第50話 虚界初突入
「——行くぞ」
フェーズ・ゲートが静かに唸る。
空間が、歪む。
見慣れたはずの現象。
でも——今日は違う。
「……ほんとに、行くのね」
隣で澪が小さく呟く。
その声は、いつもより少しだけ硬い。
「今さらだろ」
僕は淡々と返す。
「理久くんはそうでしょうけど……」
澪は深く息を吸って、吐く。
「……ピノ、お願い」
「うん。ぼくもちゃんと見てるよ」
肩の上でピノが光る。
準備は整っている。
「座標固定」
「安定フィールド、正常」
「隠蔽処理、展開中」
端末の表示を確認する。
問題なし。
「カウントいらないよな」
「いるでしょ普通!?」
澪のツッコミを無視する。
「じゃあ行く」
一歩、踏み出す。
空間が裂ける。
視界が——
反転した。
――――――
足が、地面に触れる。
感触はある。
でも——
「……なに、これ……」
澪の声が震える。
僕も一度、足元を見る。
地面。
——のはずだ。
でもそれは、地面じゃない。
黒い。
いや、黒じゃない。
“色が決まってない”。
見る角度で、ぬるっと変わる。
固体なのに、どこか柔らかそうで。
踏むと、わずかに沈む。
「位相が不安定な物質だな」
僕はしゃがみ込んで、指で触る。
「ちょ、ちょっと! 触って大丈夫なの!?」
「今のところは問題ない」
「“今のところ”って何!?」
立ち上がる。
周囲を見渡す。
空。
——いや、空じゃない。
上にあるのは、空っぽの空間じゃない。
“何か”が流れている。
巨大な、半透明の塊。
ゆっくりと、脈打つように動いている。
それが、空一面に広がっている。
「……うそ……」
澪が思わず一歩下がる。
「なに、あれ……生きてるの……?」
「わからない」
僕は目を細める。
「でも構造はある。流れもある。たぶん機能してる」
「機能って……!」
風が吹く。
——違う。
風じゃない。
“何か”が通り抜けた。
肌を撫でる感触。
でも温度がない。
「……気持ち悪い……」
澪が腕を抱く。
「空気じゃない……よね、これ……」
「空気に近い何かだな」
僕は端末を操作する。
「組成は不明。魔力密度は高い」
「それ、吸って大丈夫なの……?」
「フィールドが補正してる」
「じゃあ外したら?」
「死ぬ可能性ある」
「やめて!?」
足元で、ぬるりと何かが動いた。
澪がビクッと跳ねる。
「な、なに!?」
見ると——
地面の一部が、ゆっくりと形を変えていた。
さっきまで平面だったものが、盛り上がり、歪み、また沈む。
まるで——
「……呼吸してるみたい……」
澪の声が小さくなる。
僕はしゃがみ込んで、じっと観察する。
「自己修復か、もしくは成長」
「どっちでも嫌なんだけど!」
周囲を見渡す。
地平線。
——歪んでる。
遠くの景色が、揺れている。
直線が直線じゃない。
建物のようなものが見える。
でも——
「……あれ、建物……?」
澪が指さす。
そこにあるのは、確かに“構造物”だ。
でも直角がない。
曲がっている。
ねじれている。
まるで、無理やり形を保っているみたいに。
「ネメシスの施設かもしれないな」
僕は呟く。
「……あんなのに住んでるの?」
澪の声は、完全に引いている。
「環境が違うからな」
「違うってレベルじゃないでしょ……」
空を見上げる。
脈打つ何か。
歪む地平線。
動く地面。
“空気のような何か”。
「——なるほど」
僕は小さく頷く。
「これが虚界か」
澪が、ゆっくりと首を振る。
「……理久くん」
「何」
少しだけ間を置いて——
「普通の人間なら、“来ちゃいけない場所”って思うわよ……ここ」
僕は少しだけ考えてから、
「そうか?」
とだけ答えた。
「あれ、行くか」
僕は、さっき見えた“構造物”を指さす。
歪んだ輪郭。
ねじれた壁。
どう見ても人間の建築物じゃない。
「……ほんとに?」
澪の声は、さっきよりさらに低い。
警戒してる。
当然だ。
「近づくだけ」
「中には?」
「様子見てから」
澪は一瞬考えてから、小さく頷いた。
「……戦闘は?」
「避ける」
即答。
「今回は偵察。情報優先」
「了解」
短い確認。
太陽がいない分、やり取りは静かだ。
「アルゴ」
足元の影が揺れる。
位相の中から、猟犬型のシルエットが現れる。
黒い輪郭。
でもこの空間だと、むしろ自然に馴染んでいる。
「索敵」
小さく命令を出す。
アルゴは音もなく周囲に意識を広げる。
「反応は?」
「……ある。でも遠い」
ピノが先に答える。
「たくさんいる。でも、こっち見てない」
「好都合」
澪が小さく息を吐く。
「……バレてない、ってことね」
「今のところは」
僕たちは、ゆっくりと歩き出す。
地面は相変わらず気持ち悪い。
踏むたびに、わずかに“遅れて沈む”。
「……これ、ほんと無理……」
澪が顔をしかめる。
「慣れろ」
「慣れたくない!」
施設に近づく。
距離が縮まるにつれて、その異様さがはっきりしてくる。
壁——らしきもの。
でも、一定じゃない。
波打っている。
呼吸しているみたいに、ゆっくり膨らんで、縮む。
「……動いてる……」
澪が小声で言う。
「構造体が生体に近いな」
僕は手を伸ばして、触れる。
「ちょっと!?」
「静かに」
表面は、ぬめっている。
でも、内部には“硬さ”がある。
層構造。
「……外殻と内部構造が分かれてる」
「分析してる場合!?」
「してる」
耳を澄ます。
——音がする。
低い、振動みたいな音。
「稼働してるな」
入口らしき場所にたどり着く。
穴が開いている。
でもそれは“開いている”んじゃない。
“裂けている”。
「……入り口、よね……?」
「たぶん」
中は暗い。
でも完全な暗闇じゃない。
壁の内側から、鈍い光が滲んでいる。
「行くぞ」
「……はあ……」
澪が覚悟を決める。
中に入る。
空気が変わる。
——濃い。
魔力が、空気に混ざってる。
「……う……」
澪が口元を押さえる。
「大丈夫か」
「……ちょっと、気持ち悪い……」
「フィールドの出力上げる」
操作すると、数値が変わる。
「……あ、少しマシ……」
内部は——
通路、だと思う。
でもまっすぐじゃない。
ゆるく曲がってる。
しかも、壁が“脈打ってる”。
「……生きてるみたい……」
澪がまた言う。
「たぶん近い」
「やめて」
その時。
奥の方で、何かが動いた。
僕は手で制する。
澪もすぐに口を閉じる。
——来る。
影が現れる。
ネメシス。
人型。
でも人間じゃない。
肌が、均一じゃない。
ところどころ透けている。
内部に、何か流れてるのが見える。
目——らしきものはある。
でも焦点が合ってない。
「……っ……」
澪が息を詰める。
ネメシスは、僕たちに気づかない。
そのまま、通路を歩いていく。
動きは滑らか。
でもどこか、機械的。
「……見えてない?」
澪が小さく囁く。
「隠蔽成功」
僕は短く答える。
さらに奥を見る。
複数いる。
ネメシスが行き来している。
そして——
壁の一部に、何かが埋め込まれている。
球体。
黒くて、脈打っている。
その周囲で、ネメシスが作業している。
「……あれ、何……?」
澪の声が震える。
僕は目を細める。
魔力の流れを観測する。
「……生成装置だな」
「生成……?」
その瞬間。
球体が、ひび割れる。
中から——
“何か”が這い出てきた。
黒い。
形が安定してない。
でも、それはすぐに形を整える。
——ヴォイド。
「……っ……!」
澪が思わず後ずさる。
生まれたばかりのそれは、ゆっくりと立ち上がる。
ネメシスがそれを囲む。
まるで——
「……育ててる……?」
澪の呟き。
僕は頷く。
「生産ラインだな」
淡々と、そう言った。
僕がそう言うと、澪は何も言わなかった。
ただ、視線は逸らせないみたいだった。
目の前で、“それ”は作られている。
球体が割れて、
中から這い出て、
形を整えて、
——ヴォイドになる。
「……気持ち悪い……」
澪が小さく呟く。
「見たくないのに、見ちゃう……」
「慣れろ」
「慣れたくないってば……」
僕は一歩前に出る。
ネメシスたちは、こっちを見ない。
隠蔽は完全に効いてる。
球体——培養槽に近づく。
表面に手を触れる。
「ちょっと……」
「静かに」
内部の流れを観測する。
魔力の流入。
構造の形成。
情報の書き込み。
「……なるほど」
思わず口に出る。
「何かわかったの?」
澪が不安そうに聞く。
「ヴォイドってのは、“個体”じゃない」
「え?」
僕は別の培養槽を見る。
同じ構造。
同じ流れ。
「テンプレートがある」
「テンプレート……?」
「設計図みたいなものだな」
指で軽く叩く。
「ここで作ってるのは、“量産品”」
澪の顔がさらに引く。
「……あれが、全部……同じもの……?」
「微妙に違うけど、ベースは同じ」
少し考える。
「じゃあ——」
僕は端末を取り出す。
「ここをいじれば、全部に影響出る」
「……え?」
澪が固まる。
「ちょっと、何する気……?」
「ちょっとした細工」
当然のように答える。
培養槽の側面に、フェーズ端子を差し込む。
「やめなさいって言いたいけど……」
「言ってもやるだろ?」
「……やるわよね」
澪がため息をつく。
「……せめて、バレないようにして」
「当然」
接続完了。
内部構造が、画面に展開される。
「……うわ……」
澪が思わず顔をしかめる。
それは設計図だった。
でも——
人間のそれじゃない。
曲がっている。
歪んでいる。
直線がない。
論理はあるのに、形が理解できない。
「……おぞましい……」
澪が小さく言う。
僕は逆に、見入っていた。
「無駄がない」
「は?」
「効率だけで組まれてる」
不要な構造が一切ない。
ただ“目的”のためだけに最適化されている。
「面白い」
澪が一歩引く。
「理久くん、ほんと怖い……」
僕は構造の一部に目を止める。
「ここだな」
魔力の流れが集中している部分。
「制御系統」
そこに、小さく手を入れる。
「——書き換え」
数秒。
「……何したの」
「優先順位の変更」
「優先順位?」
「命令系統」
僕は淡々と説明する。
「ネメシス側の指示が最上位になってる」
「……それを?」
「僕に変えた」
沈黙。
「……は?」
澪の思考が止まる。
「これで、ここで作られるヴォイドは——」
画面を閉じる。
「僕の命令を最優先で受ける」
「……ちょっと待って」
澪が額を押さえる。
「それってつまり……」
「全部味方になる」
「軽く言うな!?」
僕は肩をすくめる。
「あと、これだけじゃない」
別の処理を走らせる。
「既存個体にも影響出るようにした」
「……どういうこと?」
「ヴォイド同士、微弱に情報共有してる」
「え……」
「だから、この改変は“感染”する」
澪の顔が青くなる。
「……感染って……」
「接触、近接、同一フィールド内——条件満たせば伝播する」
さらに続ける。
「で、別の生産施設に戻れば——」
「……まさか」
「逆流する」
短く言い切る。
「元のテンプレートにも干渉する」
澪が完全に言葉を失う。
「……それ、やっていいやつ……?」
「敵だぞ?」
「そうだけど……!」
処理完了。
端子を抜く。
何も変わらない。
見た目は。
でも——
中身は変わった。
「よし」
僕は立ち上がる。
「行くか」
「……もういいの?」
「目的は達成した」
澪はもう一度、培養槽を見る。
さっきと同じ光景。
でも——
「……なんか、余計に気持ち悪くなった……」
「そうか?」
「そうよ……!」
僕たちは静かにその場を離れる。
ネメシスは気づかない。
ヴォイドも気づかない。
何も変わっていないように見える。
——でも、確実に変わった。
施設の外に出る。
あの歪んだ空。
動く地面。
「……帰る?」
澪が聞く。
僕は少しだけ考える。
「……いや」
視線を、遠くへ向ける。
「もう少し見る」
その一言で——
この“異世界”の探索は、まだ終わらないと決まった。
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