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【完結】「君を愛することはない」と言われたので気ままに暮らしていたら、不器用な旦那様が毎晩部屋の前で立ち尽くしています  作者: フトダマノミコト


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2/16

第2話 初夜、旦那様に「君を愛することはない」と言われました

 結婚式は、屋敷の中にある小さな礼拝堂で行われた。


 招かれた客はほとんどいない。私の家族も、「北は遠いから」という理由で誰も来なかった。並んでいるのは侯爵家の使用人たちと、近隣の領主が数人だけ。


(まあ、うちの家族が来たら来たで、支度金の話しかしないものね)


 むしろ静かでありがたいくらいだった。


 祭壇の前に立つアレクシス様は、昨日と同じく完璧な無表情だった。銀糸の刺繍が入った黒の礼服がよく似合っていて、見た目だけなら物語の王子様のようだ。


 神官が誓いの言葉を促す。


「アレクシス・グレンフォード。汝はこの者を妻とし、生涯を共にすることを誓いますか」


「……ちか、います」


 声が、裏返った。


 ほんの一瞬だったけれど、確かに裏返った。礼拝堂の後ろのほうで、誰かがごほんと咳払いをする。たぶんユーグさんだ。


 アレクシス様は何事もなかったような顔で前を向いている。けれど、耳の先がほんのり赤い。


(寒いのかしら。礼拝堂、冷えるものね)


 続いて指輪の交換になった。アレクシス様が私の左手を取り、銀の指輪をはめようとする。


 その指先が、小刻みに震えていた。


 一度、指輪が私の爪に当たって滑る。二度目は関節で止まる。三度目でようやく、するりと薬指に収まった。


「……すまない」


「いえ」


(やっぱり寒いのね。北の方でも、寒いものは寒いんだわ)


 私は勝手に納得して、自分の手で彼の指に指輪をはめた。こちらは一度ですんなり通った。


 アレクシス様は、自分の指に光る指輪をしばらくじっと見つめていた。何を考えているのかは、まったくわからなかった。




 その夜。


 湯浴みを終えて、用意された夜着に袖を通した私は、広すぎる寝室の寝台の端にちょこんと腰かけていた。


 暖炉には火が入っていて、部屋は驚くほど暖かい。調度品はどれも上等で、実家の私の部屋の三倍はある。


(初夜。……初夜、なのよね)


 政略結婚とはいえ、夫婦になったのだ。何をするのかくらいは知っている。母からは「侯爵様の機嫌を損ねないように」としか言われなかったけれど。


 心臓がうるさい。手のひらに汗がにじむ。


 そのとき、扉が三回、きっちり同じ間隔で叩かれた。


「……入るぞ」


「は、はい」


 入ってきたアレクシス様は、まだ礼服のままだった。そして扉を閉めると、その場から一歩も動かなかった。


 寝台から、ずいぶん遠い。部屋の端と端だ。


「…………」


「…………」


 また、あの長い沈黙。


 アレクシス様は何度か口を開きかけては閉じ、視線を天井へやったり床へやったりしたあと、意を決したように私を見た。


「クラリス嬢」


「はい」


「君を愛することはない」


 はっきりと、そう言われた。


 暖炉の薪が、ぱちりと爆ぜる。


 アレクシス様は言い終えたあと、なぜか続きを探すように唇を動かしていた。何かを付け足そうとしているらしい。


 けれど私の頭の中は、それどころではなかった。


(愛することはない。……ということは)


(夫婦らしく振る舞わなくていい? 機嫌を取らなくていい? 笑顔を作らなくていい?)


(ご飯は出るのよね? この暖かい部屋も使っていいのよね? つまり――)


 三食、暖炉つき、昼寝つき。誰の請求書も回ってこない生活。


(最高では?)


「承知いたしました」


 気づけば、ものすごくいい声で返事をしていた。


 アレクシス様の目が、わずかに見開かれる。


「……いや、その。だから、君は――」


「ご安心ください、旦那様。お邪魔はいたしません。旦那様は旦那様のお好きなように。私は私で、好きに過ごしますね」


 にっこり笑ってみせる。実家ではうまく笑えなかったのに、今夜は自然に頬が緩んだ。


 アレクシス様は、何か言いたげに口を開けたまま固まった。


「…………そう、か」


 長い長い間のあと、彼はそれだけを絞り出した。


「……必要なものがあれば、言え。……いや、言ってくれ。ユーグにでも、侍女長にでも、誰にでもいい」


「ありがとうございます」


「……それと、部屋は寒くないか」


「とても暖かいです」


「……そうか」


 アレクシス様はくるりと背を向けて扉を開け――開けた扉の角に、思い切り肩をぶつけた。


 ごん、と鈍い音がした。


「だ、旦那様?」


「問題ない」


 振り返りもせずにそう言って、彼は廊下へ出ていった。扉が静かに閉まる。


(……今の、すごく痛そうだったけれど)


 しばらく扉を見つめていたけれど、足音はなかなか遠ざからなかった。たぶん、肩をさすっているのだろう。




 一人になった部屋で、私は寝台に仰向けに倒れ込んだ。


 ふかふかの羽毛布団が、全身を受け止めてくれる。


(愛さない、って言われたのに)


(全然、悲しくない)


 むしろ肩の荷が下りたような気分だった。誰かに好かれようと頑張らなくていい。期待されないなら、失望されることもない。


 実家にいたころ、私はずっと「役に立つ娘」でいようとしてきた。役に立たなければ居場所がなくなる気がして、帳簿をつけ、頭を下げ、妹の後始末をしてきた。


 ここでは、それをしなくていいのだ。


(明日から何をしよう。庭はあるのかしら。トマスにもらった薔薇の種、植えられる場所があるといいな)


 考えているうちに、まぶたが重くなってくる。


 旅の疲れと、式の緊張と、思いがけない解放感。それらがまとめて押し寄せてきて、私はいつの間にか深い眠りに落ちていた。




 だから、そのとき扉の向こうで足音が止まったままだったことに。


 それがずいぶん長いあいだ、動かなかったことに。


 私は、まったく気づいていなかった。

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