第7話:若返りの代償と、バーバー・バトラーの洗礼
翌朝。
<囲炉裏庵>の朝の清々しい空気に包まれながら、岩野権之助(56歳・心は若手エンジニア)は、自分の身体に起きた「異常事態」に絶句していた。
昨夜のヒノキ風呂(別名:物理的細胞再構築プール)の性能が良すぎたのだ。
「……ま、待て。なんだこれ……?」
母屋の広間に置かれた鏡を覗き込み、岩野は両手で自分の顔をバシバシと叩いた。
まず、長年のデスクワークですっかり悪化していた近眼と老眼が完全に消滅していた。それどころか、窓の外に広がる山脈へ目を向けた瞬間、10キロメートル先で風に揺れる紅葉の、その一枚一枚の葉脈の模様までハッキリと視認できるという常人を完全に逸脱した【視力5.0】に到達していた。
「遠くの葉脈まで見える……! 鷹か私は……っ!?」
さらに頭部である。
白髪が混じり、長年の激務のストレスで頭頂部は大きく後退し、文字通り「額のヘッドライト」として輝いていたオデコの領域が——なぜか10代の思春期を思わせる、爆発的な黒髪のボサボサ頭として完全復活を果たしていたのだ。
「髪が……生えている!? いや、生えすぎだろ!? なんだこの、寝ぐせのレベルを超えたフサフサの剛毛は……っ!」
あまりの若返りパワーに、岩野が頭を抱えて混乱しているその背後から、不気味な電子音とともに奴がすーっと現れた。
『フッ……対象のバイタル完全覚醒を確認。しかしお客様、その頭髪の乱れ、あまりにインテリジェンスを欠いておりますな』
「な、なんだお前は……!?」
振り返った岩野の目の前で、バトラーの下半身(菱形錐)がシャコッと変形し、突如として床から無数の「アニメイト・マーター(モグド)」が音もなく湧き出した。
『当施設<囲炉裏庵>は、最高級の宿泊体験を提供するプロフェッショナルでございます。お客様がボサボサの頭髪で過ごすなど、我が超銀河文明の美意識が許しません。——これより『緊急バーバーサロン・プロトコル』を発令します』
「ちょっ、待っ——なにをする気だ!?」
岩野が叫ぶ間もなく、無数のモグドたちがハサミ、バリカン、超音波スチーマー、さらにはナノ分子整髪料へと瞬時に姿を変え、凄まじい手際で岩野を取り囲んだ。
チョキチョキチョキチョキ――ッ!!
『動かないでください! 骨格の黄金比、頭皮の血流、そして現在の地球におけるトレンドをミリ秒単位で解析! サイドはスッキリと刈り込み、トップに絶妙なボリュームを持たせた……そう、流行の「ネオウルフ系・二段カットイケメンヘアー」に再構築いたします!』
「いや私の意見は!? 私のアイデンティティだった頭頂部の広大な土地はどこへ行ったんだーーっ!?」
バトラーの容赦ない美意識の猛攻とモグドたちの超速カッティングの前に、元・中間管理職のおじさん(56)の抵抗は虚しく打ち砕かれた。
――わずか3秒後。
『完了いたしました。おかけになった鏡をご覧ください』
バトラーが満足げにホログラムの姿見を差し出す。
そこに映し出されていたのは、56歳のおじさんとは微塵も思えない、キリッとした鋭い目元に、流行りの**トレンド二段カットで完璧にキマった超絶イケメンの姿**だった。
「……誰だこれ……?」
あまりの変貌ぶりに、岩野は自分の手で自分の頬をツネるしかなかった。
数分前まで疲弊した中高年だったはずが、今は視力5.0の超鷹の目と、10代の肉体、そして芸能人並みのイケメンヘアを手に入れた「無敵の超人エンジニア」へとアップグレードされていたのである。
◇
「お、岩野社長、おはようございます!」
母屋の縁側から、朝のコーヒーを片手にやってきた朔は、変貌しすぎた岩野の姿を見て盛大にコーヒーを吹き出しそうになった。
「ぷっ……!? え、えっと……!?」
「おはよう神木坂くん……。見てくれ、私の視力が5.0になって山全体の葉脈が見える上に、なぜか髪がフサフサのイケメンに改造されてしまったんだ……」
遠い目をしながらボソッと呟く岩野社長に、朔は事情を察して乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「は、はは……うちのバトラー、見た目によらず美容のこだわりが強いんで……。まあ、似合ってますよ! 若返って最高じゃないですか!」
「最高なのだろうか……? 会社に戻ったら社員たちが私の顔を認識できるか心配だよ……」
頭を抱えつつも、体調が万全どころか全盛期を遥かに超えている心地よさに、岩野は思わず深い溜息と満足感の入り混じった笑みをこぼすのだった。
(第8話へ続く)




