第59話 いざ、虚界へ
放課後。
見慣れたはずの部室は、やけに静かだった。
窓の外は、いつも通りの夕焼け。
グラウンドからは運動部の声が聞こえてくる。
何も変わっていない。
――変わっているのは、明日だけだ。
「……なんかさ」
太陽が、椅子にだらっともたれながら言った。
「普通だな」
「何が」
僕は端末から目を離さずに返す。
「いや、ほら。明日、最終決戦じゃん?」
「うん」
「もっとこう……世界終わる前夜!みたいな感じになるかと思った」
「ならないでしょ」
即答。
澪が小さくため息をついた。
「太陽くんはドラマの見すぎなの」
「だってさぁ……!」
身を起こして、天井を見る。
「世界中の戦力集まって、虚界に突っ込んで、四天王とラスボス倒すんだぞ?」
「普通じゃないだろ、どう考えても!」
「状況は普通じゃないね」
透花が柔らかく笑う。
「でも、こうして過ごしている時間は……いつも通りです」
ミルが頷く。
「日常とは、案外そういうものでございます」
太陽はしばらく黙ってから、ぼそっと言った。
「……それが逆に怖ぇんだよな」
その言葉に、少しだけ空気が揺れた。
澪が机に肘をついて、頬を乗せる。
「……まあね」
視線は窓の外。
「明日で終わるかもしれないし」
「終わらないかもしれないし」
「何も変わらないように見えて、全部変わるかもしれない」
ぽつりぽつりと、言葉が落ちる。
太陽が苦笑する。
「おい、やめろよそういうの」
「現実でしょ」
「分かってるけどさ……」
少しだけ、沈黙。
部室の時計の音が、やけに大きく聞こえる。
カチ、カチ、と。
僕はそのまま端末を閉じた。
「別に変わらないよ」
全員の視線がこっちに向く。
「勝つだけだし」
それだけ言う。
澪がじっと僕を見る。
「……簡単に言うよね」
「簡単でしょ」
「簡単じゃないから言ってるの」
「でも条件は揃ってる」
僕は淡々と続ける。
「戦力、装備、連携、全部最適化済み」
「敵の構成も分かってる」
「負ける要素、ほぼない」
太陽が苦笑する。
「“ほぼ”って言ったぞ今」
「ゼロじゃないってだけ」
「そこが怖ぇんだよ!」
思わず突っ込む。
でも、その顔は少しだけ軽くなっていた。
透花が静かに口を開く。
「……理久さん」
「何」
「怖くないんですか?」
一瞬だけ、考える。
「別に」
正直に答える。
「興味はあるけど」
「結果がどうなるか」
それだけだ。
澪が呆れたように笑う。
「ほんと、ブレないよね」
「ブレる理由がない」
太陽が頭をかく。
「……まあ、お前がそう言うなら大丈夫な気がしてくるわ」
「単純」
「うるせぇ」
でも、そのやり取りに少しだけ空気が和らぐ。
澪が立ち上がる。
「……じゃあさ」
みんなを見る。
「終わったら、何する?」
太陽が即答する。
「焼肉!」
「早い」
「いやだってさ!」
身を乗り出す。
「絶対腹減るだろ!?」
透花がくすっと笑う。
「いいですね、焼肉」
ミルも頷く。
「英気を養うには最適かと」
澪は少し考えてから、僕を見る。
「理久くんは?」
「別に何でもいい」
「それじゃダメ」
「じゃあ焼肉でいい」
「即決だね……」
太陽がニヤリと笑う。
「決まりな!」
「絶対行くからな!逃げんなよ!」
「逃げる理由ないでしょ」
澪が小さく笑った。
「……うん」
その笑顔は、いつもより少しだけ柔らかかった。
窓の外。
夕焼けが、ゆっくりと色を変えていく。
日が落ちていく。
今日が終わる。
「……じゃあ」
澪が静かに言う。
「明日」
太陽が頷く。
「おう」
透花も微笑む。
「はい」
僕は立ち上がる。
「終わらせる」
短く。
それだけ言った。
部室の空気が、静かに締まる。
――明日。
すべてが終わる。
――――――
――翌朝。
空はまだ薄暗く、空気は冷たい。
だが。
地上の一点だけが、異様な熱を帯びていた。
天霧観測所・拡張区画。
そこに集まっているのは――人類の戦力、そのほぼすべて。
魔法少女。自衛隊部隊。各国から派遣された特殊戦力。
そして、その中央に設置された巨大なフェーズゲート。
ゆらり、と。
虚界へと繋がる歪みが、静かに脈動している。
「……すげぇな」
太陽が思わず呟く。
「これ、全部……味方かよ」
澪も言葉を失っていた。
見渡す限り、人、人、人。
だがその一人ひとりが、“戦える存在”。
透花は静かに目を閉じる。
「これが……人類の総力」
ミルが低く言う。
「まさに、総力戦でございますな」
そのとき。
一段高い指揮台に、一人の男が上がった。
鬼塚錬。
「――静粛に」
マイク越しの声が、広場全体に響く。
ざわつきが、すっと収まる。
全員の視線が、彼に集まった。
鬼塚は一度だけ、息を吐いた。
ほんのわずかに、眉間にしわが寄る。
(……なんで俺がやってんだよ)
内心の文句は、顔に出さない。
そのまま前を見る。
その視線の先――少し離れた位置に、理久が立っていた。
腕を組んで、いつも通りの顔。
(……お前がやれよ、本来は)
だが。
やらない。
やらせても、意味がない。
あいつは、そういう役じゃない。
鬼塚は小さく息を吐いて、口を開いた。
「――これより、最終作戦を開始する」
一言で、空気が変わる。
誰も動かない。
誰も喋らない。
ただ、その言葉を待っている。
「対象は、異次元虚界」
「ネメシス勢力の殲滅」
「および――ヴォイド侵攻の完全停止」
短く、的確に。
余計な言葉は一切ない。
「作戦内容は共有済みだ」
「虚界へ侵攻し、敵主力――四天王および首魁を撃破する」
「以上」
シンプルすぎる説明。
だが。
ここにいる全員が、その“重さ”を理解している。
鬼塚は一瞬だけ視線を巡らせた。
日本の部隊。
各国の魔法少女。
アストラの戦力。
そして――
「今回の作戦」
一拍。
「成功確率は高い」
ざわ、とわずかに空気が揺れる。
「理由は一つだ」
鬼塚は、振り返らない。
だが、視線ははっきりと一箇所を示していた。
「――あいつがいるからだ」
誰もが、分かる。
視線が、自然とそこに集まる。
天原理久。
ただ一人、平然と立っている中学生。
「戦力、装備、転移、連携、すべて」
「今回の作戦の中核は、あいつだ」
鬼塚の声は、揺れない。
「正直に言う」
少しだけ、間を置く。
「俺は、最初は信じてなかった」
「だが今は違う」
「ここまで来た時点で――」
ゆっくりと、言い切る。
「勝てると判断している」
その言葉は、確信だった。
理屈ではなく、現場の人間の判断。
それが、一番響く。
鬼塚は前を向いたまま続ける。
「だが」
声が、少しだけ低くなる。
「これは“確定した勝利”じゃない」
空気が、再び引き締まる。
「相手もまた、同等以上の戦力を持つ」
「油断すれば、普通に死ぬ」
事実だけを、並べる。
「だから――」
マイクを握る手に、わずかに力が入る。
「全員、生きて帰るつもりで行け」
短い言葉。
だが、それ以上のものはない。
「以上だ」
それだけ言って、鬼塚は一歩引いた。
沈黙。
一瞬の、完全な静寂。
そして――
「……っしゃあ!」
太陽が、拳を突き上げた。
その声をきっかけに。
空気が、一気に弾ける。
「行くぞ……!」
「終わらせる……!」
「これで最後だ!」
声が重なり、広がっていく。
魔力が、揺れる。
戦意が、膨れ上がる。
誰もが同じ方向を見ている。
フェーズゲート。
虚界への入口。
その向こうに――敵がいる。
理久はその光景を、ただ静かに見ていた。
そして、小さく呟く。
「……うん」
準備は、終わっている。
あとは。
「行くだけ」
その一言で。
全体の空気が、完全に“戦い”へと切り替わった。
鬼塚の演説が終わったあとも、熱は消えなかった。
むしろ、全体の温度は一段上がっている。
「――配置、始める」
理久の声が、今度は通信として全員に届く。
拡張された指揮システム。思考直結型の共有回線。
一瞬で、全員の意識に“情報”が流れ込む。
同時に。
空中に、巨大なホログラムが展開された。
虚界側の映像。
歪んだ大地、脈動する空、そして――
「……あれが、向こうか」
誰かが息を呑む。
そこに映っているのは、ただの風景ではない。
理久が先行偵察で取得した、リアルタイム座標データ。
さらにそこに、現在の魔力反応が重ねられる。
敵の分布。
地形の変化。
空間の歪み。
すべてが、戦場として可視化されていた。
「敵主力の位置はまだ深部」
理久の声が淡々と流れる。
「ここは前線じゃない」
ホログラム上に、いくつかのラインが引かれる。
進軍ルート。
展開地点。
退路。
「だから最初は“布陣優先”」
「突っ込まない」
その一言で、全体の動きが変わる。
ただの“突撃集団”ではない。
統制された軍。
鬼塚が小さく呟く。
「……ほんとに、全部見えてやがる」
理久は答えない。
そのまま、指示を飛ばす。
「前衛、ここ」
ホログラム上にポイントが光る。
「セレスティア、雷華、ヴァルキリア」
三人が同時に動く。
迷いがない。
「アストラは別ライン」
イリスが一歩前に出る。
その背後で、アストラの気配が揺れる。
「単独行動で問題ない」
「了解した」
短く返す。
「中衛、支援展開」
無数の魔法少女たちが配置につく。
それぞれの装備が淡く光り、連携回線が接続される。
「後衛、維持と補助」
澪と透花もそれぞれの位置に立つ。
太陽は前衛寄りに構えた。
「全体、散開しすぎるな」
「距離、保て」
一つ一つの指示が、即座に反映される。
誰も迷わない。
誰も遅れない。
それが、今の戦力だった。
「……すげぇ」
太陽が小さく呟く。
「全員が同時に動いてる……」
澪が頷く。
「理久くんの指示、全部見えてるから……」
透花は静かに言う。
「まるで一つの部隊のようですね」
ミルが低く補足する。
「もはや“軍”でございますな」
実際、その通りだった。
国家の枠を超えた。
種族すら超えた。
完全統合戦力。
理久は最後に、ホログラム全体を見渡す。
配置は完成している。
無駄がない。
隙もない。
「――このまま転移する」
その一言で、空気がさらに引き締まる。
フェーズゲートが唸る。
空間が歪む。
現実と虚界の境界が、ゆっくりと開いていく。
ゴォ、と低い音。
向こう側の景色が、鮮明になる。
冷たい空気。
異質な光。
「……行くぞ」
誰かが呟いた。
その声が、連鎖する。
「行くぞ……!」
「終わらせる!」
「これで最後だ!」
戦意が、収束する。
理久はその中心で、静かに言った。
「――転移、開始」
その瞬間。
全員の足元に、同時に光が走った。
空間が、反転する。
視界が、白に塗り潰される。
――次に開いたとき。
そこは、もう。
戦場だ。
誰も、止まらない。
誰も、迷わない。
すべての準備は終わっている。
あとは――
戦うだけだ。
理久は一歩、踏み出す。
「行くよ」
その一言とともに。
人類の総力が、虚界へと踏み込んだ。
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