第71話 帰る場所があるということ
放課後の部室。
いつも通りの光景――のはずなんだけど、今日は少しだけ空気が違っていた。
「……えっと、それって本当なの?」
澪が、少しだけ戸惑ったように聞き返す。
その視線の先にいるのは、ふわふわと宙に浮かぶ小さな存在。
「うん。本当だよ」
ピノが、いつもより少しだけ落ち着いた声で答える。
「さっき、アストラから連絡が来たんだ」
部室の中央。
僕たちは机を囲むように座っていて、その上にピノとミルが並んでいた。
「連絡って……どういうことですの?」
透花が静かに問いかける。
その横で、ミルがいつもの渋い声で答えた。
「アストラ側の判断です」
一拍。
「すべてのピクシスに対し、“帰還の自由”が与えられました」
その言葉は、やけに重く響いた。
「帰還の……自由?」
澪が繰り返す。
「うん」
ピノが小さく頷く。
「帰ってきたいなら、帰っていいよって」
「……それって」
太陽が眉をひそめる。
「もう、地球にいなくてもいいってことか?」
「そういうことになるね」
ピノは少しだけ視線を落とした。
「ヴォイドもいなくなったし、僕たちがここにいる理由も……なくなったから」
静かになる部室。
分かっていたことではある。
ヴォイドがいなくなれば、魔法少女の役割も終わる。
そして、その力の源であるピクシスも――
「……帰る場所があるってことよね」
澪がぽつりと呟く。
「うん」
ピノが答える。
その声は、どこか柔らかかった。
「アストラは……いや」
ミルが一度言葉を区切る。
「“虚界”という呼称も、今回をもって改められました」
「え?」
透花が少しだけ目を見開く。
「名前、変わったの?」
僕が聞くと、ミルは静かに頷いた。
「ええ。あの名称は、侵略者によって歪められた時代の名残です」
ゼル=フィア。
あいつが支配していた時代の呼び名。
「本来の名は、“エリュシア”」
ミルがそう告げる。
「アストラの母なる地――楽園を意味する言葉です」
エリュシア。
少しだけ口に出してみる。
「……まあ、今の状態には合ってるかもね」
歪みのない、整った世界。
あの光景を思い出すと、“虚界”よりはよっぽどしっくりくる。
「エリュシアか……」
太陽がぼそっと呟く。
「なんか、いい名前だな」
「ええ」
透花も静かに頷く。
「とても、優しい響きですわ」
ピノが少しだけ笑う。
「僕たちにとっては、ずっとそうだったよ」
その言葉で、また少しだけ空気が静かになる。
「……帰るの?」
澪が、まっすぐにピノを見る。
ピノは、すぐには答えなかった。
少しだけ考えるように目を伏せて――
「……うん」
小さく、でもはっきりと頷いた。
その隣で、ミルも静かに口を開く。
「わたくしも、同様に」
透花が、ほんの少しだけ息を止める。
でも、すぐに微笑んだ。
「……そうですのね」
強がりじゃない。
ちゃんと理解した上での、受け入れ。
「すぐ、なの?」
太陽が聞く。
「まだ少し先かな」
ピノが答える。
「でも、そんなに遠くはないと思う」
「そうですな」
ミルも続ける。
「準備が整い次第、順次帰還という形になるでしょう」
つまり。
時間は、あまりない。
その事実が、静かに全員に伝わっていった。
部室の空気は、さっきよりも少しだけ重くなっていた。
ピノとミルの言葉は、静かに、でも確実に現実を突きつけてきたからだ。
帰る場所がある。
帰る理由もある。
それは分かる。
分かるけど――
「……そっか」
澪が小さく息を吐く。
無理に明るく振る舞うでもなく、かといって沈み込みすぎるでもない。
そのちょうど中間。
透花も、同じように静かに頷いていた。
「寂しくなりますわね」
その言葉は、柔らかいけど、少しだけ本音が混じっている。
太陽は腕を組んで、うーんと唸っている。
「いやまあ、帰るのは分かるんだけどさ……」
言葉を探してる感じ。
こういうとき、こいつはあんまり器用じゃない。
少しの沈黙。
そのまま、しんみりした空気が続きかけて――
「あれ?」
太陽が、間の抜けた声を出した。
「ソラは?」
一瞬、全員の視線が止まる。
「……は?」
澪が聞き返す。
「いや、だからソラ」
太陽がきょろきょろと周りを見る。
「ピクシス帰るって話だろ? ソラも帰んのかなって」
数秒。
沈黙。
「……あー」
僕は納得した。
「帰らないよ」
「え?」
太陽が素で聞き返す。
「なんで?」
「そもそもソラはピクシスじゃないし」
「え、でもピクシスだろ?」
「“人工ピクシス”ね」
僕は軽く訂正する。
「僕が作ったやつ」
「……あ」
太陽が、ようやく思い出した顔をする。
そのタイミングで、ひょこっとソラが姿を見せた。
「呼びましたか」
相変わらずの無機質寄りな声。
「お前、帰んの?」
太陽がそのまま聞く。
ソラは一瞬だけ間を置いてから、答えた。
「帰還の必要性はありません」
「おお、はっきり言うな」
「私は地球環境を基準として設計された個体です」
淡々と説明が続く。
「エリュシアは私の発生起源ではなく、帰属意識も存在しません」
「つまり?」
太陽が首を傾げる。
「ここにいる理由しかない、ってこと」
僕が要約する。
「……ああ」
太陽がぽんと手を打つ。
「じゃあ普通に残るのか」
「はい」
ソラが即答する。
そして。
ほんのわずかに間を置いてから、付け加えた。
「私は朝比奈太陽の補助ユニットとして稼働を継続します」
その言葉で、太陽が一瞬だけ固まった。
「……お、おう」
少しだけ照れたように頭をかく。
「まあ……よろしくな」
「了解しました」
そのやり取りを見て、澪が小さく笑った。
「なんか、ちょっと安心したわ」
「そうですわね」
透花も頷く。
「全員いなくなってしまうわけではありませんもの」
さっきまでの重さが、少しだけ和らぐ。
完全な別れじゃない。
少なくとも、ここに残る繋がりはある。
「……まあ、でも」
太陽が少しだけ真面目な顔に戻る。
「帰るやつは帰るんだよな」
「うん」
ピノが静かに頷く。
「その時は、ちゃんとお別れするよ」
その言葉で、空気がまた少しだけ引き締まる。
でも今度は、さっきみたいに沈み込みはしなかった。
ちゃんと現実として受け止めた上での、静けさ。
別れは来る。
でも、それまでは――
まだ、時間がある。
――――――
あの通達は、オンライン越しだった。
魔法少女協会が用意した専用回線。各地の魔法少女と、その契約ピクシスに同時接続された大規模な集会。
画面越しに告げられた内容は、簡潔で、そして決定的だった。
――ピクシスは帰還する。
――すべての個体に帰還の自由が与えられ、その結果として、全個体が帰郷を希望した。
――これにより、地球上から魔法少女は消滅する。
「……まあ、そうなるわよね」
あのとき、澪は小さくそう呟いていた。
僕も特に驚きはなかった。構造的にそうなるのは分かってたし。
太陽は「マジか……」って顔してたけど、数秒後には「でもまあ帰る場所あるなら仕方ねえか」とか言って納得してた。
透花は、静かに受け止めていた。
一応、「帰らない個体がいる可能性は否定できない」みたいな補足もあったけど――
「変わり者くらいはいるでしょ」
僕がぼそっと言ったら、澪に軽く肘でつつかれたのを覚えてる。
で。
結局、例外はほぼなかった。
――それから、二週間。
時間は、あっという間だった。
そして。
今日が、その日だ。
「……すごいわね」
澪が、目の前の光景を見て呟く。
場所は、天霧市郊外に設営された特設会場。
魔法少女協会主導の、大規模な送別会。
ただの集まりじゃない。
フェーズゲートを利用した一斉帰還を前提に、ピクシスたちをエリュシアへ送り出すための、公式行事。
「直接転移できるほうが安全ですからね」
透花が説明する。
「個別に戻るよりも、まとめて送ったほうが効率的ですし……何より、最後の場として整えたいという意図もあるのでしょう」
会場には、無数の光が浮かんでいた。
ピクシスたち。
それぞれが、契約者である魔法少女の傍に寄り添っている。
笑っている者。
泣いている者。
静かに言葉を交わしている者。
いろんな形の“別れ”が、あちこちで進んでいた。
「……ほんとに、全部いなくなるんだな」
太陽がぽつりと呟く。
その視線は、少しだけ遠くを見ていた。
「ええ」
澪が静かに頷く。
「そういうことになるわね」
僕は特に何も言わず、会場全体を見渡す。
規模はでかい。
協会側も本気で整えたらしい。
フェーズゲートの出力ラインも複数用意されてるし、転移座標も安定してる。
事故る要素はない。
「理久、ちゃんと見てるのね……」
澪が呆れたように言う。
「当たり前でしょ」
「いや、そうじゃなくて……」
何か言いかけて、やめた。
まあ、いいかって顔。
「それで」
太陽が周りを見回す。
「俺たちはここで何すんの?」
「付き添いよ」
澪が答える。
「私たちが呼ばれたのは、ピノとミルのお別れのためなんだから」
透花も小さく頷く。
「ええ。最後まで、きちんと送り出したいですもの」
その言葉で、少しだけ空気が静かになる。
視線の先。
ピノとミルが、それぞれの位置で待っていた。
もうすぐ。
本当に、別れることになる。
会場のあちこちで、別れが進んでいる。
泣き声は抑えられているけど、完全に消えるわけじゃない。笑顔で送り出そうとしても、どうしても滲むものはある。
それでも、全体としては静かだ。騒がしくはない。ただ、ひとつひとつの時間が丁寧に流れている。
僕たちは、少し人の少ない端のほうに移動した。
「……ここなら、落ち着いて話せるわね」
澪がそう言って、足を止める。
その目の前で、ピノがふわりと浮かび上がった。
「スターライト・ミオ」
名前を呼ばれて、澪の背筋が少しだけ伸びる。
呼び慣れた呼び方。魔法少女としての自分を肯定する響き。
「……ピノ」
一歩、距離を詰める。
手を伸ばせば届くくらいの位置で、止まる。
「いよいよ、だね」
ピノは穏やかに言う。
「うん」
澪は小さく頷いた。
少しの沈黙。
言葉を選んでいる時間。
「……最初はさ」
澪が、ぽつりと切り出す。
「正直、怖かったのよ」
ピノは何も言わず、じっと聞いている。
「何も分からないのに、いきなり戦えって言われて」
「うん」
「でも……」
澪が、少しだけ笑う。
「ピノがいたから、なんとかやれた」
視線がまっすぐ向く。
「ありがと」
シンプルな言葉。
でも、それで十分だった。
ピノは、少しだけ目を細める。
「こちらこそだよ」
柔らかい声。
「ミオは、ちゃんと魔法少女だった」
「……そう?」
「うん」
迷いのない肯定。
「だから、一緒に戦えてよかった」
澪の目が、少しだけ揺れる。
でも、泣かない。
「……うん」
その代わりに、しっかりと頷いた。
一方で。
少し離れたところで、透花とミルも向き合っていた。
透花は、いつものように背筋を伸ばして立っている。
ミルは、その前で静かに浮かんでいた。
「ミル」
透花が、穏やかに名前を呼ぶ。
「はい、お嬢様」
いつもと変わらない返答。
でも、その響きが、今日は少しだけ違う。
「……ここまで、お付き合いいただきありがとうございました」
透花が、丁寧に頭を下げる。
深く、綺麗な所作。
「いえ」
ミルは静かに応じる。
「それが役目ですので」
「それでも、ですわ」
透花が顔を上げる。
その表情は、穏やかで――少しだけ寂しげだった。
「わたくし一人では、きっと途中で折れていました」
ミルは、少しだけ間を置く。
「……あなたは、強い方です」
「いいえ」
透花は、ゆっくりと首を振る。
「強くなれた、のですわ」
その視線が、ミルに向く。
「あなたのおかげで」
沈黙。
短いけど、重みのある時間。
「……光栄です」
ミルが、静かにそう言った。
そのやり取りは、どこまでも穏やかで。
でも、確かに“終わり”を含んでいた。
周囲では、他の魔法少女たちもそれぞれの別れをしている。
抱きしめる者。
笑顔で手を振る者。
言葉が出なくて、ただ見つめる者。
いろんな形がある。
でも全部、同じ意味だ。
――ここまで、一緒にいてくれてありがとう。
やがて。
会場の中央に設置されたフェーズゲートが、静かに光り始める。
帰還の準備が、整った。
フェーズゲートの光が、ゆっくりと強くなる。
中心に描かれた幾何学模様が回転し、空間が静かに開いていく。
向こう側――エリュシアの風景が、淡く映り込んだ。
澄んだ空気。柔らかい光。
あの場所だ。
「――帰還を開始します」
協会のアナウンスが、静かに響く。
ピクシスたちが、順番にゲートへと向かい始めた。
契約者の傍を離れて、少しだけ振り返って、そして――光の中へ消えていく。
そのたびに、小さな別れが積み重なっていく。
「……行くね」
ピノが、澪に向かって言う。
「うん」
澪は、まっすぐ頷いた。
もう迷いはない。
「元気でね」
「ミオも」
ほんの少しだけ、間があって。
「――またね」
ピノが笑った。
そのまま、ふわりとゲートの方へ向かう。
光に包まれて――消えた。
透花の方も、同じだった。
「それでは、お嬢様」
「ええ」
ミルが一礼する。
透花も、丁寧に返す。
言葉は多くない。
でも、それで十分だった。
「どうか、お健やかに」
「あなたも」
短い応答。
そして、ミルもまた光の中へと消えていく。
気づけば、周囲の光もほとんどなくなっていた。
最後の数体がゲートをくぐり――やがて、その輝きも収まっていく。
静寂。
さっきまであれだけいたピクシスの気配が、完全に消えた。
「……終わったわね」
澪が、ぽつりと呟く。
その声は、少しだけ力が抜けていた。
透花も、静かに息を吐く。
「ええ……」
ほんの少しだけ、視線が下がる。
二人とも、泣いてはいない。
でも、完全に平気というわけでもない。
ちょうど、その中間。
太陽は、少し離れたところで腕を組んでいた。
何か言おうとして、でも言葉が出てこない感じ。
だから。
僕は、いつも通りに口を開いた。
「会いたくなったら、会いに行けばいいでしょ」
二人の視線が、こっちに向く。
「フェーズゲート、使えば普通に行けるし」
事実だけを言う。
「距離、もう関係ないんだから」
澪が、一瞬きょとんとして。
それから、少しだけ笑った。
「……ほんと、あんたは」
呆れたような声。
でも、その表情は、さっきよりずっと軽くなっている。
透花も、小さく頷く。
「そうですわね」
その目に、ほんの少しだけ明るさが戻る。
「お別れではありますけれど……永遠ではありませんもの」
「そういうこと」
僕は軽く肩をすくめる。
太陽が、ぽんと手を打つ。
「じゃあさ、今度みんなで遊びに行こうぜ!」
「観光じゃないのよ?」
「いいじゃん別に!」
いつものやり取り。
少しだけ空気が戻る。
さっきまでの静けさが、少しだけ和らぐ。
空を見上げる。
そこには、もう裂け目はない。
何もない、普通の空。
「……帰るか」
誰ともなく、そんな言葉が出た。
そして僕たちは、静かにその場を後にした。
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