第13話 旦那様が、本気で怒りました
夜会から三日後、城の大広間に、招かれざる客たちが集められた。
ヘイウッド子爵夫妻と、ベアトリス。クローデル伯爵と、イザベラ様。それから、王都から来たという厳めしい顔の役人が二人。
私はアレクシス様に呼ばれて、その場にいた。
(どうして、私の家族とイザベラ様が一緒に?)
事情は何も聞かされていなかった。ただ朝食の席で、アレクシス様が「今日は、そばにいてくれ」と言ったのだ。いつもの遠慮がちな声ではなく、静かで、有無を言わせない声で。
父は落ち着かない様子で汗を拭き、母は扇を握りしめている。ベアトリスは不安そうにイザベラ様の顔を窺い、イザベラ様は青白い顔で唇を引き結んでいた。
アレクシス様が、大広間の中央に進み出た。
「お集まりいただき感謝する。……話は手短に済ませよう」
ユーグさんが、一通の書類を役人に手渡した。
「半月ほど前、ヘイウッド子爵は王都の金貸しから多額の借金をした。その際、グレンフォード侯爵家を保証人として名を使い、保証の署名には我が妻クラリスの名が記されている」
(……え?)
息が止まった。
そんな書類、見たことも、署名したこともない。
「だが、この署名はクラリスの筆跡ではない。妻がこの城に来てから書いたすべての書類、それから――」
アレクシス様は、ほんの一瞬だけ言い淀んだ。
「……温室の植物の記録帳と、照合させた。筆跡鑑定人の見立ても出ている。まったくの別人のものだ」
役人の一人が書類を確かめて、厳しい顔で頷いた。
「侯爵家の名を騙った保証の偽造は、重罪です。ヘイウッド子爵、申し開きは」
父の顔が、紙のように白くなった。
「ち、違う! それは、その……クラリスが、侯爵家に嫁いだのだから、娘の名で保証しても構わないと思って――」
「娘の名を、娘の許しもなく使ったと認めるのだな」
アレクシス様の声は、温度というものをまるで持っていなかった。
(……こんな声、聞いたことがない)
扉越しの柔らかい声とも、食事の席のぶっきらぼうな声とも、夜会で言葉に詰まっていた声とも違う。北の吹雪そのもののような、冷たく澄み切った声だった。
「それから、クローデル伯爵」
アレクシス様の視線が、伯爵へ移った。伯爵の肩がびくりと跳ねる。
「この借金を仲介したのは、貴家だ。仲介料として借金額の二割を受け取っている」
「そ、それは正当な商取引で……」
「偽造された保証と承知の上でか」
ユーグさんが、もう一束の書類を差し出した。
「クローデル伯爵家とヘイウッド子爵家のあいだで交わされた手紙です。クローデル伯爵令嬢の筆跡で、『借金が表沙汰になれば、侯爵様は浪費家の妻にお困りになるはず。離縁は時間の問題でしょう』と」
大広間が、しんと静まり返った。
イザベラ様の顔から、完全に色が消えた。
「つまり」
アレクシス様は、イザベラ様をまっすぐに見下ろした。
「クラリスに借金の汚名を着せ、私に離縁させ、その後釜に座る。そういう筋書きだったわけだ」
「ち、違いますわ、アレクシス様! わたくしは、ただ……あなたが、あんな愛されてもいない妻に縛られているのが、お気の毒で――」
「黙れ」
一言だった。
けれどその一言で、イザベラ様は凍りついたように口を閉ざした。
「お前に、彼女の何がわかる」
アレクシス様の拳が、固く握られていた。
「彼女は、誰も手をつけなかった温室を、たった一人で蘇らせた。使用人の一人ひとりの名を覚えて、礼を言った。孤児院の子どもたちに、菓子の焼き方を教えた。実家に搾り取られて、それでも誰も恨まずに、ここで笑っていた」
一言一言が、驚くほどなめらかだった。言葉に詰まることも、言い直すこともない。
「その彼女を、借金で汚し、夜会で笑いものにしようとした。……私が、許すと思ったのか」
(旦那様……)
胸が熱くなる。目の奥がつんと痛む。
(どうして、私のことだと、こんなにすらすら話せるの)
私には、いつも「そうか」としか言わないのに。
処分は、その場で役人から言い渡された。
ヘイウッド子爵家は、偽造の罪により爵位を返上。屋敷と領地は差し押さえられ、借金の返済に充てられる。
クローデル伯爵家は、偽造への加担と仲介料の不正受領により、領地の一部を没収。イザベラ様は、王都の社交界への出入りを禁じられることになった。
「そんな……爵位を、返上……」
父が膝から崩れ落ちた。母は扇を取り落とし、呆然と宙を見つめている。
ベアトリスが、私に縋りついてきた。
「お、お姉様! お姉様からも何か言って! 侯爵夫人なのでしょう? 侯爵様にお願いして!」
その手を、私はそっと外した。
「ベアトリス」
妹の青い瞳が、涙で潤んでいる。昔はこの顔をされると、何でも言うことを聞いてしまった。
「私の名前を勝手に使ったのは、お父様とあなたたちよ。……私は、もうあなたたちのために頭を下げない」
「お姉様……!」
「クラリス、お前……親を見捨てるのか!」
父が叫んだ。私は、父をまっすぐに見た。
「見捨てたのは、どちらですか」
父は、何も言い返さなかった。
それ以上、言うことはなかった。役人に連れられていく家族の背中を、私は黙って見送った。
悲しくないと言えば嘘になる。けれど、心のどこかで、ずっと背負っていた重い荷物がようやく下りたような気がした。
全員が去ったあと、大広間には私とアレクシス様だけが残された。
「……旦那様」
声をかけると、アレクシス様はびくりと肩を震わせた。
振り返ったその顔は、さっきまでの吹雪のような気配がすっかり消えて、いつもの――いや、いつも以上に困り果てた顔をしていた。
「……すまない。君に何も言わずに、勝手に進めた」
「いいえ。ありがとうございました」
「……怖がらせたか」
「少しだけ。でも、嬉しかったです」
アレクシス様の目が、わずかに見開かれる。
「旦那様、さっきはとてもお話が上手でしたね。私のこと、たくさん褒めてくださって」
「…………」
アレクシス様の顔が、みるみる赤くなっていった。耳どころか、首まで真っ赤だった。
「……あれは、その。……怒っていたから、口が勝手に」
「勝手に、ですか」
「…………」
アレクシス様は口を開いて、閉じて、開いて――。
「……書類の、整理がある」
そう言ってくるりと背を向け、大広間の扉に向かって歩き出し、押せば開く扉の取っ手を何度も引いて、がたがたと揺らした。
(……やっぱり、旦那様だわ)
私は思わず、声を上げて笑ってしまった。
アレクシス様の背中が、ぴしりと固まった。




