第57話 四天王の影
――虚界。
そこは常に、どこかが歪んでいる。
空は空であって空ではなく、地面は固定されているようで流動している。空間そのものが生き物のように脈動し、規則性と不規則性が混在している。
その中心域。
ネメシスの支配圏においても、さらに深部と呼ばれる領域に――それはいた。
巨大な構造体。
生物のようで、機械のようで、どちらでもない。
幾重にも重なった殻の内側で、無数の光が明滅している。
そこに、静かに立つ影が一つ。
「……妙だな」
低い声。
振り返る者はいない。
ただ、その場の空気だけがわずかに張り詰めた。
男は腕を組んだまま、空間の奥を見ている。
その身体からは、常識外れの魔力が滲み出ていた。
ネメシス四天王。
ルク=エリオス。
「最近のヴォイドの挙動……均一すぎる」
ぽつりと呟く。
その言葉に応じるように、空間の奥から別の気配が現れた。
「気づいたか」
軽い声。
だが、その奥に潜むものは鋭い。
現れたのは、まだ若さの残るネメシス。
イグ=レイヴ。
「まあな」
ルクは視線を向けることもなく答える。
「動きが揃いすぎてる。あれじゃ“生き物”じゃない」
「元から生き物ではないだろう?」
イグが肩をすくめる。
「違う」
ルクは即座に否定した。
「“意志”が薄い」
その一言で、空気が変わる。
イグの表情から、わずかな軽さが消えた。
「……それは」
「おかしいだろ」
ルクはゆっくりと振り返る。
その目は、はっきりとした“戦闘者”のものだった。
「ヴォイドは制御されてるが、“反応”は個体ごとにばらつくはずだ」
「だが今は違う」
「全部が、同じ方向を向いてる」
イグは数秒、沈黙した。
そして、小さく笑う。
「……面白いな」
「面白くねぇよ」
ルクは吐き捨てるように言う。
「誰かが、弄ってる」
その言葉が落ちた瞬間。
空間が、わずかに軋んだ。
二人とも、同時に視線を上げる。
そこに“いた”。
いつからそこにいたのか。
気配もなく。
ただ、最初から存在していたかのように。
「……報告か」
静かな声。
だが、その一言で、場の支配権が完全に移る。
ネメシス首魁。
ゼル=フィア。
その姿は人型に近いが、完全ではない。
輪郭が、わずかに揺れている。
存在そのものが安定していないかのように。
「ヴォイドの異常についてだ」
ルクが短く答える。
「制御に干渉が入ってる可能性がある」
ゼル=フィアはしばらく何も言わなかった。
その沈黙は、重い。
「……観測はしている」
やがて、そう告げる。
「だが、確証はない」
イグが口を開く。
「可能性としては?」
ゼル=フィアの視線がわずかに動く。
「外部干渉」
短い答え。
だが、その意味は明確だった。
「侵入者、か」
ルクの口元がわずかに歪む。
「やっとかよ」
その声には、むしろ期待が混じっていた。
「だが、場所が特定できない」
ゼル=フィアが続ける。
「制御系統に直接触れられた痕跡はあるが、経路が不明だ」
「隠れてるってことか」
イグが笑う。
「面白いじゃないか」
ルクは肩を鳴らした。
「いい」
その目が、はっきりと戦意を帯びる。
「来るなら来い」
「全部、焼き払ってやる」
その瞬間。
空間の一部が、音もなく消し飛んだ。
ただ魔力が漏れただけ。
それだけで、地形が抉れる。
イグが軽く息を吐く。
「……相変わらずだな」
「手加減してる」
ルクは短く言う。
「本気出したら、この辺一帯消える」
事実だった。
誇張ではない。
ゼル=フィアはそれを否定しない。
ただ、静かに告げる。
「……いずれ、来る」
その声は確信していた。
「敵は、確実にこちらへ向かっている」
「なら」
イグが笑う。
「迎え撃つだけだ」
ルクも口の端を上げた。
「いいな」
「久しぶりに、楽しめそうだ」
その場に満ちるのは――純粋な戦意。
だが。
それだけではない。
ゼル=フィアの視線は、わずかに遠くを見ていた。
「……甘く見るな」
ぽつりと呟く。
ルクとイグが視線を向ける。
「ヴォイドに干渉できる存在」
「それは――“異質”だ」
その言葉が、静かに落ちる。
戦力は揃っている。
人類側も、アストラも。
だが。
ネメシス側もまた、同じだった。
むしろ――
個としての“格”は、明らかにこちらが上。
「来るなら来い」
ルク=エリオスが、再び呟く。
その背後で、空間が歪む。
「全部まとめて――焼き尽くしてやる」
その一言が。
この戦いが、決して一方的なものではないことを示していた。
「……で?」
沈黙を破ったのは、イグ=レイヴだった。
軽い声。だが、先ほどまでとは違う。
「どうする? 探すか?」
「必要ねぇ」
ルク=エリオスは即答した。
「どうせ来る」
その言葉に、イグが小さく笑う。
「自信満々だな」
「違う」
ルクは首を鳴らした。
「“来るしかねぇ”んだろ、あいつらは」
その言葉に、ゼル=フィアは否定しない。
むしろ、わずかに頷いた。
「……合理的判断だ」
「こちらの領域で戦うことを選ぶ時点で、相応の準備は整っているはず」
「なら」
イグが楽しげに言う。
「真正面から叩き潰すのが一番だな」
その瞬間だった。
――空間が、歪んだ。
ピシ、と。
ガラスにヒビが入るような音。
三人の視線が、同時に一点へ向く。
「……来たか?」
イグが目を細める。
「違う」
ゼル=フィアが静かに言う。
「これは……」
次の瞬間。
――何もない空間が、弾けた。
そこに現れたのは。
一体のヴォイド。
だが。
「……なんだこれは」
ルクの声が、初めて僅かに低くなる。
そのヴォイドは、動かない。
ただそこに“固定”されている。
暴れない。
唸らない。
命令を待つように――静止している。
イグが一歩近づく。
「……おい」
手をかざす。
通常なら、反応するはずの距離。
だが。
「反応しない」
ルクが低く言う。
「命令待機状態か?」
「違う」
ゼル=フィアが、ゆっくりと近づいた。
その目が、わずかに細められる。
「……これは」
指先が、ヴォイドに触れる。
瞬間。
――ビキッ、と。
何かが“軋む”音がした。
「っ!?」
イグが即座に距離を取る。
ルクも一歩引いた。
触れたゼル=フィアの指先が――
わずかに、弾かれていた。
「……拒絶?」
イグが呟く。
ゼル=フィアは、しばらく無言だった。
そして。
「違う」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「優先順位の書き換えだ」
空気が、凍りつく。
「……は?」
ルクが眉をひそめる。
「どういう意味だ」
「この個体」
ゼル=フィアはヴォイドを見たまま言う。
「我々よりも、別の存在を“上位命令者”として認識している」
完全な沈黙。
イグの笑みが、消えた。
ルクの目が、はっきりと細められる。
「……それは」
「あり得ねぇだろ」
「あり得る」
ゼル=フィアは即答した。
「現に起きている」
その言葉は、事実だった。
そして――
それが意味するものも。
「……奪われてる、のか」
イグが低く呟く。
「ヴォイドの“主導権”が」
ゼル=フィアは、答えない。
だが。
否定もしない。
ルクの口元が、ゆっくりと歪む。
怒りではない。
それよりも――
「……いいじゃねぇか」
戦意だ。
純粋な、闘争への欲求。
「面白くなってきた」
拳を握る。
その周囲の空間が、歪む。
「つまり」
「そいつをぶっ殺せば、全部戻るってことだろ?」
イグが肩をすくめる。
「短絡的だな」
「効率的だ」
ルクは即答する。
ゼル=フィアは、静かにそのやり取りを見ていた。
そして。
「……侮るな」
低く告げる。
「ヴォイドの制御を書き換える存在」
「それは――我々と同等か、それ以上の“異常”だ」
その言葉に、わずかな緊張が走る。
だが。
ルクは笑った。
「だからいいんだろ」
その目は、完全に戦う者のそれだった。
「雑魚相手じゃ、つまんねぇ」
イグもまた、口元を歪める。
「確かに」
「退屈は嫌いだ」
ゼル=フィアは、ゆっくりと視線を上げた。
虚界の奥。
誰もいないはずの空間を見つめる。
「……来る」
その一言は、確信だった。
「その時」
空気が、わずかに重くなる。
「選別が始まる」
静かに。
しかし確実に。
その言葉は、未来を示していた。
人類側は、確かに“勝てる条件”を揃えた。
だが――
ネメシス側もまた。
“負ける理由がない”。
その事実だけが。
静かに、確実に。
この戦いの難易度を引き上げていた。
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