすぐ抜けたし、痛いところも無いから」
「それなら、いいですけど……」
身体検査を止めた姫川の、胸の高さに持って来た手が小さく震えているのを見て、無関係な姫川に怖い思いをさせてしまった事に、心臓に針が刺さったかのような鋭い痛みを感じる。
思わず、その手を右手で掴んでしまう。
「悪い。俺がもっと気を付けているべきだった」
「あ、いえ、先輩が無事なら……って、な、どさくさに紛れて何するんですか!」
姫川の表情が若干だが和らぐと、俺が手を握っている事を思い出して振りほどかれた。
それを確認してから、俺は後ろを振り向く。
「さて」
俺は、倒れている二人組へ目を向ける。
念のために道路に落ちていたスタンガンを拾い上げ、アスファルトへ全力で叩きつける。プラスチックの破片を四散させて、スタンガンは大破。次いで警棒男に歩み寄り、警棒を手の届かない場所へ蹴り飛ばしてから、両手で相手の胸倉を掴んで顔を上げさせる。
「ひっ!?」
「説明してもらおうか」
「お、俺らは、頼まれて……ぐぇ……」
姫川の怯えた顔を思い出すと、つい、胸倉を掴む手に力が入ってしまう。
頭に血が上る感覚。
「誰の指金だ?」
こいつ等のせいで、姫川は、しなくてもいい怖い思いをした。
視界も赤黒く染まっていくような気がした。
「理由は?」
どう落とし前をつけさせようか。
「先輩! 先輩ってば!」
姫川の声で意識が引き戻される。
見れば、姫川が俺の右腕を引っ張って、悲し気な顔をしていた。
続いて、気道が圧迫されて苦しそうにしている男子生徒の表情に気付き、必要以上に締め上げてしまった自分の失態に気付く。
慌てて胸倉を離すと、男子生徒は気息奄々の状態で、その場にへたり込む。
「先輩らしくないですよ。それは、怒りたい気持ちは分かりますけど……」
右腕を掴んだまま、心配そうに見上げてくる姫川。
頭から冷水を浴びたような気分だった。頭に上っていた血が、一気に下がる。
「いや、悪い……助かった」
姫川に礼を言い、気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸をした。
目の前の二人を痛めつける必要はない。そんな事をしても、姫川に嫌や思いをさせるだけだ。
今必要な事は、この二人から必要な情報を聞き出す事なのだ。
落ち着いて、冷静に、二人組へ尋問しようとした時、背後から甲高い自転車のブレーキ音が聞こえ、振り返った。
「高校生が喧嘩してるって通報されたから来てみれば、陸君じゃないか。いやあ、久しぶり」
「内藤巡査長……」
自転車に跨り、ニコニコと親し気な笑みを浮かべて、駅前交番勤務の内藤巡査長は、およそ緊迫感の無い声音で言った。
遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。




